第9章:アウロス=エルガーデン【上】(19)
「グランド=ノヴァって何!? 幽霊!? しかも何か凶悪そうな名前だし! さっさては悪霊!? だってここ拷問室だしね! そりゃ悪霊になる哀れな死人だっているでしょーよ! でもだとしたら私は大丈夫! だって私、悪霊に取り憑かれるような邪な魂してないから! だから私は問題ないけどロス君はヤバくない!? だって性格的に悪霊と相性よさそうじゃん! ホラ胸に手を当てて! ヤバいって思ってきたでしょ!? ヤバいに決まってるからとっととここから逃げ出しましょ! ホラ何ボーッとしてんのロス君! 私はテメーの為を思って言ってやってんだからね!?」
嵐の日の強風のようにゴウゴウと叫び倒しているラディを無視し、アウロスは神経を集中させ、虚空に耳を傾けていた。
しかし、もう声は聞こえて来ない。
たった一度、内容のある言葉を残して消え去ってしまった。
「『下だ。この下にある』か」
「絶対そいつが眠ってるんだって! 自分の骨を拾えとかそんなんだって! ホラ早く逃げないと! 悪霊に取り憑かれると性格ねじ曲がるって知ってる!? ロス君それ以上ねじ曲がったらポッキリ折れちゃうでしょ!?」
「混乱するのは勝手だが、それに乗じて人の事言いたい放題だな、おい」
「あんたは何でそんな冷静なんだよう! そういう性格なのは知ってるけどこの状況で平然としてると逆に気持ち悪ってなるから!」
散々罵られたアウロスは流石にちょっとだけ傷ついたものの、今は仲間からの誹謗中傷に凹まされている場合ではない。
下――――それが何を意味するのか。
それを考える必要がある。
というのも、この地下自体が既に『下』に該当する場所。
この部屋に何かあるのか、或いはまだ下があるのか。
仮に、最初にこのエルアグア教会に侵入した時にも聞いたあの『声のような音』が今の声と同じもので、単純に遠くから聞こえた結果、言葉として明瞭に聞こえなかったのだとしたら、自然と選択の余地は後者のみとなる。
それに、壁は石造りなのに木製の床なのも不自然と言えなくもない。
そのような部屋は珍しくもないのだが、地下という環境においては余り見られない構造だ。
「ラディ、仕事。この部屋をくまなく探し」
「お断りだ!」
言い終わる前に手で×印を模すラディに対し、アウロスは右手で指を三本立て、それを掲げて見せた。
魔術をぶっ放して無理矢理にでも――――という訳ではない。
報酬額を示したその指に、ラディの耳がピクッと動く。
「……3?」
「3」
それが意味するのは、3桁――――つまり報酬を100ユロー支払う、というもの。
部屋を探索するだけの報酬としては破格だ。
「……………………………………………………やってやろうじゃないの」
「ありがとう、金の亡者」
「うるせー! 私がお金大好きな理由知っといて何だいその言い草! 言っとくけど私が先に何か見つけたら成功報酬上乗せだかんね!?」
復讐に成功したアウロスは満足げに胸を張り、一足早く物色を始めた。
灯りを維持できない為、手探りでの探索。
しかも拷問室とあって、時折ラディの手に錆臭い金属製の何かが当たり、その度に悲鳴があがる。
一応、地下だからという考慮の元に騒いでいると好意的な解釈をしながらも、アウロスは終始こめかみに血管を浮かべながら『下』に繋がる何かを探した。
五分後――――
「……んー。なんか変」
部屋に入って中央部左側、椅子の下に手を入れていたラディが違和感を覚えていた。
「そこにある椅子は『審問椅子』と呼ばれる、針満載の椅子だ。
そのまま座っても実は大して痛くないらしいけど、ベルトにネジがあって、それを締め付けると身体に針が食い込んでいくそうだ。だから別に変な椅子じゃない。普通の拷問器具だ」
「怖っ! そういう意味で言ったんじゃないけど怖っ!」
全身が粟立つラディに対し、アウロスは眉をひそめ闇をまとったその方向に目を向けた。
「なら、どういう意味で変なんだ?」
「いや、椅子の下なんだけど……綿状の埃があんのよ。こういう埃って、服とか布とかの一部が作り出してるって、どっかの本で読んだことあるんだけど……ここ、そういうのないでしょ?」
「……」
実際には、この拷問室にはデウスらが出入りしている。
綿状の埃があっても不思議ではない。
ただ、ラディの指摘によって、アウロスはその事実を思い出した。
デウスはここを『誰かに聞かれる心配はない』という理由で使っていた。
拷問室に好んで足を運ぼうという人間がいないから、と。
合理的ではある。
けれど、もしそうなら――――それだけが目的なら、あのティアが掃除もせずにこの部屋を放置しているだろうか?
自分の主が使う部屋だ。
埃など見当たらないくらいに清潔にするのが、彼女の性格ではないか?
「……ラディ、こっちに来い」
「へ? う、うん」
アウロスに呼び戻され、ラディが部屋の扉の前まで戻る。
それを確認したアウロスは、魔具をオートルーリング用の指輪に変えルーンを編綴した。
綴った魔術は【雷斧】。
同じ初級魔術ではあるが、【雷槌】よりやや威力が高い。
その斧のような形状の雷が審問椅子に向かって放たれ――――炸裂音と共に椅子を砕く。
「ちょっ……あの椅子に何か怨みでもあったの?」
「そんな訳がないだろ。見ろ……って、見えないか」
既に【雷斧】の光も消えている。
アウロスは続けざま、【炎の球体】を綴って指の上に浮かした。
照らし出されたのは――――椅子の破片と、その真下に空いた穴。
その穴の中に、踏面と蹴上が微かに見えた。
「隠し階段……?」
「本来は床板を外して下りるんだろう」
つまり、ここは地下の更なる地下への入り口。
ティアが掃除をしていなかったのは、掃除することで部屋自体に不自然さを作らないように、という意図があったのだろう。
逆に言えば、ここに侵入者が現れることを警戒していることがわかる。
他人に聞かれないことだけを考慮した密会所であるなら、不自然さを考慮する必要はない。
それ以外の何かがあるからこそ、敢えて自然なままの拷問室を保持していた。
拷問室なら、審問椅子があるのは自然。
だからその椅子で入り口の蓋をしても、外見上何の問題もない。
合理性の極致のような部屋だ。
だからこそ、アウロスには容易に決断ができた。
アウロスもまた、合理性を重視する人間なのだから。
「おお……隠し階段ってなんかテンション上がるよね。下、行くんでしょ? 早く行こうよ早く」
ラディは興奮した様子でアウロスの肩をユサユサと揺さぶった。
「どうして幽霊が怖くて隠し階段にワクワクするんだ、お前は」
アウロスにしてみれば、隠された階段に潜む意味や、この下にある未確認の階層の方がよほど恐怖の対象に相応しい。
ラディの神経が理解できずにいた。
「こういうのをロマンって言うのよ。覚えておきなさいな」
「……わからん」
首を左右に振りつつ、アウロスは地下二階への階段を下りて行く。
一応、一度だけ【炎の球体】で足元を照らしてみたが、階段自体は地下一階へ下りる時の物と特に変わらない。
だが、階段の終わり――――地下二階の床に関しては、地下一階の木製の床とは違い、壁と同じく石造りになっていた。
「地下一階は後から造られたのかもしれないな」
「かもね。元々は二階分の高さの空間だったのかも」
ラディの声に、緊張感が混じる。
興奮しているように見えても、実際にはかなり警戒しているようだ。
情報屋である以上、危機管理能力は必要。
単に『隠された地下二階』という状況だけではなく、この地下二階に漂う冷たい空気、そして異様な雰囲気がラディの緊張を、そしてアウロスの集中力を高めていた。
「部屋はない……な」
例によって魔術で数秒ほど照らしたところ、細い通路が真っ直ぐ伸びているだけで左右の壁に扉らしきものは見当たらない。
留まっていても仕方がないので、アウロスとラディはその通路を慎重に前進して行く。
「一応言っておくけど、この先に何があっても好奇心に任せてフラフラと俺から離れるなよ。魔術の無駄遣いはもうできない」
「了解。つーか、流石にこの状況でそんな勇気はございません」
釘を刺され、ラディはプルプル首を横に振った。
初級魔術ばかりとはいえ、これだけ魔術を使うと残りの魔力に気を使わなければならない。
魔術士としての最低レベルしか魔力量がないアウロスの悲哀だ。
とはいえ、先に何があるのかを確かめるには、やはり光源は必要。
先程の魔術で光が届いていた場所まで歩を進めたところで、もう一度【炎の球体】を生み出す。
すると――――
「……扉、か?」
少し先の所で通路が行き止まりになっている。
そこにあるのは両開き戸。
傍まで寄って触れてみると、石の扉だと判明した。
封術が普及しているこのご時世、扉を石で造るメリットは殆どない。
遙か昔に造られた物――――アウロスはそう判断した。
「封術は……施されてないな」
施錠もない。
押せば開く。
つまり、中に人がいる可能性が十分にある。
「ラディ。さっき言った事……」
「わかってるってば。ここまで来て、寒い事するつもりないよ」
これまで何度か危ない橋を渡ってきた女。
ラディも、これから起こり得ることをしっかりと理解していた。
「……行くぞ」
「おうさ」
アウロスは重い扉に手を当て――――
「……」
「非力よねー、魔術士って」
――――ラディの加勢を受け、両開きの扉を開いた。