第2章:研究者の憂鬱(8)
第二聖地ウェンブリーで最も栄える繁華街【ネブル】は、美しい街をスローガンに景観を工夫しまくった結果、
歪な固形物が其処彼処に点在する異様な外観の地域となった。
例えば『月とロッド』と命名された、全長5mにも及ぶ棒と球体の混合物がそびえ立っていたり、
大きな公園の真ん中に『オーロラの泉』と称して油を混ぜた噴水付きの人工池を設けていたり、
硝子の破片を大量に道路の一角に撒いて『ダイヤモンドブリッジ』などと呼んでみたりと、
反吐が出るような無駄遣いの痕跡があちこちに見受けられる。
しかし、外観を無視すれば、商業施設の充実や治安そのものに不備はなく、人の集まりも悪くない。
盛り場としての機能はしっかり果たしている。
「……だが、それ故に無駄な浪費に関しての言及が滞り、無駄は無駄のまま垂れ流されて行った」
メインストリートを横行する群衆に混じり、魔術士の革命を願う者は飄々と嘆いた。
先日、実験中に起こした騒ぎは、特に問題となる事もなく消化され、アウロスは以前断った酒場への同伴を
今回は快諾し、初めての繁華街横断を敢行している。
大規模なマジックアイテムの店が酒場の近くと言う新たな情報が決めてだった。
「どこぞの国の著名な芸術家に街全体の計画案を丸投げした結果がこのザマだと言うのに、誰も声高にそれを非難しない。それが魔術士の現状そのものだ」
「統治作用にも関心があるんですか」
「政治家になるつもりはない。だが、魔術士の根本を変えると言う事には、こう言った悪しき環境を徹底的に潰すと言う意味もある」
魔術士の真髄を抽象的に捉えたと言う、捻れよじれ倒れている奇妙な形状のオブジェに中傷的な蹴りをくれつつ、
ミストが微笑みを向けて来た。
「お前はどう思う? 自分の住む世界を自分が変えたいとは思わんか?」
「特に」
考えるまでもなく。
「ただ、そう言う話を聞いてると……一つ疑問が湧いてきます」
アウロスは17年の人生で何度か真剣に考えた事のある疑問を、初めて他人に投げ掛けてみる事にした。
「魔術って何なんでしょうね」
「……真理にでも関心があるのか」
「そこまで大袈裟な話でもないですが」
肩を竦める。ミストは笑みのようで、そうでもない微妙な角度の口を固定したまま、顎を指でなぞった。
思案の際の癖のようだ。
「魔術とは……か。我々にとっては存在意義そのものだろう。命、水、空気と同価、或いはそれ以上かも知れんな」
その模範解答にやや不満を覚えたアウロスは、燃料を投下する事にした。
「魔術士とそれ以外の人間の違いは唯一つ、魔術が使えるか否か。当たり前ですけど、魔術が使える人間が魔術士です。つまり、魔術士の欠陥は全てにおいて『魔術が使える』と言う事に起因するって事です」
「魔術士が必ずしも栄光と繁栄の道を歩んでいないと言う現実は、魔術が人間にもたらすのは負の財産でしかない事の証明――――そう言いたい訳か」
アウロスは沈黙する。
「魔術士は、その殆どが選ばれた人間だ。魔力量と言う、生まれながらにして不変の貯蓄を一定水準以上に所有している人間のみが、神から手を差し伸べられる。その道を目指す時点で、既に選民意識が植え付けられるだろう」
歩行する沈黙の顔に、僅かな陰りが浮かんだ。
「優位性を得た人間は往々にして、他者を見下したり数字や銘柄に固執するようになる。自分は特別だと誤認識し、そうでなければ自我が保てなくなる程に歪んでしまう。結果――――目も耳も頭も、そして心も朽ちる」
ミストの言葉は人間学に通じるものだった。
人間は、決して弱い生き物ではない。少なくとも霊長類で最大の知力を備えている。だからこそ、知る必要のない快楽を知り、それに溺れる。
強さ故の弱さ――――光が在れば闇も在り、表が在れば裏も在る。それが世界だ。
「こうして改めて口にしてみると、この街の惨状も当然の成り行きに思えて仕方がないな」
「魔術士に未来はあるんでしょうかね」
何気なく呟いたアウロスの言葉を受け、ミストが顔の角度を微妙に調整する。
決め台詞を吐く時の癖らしい。
「私がいなければ、難しかったかも知れんな」
「……色々と凄まじいですね」
「尊敬しても構わないぞ」
ミストのいる方向に向けられたアウロスの眼差しは――――その先にある小さな酒場を見据えていた。
「ここですか?」
「ああ。良くわかったな」
しなやかにスルーされた事は特に気にしていないらしく、薄い笑みを浮かべたままのミストは常連の足取りで店内へと入って行く。
アウロスもそれに続いた。
スウィングドアの向こうは、大衆的な空気ではなく、落ち着いた感じのシックな世界が待っていた。
僅かに赤みがかった黒色のテーブルには掠り傷一つなく、鈍い光沢が控えめな照明の明るさと程よく溶け合っている。
さりげなく置いてある細身の花瓶には、ワイン色の美しい花が一輪、妖艶な彩りで場を飾っている。
何よりも、半分以上の席が埋まっているにも拘らず、酒場特有のアルコール臭が余りしない。
喧騒も控えめで、大声で笑ったり、ケンカ腰に叫ぶような客は一人もいないらしい。
「中々雰囲気のある店ですね」
「そうだろう。私のお気に入りだからな。さて、私はマスターに挨拶してくるから、適当に席を取っておいてくれ」
アウロスが頷くと、ミストは颯爽とカウンターの方へと向かった。
その身体と入れ替わるように、女性の店員がやって来る。
案内役らしく、極上の営業スマイルを携えていた。
「いらっしゃいませ~☆ お一人様ですかはっ」
そのスマイルが一瞬で凍る。そして電光石火で反転。
しかし、アウロスの動体視力はその一瞬で店員の顔を捉えていた。
「……ラディ?」
「さ、さあ何の事だか。私は通りすがりのウエイトレスなのでさっぱりわかりませんですわ」
ウエイトレスはトレイで顔を隠しつつ、語尾らへんにキャラ作りなど試みている。
それを受け、アウロスは真顔で舌打ちした。
「酷っ! その態度酷っ!」
憤怒してクレームを付けて来る女は、まごう事なき情報屋ラディアンス=ルマーニュ16歳だ。
そして、その身にはパッションピンクを基調にロイヤルブルーとチェリーレッドを散りばめた制服を着ている。
胸元にはエメラルドグリーンのリボン付きだ。
それを受け、アウロスは真顔で唾棄した。
「え? 今のは何で……」
「何で、はこっちの科白だ。何でお前がここにいる」
アウロスが凶悪犯を見る目でラディを刺す。
しかしそこは情報屋、睨まれたぐらいで怯んだりはせず、胸に手を当て不敵に笑みを浮かべてみせた。
頬に見える冷や汗らしき液体はご愛嬌だ。
「フッ、愚問ね。酒場と情報屋は切っても切れない関係なのよ。知らなかった?」
「明らかに情報屋とはかけ離れた格好なんだが……」
「バカな事を仰るねーこの人は。この服も情報収集の一環! 潜入形式の調査法と言うか、相手を油断させる為の罠と言うか……まあ、バイトと言うか」
内容の真実味と声量が反比例していた。
「バイト……? 食うに困らないだけの給料は払ってるだろ?」
「わ、私も色々あんのよ! そっちの仕事もしっかりやってるから良いじゃない! 放っといてよ!」
「それもそうだな」
演劇女優の口振りで叫ぶラディに理解を示し、他人の表情で空席に座ろうとしたアウロスだったが――――肩口を鷲掴みされ阻まれる。
「……ここで『俺はお前が心配なんだ! 理由を話してくれ!』くらい言ってくれる男の人って、暑苦しくもカッコいいよねー」
「理由はいいからその手を離してくれ」
手に力が篭る。
「そう言えば……同伴者いたよね。誰?」
「ウチのボス」
「ごっ、ごゆっくり~」
ウエイトレスは注文も取らず、持ち前の俊敏性をフルに発揮して、メインポジションへと去って行った。
しかし、直ぐ近くでミストが無精髭を携えたマスターと思しきナイスミドルと話をしており、その様子に気付くと
弾けるように別の場所へ逃げ出した。
(そこまで苦手なのか……もしかしたら何か特別の理由でもあるのか)
様々な可能性を考慮してみる。
しかし、何れもロクでもないものばかりな上に、正解した所で特に益がある訳でもない。
結局『どうでもいい事』と結論付けた所で、話を終えたミストが戻って来た。
「待たせたな」
「ここのマスターと知り合いですか?」
「彼とは旧知の仲だ。昔……」
刹那――――入り口のスウィングドアを蹴り開ける音が店内に鳴り響き、全員の視線が入り口に集中する。
「昔、戦場でブイブイ言わせて敵国の賞金首にまでされた元傭兵の男がここでマスターをやっていると聞いて参上した! さあ、かかって来いやー!」
どうやら、ならず者の殴り込みのようだ。
「まるで仕込みのようなタイミングなんですが……どうします?」
「決まってる。見物するのさ」
しれっとそう言い放ち、ミストは薄っすらと微笑んだまま、事の成り行きを生暖かく見守っていた。
アウロスがそれに多少の戸惑いを覚えつつ周りを見渡すと、店内の客も全員ミストと同様に、動揺する素振りはない。
そして――――指名を受けたマスターに至っては、調理の工程と同レベルのような手つきで魔術を編綴し始めた。
「……何なんですコレ」
「この店は料理の他にもう一つ名物があってな。臨場感溢れる見世物として、大変好評を博しているらしい」
「これが……ですか」
店内にゴロツキが現れたと言うのに、不安や混沌が一切ない。その余りに不自然な状況にアウロスは呆れるばかりだった。
「ぎゃあああああ!」
ならず者は特に見せ場もなく1ターンで轟沈。
適度に手加減された小規模の雷撃を身体に受け、大の字に倒れ目を回していた。
「ブラボーっ! 今日もイカすぜ霹靂のジーン!」
酒場は興奮の坩堝と化し、絶叫と拍手と指笛に支配される。そこには似非ウエイトレスもしっかり混ざっていた。
まるで盗賊一行が酒盛りしているかのような騒ぎで、先程のシックな雰囲気など面影すらない。
唯1人、賞賛を受けるマスターだけは冷静沈着を保ったまま片手を上げ、さらっと調理に戻った。
「霹靂のジーンと言うのは……異名、ですか」
「黄魔術が得意だったからな。それ以上に料理が得意で、かつて共に戦場を駆け回っていた頃はよく酒場の厨房を借りて、私達に腕を揮ってくれたものだ」
どうやら2人の関係は、戦友と書いてトモと呼ぶそれらしい。
「戦友は良い。会うだけで精神が高揚する」
「そう言うものですか」
「お前には、そう言う人間は存在ないのか?」
ミストは珍しく笑みを消し、テーブルに両肘を着いて両手を組む。真面目な話のようだ。
「唐突に何を……」
「どうなんだ?」
視線に攻撃性が出ている。
それは嘘への警告であり、一種の演出でもあった。
それを踏まえ、アウロスは答えを紡ぐ。
「いませんよ。1人も」
「本当か?」
「ええ」
納得しているのか、いないのか――――緩やかに表情が戻る。
「なら良い」
結局意図は明かさないまま、そこで会話は終わった。
食事はミストの評価通り、美味だった。




