第9章:アウロス=エルガーデン【上】(7)
オートルーリングという技術が、実用化の水準にまで研究が進んでいる――――研究発表会の席でミストがそう発表したことで、デ・ラ・ペーニャ内において魔術のシステムについての論議が活発化し始めている。
第一聖地マラカナンでも、そういった風潮は一部ではあるものの確かに見られており、特に魔術の開発が盛んな地域、組織内では、オートルーリングに関する話題を中心に魔術を今後どのように進化させるべきかを話し合う機会が増えていた。
近年、魔術の進化は停滞傾向にあり、実戦で有効な魔術、金になる魔術の二極化が進む一方で、それらの魔術については打ち止めという状況が続いている。
新しい風を必要としているのは、ウェンブリーだけではなくマラカナンにおいても同じ。
魔術のあり方を根本から問う『オートルーリングの実用化』というトピックは、少なからず教皇選挙にも影響を与えている――――との見方が強まっている。
何しろ、次の教皇が第一に取り組むべきは『敗戦国からの脱却』。
魔術国家デ・ラ・ペーニャのアイデンティティを再構築する強い推進力が求められる。
その為には、新たな魔術、新たな魔術士像を示さなければならない。
魔術のシステムの刷新は、このテーマにピッタリ一致する。
「ミストが俺の論文に目をつけたのは、近い内に教皇選挙が行われると見越していたからかもしれない」
買い物を終え、ルインと共に辻馬車に乗り込んだアウロスは、流れる景色を眺めながらポツリとそう呟いた。
「考え過ぎじゃないの? 教皇の健康状態なんて、大学の教授風情が知る術などないでしょうに」
「年齢を考えれば、推測くらいはできるだろう。敗戦以後の閉塞感を払拭できない現体制への不満が蓄積していく様も、あの男なら敏感に察していたはず。なら、ここまで見越していても不思議じゃない」
その一方で『一攫千金論文』に成果を期待するなど、余りにも無謀。
あくまでも、そういう研究もしている、という体裁が欲しかっただけかもしれない。
いずれにせよ、ミストはオートルーリングの『実戦以外』における有効性を誰より早く、誰より的確に見抜いていたと見做すべきだとアウロスは感じていた。
「そしてもう一人。自分が国の長になる上で、この技術が『使える』と目をつけたのが……」
「デウス=レオンレイ?」
半ば確信をもって問うルインに対し、アウロスは――――首を横に振った。
「ルンストロム=ハリステウスだ。ミストとこの男が何らの接点を持っていたのは間違いない。ミストがオートルーリングを使って自分を教会に売り込もうとしていたのなら、当然ルンストロムにオートルーリングの有効性……選挙で武器になるという説明はしている。そしてそれに乗ったからこそ、彼の元に論文が届いたんだろう」
「でも、偽の論文だったのでしょう?」
「ああ。ミストは彼を見限ったんだ。他に教皇になりそうな人材がいると判断した。
その男に、オートルーリングを売り込むと決め、本物の論文を贈った」
それが――――デウス。
アウロスはそう推察していた。
ルンストロムへ贈った論文は、最初から偽の論文だったことは明らかだが、ミストが『本物を送ったが、途中で何物かがすり替えた』とすっ惚ければそれが例え明らかな嘘だとしても、ミストが全責任を背負う必要はなくなる。
単なる郵送中の過失、事故だと言い張れるからだ。
また、郵送中に情勢が変わった場合、郵送中の論文を回収して送り先を変えることも可能。
マラカナンにベリー=ベルベットという情報屋を送り込んでいたのも、そのような有事の際に備えてのことだ。
直接論文を手渡すのと比較し、様々な恩恵がある。
ミストのとった『論文を送る』という手法は一見不可解に思えるが、実際にはかなり慎重かつ狡猾なやり口だ。
「デウス=レオンレイをかなり買っているという訳ね。教皇の息子だからなのか、本人の実力に一目置いているのか。両方なのでしょうけれど」
「波長も合うんだろう。おかげで先手が打てた」
ミストの時は、大学に在籍しているしがらみもあり、手を打てなかった。
今回は自らデウスの元を離れることができた。
もし、三者会談の日にデウスのシナリオのまま行動していたならば、今頃アウロスは幽閉、或いは――――始末されていたかもしれない。
もしデウスがオートルーリングを政治利用しようと目論んでいるならば、アウロスの存在は邪魔になる。
自分の手で確実に始末するため、懐に置いておいた可能性すらある。
尤も、オートルーリングの実用性をその目で確かめる為、専用の魔具と知識を有しているアウロスを招き入れたと見る方が妥当ではあるが。
「いずれにしても、デウス=レオンレイとはいずれ何らかの形で一戦交えることになるのでしょうけれど……戦力が足りていないのよね? 私では不足なくらいに強いの? その男」
「ああ、強い」
即答したアウロスに、ルインは面白くなさそうな顔を向けた。
それなりに、自分の臨戦魔術士としての力には誇りを持っているようだ。
「それに、部下の四人も戦闘力って意味では相当だ。恐らく他にも切り札を用意しているだろう。実力行使って訳にはいかない」
「頼れる人間はいないの? 貴方がこの地に来て結構経つのでしょう? 傭兵を雇う費用を捻出してくれそうな、それでいて野心のなさそうな利用しやすい人材の心当たりくらいあるんじゃないの?」
「……お前の言い分に乗ると、それだけで中傷になりそうで嫌だな」
とはいえ、その心当たりがない訳ではない。
まず目の前の女性の母親。
首座大司教という身分で、十分な経済力もある。
けれど、不祥事を自ら暴露したばかりの彼女を教皇選挙に巻き込むのは酷だ。
次に該当するのは――――
「……父に会うのか?」
買い物から帰ったアウロスは、その心当たりの娘――――フレアにまず話を通した。
デウスの政敵である枢機卿ロベリア=カーディナリスは、現在想定している戦力となり得る可能性が十分にある。
ただし、問題点もある。
彼を戦力に数えるならば、教会選挙への介入は免れない。
自分で書いた論文を取り戻す為に、国の長を決める選挙にまで首を突っ込むことになる――――そんな面倒ごとはなるべくなら避けたい。
とはいえ、オートルーリングが選挙戦の一トピックとなる可能性が極めて高い以上、やむを得ない事態でもある。
もう、そういう所まで来てしまったのだと自覚せざるを得ない。
「そのつもりなんだけど、その前にフレア、お前に確認したいことがある」
「なんだ。言ってみろ」
まるで何処ぞの大物のような口振りで、フレアは意見を許可した。
この辺は、実際大物であるロベリアの元で育った影響もあるのかもしれない。
例え血は繋がっていなくとも、子は親に似るものだ。
「お前は、父親を教皇にしたいか?」
そんなフレアの目を凝視しながら、アウロスは問いかける。
居間にはチャーチやラディもいたが、二人ともアウロスとルインが買ってきた着替えの服に不満を唱えるのに必死で、こちらに意識は向いていない。
フレアは雑念なく、静かに熟考した。
俯いたまま、暫し下唇を噛み締め、そして――――
「本当は、あんまりなって欲しくない」
そう本心を吐露した。
「今より偉くなったら、父はどこか遠くに行ってしまいそうだから」
「枢機卿の時点で遥か遠くだとは思うんだけどな」
「一番と二番は全然違う」
そのフレアの指摘は、この上なく正しい。
そこには大きな隔たりがある。
ロベリアが教皇となれば、フレアと接する機会は圧倒的に少なくなるだろう。
フレア自身、教皇の娘となれば、例え義理であっても扱いが大きく変わる。
そしてそれは、決して好ましい変化ではないだろう。
「でも……父がそれを目指すのなら、応援する。私ももう大人だから、ワガママは言えないし、言いたくない」
「大人は自分を大人とは言わない」
「う。そうか」
アウロスの少しだけ砕けた指摘に、フレアは本気で凹んだ。
とはいえ――――彼女の配慮は大人びてはいる。
「わかった。なら決定だ。お前の父親と会って話をする。ついて来い」
「い、今からか?」
「今から行ったら付くのは夜明けだろ。明日だ明日。今日はもう夕食食べて寝るだけ。
それはそうと、食事を作るのは……」
購入した食材は、既に今の机の上にはない。
この墓の下の拠点には厨房があり、今はそこに移動している。
移動させ、且つ調理を行おうとしているのは――――
「何? このロクに肉を切り刻めないナイフ。肉に刃が食い込まないナイフに存在価値があるのかしら……」
そんな独り言をブツブツ呟きながら、調理器具と睨めっこしている死神を狩るお姉さんだった。
「これだけ女がいて、調理するのがあいつだって……?」
「な、なんかこわい」
ナイフを研ごうとしているのか、ゲシゲシと壁に叩き付けているその姿にアウロスとフレアは戦慄を覚えざるを得なかった。