第8章:失われし物語(42)
「……くしょっ!」
珍しく大声をあげたアウロスに、ラディとチャーチが驚きの顔を浮かべる。
とはいえ、あくまでもクシャミ。
寒冷な気候のエルアグアでは日常的な生理現象なので、特にそれ以上の追及はなかった。
「あー……何処まで話したっけ」
「貴方がこしらえた、あの一攫千金論文の在処についてよ」
頬杖をついたルインの言葉に、アウロスは特に頷くことはせず、後頭部を掻く。
ルンストロムの罠にはまった宿での騒動後――――
エルアグア教会に戻るわけにもいかず、アウロス達は新たな拠点へと身を寄せていた。
そこは――――
「……でも、いいのか? 勝手に使って」
木製の椅子を訝しげに凝視しているフレアもかつて寝泊まりしていた場所。
墓地の地下にある、四方教会の隠れ家だ。
「誰かが住んでいた方が痛まないし、感謝こそされ非難される謂われはない」
「無断使用、不法侵入……いや、このクソ寒い中野宿するよりはいいけど。
それより、とっとと話進めてよ。ロス君よう」
まだエルアグアの気候に慣れきっていないのか、ラディがカチカチと歯を鳴らしながらそう促す。
アウロスは一つ頷き、話の続きを始めた。
「結論から言うと、論文の所持者がわかった」
「……え?」
突然の断言に、ラディとフレアが同時に声をあげる。
この第一聖地マラカナンに足を運んで以降、ずっと手がかりを探し続け中々辿り着けずにいたはずの答えを、アウロスは既に掴んでいた。
「チャーチ。お前の知り合いの偉い爺さんは、俺を罠にはめたんだよな?」
「うん。間違いないよ。ボクは内容まで知らされてなかったけど。まさか殺そうとしてたなんて、ルン爺ってあんな酷いことするジジイだったんだ……ゲンメツ」
「殺そうとはしていない。捕えようとしていた。四肢を切り落としてでも……そう言ってたからな」
そう。
ルンストロムは、アウロスを捕えようとしていた。
普通に解釈するならば、アウロスから『デウスの指示でグオギギ誘拐を手伝った』と吐かせるという目的があったから――――と推測できる。
アウロスはデウスの、フレアはロベリアの汚点となり、ルンストロムが教皇になる上での敵となる二人に大打撃を与えられる。
過程はややこしかったものの、構図そのものは至ってシンプル。
そして、そこには確かな見返りがある。
そういう罠を張ったルンストロムの手腕が光る一幕ではあった。
しかし――――
「捕える必要はないんだ。ルンストロムほどの権力者なら、俺とフレアの死体さえあれば、デウスの指示だったかどうかなんてどうとでも捏造できる。証人にできる第三者もいたことだしな……」
国際護衛組織『アクシス・ムンディ』の面々がそれだ。
彼らを買収すれば、客観的な証人として高い信憑性を得られるだろう。
尤も――――アウロスは、デウスの指示で『ロベリアのスパイ』という設定を背負っていた。
なので、もしアウロスが殺されてルンストロムのシナリオ通りに事が運んでいてもロベリアのみの汚点となっていただろう。
これは、デウスがこの事態を想定していた証でもある。
そのデウスの仕掛けは効力を発揮することはなかったが、その仕掛け自体には大きな意味があった。
ただし、デウスにではなくアウロスにとって、だ。
「ルンストロムは、敢えて俺を生きたまま捕らえようとした。四肢を切り落としてでも……ってことは、頭と口さえ残ってればいいって解釈できる」
「何かを問い詰めようとしていた……」
ポツリと呟くルインに、アウロスは頷いてみせる。
「そう。自分の権力ではどうしようもないことを、俺の口から割らせようとしていた。それって何だ? 俺が持っていて、ルンストロムの権力と接点のない情報なんて二つしかない。一つはデウスに関する情報。だが、それなら俺じゃなくもっとデウスに近しい人間の口を割らせる方が遥かに合理的だ」
「もう一つ……えっと、何?」
思案顔の後に半笑いを浮かべたラディに、ルインが冷めた目を向ける。
「一攫千金論文に決まっているでしょう。それを省いたら、この男に何が残るってのよ」
「……まあ、その通りなんだけど」
つまり――――オートルーリング。
その情報を、アウロスから聞き出そうとしていた。
となれば、少なくとも本物、偽物のどちらかの論文をルンストロムが所持しているという線がほぼ確定する。
持っていないのなら、関心を示す理由がない。
「でも……それなら、本物と偽物のどっちかわからないんじゃ。それ以前に、ルン爺本人も本物か偽物かわかってないんじゃないの?」
そう説明したアウロスに対し、チャーチは核心を突いた質問をぶつけてくる。
オートルーリングの説明はついさっき聞いたばかり。
物わかりがかなりいい証拠だ。
「いや、偽物で確定だ」
しかし、アウロスは断言した。
「あの論文は一度、ミスト……俺の元上司が発表してる。まさか論文発表会で穴のある論文を発表するような愚行を、最年少教授がやらかすとはルンストロムも思ってはいないだろう。当然、発表の内容も彼の元へ届いている」
「本物か偽物かは区別がつくってことか……でも、それだけじゃ偽物とは限らないよ」
「本物とわかっているなら、俺に聞くことは何もない。わからない何かがあるのならミストに聞けばいい。ルンストロムは、恐らくミストと繋がってる」
それは、ルンストロムが口にしたアウロスへの評価からも明らか。
なら、わざわざアウロスから聞く必要は何処にもないとルンストロムは考えるはず。
幾らアウロスが生みの親といっても、ミストに全ての情報を開示している以上、ミストのオートルーリングへの理解度はアウロスと同等なのだから。
「よって、ルンストロムは偽の論文を掴まされた。だから、俺にその理由を聞こうとしたんだろう。一体どうなっているんだ、と」
「どうなってるんだ……って、どゆこと? ハズレ引いちゃったのは自己責任じゃないの?」
眉間にシワを寄せ、頭から湯気を出すラディに、アウロスは半眼で答える。
「オートルーリングの論文は、元々ルンストロムへのラブレターだったんだよ。ミストからの貢ぎ物として、あの爺さんへ送られた物となるはずだった。大学教授と教会の首座大司教だからな。密会して論文を受け取ろうとしても、誰かの目に触れるリスクが大きい。味方と思っている人物でも、実際そうとは限らない世界だ。贈り物、と表立って手渡す方法は危険なんだ。この方法だと、そのリスクを減らせるメリットがある」
「……メンド臭い話ねぇ」
珍しく言葉少なにラディが嘆息した。
「そもそもレヴィが偽の論文を流したことを利用したミストの策略に端を発した出来事だ。面倒臭くて当たり前なんだよ」
「また懐かしい名前が出て来たねー。あのインケン野郎、今どこで何してるのやら」
そう苦笑するラディの隣で、ルインは特に関心なさそうに欠伸をしていた。
或いは、レヴィという名前さえ忘れているのかもしれない。
「で、前にも話した内容だけど、本当にラブレターだったら本物が届くはずなんだ。偽の論文を掴まされた人物……他の次期教皇候補が、嬉々として『我々はオートルーリングを手に入れた!』って宣言した後で、『その論文は穴だらけ。ここをこう、ここはこうすれば真のオートルーリングになる』と修正させるのが最大の目的だろうからな。だが、ルンストロムには偽物が届いた」
手違いがあった――――とは考えられない。
そんな愚行をミストが犯す筈がない。
なら、ルンストロムに対してミストは――――
「……最初から、ルン爺は引き立て役だったってこと?」
「ああ。味方という認識はミストにはないんだろう」
だとしたら、本物の論文は誰が持っているのか。
ルンストロムを引き立て役とするなら、残り二人の立候補者に限られる。
ロベリアは確認済み。
手にしていなかった。
何より、ロベリアとミストには接点がない。
そして――――
『高速、そして自動のルーリング。あんな魔術の発現の仕方は、見た事がない。正直、驚嘆した。感動で打ち震えた。魔術士の未来を見たような、それ程の衝撃があった』
残りの一人は、最初からオートルーリングへの強い関心を示していた。
彼は、この技術を詳しく知っていた。
或いは、必要としていた。
その上で、選挙戦で有利に働くための切り札としても利用しようとしていた。
一つの行動、一つの欲望に多数の意味と意義を含ませることができる、知性と行動力に富んだ魔術士。
そして何より、当人が『誰より強い』と自負していた魔術士。
――――デウス=レオンレイ
「奴の手の中に、俺の論文がある」
アウロスは、そう特定した。
それは、新たなる敵の誕生と同義。
そして同時に――――
アウロス=エルガーデンの全てを賭けた闘いの始まり。
それを歓迎するかのように――――
「最後の好機だ」
――――青年は、そう宣言した。