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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
マラカナン編
203/388

第8章:失われし物語(37)

 四面楚歌の状況下にあって、アウロスの頭を支配していたのは不安や焦燥ではなく、疑念だった。

 アウロスは、ミストがオートルーリングの論文をマラカナンに流出させたのは、自分にとって『組むべき相手と想定している教会関係者の誰か』に、この論文を直接手渡すより遥かに有効な手段だからだという仮説を立てていた。

 一端『本物』と『偽物』を流出させ、『組むべき相手の敵対勢力』に偽物の論文をあえて掴ませ『オートルーリングの理論には穴がある』と発表させたのち、組むべき相手に本物を掴ませ、『いや、その穴は防げる』と発表させることで組むべき相手に花を持たせる。

 ただ単にオートルーリングの技術を譲渡するより有用な渡し方だ。

 その組むべき相手がルンストロムならば、辻褄も合う。

 ルンストロムは現在、皇位継承問題の主役の一人。

 他の立候補者を失墜させ、自分の評価を高めたいと願っているのは言うまでもない。

 ミストの回りくどい論文の譲渡も、この皇位継承問題に絡んでいると考えれば決して不可解ではなくなる。

 わざわざ隣国に本物の論文を流出させずとも、ルンストロムに直接渡しておき、偽物のみを流出させるだけでも、このシナリオは成立するが、次期教皇に立候補中の首座大司教と、大学の教授でしかも現在かなり注目を集めているミストが密会するのは容易ではない。

 まして、皇位継承争いの真っ直中となれば、情報戦はかなり熾烈に行われていると見なさなければならない。

 立候補前ならまだしも、立候補後に密会するのは難しいだろう。

 部下を派遣するだけでも、スキャンダルになりかねない。

 それに、教会と大学は密にすべきでない、という風潮は未だ根強い。

 敢えて本物の論文も流出させた理由も、これで説明がつく。

 ただ、アウロスには解せない点が一つある。

 何故――――自分をここまで追い込む必要があるのか。

 ルンストロムはわざわざアウロスをここへおびき出した。

 彼とミストが繋がっているのなら、ミストがそこに一枚噛んでいる可能性は高い。

 ミストがアウロスを潰しにかかっている――――状況だけを見ればそう解釈すべきかもしれないが、少なくとも今のアウロスにそこまでの価値はない。

 ミストがその気なら、アウロスがテュルフィングの一員を倒したあの論文発表会で不意打ちするくらいは十分にできた。

 そもそも、始末するまでもなく、片田舎の研究所に飛ばすくらいのことは余裕で可能な身分だ。

 アウロスを泳がせた上で始末する理由もない。

 ミストの指示とは思えない、という結論になる。

 つまり――――この罠は、ルンストロムの独断。

 必ずそこには目的がある。

 次期教皇となる可能性を十分に秘めた、教会屈指の権力者が生まれも育ちもズタボロな、才能なき少年を追い詰める必要がある、何らかの目的が。

 ならば、それを聞き出すことが、この危機を乗り切る第一歩――――

「余計なことは一切口にしないように」

 そんなアウロスの思考を読み切ったかのように、ルンストロムはアクシス・ムンディの面々に対してそう命じ、重そうな瞼をゆっくりと持ち上げた。

「冥土の土産……という言葉があります。死に往く者に、手向けとして望む物を与える。

 多くの場合、隠されていた真実を語る……そんな行為が賛美されています。

 実に愚かしい。追い詰めた鼠に慈悲の御心は必要なし。粛々と……」

 そして、口の両端をおぞましく吊り上げる。

「処理すべきなのです」

 同時に――――フレアが四肢を動かし、戦闘態勢を作った。

 殆ど反射的に。

 それほどの強く鋭い敵意が放たれた。

「無駄口を叩かない年寄りは嫌いじゃないが……参ったな」

 アウロスはその隣で、右手を持ち上げ後頭部を掻く。

 その所作に対し、周囲の緊張度は明らかに増した。

 アウロスがオートルーリングを使用することは、完全に把握されている。

 今はまだ警戒している段階だが、少しでも編綴の動きを見せればアクシス・ムンディの3人やルンストロムの隣にいる聖輦軍の髭面の男が容赦なく襲って来るだろう。

 明らかに、分は悪い。

 フレアの戦闘力は高い部類に入るが、ルンストロムを含め2対5では全員の魔術を避けるのは無理。

 当然、一瞬で全員を倒すのも不可能。

 アウロスにしても、いくら瞬時に魔術を綴れるとはいえ、これだけ狭い部屋ではオートルーリングの最初の一文字を綴る前に仕留められる可能性がある。

 何より、この場にいる敵が全員とは限らない。

 天井裏、部屋の外、床下、物陰に潜んでいる可能性はある。

 その場合、フレアの気配察知能力でも探れない手練れが確定する為、いよいよ絶望的状況に拍車が掛かる。

 しかし、時間稼ぎをさせてくれるような相手でもない。

 まだ襲いかかってこないのは、アウロスとフレアの戦闘力への警戒というより、奥の手がないかを探っているからだ。

 ないとわかれば、直ぐに仕留めにかかる。

 そういう圧力を、ルンストロムは放っている。

 慎重で、それでいて臆病ではなく、隙もない。

 捕食者特有の性質。

 アウロスは、論文発表会でミストと対峙したあの時間を思い出していた。

 同時に――――その時との大きな違いも自覚していた。

「ルンストロム様、あの娘は……」

 聖輦軍の髭面の男が、微かに不安げな顔で問う。

 フレアのことだ。

 幾ら罠を仕掛けおびき寄せたとはいえ、同じ立場――――次期教皇立候補者で身分はルンストロムより上であるロベリアの娘を始末するのは問題がある。

 だが――――

「だから良いんですよ。枢機卿の娘とエルアグア教会の使者が、私を襲撃した。

 だから良いんです。この正当防衛には、だから価値があるんですよ」

「ですが、いくら正当防衛とはいえ、枢機卿の娘を……」

「心配は要りません。その娘は貰い子です。実子ではないのですから大した問題にはなりませんよ。恐らく枢機卿も、然程怒りはしないでしょう。彼女が死んだとしても」

 そのルンストロムの言葉に――――フレアは大きな衝撃を受けた。

 彼女はまだ、この状況をしっかりと把握しきれていなかった。

 自分がまた、父親の足を引っ張ったという現実を。

 そして、実子ではないということが、どんな意味を持つのかを。

 アウロスは、呆然とするフレアの様子を横目に、思わず舌打ちしたくなる衝動に駆られた。

 当然、動揺したフレアに対する失望などではない。

 無駄口を叩かないと言いつつ、しっかりと言葉による暴力でフレアを無力化しようとした、目の前の人物の老獪さに対してだ。

 この隙を逃す理由はどこにもない。

 必然的に、フレアの動揺は戦闘開始の合図となる。

 実質的に1対5の局面。

 アウロスは迷わず、右手を始動させルーンを綴る。

 一文字。

 一文字だけでいい。

 それだけで、オートルーリングは完成する。

 魔術は発動する。

 たったの一文字。

 その一文字が――――遠い。

「ぐっ……!」

 銀髪の男、ピート=シュピオーンの投じた『何か』が、アウロスの右手を貫く。

 ルーンは編綴される直前、完成せずに霧散した。

 オートルーリング、失敗――――

「……?」

 アウロスをここまで連れてきたチャーチは、何が起こったのかわからない様子で目の前を通過する『何か』を視界の隅に収めていた。

 糸を引くような軌道で直線を描いたそれは、ピートの口から吐き出されたもの。

 口に含むまでは、確かに液体だった。

『スットゥングの蜜酒』と呼ばれる、奇跡の酒とも呼ばれるそれは、口から吐き出すと同時に固形化する。

 しかも、口に含んだ人間の意図する形に。

 ピートが吐き出したのは、吹き矢の形となったスットゥングの蜜酒。

 人差し指ほどの長さの針のような矢が、今度はアウロスの――――

「っ……!」

 右肩に突き刺さり、瞬時に液体化する。

 そして傷口に注ぎ、更なる激痛を生み出す。

 開いた傷に熱湯を注がれたような痛みに、アウロスは大きく顔をしかめ、よろけるように窓の傍へ倒れ込んだ。

「あっ……」

 その二撃目も、そして前の一撃目も、アウロスの隣にいたフレアは呆然と見送ることしかできなかった。

 十分、叩き落とせる速度だったのに。

 そして、それを行うのがここに自分がついてきた意義だというのに。

 役割を果たせず、むしろ足を引っ張っている。

 まるで――――父親との関係そのもの。

「わた……私は……」

 余りに無力。

 余りに――――無意味。

 存在の理由が、薄れていく。

「娘はあとでいいでしょう。まず男を無力化して下さい。無慈悲に……確実に」

 ルンストロムの言葉は、更なる意味の消失を生む。

 右手と肩から出血し、倒れ込むアウロスの姿を目にしたフレアは――――何もできず、ただ呆然と立ち尽くしていた。

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