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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
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第2章:研究者の憂鬱(6)

 魔術編綴の際に使用する、魔力の変換を命令する為の言語――――ルーン。

 それは24種類の文字から成る。

 一つ一つの文字には抽象的な意味が幾つか存在し、複数の文字を組み合わせる事で、それは具体性を帯びる。

 そのルーンを効率的に、一定の性質と効能を出力できるよう公式化した配列が、魔術研究の第一歩であり、

 現在に至るまで積み上げられて来た『魔術士の』『魔術士による』『魔術士の為の』財産だ。

 一つの公式が生まれると同時に歴史が動き、経済が揺れ、教科書が厚くなる。

 魔術士の形成する社会は、24の文字が織り成す魔法の方程式によって支配されていると言っても――――

(過言ではない……か)

 宙に綴った24の光る文字を眺めながら、アウロスは夜空の下で一人静かに佇んでいた。

 その配列には何の意味もなく、次第に文字は消えて行く。

 それは意味のないものが存在を許される程リベラルではない世界において、必然の淘汰。

 感傷など生まれようもないその光景に、暫し目を細める。

 とは言え――――見ているのはそこではなかった。

「何をしている……?」

 アウロスはゆっくりと振り向く。そこには薄い闇をまとった重厚な門と、その下で少し疲労感を携えたミストの姿があった。

「特に何も」

 素っ気ないアウロスの返事に、ミストは何故か満足気な顔を浮かべている。

「そうか。これだけ美しい星空を無視して意味のない編綴をしているのだから、さぞかし重大な何かを思案しているのかと思ったが」

「……」

 日が暮れて幾許かの時間が流れた大学の門前は人気がなく、暗澹とした空気が気温以上に体感温度を下げている。

 ミストはそんな空気など周りに存在しないかのように、胸を張って歩いて来た。

 それは何気ない日常の風景に潜む、帝王の資質。

「久し振りに家へ帰ろうと思ってな。途中まで一緒にどうだ?」

「構いませんけど……夕食は?」

「自宅のすぐ近くに酒場があってな。酒場だが、中々良い味のポトフを作る。お前も来るか?」

「遠慮します。アルコールの臭いがする場所は嫌いなんで」

「残念だな」

 残念そうな表情は微塵もない。

 それに別段感情が沸くでもなく、アウロスは歩を進めた。

「しかし以前は酒場に住んでいたのだろう? 確か手伝いもしていたんじゃないのか?」

 それにミストが続く。

「背に腹は変えられませんでしたから。本当は接客業も苦手分野ですよ。商売は人格を変えますからね」

「だが、魔術研究もまた商業の範疇に属する分野だ」

「それはそうですが」

 研究とは真理の追究――――そう言えば聞こえは良い。

 しかし実際の所、それ以外の商業的な一面を無視する事は出来ない。

 魔術国家デ・ラ・ペーニャの経済は、資源や産業ではなく、魔術が支えているのだから。

「魔術の研究は膨大な資金が掛かる。金がなければ何も出来ん。金を生む為には、金になる魔術を開発せねばならん。都合よく金持ちの後援者が出てくる程、甘い世の中ではないからな」

 音楽や演劇などと比べ、魔術はパトロンが付き難い。

 特に近年は、社会的なステータスに成り得ず、また元来からの魔術士の負のイメージがそれに拍車をかけている格好だ。

「昨今、魔術は商業主義に飲み込まれつつある。厄介な事に、実戦で使える魔術と金になる魔術は必ずしも等号では結ばれんからな。魔術士は様々な思惑を経て、後者を優先させた」

「そして、その結果が今を生んだ、ですか」

「敗者の道だった。だがそれは正しかった。生き残らなければ勝ちも価値もない。魔術士の存在意義は金に換算される事で保たれた。騎士に足蹴にされながらもな」

 相変わらず人気の少ない通りに響いていた足音の内、一つが消える。

 それに続いて一つ、そして――――もう一つ消えた。

「私の夢は既に語ったな」

「魔術士の地位向上、でしたか」

「そうだ。その為には幾つかの障害をクリアしなければならん。20代で教授になるのもその一つ。必須事項だ」

 不敵な笑みを浮かべつつ、ミストは再び歩を進めた。

 やや肌寒い風が、それを緩やかに後押しする。

 どこからか――――噛み殺そうと努力した形跡のあるクシャミが聞こえて来た。

「その後は?」

「大学の長になるつもりはない。まずは教会とのパイプを築き、向こうに私の椅子を作る。決して玩具ではない椅子をな。その後、そこへ移る」

「そんな爆弾発言、こんなとある日に歩きながらしないで貰いたいんですが……」

 大学と教会の関係は、主従のそれに等しい。そして、主君は従者が同じ地位に上る事を異常なまでに嫌う。

 仮に移籍しても、必要以上に不穏分子として虐げられる可能性が極めて高い――――と言うのが、これまでの通説だった。

 しかし時代は動く。そして、その雄大な流れがミストに味方した。

「現実的に考えて、私の目的は大学では果たせん。教会でトップに立つ事が必要だ。当然、君もわかっているだろう。爆弾発言などではない。隠す意味すらもない」

 教会のトップ――――それは第二聖地最大の権力である総大司教の事を指す。その影響力は国内に留まらず、他国の王であっても無碍にはできない程の存在と言われている。

「国内外問わず、現在は魔術士の地位が著しく低下している。教会も新たな人材……単に才能に恵まれた者ではなく、プロパガンダとして使える即戦力を求めている。誰もがその能力を疑わないステータスを掲げた人材をな」

 逆境こそが好機――――実は意外と理にかなった言葉だったりする。

「その為にも、金になる魔術は必要だ。私腹ではなく、装飾の為にな」

 結局の所、どんな高い場所でも価値が変わらないのは金銭しかない。だからこそ無視はできないし、固執もできない。

「面倒臭いですね」

「仕方がない。賢聖にでもなれれば話は別だが……現実的ではない」

 顕著な業績があった魔術士の栄誉を讃える為に贈られる、魔術士最高の栄誉――――それが【賢聖】である。

 その称号は既に92年もの間、誰にも贈与されていない、幻の称え名とさえ呼ばれている。

 にも拘らず、未だその輝きを失う事ない。

 権力を付随するものではないが、並び立つ存在がない程の絶対的な地位が確約され、実質的には国民が得られる最高の地位として認知されている。

 この賢聖と言う称号は、その希少さから半ば神格化されている。

 永遠がこの世にあるのなら、それは賢聖となった者の名前だけだ――――そんな言葉が名言として語られている程に。

 つまり、王や教皇すらも及ばない、まさに非現実的な存在だ。

「その一方で、商業主義が魔術士にもたらした弊害も無視できない。例えば、俗に言われる一攫千金論文」

 アウロスは自分の研究を揶揄するその言葉に反応し、思わずミストを睨む。

 その視線が前を向いていたミストの視線と重なる事はなかったが、何故かミストは薄っすらと微笑んだ。

「実用性・生産性共に最大級の潜在価値がありながら、難攻不落のまま時ばかり流れた。その結果、商品価値ばかりが釣り上がり、研究本来の意義が忘れられてしまった。不幸な事例だ」

 そんな流れから、現在ルーリングの高速化に取り組む優秀な研究者は皆無に等しい。

 競争相手がいないその研究は、いつしか才能のない人間が一発逆転を目的にダメ元で挑む事が多くなった。

 そして、その論文は、地に足を着けた研究に取り組む者達から非難と侮蔑の意味を込め『一攫千金論文』と呼ばれるに至る。

「お前が自己の論文に対し、何を動機としているのかは知らない。正確には、調べたが出てこなかった」

「正直ですね」

「だが、私は敢えてそれは聞かない。気配りが行き届く上司だと思ってくれても一向に構わないぞ」

「……正直過ぎですね」

「私は結果だけを求める。そしてその結果を利用させて貰う。商業主義に走る者、忌避する者の双方に効力のある、お前の一攫千金論文をな。だから死んでも完成させろ。私は何の迷いもなくお前の命よりも論文を尊重する」

「…………正直にも程がある」

 流石に怒りを露わにしたアウロスに対し、ミストは冗談とも本気とも取れない微妙な笑みを浮かべた。

「それじゃ、その正直さをこっちの質問にも反映させて貰いましょう」

「ん?」

「あの下手糞極まりない尾行は何なんですか? 気配はしっかり消してるのに、足音だのクシャミだの……」

 親指で右斜め後ろを指す。明らかに誰かがいるその場所を。

「ああ、あれか」

 ミストは歩幅も首の角度も変える事なく、しれっと答えた。

「どうも私には監視が付いているらしい。外出する時はほぼ毎回付いて来る」

「監視……? あれが?」

 一応、一定の距離でつけて来てはいるが、未だに足音を殺していない。

 歩行のリズムを合わせるなどの工夫など以ての外だった。

「素人なんだよ」

 事もなげに告げる。

「恐らく、訓練を受けておらず、組織にも組していない、何処ぞのならず者……と言った所か。間違いなく捕まえても足が付かないようになっている筈だ」

「……奇妙な人選ですね」

「この監視には幾つかの目的が複合している。どうだ、わかるか?」

 ミストは事ある毎にアウロスを試そうとする。

 それはアウロスと言う人間の性質を把握する為の作業と言うより、ナゾナゾを出す子供の心持ちに近い。

 それに対し、アウロスもまた自分を売り込むなどと考えるでもなく、感じるままに対応した。

「考えられるのは……嫌がらせ。捕まえても意味がなく、幾らでも代わりが利く尾行となると、実益より精神的負荷を目的としている可能性が高い」

 ある程度の地位にいる人間は、大抵はその分のリスクを背負いながら生活している。

 益に比例して狙われたり付け込まれたりなどの面倒な外敵が増え、結果、神経質になる。

 それを増長させる為の妨害行為は、大学のような陰険の巣窟では、結構頻繁に使われている。

「他には……フェイク。実はもう一人諜報のプロが監視をしていて、目を眩ます為に気付かれやすい素人を仕込んでいる」

「ありがちな話だ」

「後は……自作自演とか」

「ほう?」

 少しだけ意外そうにミストが反応を示した。それを横目で確認し、アウロスは続ける。

「自分が監視される程の存在だとアピールする事と、本来の敵に対する牽制の為に、敢えてわかり易い尾行をさせている……とか」

「それは斬新な意見だな」

「……まあ、本命は経費削減でしょうけど」

 ミストの立場は現在、大学の有権者と呼ぶにはやや装飾が足りない。

 しかし、動向が注目される程の有望株ではある。

 そう言う人間を監視するのは、自分の地位が脅かされる事に脅威を感じている小心者と、相場は決まっている。

 その手の人間は、自分で直接雇ったりはせず、割と無茶な条件を付随して部下に任せる場合が多い。

 そうなると、中間搾取の格好の的になり、現場は大抵杜撰になってしまう。

 安値でゴロツキを雇い、取り敢えず尾行はさせました――――と言う、形だけの監視を決行して、浮いた金で私腹を肥やすと言う、ありがちなケースだ。

「で、答えは?」

 考えられる全ての可能性を提示し、アウロスは回答を促す。

 それは探求者の好奇ではなく、ただの確認作業だった。

「さてな」

「……」

 それを見越していたのか―――――ミストは最初から答える気などなかったらしい。

 試されるだけ試されて採点して貰えなかったアウロスは、こっそりと肩を落とした。

「さて……どうやらここでお別れのようだ」

 まるで計ったかのように、二人の分岐点に差し掛かる。

「お疲れ」

「……お疲れ様でした」

 上司と部下の挨拶で別れ、それぞれの帰路へ。

 アウロスは歩き出し、同時に考える。

 ミストが最も訴えたかった事。それは商業主義に対する自論ではなく、ましてアウロスの忠誠心を煽るものでもない。

 それは――――

「重要な件を言い忘れていた」

「どわっ!」

 ヌッと現れたミストの顔に、アウロスは普段決して発しない類の悲鳴を上げた。

「魔具科のクールボームステプギャー教授が別の者を寄こすかどうか尋ねて来られた。どうする?」

「……いえ、ウォルト=ベンゲル一本化の方向で」

「わかった。そう伝えよう」

 二度ほど頷き、ミストは優雅な足取りで去って行く。

「……はあ」

 疲労感で包まれたアウロスは、それを見送るでもなく、自然に下がる視界に向けて溜息など落とした。


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