第1章:大学の魔術士(1)
2020/03/20 手直ししました
「本日付をもって、君の魔術士としての資格を剥奪する」
――――これは、魔術研究に人生の幾許かを捧げた少年の物語。
彼の住むデ・ラ・ペーニャという国には幾つかの特色があるが、その大半は一つの固有性によって塗り潰される。
魔術国家。
すなわち、魔術発祥の地である事。
かつて魔術を生み出したアランテスという名の人物を神と崇め、その言行を信じ従う使徒達は、魔術を世に広めんと【アランテス教会】を設立し、世界最大数の信徒を擁するまでに膨張させた。
彼等のアイデンティティは魔術の布教、そして発展。
一般に知られているような、派手な攻撃魔術を使い戦場に爆音を響かせるような魔術士は全体のごく一部に過ぎず、それらの役割は大多数の"戦わない魔術士"が担っている。
「このような宣告をしなければならないのは極めて遺憾だ。しかしながら、魔術研究には重責が伴う。才能のある者でなければ務まらない。まこと遺憾ながら、君はその水準に届いていなかった。それが先程の審議委員会が下した決断なのだ」
魔術国家には、数種類の研究機関が存在する。
その中で近年最もめざましい成果を収めているのが、魔術研究の総本山たる魔術大学。
人材の育成と魔術の研究・開発を同時に行う、デ・ラ・ペーニャの重要施設だ。
「君の魔力量についてはずっと、詐称疑惑が囁かれていたのだよ。実は僅かに規定の数値には届いていないのに、届いている事にした……とね。魔術士の数は年々減少傾向にある。仮にそのような不正を見逃した検査員がいたとしても不思議ではない」
その一角を担う【ヴィオロー魔術大学】教授室に響きわたるのは、不自然なまでに抑揚が誇張された声。
部屋の主は厳かに、そして背中越しに弁を振るう。
他者の神経を逆撫でするような、いかにも底意地の悪い声色で。
「再検査の結果は、懸念した通りの数値だった。疑わしきは罰する。魔術研究の最高機関ならば当然の処置だ。残念だよ。君のような情熱溢れる若者を守れない自分自身にね。しかし、規則は規則だ。遵守せねばならん。悪く思わんでくれ」
少年は教授の背中を眺めるでもなく、ただ心中で静かに嘆息していた。
彼はたった今、魔術使用許可を剥奪された。
魔術アカデミーを卒業する事で得られるこの資格がなければ、魔術の使用を公に認められず、もし使えば法律違反となる。
当然、魔術の研究など出来る筈もない。
要するにクビ。
今日中に荷物をまとめて出て行けと言われている。
滑稽なまでに演技じみた通達によって。
既に結論は出ている。
覆す力など、少年は持ち合わせていない。
なら、これ以上ここにいても時間の無駄でしかない。
「私とて君のような優秀な人材、そして優れた論文を手放す事を思うと断腸の……ん?」
演説の最中ではあったが、少年は表情を変えず踵を返し、無言で教授に背を向ける。
目上の人間に対する、今示せる唯一の敬意だった。
「き、君! 待ちたまえ、ええと……君!」
そして教授室の重くも軽くもない扉を開け、視線だけを背後に向ける。
「お世話になりました。失礼します」
部下の名前すら覚えていない上司に対し、滅多に見せる事のない笑顔で挨拶して――――少年は大学を後にした。
「……」
石造りの立派な建築物を出て直ぐに少年は振り向き、勤務期間一年にも満たなかった職場を外から眺める。
ここには沢山の夢や野望が詰まっているが、少年の未来はなかった。
「そこに見えるはアウロス=エルガーデンさんではないですか」
視線を送らずとも、ねっとりとした笑みが見える、そんな声。
アウロス=エルガーデンと呼ばれた少年は、ついさっき『元同僚』という関係性になった男の方を向き、彼の瞳に映る自分と対峙した。
17年の歳月を費やして形成されたその顔は、それなりの苦労もあってか実年齢より若干大人びている。
それでも、切れ長とは縁遠い円らな瞳のお陰か、年相応と見られる事も少なくない。
最も特徴的な部分は、その頭。
長髪、若しくはそれに準ずる髪の長さが標準とされる魔術士だが、彼の髪は眉にかかる程度。
一応は信念をもってそうしているのだが、余り深い意味はない。
魔術士の標準装備であるローブをまとっていないのも、同様の理由。
だが体型に関しては、魔術士の殆どがそうであるように、華奢でやや頼りない印象を与える。
その所為で、人通りの少ない道などを歩けばよく盗賊に襲われるし、不用な敵を作る事も多い。
尤も、外見だけが理由ではないのだが。
「聞いたよ。クビになったんだって? 大変だなあ。心から同情申し上げるよ」
アウロスに懲戒解雇処分が言い渡されてから、まだ一分と経過していない。
現時点でその事実を知っているのは、審議委員会出席者と本人、そして――――密告者のみ。
二重の意味で口の歪んだ男は、それをアピールする為だけにここでアウロスを待っていた。
「これからどうするんだい? 職がない上に魔術士の資格すら失ったんだから大変だろう。次の仕事のアテはあるのかい?」
アウロスを陥れ失業に追い込んだその男は、下品な優越感を浮かべつつ、アウロスの言葉を待つ。
「多少の蓄えはあるから、じっくり探す」
そのアウロスの返事は男の期待にはそぐわないものだったらしく、小さな舌打ちが鳴った。
「そうか。でも実に残念だったね。折角夢を持ってここに来たというのに。その全てが終わってしまったんだから」
「終わってしまった?」
今度は期待通りの返答だったらしく、男が心底嬉しそうに歪んだ口を吊り上げる。
「だってそうだろう? 君の夢は、自分の論文を完成させ学会で発表する事。大学を辞めさせられ、魔術士の資格を失ったんだから、もう終わりじゃないか」
顎より下が今にも浮きそうなほどの破顔。
男としては、アウロスを中傷する最高の流れを作れた――――そんな充足感でいっぱいだったのだろう。
実際、彼の言葉の通りアウロスには夢がある。
自身の論文を完成させ、魔術史に名を残すという夢だ。
そして、魔術士の資格がなければ達成が困難なのも事実だった。
男の鬱屈した指摘に対し、アウロスは答えず歩行を再開した。
「待てよ。せめて反論くらいしたらどうだ? まだ終わってない、俺が諦めない限り終わりはないって言えよ。負け犬らしくさ」
「満点回答だ。その通り」
歩みを止めないまま、そう認めたアウロスに対し、男の顔が露骨に歪む。
挑発行為を好む人間は往々にして、思い通りにならない時の精神状態が顔に出やすい。
そして、自分自身は煽りに弱い。
「……どうやら何もわかっていないみたいだな。お前は終わったんだよ! 終わらせたのはこの俺さ! 俺がそう仕向けたんだ! 才能のない癖して傲慢で捻くれもののトラブルメーカーを排除する為にな! お前は負け犬なんだよ! 負け犬なんだから負け犬らしく泣きそうな顔で吼えてみろよ! 助けを請えよ! 跪け!」
アウロスは、この一年弱におけるやり取りを凝縮させたかのような男の発言に、ただただ疲弊するばかりだった。
初対面時から今日に至るまで、常にこのような口調。
慣れはしても、それが不快感を全て消す事はない。
大学という閉鎖的な空間は、病んだ性格を生み易い傾向にある。
その被害者になるのは大抵の場合、弱者だ。
魔術の世界で弱者とは――――才能のない人間を指す。
アウロスはそのカテゴリーに属する人間だった。
「大体な、魔術士の最低基準ギリギリの魔力量しかないような落ちこぼれが、最高研究機関の魔術大学で研究するなんて事自体が異常なんだよ! 才能のない人間の存在意義は、俺達の引き立て役になる事だろうが! こんな簡単な役割、なんでこなせないんだ! お前の存在は秩序を乱してるんだよ!」
彼が才能と称しているものは、『魔力』と呼ばれる人間の体内に流れる潜在的エネルギーを指している。
それに外的な因子と幾つかの過程を経て物理的エネルギーに変換したものを、総じて『魔術』とする。
魔力は魔術を発動させる為に必要な原動力。
生まれた時からその絶対量は決まっていて、経年や鍛錬によって変動する事例は基本的に存在しない。
よって、魔力量は魔術士としての才能を如実に表した数値として認識されている。
その数値が128S以下の人間は、魔術士として認められていない。
アウロスの魔力量は130Sで、ギリギリではあるがクリアしていた。
しかし、それはあくまで最低基準の話。
魔術士の資格を得て、更に大学で学び、そして大学に残って研究を続けるような人間となると、そのほぼ全員が基準値の遥か上の魔力量を誇るエリートで形成されている。
アウロスのような存在は、極めて異端だ。
「……で、結局のところ何が言いたいんだ?」
憤る選民意識旺盛な男を半眼で眺めつつ、アウロスは話の進行を促した。
「流石にもうわかってるだろ? 俺はお前が気に入らなかったんだよ。ずっと前からな」
男は言葉を吐き棄てながら、指輪をはめた右手人差し指を前に突き出した。
それは魔術士の戦闘態勢に他ならない。
「お前をここから追い出せば気が済むと思ってたが、どうもそれだけじゃ納得出来ないみたいだ」
「……おい」
ずっとポーカーフェイスを保っていたアウロスだったが、さすがに表情を曇らせる。
「魔術を使用した私闘は禁止事項。まして大学の前でそれをやれば、言い訳出来ない事くらいわかるだろう」
「正当防衛を主張するさ。俺に逆恨みした元研究員が、事もあろうに魔術で攻撃してきたのだからな」
自分の願望通りの展開にならなかった現実が、男の理性を狂わせた。
その原因は、アウロスにある。
こうならない会話の流れを作るのは、決して難しくはなかったのだから。
それを敢えて放棄したのは、アウロスの幾つかある欠点の一つだった。
「心配してくれなくても良いよ。クビになった奴の言葉なんて誰も信じないし、それ以前にお前は口も利けない身体になるんだ。君はただ、惨めに屈する姿を見せてくれれば良い。その時は称賛を贈るよ。立派に務めを果たしたってね」
不自然に息が荒い。
滑稽なほど目も据わっている。
そろそろ言葉も通じなくなるだろう。
然程良い思い出がある場所でもないが、それでも敬意を表するべき人物はいた。
その人達への礼儀として、全てを封殺していたアウロスにとって、ここでの諍いは決して本意ではない。
だが、回避出来ないのならば、せめて。
せめて一瞬で――――
「待ちなさい」
鋭く低い部外者の声が、二人を抑止する。
両名の視線を同時に受けたのは、厳つさと鋭さを備えた風貌の男だった。
どうやら魔術士らしく、黒のローブを身にまとっている。
後ろ髪も長い。
「事情は把握しかねるが……こんな場所で魔術士が私闘など、見過ごす訳にはいかないな」
「何だテメエ! 部外者が口を挟むんじゃねえ!」
明らかに遥か年上の仲介人に対し、すっかり頭に血が上った男は理不尽な怒りをぶつけた。
既に理性は崩壊している。
そんな状態の人間は、暴発する事になんら躊躇がない。
周囲の人間にとっては危険極まりない状態だ。
「ふむ……確かに部外者ではあるが、口を挟んでも問題はないだけの立場にはいると自負しているのだがな」
「なら何者?」
アウロスが自己紹介を促すと、仲介人の男は静かに笑みを浮かべ、諭すように答えた。
「私はミスト=シュロスベル。第二聖地【ウェンブリー魔術学院大学】前衛術科の助教授だ」
「だっ……! ウェ……!?」
憤怒に支配されていた男の顔が、一瞬で青ざめる。
それだけの影響力を持った名前だった。
デ・ラ・ペーニャにはアランテス教の拠点となった六つの聖地が存在する。
第一聖地はマラカナンと呼ばれ、第二聖地はウェンブリー、以降サンシーロ、カンプ・ノウ、アンフィールド、サンチアゴ・ベルナベウと続き、いずれの聖地にも最高権力者の総大司教が存在していて、特にマラカナンの総大司教は『教皇』と呼ばれ、幹部位階一位――――国家最高の権力を有している。
彼らの権力は各聖地、或いはデ・ラ・ペーニャ国内に留まる事なく、世界各地に散見される数多の教会及び使徒、そしてそれらの影響下にある国家、施設、人物などにも発揮されている。
また、聖地の名を冠したアカデミーや大学に関しても同様で、教会と共に魔術国家の権威の象徴としてそびえ立っている。
つまり――――聖地の大学の助教授はかなり偉い。
少なくとも、三人の前にそびえているヴィオロー魔術大学の中に、その地位と同じ高さの椅子はない。
「ここは私の顔に免じて平和的解決とは行かないか? そうすれば、この場で見た事は全て、私の胸の内に仕舞っておけるのだがな」
「あ……は……はい! 承知致しました!」
憑き物が落ちたかのように我に返った男は、屈辱よりも安堵、そして安堵よりも畏怖を引きずりながらその場を去った。
アウロスに一度も目を向ける事さえ出来ずに。
「やれやれ……」
その背中を目で追いつつ、ミストと名乗った男は小さく息を落とす。
「全く、困ったもんだ」
「呆れているのは君にだ。私が止めなければ、彼をどうするつもりだったんだ?」
アウロスに向けられる視線は、形ほどは鋭くない。
その言葉とは違い、呆れている訳ではないようだ。
寧ろ、興味深々といった光が混じっている。
「私はこう見えて一応、大学勤めの前に戦場にいた事があってね。実戦で鍛えられた魔術士の空気は敏感に察する事が出来る。君には相当な実戦経験があるだろう。まるで……そうだな、敗残兵の背中を全力で切り倒す将軍のようだった」
「随分大袈裟な例えだな」
明らかな年長者に対し、アウロスもまた一切敬語を使わない。
しかしミストに気にする様子はなく、大人の余裕を滲ませた笑みを浮かべていた。
「ま、いいだろう。ところで君はこの大学の関係者か?」
「今は違う」
「今は……?」
「つい今しがたクビになったばかりなんで」
さらっと表明されたその事実に、ミストは一瞬目を見開く。
そして顎に手を当て、思案顔のまま数秒天を仰いだ。
「では、道案内を頼むのは酷だな」
「そうして貰えるとありがたい。玄関から右に行って一番奥に事務室があるんで、案内ならそこで」
「ありがとう。では失礼」
礼もそこそこに、助言通りミストは玄関に入り右へと曲がっていった。
神経を高ぶらせていたアウロスは、そこでようやく張っていた気を緩める。
かつて戦場にいたというミストの言葉は、少なくとも見栄ではなかった。
敵意は一切感じなかったが、少しでも油断すれば途端に呑み込まれる凄みがあった。
敢えて言葉にするなら、支配力。
彼を相手に敬語を使うのはどうしても躊躇われた。
遜ったら即座に軍門に降ってしまう――――そんな危うさを感じ取ってしまったからだ。
アウロスは育ちが悪いので、元々敬語は好んで使ってはいない。
例え滑稽な虚勢だろうと、言葉遣い一つで見下される事もある以上、そうせざるを得ない。
そういう環境で育ってきた。
そんなアウロスにも夢はある。
人生とほぼ同義であり、死以外には潰える事のない夢が。
そして、先程魔術士の資格を剥奪された事によって、夢から大きく後退してしまった。
ならばこれからは、その夢が達成可能な環境を取り戻す為に生きていかなければならない。
とはいえ、資格と雇用契約を解除された人間が他の大学で再雇用されるのは容易ではない。
コネも皆無。
見通しは余りに暗い。
「参ったな……」
感情を表に出さないように努めているものの、心の中で呟いた本音は黒煙混じり。
今はまだ何も思いつかないのが実情だった。
由々しき状況――――ではあるが、一応それなりの給与は得ていた為、生活資金には多少の余裕がある。
そもそも、ここで切羽詰まっていても仕方がない。
アウロスは一度塒に帰ってから考えを纏める事にした。
大学の敷地を出たところで、あらためて自分の勤め先だった建物を眺める。
既に先程のような感慨はなく、思い出すのは今し方出会ったばかりのウェンブリーの助教授。
かなりの強面で、その外見から歳はかなり離れていると推察される。
一方で、年配者の持つ悪い意味での威厳はなかった。
大学で権力を手に入れた人間は大抵、それを手に入れてしまう。
つまり、まだ納得出来る権力を得ていない証だ。
尤も、もう二度と会う事もない相手。
これ以上の考察など無意味だと判断し、アウロスは既に過去のものとなった職場に背を向けた。