第8章:失われし物語(32)
「俺が提供できる情報はこれくらいだ」
「了解したぜぇ。後はこっちに任せな。おいお前ら、グオギギ様を拉致られただけじゃなく殺された可能性もあるってぇ大事件だ。このことはくれぐれも口外すんじゃないぜぇ」
微妙に間の抜けた声だったが、流石に隊長なだけあって、場の収拾には手慣れていた。
まだ不満そうな顔をしている数人を引き連れ、アウロスに笑みを残して医療室をあとにしていく。
先程まで廊下にいた数人の姿は既にない。
必要な情報は得た――――そんなところだろう。
「では、私もこれで」
「さっきはフォローしてくれてどうも」
アクシス・ムンディの面々に続き、去ろうとした鷲鼻の男に対し、アウロスは感謝を告げる。
「いえいえ。貴方には出し抜かれた逆恨みもありますが……」
物腰の柔らかな鷲鼻の男は、その特徴的な鼻を人差し指で掻きながら――――
「貴方のような知的な1匹狼は嫌いではありません」
最後に妙に怖いことを呟き、踵を返した。
その後、医療室前の周辺をくまなくチェックし、扉を閉めたのち――――
「……お前、嘘つきだな」
フレアが呆れたような目をアウロスへと向ける。
「どうするつもりなんだ。あんなに嘘ばっかりついて」
その指摘通り、アウロスは終始もっともらしい嘘を並べた。
誘拐したのはデウスの部下であり、元四方教会所属のサニア。
彼女にウェンブリー訛りなどない。
そもそも誘拐自体にアウロスが関与しているので、その時点で目撃証言全てが嘘。
目撃者でありながら犯人を追わなかった理由付と時間稼ぎのための方便だ。
ただ――――その嘘の中に、アウロスは一つ攻めの一手を仕掛けた。
「勿論、目的を達成させるためについた嘘だ。誘拐自体が仕組まれたものなんだから、何を言っても嘘になる。自分に都合のいい嘘を選んだだけだ」
「……よくわからないけど、お前がそういうのなら、そうなんだろうな」
アウロスとフレア以外には誰もいなくなった医療室で、フレアは大げさに嘆息する。
こういう露骨な感情の吐露を、最近のフレアはちょくちょく見せるようになっていた。
それに対し――――
「にしても、お前……」
「待て」
指摘しようとしていたアウロスを、フレアが制する。
「何だ?」
「誰かがいる。扉の向こうに」
「……本当か?」
アウロスは、気配の察知を苦手としている。
だからこそ、こういった込み入った話をする際には細心の注意を払う。
ついさっきも医療室の周囲を確認したばかりだ。
話を聞かれた可能性は薄いが、問題はそれだけに留まらない。
わざわざ盗み聞きするということは、ここで何かしらの内緒話をしていると疑っている人物。
つまり――――先程のアウロスの話を疑っている人物。
有力候補はトゥエンティだが、彼女ならこんなコソコソした行動はまずしないとこの僅かな間に確信できるほど、似合わない。
別の人物だとしたら、かなり厄介だ。
「気配を消してる様子はない。消してても私なら感知できるけど」
いろいろあって挫け気味なフレアのさり気ない自慢に、アウロスは心中で思わず苦笑しつつオートルーリングを行った。
空中に自動的に並ぶ8つの文字が霧散し――――風の固まりが扉を襲う!
「はうっ!?」
内開きの扉なので、風圧で開くことはなかったが、扉に突然強烈な圧力がかかったことで誰かが開くと思ったのか、扉の前にいた人物は奇声を発し、その後大きな音が鳴った。
「……?」
アウロスとフレアは、思わず顔を見合わせる。
奇妙なことに、その音は金属音だった。
怪訝な顔で二人は扉に近づき、警戒しつつ開く。
するとそこには――――
「い、痛いですいたー」
甲冑が転がっていた。
「あ、あのですあの、ちょっと大事な用事があって到着遅れましたおくー! 悪気ないですわるー!」
遅刻したらしい。
甲冑なので、移動速度が遅かったようだ。
「……俺が気配が読めないのも無理なかったな。甲冑の気配なんて読みようがない」
「お前は尖った嘘ばかりついてるけど、その嘘は少し痛々しい」
「自分への皮肉と思ってくれ……」
脱力しつつ、甲冑娘のチトルに他の連中がもう帰ったことを伝え、二人は再度医療室へと入った。
すると――――
「で、上手くいったの? 誘拐」
いつのまにか、チャーチ=イェデンが室内に戻っていた。
先程までグオギギが寝ていたベッドに腰かけ、小悪魔のような笑みを浮かべている。
彼女とは既に打ち合わせ済み。
この女の子が実は盗み聞きの真犯人、ということはない。
「ああ。もう少ししたら、この教会は戦場になる。誰の目論見なのかを各勢力が推し測る、水面下での情報戦という形で」
「てっきりボク、そちらさまとさっきの連中が闘うとばっかり思ってたんだけど、違ったんだね」
「生憎俺はデスクワーク担当だ」
過去に何度も説明したことを言い放ち、アウロスは医療室の壁に寄りかかった。
「じゃ、聞きましょっか。どうしてここが戦場になるのか」
そのアウロスに、ふんぞり返ってチャーチが問う。
不遜なその態度に『あの女性』のことを何となく思い出しつつ、アウロスは説明を行うことにした。
といっても、長々と説明するほどの内容はない。
「単に今回の犯人がウェンブリー出身者だという先入観を植え付けただけだ」
「は? それってルン爺の差し金って思わせるため? ルン爺が有利になるどころか不利になるんじゃないの? もしかしてそちらさま、詐欺師野郎?」
「話は最後まで聞け」
それはアウロス――――ではなく、フレアの言葉。
そんな突然のフォローに驚きつつも、アウロスは説明を続ける。
「俺がこの件を話した面子は、デウスが集めた連中と、ルンストロムの護衛の為に集められた連中だ。そいつらにとって不利な話の流れになる訳がない」
「……おい。だったら父が不利になるじゃないか」
「あーら、お話は最後まで聞かなくていいのかしら? オホホホ」
今度はフォローではなく悪意。
言い返されたフレアがムスッとする中、アウロスは説明を更に続ける。
「枢機卿はウェンブリーと特に表立った繋がりはないだろ。彼を黒幕にできるはずがない」
「だったら、何の為に犯人をウェンブリー出身者って思わせたの? つーか前置き長い。とっとと結論言え」
そんなチャーチの命令口調に対し、アウロスは感情を波立たせることなく――――
「ウェンブリーに縁があって、尚且つ今回の件に片足だけ突っ込んでいる人物に疑いの目を向けさせるためだ」
そう断言した。
「……誰?」
「それは言う必要はない。俺の知り合いだ」
「ああ。私怨ってこと? 結構セコいことすんだね」
「私事なのは確かだな」
直接的な指摘に、アウロスは迷わず首肯する。
実際、間違ってはいない。
ただし、怨みを晴らすことが目的ではない。
一矢報いたところで、それには何の意義もない。
必要なのは、そのウェンブリーに縁のある人物――――ミストに疑いの目を向けさせ、彼と繋がりのある人物、つまりはデウスを一時身動きできないようにすること。
そうすることで、ルンストロムとの会合が可能となる。
いくらチャーチがルンストロムと会わせると約束したとしても、今回のグオギギ誘拐事件後にアウロスがルンストロムと会う機会を持つ事は難しい。
何しろ、このエルアグア教会に誘拐犯が現れたということになっているのだから、最も狙われやすい教皇候補者の三人は既に避難しており、今後も外部との接触は最小限に抑えられるだろう。
チャーチがそれをわかってて約束をしたかどうかはともかくとして、実際にはアウロスとルンストロムの会合が実現する可能性は低かった。
ルンストロムにとって、アウロスとの会合にメリットがなければただ単に危険を増やすだけなので当然だ。
つまり、メリットを作り出す必要がある。
ルンストロムがアウロスと会うメリット――――つまり、デウスに近しい立ち位置にいる青年と会うメリットとなると、当然デウスの弱みを握りたいという思惑が絡んでくる。
もし。
アウロスがウェンブリー出身の魔術士とルンストロムが知れば。
もし。
今回の誘拐事件がミストの仕業――――というアウロスの仕掛けた偽情報の種をルンストロムが鵜呑みにすれば。
当然、ルンストロムはアウロスに興味を持つだろう。
それこそが、アウロスの狙いだった。