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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
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第2章:研究者の憂鬱(5)

 大学の実験室――――それは、一般人が最も胡散臭い場所と忌避する場所の一つに数えられる。

 例えば、日常生活で見かける事のない用途不明の器材。

 例えば、何を溶かし込んだのか見当も付かない奇妙な色の溶液。

 例えば、一年中陽の光を浴びずに湿気ばかりを吸い込んで、所々が腐敗した机。

 例えば、亡霊が好き好んで居つきそうな、饐えた臭いを存分に含んだ空気。

 こう言った負のイメージの集合体が、その要因である事は火を見るよりも明らかで、

 そんな旧世代的な実験室が未だに散見されるのだから、あながち間違いとは言い切れない。

 しかし、【ウェンブリー魔術学院大学】の誇る実験棟はそう言ったイメージとは程遠い、機能美と開放感を併せ持った近代的な空間として知られている。

 エントランスを直進した先にあるこの実験棟は全3階から成っており、1階に前衛術科と後衛術科の共同実験室が、

 二階に結解術科と魔具科の実験室が一つずつ、そして3階には事務室や応接間、学長室などがある。

 実験室はいずれも十分なスペースが与えられており、最先端の機材が設備されている。

 特に、前後衛の共同実験室はその用途故に大講義室以上の広さを誇り、見学に来る一般人や受験生、他の大学の関係者などをその都度驚かせている。

 尚、魔具科の実験室は1階西棟にもあるが、こちらは昔作られた部屋なので施設が充実しておらず、現在は利用されていない。

 が、その素晴らしい実験棟は、毎日誰にでも扉が開かれていると言う訳ではない。研究室単位で時間分配されているのだ。

 前・後衛術科にはそれぞれ2つの研究室があり、ミスト研究室の使用可能な時間帯は正午〜13時の1時間。つまりほぼ昼休みの期間と重なる。

『以前はここに後衛術科のクラフト研究所が配置されていたのだが、私が配置換えを申し出たんだ』

 ミスト助教授の言葉を思い出し、アウロスは口を閉じたまま嘆息した。

 自分と同等かそれ以下の地位にいる人間であっても、利用するべき点があるならば、貸しを作っておいて損はない――――

 その考えは間違いではないが、その皺寄せが来る部下達にとっては、余り歓迎できる事ではない。

 約一名はともかく、他のメンバーには少なからず不満を抱いている――――そう思っていたアウロスだったが、実際には違っていた。

(求心力が大きいのか、単に拘らない連中だけが残ったのかは知らないが……)

 実験棟の1階廊下にもたれかかって欠伸をしながら、窓越しに他の前衛術科の実験風景を眺める。

 講習の時間に充てられていた時刻はとうに過ぎているので、現在は本来勤務時間なのだが、別にサボっている訳ではない。

 課せられた講義や実習などもない特別研究員と言う立場なので、基本的には論文の作成のみが日課となっていて、

 研究室に篭らなくてはならないと言う決まりもないので、アウロスはしばしば大学内をうろついていた。

 その行為には、新しい職場の各施設を把握すると言う目的の他にも、気分転換の意味がある。

 しばしば思考に耽り、思考に囚われてしまう事のある研究者にとって、環境をこまめに変化させる事は重要な作業だったりするのだ。

(とは言え、やれる事が少ないこの状況では余り意味はない、か)

 論文の為の研究は、主題の決定に始まり、仮説の立案、概念の定義、作業の定義、データ収集、データ解析と言う流れで行われる。

 論文が完成したら、それを魔術学会で発表し、優秀な論文と評価されれば、学位や研究経費などを獲得する事ができる。

 それが研究室のステータスとなり、その長である教授、助教授の株を上げ、その積み重ねが出世への一助となる。

 優秀な論文、優秀な研究者であれば、展望だけでも期待感を煽る事ができる――――が、アウロスはそれには該当しない。結果が出るまでは居候に等しい立場だ。

 それ故に、出来るだけ早く実験を行いたいのだが、新米と言う立場もあって、規定の時間内では中々やらせて貰えないのが現状だろうと、余り期待はしていなかった。

「おぅ! そこの根暗そうなガキ!」

 実際、研究室でミストに次ぐ権力を持っているレヴィからあからさまに嫌われているので、優先的に時間を配分して貰う事は絶対にない。

 ミストが一言言えばそれで済む問題ではあるが、彼は研究室内での確執については全く触れようとしない。

 何とかしろの一言で済ましてしまうのだった。

「テメェ何無視してんだ! テメェだよテメェ! 他に人いねえじゃねえかコラ!」

「……?」

 自分に向けられた声に気付いたアウロスは、思考を切り離し視界をクリアにした。

 そこには――――実験室内から憤怒の表情で出て来る小太りの男が見える。

 頬がやたら赤く、魔術士の模範的外観に習って髪が長い。前髪は全て後方へ撫で付けている。

「何さっきから見てんだコラ。イワすぞ。あぁイワすぞコラ!」

 男は何故か攻撃的だった。

「イワされたいのかイワされたいのか、どっちなんだ! どっちなんだコラ!」

「イワすって何」

「なにコラタココラ! 見るなって言ってんだコラ!」

「……悪いけど誰か来てくれ。意思の疎通が出来ない」

 アウロスは他の研究員に助けを求めた。

「ちょっとスモワーさん〜、勘弁して下さいよ〜」

 ヒョロッとしたメガネの男が駆けつけて来る。如何にも助手と言う感じの顔だ。 

「うるせぇコラ! 見られて何ボーっとしてんだコラ! はっきり言ってやれタコ!」

「え〜俺? 俺やだよ〜」

 小太りの男に促されたヒョロメガネは、不快感丸出しの面持ちでアウロスの前に立った。

「君〜、見学? 学生が見学するには許可取らないとダメなんだよね〜。事務の人とか適当に捕まえて許可取って来てよ」

「生憎、研究員だ」

 普段ローブを着る事のないアウロスは、学生や一般人に間違えられる事が多い。

 新米、そして外面も年相応なので、致し方ない所ではあるのだが、余り良い気分はしない。

「嘘だよ〜。どこの学科?」

「前衛術科ミスト研究室所属のアウロス=エルガーデン。まだ赴任したばっかりだけど」

「あ〜、聞いたよ聞いた。へぇ〜あんたが噂のコネコネ君か。あんたズリ〜よ〜」

 初対面の人間に対して、こう言う露骨な嫌味を言う人間など、普通はそうそういない。

 しかし、大学には選民意識が高い、人を人とも思わない言動を平気で投げ付ける輩は結構存在する。

 そう言う閉鎖社会の弊害を幾度となく垣間見て来たアウロスは、特に腹も立たなかった。

「で、何で彼はこんなに憤慨しているんだ」

「あ〜、この人ね、頭煮詰まってるとキレるんだよね〜。さっき出た実験結果がイマイチだったからな〜」

「ハタ迷惑な……ん?」

「まあね〜。あんま関わらない方が良いよ」

 全く心のこもっていない忠告を無視し、アウロスは小太り男の顔をじっと睨んで――――

「なんだコラテメェ! なにがやりたいんだコラ! じっと顔見てコラ! なにがやりたいのかはっきり言ってやれコ……」

 右手をしならせ、平手で頬を張った!

「あいたぁ」

 バチコーンと言う音が実験棟にこだまする中、小太り男は腰が砕け、力なく崩れ落ちる。

 しかしすぐに立ち上がって喚き出した。

「テ、テメェ今やったなコラ! 出した手引っ込めるなよテメェタココラ。よ〜しわかった。テメェ今出した手、テメェ引っ込めるなよコラタコ! 中途半端なぶったぶたないじゃないぞテメェ。わかったなタココラ! わかったなコラタコ! 本当だぞ。なぁ。噛みつくんなら、しっかり噛みついてこいよコラ。なぁタコ!」

 終始涙目で及び腰だった。

「ちょっ、そりゃないよ〜。傷害は勘弁してよ〜」

「蚊が止まってたんで」

 アウロスはぶっきらぼうに言い放ち、掌を見せる。そこには潰れたての蚊が一匹、血を出して死んでいた。

「この季節の蚊は伝染病を運んで来る可能性がある。気を付けた方が良い」

「ちっとも優しく感じないよ〜」

「……何をしている」

 メガネがドン引きしている最中、氷の杭のような声が三人を打ち付ける。

 アウロスは一瞬、同じ研究室の嫌味ばかり言う男を想起したが、彼の声ではなかった。

「スモワー、ヤンヤ。実験が終わったのならさっさと後片付けをしろ」

「は、はいっ! スモワーさん、早く立って早く!」

「いたいの」

「い〜から! あんたも早く帰れよ!」

 妙に慌しいメガネの口調が意味するものは――――

(圧制……か?)

 アウロスはその要因である声の主に、ゆっくり視線を移した。

 魔術士は髪が長いと言う通説を具現化したかのような、膝まで伸びた黒髪。

 それに加え、やたら凶悪な目つきが特徴的な男だ。

 気難しげな雰囲気を惜しげもなく発している辺りが、やはりレヴィを彷彿とさせる。

「そこのお前」

 そのイントネーションもよく似ていた。

「見ない顔だが……ちゃんと申請して許可を得て見学しているのか?」

「ガルシドさん、こいつ最近ここにきたばっかの研究員だそうですぜ〜」

 太鼓持ちの口調でメガネが献言すると、ガルシドと呼ばれた超長髪の男は何やら薄く呟き、目で誰何を促す。

 アウロスは嘆息を口元で隠しつつ、所属と名前を告げた。

「ほう、レヴィの部下か……」

 そして、その返答に眉をひそめる。

 レヴィを知っている事自体は、何もおかしくはない。当然と言える。

 が、研究室のシンボルであるミストではなく、レヴィの名前を敢えて出した事に意味を見出すとすれば、

 そこには同じ大学、同じ学科の研究員以外の何かがあると言う事になる。

 似たようなタイプ同士の人間関係は2つに1つ。

 共鳴か、対立か。

 いずれにしても、強く意識してしまうのが人間の性だ。

「それはさぞかし苦労しているだろうな」

 どうやら後者のようだった。内容以上に口調がそう物語っている。

「同じ大学の同じ前衛術科。出会ったのも何かの縁だ。困った事があれば何でも相談に乗るぞ。何、気にするな。別にレヴィにいびられた事への愚痴を零すくらい、構いはしない。ヤツへの怨みつらみなど、心の内に沈殿させておくものではない。表現すべきだ。多少誇張が入ろうと誰も君を責めまいよ。そこに弱みや失敗談など入れば余計にな。遠慮する事はない。君の為にいつでも扉は開かれているのだから……な。ではまた会おう、アルロス=エムガーデンヌ」

 言いたい事を言うだけ言って、ガルシドは去った。

「……要はレヴィの悪口や弱点を絶賛募集中、って事か」

「ウチのジュニア、そっちのレヴィ講師をバリバリ意識してるからさ〜。相手されてないけどね〜」

 いずれにせよ、ロクに名前も覚えられていない相手に何かをしてやる気になる筈もない。

 それよりも、アウロスはメガネの補足説明に対し興味を抱いた。

「ジュニア?」

「あの人、ウチのライコネン教授の息子なんだよね〜。だからあんたも逆らわない方が身の為だよ〜」

 一連のやり取りで最も有益な情報がそこには転がっていた。今は何の活用法もないが。

「忠告どうも。さて、怖い人に睨まれた事だしお暇するか。騒がせて悪かったな」

「ホントだよ〜。もう係わり合いになりたくないよ〜」

「テメェ中途半端なぶったぶたないじゃないぞ。わかったなコラタコ……いったぁい」

 すっかり存在感の薄れた小太り男は何とか最後までキレていたが、アウロスが背を向けた刹那に蹲った。




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