第8章:失われし物語(19)
現在、体調の優れない教皇ゼロス=ホーリーの後継ぎ候補と言われている人物は三名。
枢機卿ロベリア=カーディナリス。
現教皇の息子デウス=レオンレイ。
そして、首座大司教ルンストロム=ハリステウスだ。
ロベリアは現在の教皇の路線を踏襲する『穏健派』。
デウスは教皇という立場そのものを取り除き、王室を作ろうとしている『改革派』。
ルンストロムはまだ明確に路線を発表していないが、この二人の中間に位置すると推測されている。
ロベリアの目的は非常にわかりやすく、現教皇、引いてはこれまでのデ・ラ・ペーニャにおけるアランテス教会の教えを継ぐ事にある。
デウスは逆に、これまでの教会の概念を全て壊すつもりだ。
つまり、両者が相容れる可能性はない。
だが――――ルンストロムはどちらと組む可能性もある。
三つ巴とならず、ルンストロムの派閥が穏健派、改革派のどちらかに吸収される可能性も存在する。
だが、もしルンストロムの野心が教皇になるという一点に注がれているのなら、話は別だ。
よって、この三勢力による後継争いの真相を見定めるには、ルンストロムの思惑を把握しておく必要がある。
「じゃあこの『我、大いなる野心を抱きし先鋭なる人物の思惑を知る者なり』
ってのは、そのルンストロムの思惑を知ってる、って意味で書いたの?」
手紙の写しを眺めながら問うラディに、アウロスは首を――――横に振った。
「誰とは特定していない。大いなる野心を抱きし先鋭なる人物、ってのは教皇になろうとしてる連中全員に当てはまる、曖昧な表現だ。
それ以前に、野心家なんて何処にでもいる」
「でも、その後に魔術士殺しとロベリアって人の関係について書いてるんだから、いやでも次の教皇候補を連想するじゃん。っていうか、ロベリア本人な訳ないんだから、要は残りの二人よね」
「普通に考えればそうなるな」
デウスは、自分が該当すると確信していた。
当然ではある。
アウロスがあの手紙を出しているという前提ならば、『我、大いなる野心を抱きし先鋭なる人物の思惑を知る者なり』というのが自分、すなわちデウスの事だと確定させるのに、なんの躊躇がいるだろうか。
教皇制度すら廃止しようとする自分は、大いなる野心を抱きし先鋭なる人物だという自負もあるだろう。
だが――――受け取った全ての人物が、これをデウスと見做すとは限らない。
ルンストロムだと認識する者もいるかもしれない。
もしいるのなら、そこにどんな理由があるのか。
「ルンストロムは、ウェンブリーの首座大司教だ。一方でロベリアはこのマラカナンの枢機卿。『大いなる野心を抱きし先鋭なる人物』をルンストロムだと仮定する奴は、この手紙を出した人物、つまりルンストロムの思惑を知る者はウェンブリーにいる、と考えるのが自然だろう。にもかかわらず、マラカナンの魔術士のロベリアが魔術士殺しとつながっているとどうしてわかるか。簡単な理屈だよな?」
「……」
アウロスの質問に、ラディはダラダラと汗を流し始めた。
わからないらしい。
「……魔術士殺し側からこの情報を得た、と判断したからだ」
「あ。そーいや、ウェンブリーにいたもんね。魔術士殺し。ロス君がやっつけたんだっけ」
かつて、ミストと論文発表会で舌戦を行った際の一幕。
最終的には、アウロスがその魔術士殺しを倒して発表会はお開きとなった。
だが――――
「魔術士殺しは一人じゃない。何人もいる。テュルフィング……だったか。そういうコードネームがあって、その連中の一部が魔術士の間引きを専門にしているらしい」
「って事は、このマラカナンにもいるかも、って事?」
「実際にいた。デウスの手元に連中の名簿がある」
アウロスは敢えて、フレアもその一人だという事実は伏せておいた。
「え? じゃあ、あのいけ好かない自信家も魔術士殺しとつながってるの?」
「いや、ロベリアと魔術士殺しの癒着に関する証拠として所持してる……」
そこまで告げ、アウロスは自分の口元を手で覆う。
「……そうか。そういう可能性もあるのか」
「お? もしかして私、鋭い視点で事の真相を抉っちゃった?いやー、まいったね。さすが私。これだから私。遠慮なく褒めちぎってくれてよくてよ?」
「魔術士殺しは、魔術士を暗殺する技能者。どの後継者とつながっていてもおかしくない。いや、つながっていると考えるべきだ。その方が魔術士殺しという立場上、都合がいい。獲物を得られる機会が多くなるわけだからな」
アウロスは手についた埃を払うかのような仕草でおざなりに拍手しつつ、思案を声に出して練る。
「……さびしいです」
拗ねたラディはふて腐れてゴロンと床に寝転がった。
「それはともかくさ、ロベリアさんと魔術士殺しのつながりをなんで手紙で暴露したのさ」
代わりにマルテが起き上がってくる。
説明は続けなければならないらしい。
アウロスは嘆息しつつ――――
「目的は二つある」
二本の人差し指と中指を開かず立てて見せた。
「一つは、デウスの反応を見る為。これだけ後継争いの関係者にバラ撒けば、確実にデウスの元にも手紙の内容は伝わる。中にはデウスとつながっている奴もいただろうし」
「そ、それって何の意味があるのさ。っていうか、向こうにしたらよくも裏切ってくれたな、って怒るトコじゃない?」
「怒ってくれれば楽なんだが、生憎そこまで簡単な相手じゃない」
困り顔――――のようであまり外面的にそうは見えない表情を浮かべ、アウロスは小さく息を吐いた。
「俺が知りたかったのは、デウスにとってロベリア率いる穏健派がどの程度の存在か、ってところだ。もし穏健派が厄介だと本心で思ってるのなら、今回のリークは奴にとって致命的……とは言わないが、結構な痛手になる。それこそ、俺に掴みかかってくるか、最悪殺そうとするかもしれないくらいに」
「うわあ……怖っ」
「だが、そこまではしないどころか、俺への処分もロクに考えてないところを見ると、穏健派の連中に対する脅威はあまり感じてなさそうだ」
デウスの自信に満ちた顔は、その能力に裏付けされているだけに留まらない。
自らの戦略に対して、大きな自信を持っている。
一件、大胆不敵で荒唐無稽な人物像のその実は、緻密な計画性を持つ頭脳派――――アウロスはデウスをそう見ていた。
「だが、もう一つの派閥へは関心を寄せている。少なくとも、ウェンブリーに関してはかなり熱心にチェックを入れてる。ミストとつながっている可能性が高くなった今、それは間違いない」
「あれ? でも前にロス君、『デウスは俺に関心があるんだぜ』みたいな事言ってなかった?」
突然起き上がってきたラディの明らかに似ていない物真似に、アウロスは本気で舌打ちした。
「……」
再び寝込んだラディに顔を引きつらせつつ、マルテはアウロスを恐る恐る見る。
続きをどうぞ、という事らしい。
「俺に関心がある……というより、俺に執着してるんだろう。エルアグア教会を欺く為の大役に俺を指名してるくらいだしな」
「まあ、確かにそうとしか思えないよね。あんまり自分で『俺に執着してる』とか言うべき事じゃないとは思うけど」
「俺も気持ち悪いとは思うが仕方ない。で……執着している理由は、言うまでもなくこれだ」
これまで、デウスが何度も関心を寄せてきた『オートルーリング』。
それを使用可能とする魔具の指輪を掲げ、アウロスは目を少し吊り上げた。
「今回のデウスの手紙に対する反応と、俺への対応からわかった。
オートルーリングへの奴の執着はかなりのものだ」
「それはそうなんじゃない? 僕は魔術士じゃないからその価値はよくわからないけど、ルーリングってのが自動的にできるんなら、そりゃスゴいしそれだけでかなり強くなれそうだもん」
マルテの発言を受け、アウロスは無言で握手を求めた。
「……自分の論文を褒められて嬉しいなら、そう言ってくれればいいのに」
「ただ」
特に照れる様子はなく、アウロスは握っていた手を離す。
「この国の王になる為に生きているような奴が、ここまで執着しているとなると……単に戦闘技術としてオートルーリングを取り入れたいだけとは思えない」
デウスの執着は、予想以上だ。
本来ならば感情抜きに切り捨てても不思議ではない事をしたアウロスへの甘過ぎる処置から、そう判断できる。
「……もしかして、それを確認する為に手紙を?」
「それが目的の一つ。もう一つは、さっきも話した皇位継承問題との関係だ」
先程立てた指を一本下ろす。
「ルンストロムって人物が、現時点で何処まで警戒されているか。
つまり、あの手紙の『大いなる野心を抱きし先鋭なる人物』をルンストロムではと疑った人物がどれだけいるか、を見たかった」
「何ソレ? ってか、これまでの説明とアンタの論文、なんの関係があんのよ。さっきから全然出てこないけど」
回復したらしきラディがムクリと立ち上がり、とうとう聞き手が二人になってしまった。
特に問題はないのだが、なんとなくアウロスはウンザリしつつ続きを話す。
「今から出てくる。さっきも言ったけど、『大いなる野心を抱きし先鋭なる人物』をルンストロムと判断した奴は、ウェンブリーに魔術士殺しがいる、若しくはいた事を知っている奴って事になる。もっと具体的に言えば、あの研究発表会の場で俺が魔術士殺しを倒した事を知っている奴、という可能性がある」
「それがどーしたのよ」
「対魔術士殺しの切り札として、オートルーリングの技術に関心を寄せている可能性がある。実際、ミストはそれを狙ってあの場をセッティングしたんだろうしな」
あの研究発表会で、アウロスはオートルーリングの技術を使い魔術士殺しを倒した。
一介の研究者が、魔術士暗殺の専門家を倒す。
これがどれだけ大きな意味を持つか、魔術士なら誰でもわかる事。
そして、もし――――先程の仮説の通り、全ての次期教皇候補が魔術士殺しとつながりを持っているのなら。
当然、他の候補者が魔術士殺しを刺客として放ってくる可能性も考慮しなくてはならない。
オートルーリングは、その対抗手段となり得る。
関心を持っていてもおかしくはない。
ならば――――
「そこに論文が流れる可能性も、当然高くなる」
アウロスは一つ、重要な事を考慮に入れていなかった。
論文が放流された時点で想定していた最終的な漂流場所と、現在論文が流れ着いている場所が、同じになるとは限らない。
仮にミストが目的地を設定したとしても、そこへ行き着く途中で何者かがオートルーリングに関心を持ち、論文を入手する可能性もある。
ミストの能力の高さを知っているが故の落とし穴だった。
現在、論文が辿り着く場所として有力視されているのは、このエルアグア教会と枢機卿ロベリアの元。
だが、違う場所に流れ着く可能性もある。
ここも考慮に入れなければならない。
そこでアウロスは、オートルーリングの論文に関心を持つ可能性のある人物を、今回の手紙で割り出そうとしていた。