第2章:研究者の憂鬱(4)
講習最終日。
二階の図書室に、昨日と全く同じ服装でセーラ講師はいた。
魔術士の服装は一般的なイメージ通り、全身をローブで包むスタイルが最も普及している。
このローブは制服でこそないが、白衣と同じく一種のシンボル的な意味合いがある。
一方で着易さ、動き易さにも定評があり、ファッションに頓着のない人間の多い研究者には好評を博している。
セーラ講師もその一人だ。
「ふぁ……ごめんなさい、徹夜明けなもので」
何しろ不規則な生活が当たり前の職業。
元々は頓着があったとしても、長い年月が経てばどうでもよくなるのが当然の流れだ。
「いえ。で、今日は一体何の話を?」
「そうね。前衛術について少し語りましょうか」
これまでよりやや気の抜けた、フランクな雰囲気で講習が始まった。
前衛術――――起源は階級闘争における最も先進的な部隊の名称を拝借したものなのだが、
現在では、比較的近距離の敵に対しての攻防の際に活用する魔術、と言う意味で専ら使われている。
それに対し、後方支援を主目的とした魔術を後衛術と呼び、魔術のイメージとしては後者の方が市民権を得ている。
皮肉にも、そう言う意味では、前衛術は先進的とは言い難い立場に置かれていたりする。
「前衛術が魔術の専科として認定されたのは、今から約50年程前の話ね。元々、攻撃魔術は敵と距離を置いた状況でこそ、その威力を発揮する技術として繁栄したものであり、前衛術は後衛術の裏返しとして生まれたのではなく、後衛術の欠陥を補う形でそこから派生したものだと言われているから、前衛術は魔術の世界では補助的……つまり軽く見られる傾向があるの」
加えて、敵と近い距離で使用される前衛術は、そのリスクの大きさからか需要が少ない。
そう言った理由から、前衛術を研究する人間もまた、後衛術や結解術を研究する者よりもランクが落ちるとされている。
「尤も、この大学は前衛術科の方が有名ですけどね」
「そうなんですか?」
【ウェンブリー魔術学院大学】においては、前衛術とその他の術科に支給される研究費の差はそれ程なく、
生徒数、研究者数も大きく開いてはいない。
その理由は、全ての分野に力を注ぐと言う大学の方針そのものにもあるが、何より大きいのは――――教授の質。
前衛術科には2人の教授がいるが、双方とも魔術学会でそれなりの地位にいる大物だ。
そして極めつけは、現在助教授でありながら彼らを更に超える存在になりつつある、
若き天才として学会はおろか教会からも着目されている現助教授――――ミスト=シュロスベル。
ここ2、3年で彼が大学にもたらした利益は、彼が貰っている賃金の数百倍と言われている。
3年で1つの新魔術を開発できれば上出来と言われているこの業界で、彼は7つの術を世に出した。
全ての研究論文は学会で賞賛され、一部は既にアカデミーの教科書に載っている程だ。
「後衛術科の人間としては認め難い現実だけど、それが真実。グラウディオ教授の推進している研究は魔術学会の最優秀研究論文賞にノミネートされたし、他にも権威ある賞を貰った論文が幾つかあるもの。こっちはまだ、そこまで実績を残せてないのよ」
自嘲的な内容をまるで手前味噌のような口調で語る。それにはそれなりの理由があるのだが、アウロスには知る由もない。
ちなみに、グラウディオ教授と言うのは、前衛術科の教授であり、ミストの直属の上司だ。
「まあそれは置いといて、ここで質問。前衛術が現在も余り使われていない理由はわかりますか?」
突然の質問。アウロスは顔の筋肉を適度に動かし、驚きを表現した。
「えっと、多分ですが、存在意義が薄れたからじゃないですか。魔術士の地位が落ち、騎士の支援が第一と言う風潮ですし。前衛術は支援には向いてないですから」
「そうですね。でももう一つ大きな理由があるんですよ」
「……ああ、ありますね」
アウロスは最低限の誘導だけでそれを理解した。その様子にセーラ講師は驚きを隠せず、表情を引きつらせる。
その一方で、つい『わかるべきではない答え』をわかってしまった格好のアウロスも焦りを覚える。
こちらは顔にこそ出していないが。
「本当にわかったのですか?」
「すみません知ったかぶりです」
微妙に棒読みだった。
「そうですか。では説明しましょう」
しかし今日は探ろうと言う意図が余りないのか、セーラ講師はあっさりと流した。
これで一応、無能な研究員のイメージは守られた事になる。
「前衛術は相手との距離が近い事が条件です。近距離であれば当然、相手の攻撃に晒される危険を考慮しなければなりません。ですが、ルーリングに要する時間、つまり使用ルーン数は近距離用であれ遠距離用であれ、大差はありません。射程距離はルーン数に殆ど変化をもたらさないですから。そんな訳で、後衛術と比較して状況的難易度が圧倒的に高く、好き好んで使う魔術士が余りいないのが現状です」
要するに、需要がないと言う事だ。
魔術士そのものの需要も減っているのに、その魔術士からも嫌忌されているのだから、二軍落ちも当然と言える。
そして――――アウロスはそれを実感した事が何度もあった。
『既存の前衛術は使い難い』
これが現場の嘘偽りない声だ。
「でも、そう言う状況だからこそ、前衛術に対する意識は高まっている傾向にあるんですよね。反動形成みたいなものでしょうけど」
実際、魔術史を紐解いてみても、前衛術と後衛術の発展には規則性がある。
どちらか一方がめざましい時期は、もう一方は大人しく、その時期が周期的に入れ替わりながら、共に切磋琢磨して来た。
尤も、魔術に限った事ではなく、どう言う分野においてもそのような流れはあるのだが。
「それでは次の質問に行きます。前衛術において最も重要とされるのは?」
「それは……」
アウロスは反射的に出て来た答えを咀嚼し、吐き出さずに飲み込んだ。
「即答できないようではいけませんよ。特に貴方はルーリングの自動化・高速化を研究しているのでしょう?」
取り敢えず意図通りの展開になり、心中で胸を撫で下ろす。
「前衛術において最も大事とされているのは、速度と精度です」
違う――――アウロスの決して表に出ない内側の回路は、その解答を全力で否定していた。
今現在、戦場で使用されている前衛術は結界類が6割を占め、残りも系統的に近い攻撃魔術が殆ど。
明らかにバリエーションが不足している。
特に複数の敵を相手にしたケース、或いは支援のない状況下での戦いにおいては、余りにも使い勝手が悪い。
しかし、研究者側はこの事実を余り重視せず、自分達の理想論――――特に見栄えの良い魔術を前線の魔術士に押し付ける傾向にある。
「後衛術と違って、前衛術は常に死と隣り合わせの状態で使用されます。そんな状況でもし100%の効果を出せなければ、それは即危険に繋がるの。それを回避する為には……」
アウロスはそれ以上聞く意味を見出せず、聴覚を遮断して窓の外の景色を見る事にした。
特に興味をそそるものがある訳でもなく、敷地に植えられた木の緑と空の青が網膜を優しく撫でてくれるだけの世界があるだけ――――
「……?」
一瞬。
ほんの一瞬、自然の中に不自然が混じった。
それが何なのか、何を形成しているのか、或いは何を意味しているのか――――余りに微小な時間は、思考の翼を羽ばたかせる風を生んではくれなかった。
「どうしたの?」
「いや、特に何も」
目を見開いた自覚のあったアウロスは、慌てて表情を戻した。
「そう。それじゃ講義はここまで。余り身も入っていないみたいだし」
「すみません。眠くて」
適当な言い訳で場を濁す。一応心証を悪くすると言う意図もあったのだが、眼前の魔術士は特に気にしていない様子で笑っていた。
「いいのよ、私もそうだから。こんな良い天気だしね……」
アウロスが見ていた方向に、セーラ講師の穏やかな目が移る。
そこに違和感は――――何一つなかった。
「余った時間で見学でもしたら? 実験棟とか。まだ大学の施設を全部回ってないでしょう?」
「そうですね。じゃ、そうさせて貰います」
アウロスは発言と平行して起立と礼を行い、本の匂いが充満するその場所を後にした。