第8章:失われし物語(10)
「……っ!」
目の前で突如起こった爆発に、フレアの意識が吹き飛ぶ。
だが――――それはフレアを殺傷する爆発ではなかった。
魔術と魔術の衝突。
氷の槍と、雷の閃光とがぶつかり合い、圧力波が発生した事で生じたものだ。
しかし、フレアの視覚と聴覚に多大な刺激を与えた事は確か。
風圧に抗う事も出来ず、フレアは後方へと吹き飛ばされ、そのまま倒れ込んだ。
「ぐ……」
だが、飛んだ意識は辛うじて繋ぎ止め、重い瞼を強引に上げる。
戦場での意識喪失は、すなわち死。
フレアは唇を噛み、激痛によって意識の断絶を防いだ。
直ぐさま立ち上がりながら、爆発が起こった位置を凝視する。
すでに爆発の痕跡は殆どなく、薄い白煙が見えるのみ。
結果として、その先にいるトリスティの表情が目に入る。
トリスティは――――
「……」
それまでの無表情から一変、両頬を引きつらせてプルプル震えていた。
「な……何すんだよっ! 危うくオレっちが死ぬとこだったじゃんかっ!」
そして、涙目で後方にいるティアを睨み付ける。
一方、ティアも遠方で起こった出来事に驚きを隠せずにいた。
「そんな失態はしませんよ。私はただ……」
「ただ、なんだよ!」
「……あの男が結界を解いたから、その好機にあの男を狙っただけです」
そう呟くティアの視線の先には――――結界を解き、悠然とした態度で全景を眺めているアウロスの姿があった。
「そんな理由で誤射されるこっちの身になれよな! ったく……ああもう、せっかくリーダーっぽくクールに振舞ってたのに台無しじゃん……」
くしゃっと髪を鷲掴みし、トリスティが嘆く。
その様子をアウロスとは違う角度で眺めていたサニアは――――
「ククク……」
邪悪な笑みを浮かべ、肩を揺らしていた。
「わ、笑うなよな!」
「いや、貴様を笑ったのではない。気づかぬか? ティア、貴様もだ」
「何がですか」
まだ朦朧としているフレアがゆっくり立ち上がる中、サニアはその笑みのまま親指でアウロスを指す。
「貴様等、そやつに誘導されておったぞ」
「え……?」
その指摘に、ティアとトリスティの両名が同時にサニアの方へ顔を向けた。
だが、隙は出来ていない。
意識は視線と別のところにしっかりと張り巡らしている。
そう判断したフレアは、不意打ちを諦め会話に耳を傾けた。
「トリスティ。貴様はそこの女が突進してくるのを迎え撃つ為に編綴の準備を始めた瞬間、あのアウロスという男は結界を解いた。ティアの視界に入る位置でな」
「誤射を狙う為に……ってコト?」
顔を歪ませるトリスティの声に、サニアは口の端をより吊り上げる。
「とはいえ、ティアの視界から見える位置にいれば、誤射は起こり得ない。
起こり得るのは、ティア、トリスティ、あの男の位置が一直線上に並んだ場合だ」
「そ、そうですよ。だから私は、ちゃんとズレている事を確認して、トリスティには当たらないと確信してから魔術を放ったんです」
「オレっちのせいかよ!」
不満を叫ぶトリスティを無視し、サニアは笑みを消した。
「だから、実際にトリスティの身体には当たらなかったではないか。
当たったのはトリスティの魔術にだ」
「……それを狙ったとでも言うのですか? そんな事はあり得ませんよ。
そこの枢機卿の娘がトリスティを狙う事が絶対条件ですし、仮にそれを示し合わせていたとしても、トリスティが魔術を撃つタイミング、私が魔術を撃つタイミング、それぞれの魔術の速度のどれか一つでも読み違えれば、先刻の状況は生まれないんですから」
ティアの意見は尤もな内容だった。
この四点を全て制御するのは不可能。
そもそも、アウロスとフレアは標的を示し合わせてはいない。
だが――――
「魔術と魔術がぶつかったのは、偶々だ。そうであろう?」
サニアは確信していた。
アウロスはそんな彼女の意見に対し――――
「ああ。別にぶつかり合う必要はなかった」
「……ど、どういう事さ?」
結界が消え、身の安全が保証されていない状況に怯えつつ、隣のマルテが問う。
「要は、トリスティがフレアを迎え撃つ前に、トリスティの近辺を雷が通過すればよかったんだ。そうすれば、いくら集中しているとはいえ、トリスティに動揺が走るだろう。意識の外から飛んでくる魔術に無関心でいられる奴はいない。魔術同士がぶつかったのは、給仕女の反応が計算より遅かったからだ」
「……!」
アウロスの挑発めいた言葉に、ティアの目が吊り上がる。
「ティア」
「……わかってます」
だが、流石に戦闘慣れしているだけあって、サニアの一言で冷静さを取りもどす。
アウロスは心中でこっそり舌打ちした。
「二つほど、解せぬ事がある」
そんなアウロスに、サニアは指を二本立てて問いかける。
「枢機卿の娘がトリスティを狙うタイミングをはかり、ティアの編綴と魔術の速度を逆算。トリスティが魔術で迎え撃つ直前に結界を解く事で、トリスティの隙を突く形での誤射を狙う。そこまではわかるが……ティアが使用する魔術の種類まで特定できたのは何故だ?」
「突然の隙に対するとっさの反応だから、普段から使用頻度が高い得意な魔術を使う可能性が極めて高い。それだけの事だ」
「なるほど。が、もう一つ」
感心した様子で、サニアは指を一つ折り、残り一本の指を立てたままアウロスへその指を向けた。
「何故、このような回りくどい支援をしたのじゃ? 枢機卿の娘を支援するのなら、自ら魔術で攻撃すればいいだけではないか」
余りに当然と言えば当然。
そんなサニアの指摘に対し、アウロスは――――
「そんな隙を作ったら、何処かから狙撃されかねないからな」
しれっとそう答えた。
「……そういう事か。デクステラの不在を警戒していた、と」
「実際にはいなかったみたいだけどな。この状況じゃ無視はできない」
元四方教会3人の反応を確認したのち、そう結論付けたアウロスは右手に込めていた力を抜いた。
アウロスがこの状況で最も警戒していたのは、四人目の存在。
もし結界を解いて、迂闊に攻撃のための編綴をしようものなら、その隙を狙われかねない。
攻撃さえしなければ、例え結界を解いてもオートルーリングで即座に結界を再構築できるが、攻撃の最中には不可能だ。
四人目の懸念があったからこそ、アウロスはマルテの守りに徹した。
その中でフレアを支援できるとすれば、攻撃を誘う事でその攻撃をフレアへの支援へと導く事くらい。
サニアの位置では、それはできない。
ティアも同様。
トリスティに対して攻撃する際にだけ可能な支援だった。
「……なんて人だよ」
すっかりクールな姿を封印したトリスティが、アウロスに畏怖にも似た目を向ける。
結果的に魔術同士がぶつかったのは、トリスティにとって幸運だった。
その爆発でフレアの攻撃が途切れたのだから。
もしティアの黄魔術が目の前を通過しただけだったら、魔術を一旦中止する形になるトリスティより、自らの肉体で攻撃するフレアの方が仕切り直しする上で有利なのは言うまでもない。
トリスティは背筋が凍る思いで、ため息を吐いた。