第8章:失われし物語(8)
開けた視界に収まる、3つの姿。
懐かしいと言えるほどの空白期間はないものの、アウロスはなんとなく彼らの姿に立場や時間の経過以上の距離を覚えていた。
「久しいな……という挨拶が成立するほど久しくもないが、しばらく」
そう挨拶をしてきたのは、サニア。
彼女を含め、3人の外見は以前となんら変わりはない。
魔術士の証であるローブを着ているものはなく、ティアに到っては給仕姿のまま。
サニアに関しては、内面が戦闘モードのようだが。
「デウス師の認めた貴様のことだ。この状況も、ある程度は予想済みなのだろう。となれば、これから我らが何をするのか、わかるな?」
「ああ。けどアンタ、共闘は嫌いなんじゃなかったか?」
できれば参戦者は少ないに限る。
そういう意図のアウロスの発言は――――
「嫌いな上に苦手だ。が、今回はそうも言ってはおれぬのでな。苦手なりにやらせて貰う」
「意外と融通の利く……」
少し期待していた為、アウロスは本気で失望を露わにした。
だが、当のサニアはそれを別の意味で受け取ったのか、顔を曇らせる。
「そんな顔をするな。出来れば我も、一対一で貴様と闘ってみたかった」
「別に望んでない、こっちは」
髪を掻き毟り、軽口を叩くアウロスに対し――――サニア以外の2人は全く言葉を発しない。
表情も似通っている。
ティアに関しては良く見ていた顔だが、もう一人の男――――トリスティの方は、普段見せていた朗らかで軽い印象とは程遠い、完全な無表情を貫いている。
「トリスティが本気になった姿を見たのは初めてだったか?
奴は普段はああだが、真剣に闘いに望む際は4人の誰よりも冷徹で小賢しいぞ」
サニアはニヤリと笑みを浮かべ、告げる。
アウロスはその言葉に、小さく頷いた。
「さて……一応、そっちの主張というか、どうして通せんぼをするのか聞いておくか」
そして、微かに目を細めて問う。
答えるのは――――やはりサニアだった。
「我らはデウス師の指示で、貴様らを監視していた。そして『もし枢機卿と接触を試みる事があるならば、実力行使で食い止めろ』との命令を受けている。これ以上の理由は必要あるまい?」
「そうだな。お前等にとって、デウスは絶対らしいからな」
「レオンレイ様を気やすく呼び捨てにしないで下さいませ」
突然、ティアが割って入る。
ずっと我慢していた感情をぶつける――――ような勢いはない。
ただ、目の周囲の筋肉が相当に強張っている。
睨み付けるという行為の枠を越えるくらいに。
「貴方は……いつもそうでした。助け船を出し、住まいや食事まで提供するレオンレイ様に対し、不遜な態度を続け、時には同等であるかのようなふるまいまで見せて来ましたね。私はそれが許せませんでした」
「……」
何を言っても無意味と悟り、アウロスはティアの方を見ながらトリスティへと意識を向けた。
沈黙を続ける彼の挙動は、今のところ変化は見られない。
だが、この場で最も不気味な空気をまとっているのは、彼。
普段とのギャップ、という点を抜きにしてもだ。
何故なら、アウロスが今そうしているように、トリスティもまた情報収集を行っている――――ように見えるからだ。
トリスティは決して慌ただしくなく、しかし確実に視点を動かし、刻一刻と動く状況を読もうという意識に溢れている。
青魔術のエキスパート。
そのイメージとまるで合わないという認識だったが、改めなければならないとアウロスは確信しつつ、ティアとトリスティの位置を確認する。
「で、どうするんだ? こっちには俺以外にも2人いるんだけど……コイツ等も、実力行使で止めるのか?」
既に戦力は把握しつつある。
だが、もう少しなんらかの情報を引き出したい――――という意図もあり、アウロスは隣のフレア、後ろのマルテに対する扱いを問う。
片や、枢機卿の娘。
片や、教皇であり絶対的上司でもある男の息子。
どちらも闘いに巻き込むだけで、内戦の可能性を孕むくらいの存在だ。
「貴様等3人の誰が枢機卿と接触したとしても、裏切り者の烙印を押されるのはアウロス=エルガーデン、貴様じゃからな。そうなれば責任の所在は必然的にデウス師に向けられる」
「俺はこいつらの保護者じゃないんだけどな……」
とは言いつつも、予想通りの回答。
アウロスは再度頭を掻く――――その動作に、ルーリングを混ぜた。
余りにも自然な魔術の導入に、サニアも、ティアも反応できない。
「……!」
唯一、集中力を保っていたトリスティだけが、アウロスの不意をついた魔術の編綴に反応を見せた。
だが、距離的にかなりある為、どうする事も出来ない。
「フレア! 攻撃を頼む!」
叫びながら編綴した魔術は――――結界。
魔術全般に有効、かつ魔術防御力の高い【大三角結界】が、アウロスとマルテを包み込む。
この結界の欠点は、出力が大きい為に魔力消費量が多い点。
その為、自分を守る際に使う事はまずない。
マルテの事を考えての結界だった。
「わかった」
そんなアウロスの意図など知る由もないが、フレアは頷く事すら省略し地面を蹴る。
襲撃した身でありながら奇襲を受ける形となった、元四方教会の3人は――――
「敵前方より接近。排除する」
トリスティの沈着冷静な声と同時に、臨戦態勢をとった。
魔術士の臨戦態勢とはすなわち、ルーリングを行う事に他ならない。
3箇所の空間に、同時にルーンが浮かび上がる。
フレアは――――迷わずにサニアの方へと突進した。
「ほう。我を選ぶか」
その姿にサニアが口の端を釣り上げる。
そのサニアのルーリングは、まだ終わらない。
一直線に飛び込んでくるフレアの身体はもう、直前まで迫っている。
「が、それは最悪の選択じゃな」
「……!」
そんなフレアに対し――――サニアはルーリングを続けた。
止める必要がなかったからだ。
「っ!?」
事実――――フレアはサニアへ一撃を見舞う寸前、強引に上体を捻って攻撃をキャンセル。
回避せざるを得なかったからだ。
ティアの放った雷のレーザーを。
「多対一は苦手か? まるで周りが見えていないの」
「……うるさい」
サニアに鼻で笑われ、フレアは顔をしかめる。
それもまた、心理戦の一幕。
僅かに生まれた感情の隆起が、一瞬の空白を生む。
サニアはその間、4つのルーンを描いた。
そして、4つめのルーンはこの魔術最後のルーン。
赤魔術――――発動。
「火傷が顔に残っても、怨むでないぞ」
サニアの右手に、夥しい数の赤い粒子が発生する。
【火界呪】
中級クラスの赤魔術の中では、使用される頻度のかなり高い実戦向きの魔術。
蒸気のような赤い粒子の群れを敵の身体の周囲に固定し、足止めと同時に熱で弱らせる魔術だ。
一撃必殺の魔術ではないが、この魔術を食らうと目を開ける事や呼吸すらも困難になり、戦闘意欲さえも奪われてしまう。
フレアはその赤い蒸気に――――為す術なく包まれてしまった。
「うぐっ……」
すさまじい熱が、フレアの全身を襲う。
衣服や包帯からはチリチリと音がして、焦げくさい臭いすら漂う。
が――――フレアは動じない。
その状態のまま、再度サニアへと左脚での蹴りを仕掛ける!
「ほう。大したもの……っ!」
サニアはバックステップでいとも簡単にそれを躱し――――同時に戦慄を覚えた。
余裕を見せていた訳ではない。
こと戦闘となると、サニアはどうしても血湧き肉躍る。
歓喜の感情を抑えられない。
口数が多いのは、その感情を発散させる意図もある。
そのサニアを一瞬、恐怖に追い込んだのは――――フレアの武器だった。
小型円月輪。
フレアは蹴りを躱された瞬間、サニアへ向けてそれを放っていた。
サニアの左腕をまとっていた袖の一部が割け、皮膚に赤い線が一本通る。
「あの得物は投擲用でもあったのか……虚を突かれてしまったな」
以前、フレアとサニアがエルアグア南西部の路地裏で闘った際にも、アルマセン大空洞でティアに向けて放った一撃も、円月輪を接近専用の武器として使用していた。
だが、円月輪は本来、投擲用の武器。
先の二戦が、サニアの認識を誤らせていた。
「毒が塗っているのだったな」
だが、同時に最重要な情報も得ていた。
サニアは顔色一つ変えずルーンを綴り、魔術で生み出した炎で自分の傷を焼いた。
全くの躊躇もなく。
「大抵の毒は熱に弱い。貴様のそれも例外ではない事を祈ろう」
「お前……」
動じずに微笑みすら浮かべるサニアに、フレアは気圧されていた。
それでも、ティアとサニアを結ぶ線の延長線上に位置どるだけの冷静さは辛うじて保っている。
そうする事で、ティアの放つ直線状の魔術は防げるからだ。
ただ、先程の【火界呪】によって全身が熱を帯び、目や喉が痛んでいる状態。
呼吸も苦しい為、中々次の攻撃に移れずにいる。
「まだやるか? 我としては、その方が嬉しいのだが」
「……」
サニアの顔が、好戦的な色を濃くする中――――
フレアは思い通りに闘えない自分に苛立っていた。