第8章:失われし物語(5)
デ・ラ・ペーニャにおける皇位継承争いの勃発は、現時点においては一般人や他国には一切伏せられている。
教皇の体調不良は最重要機密として取り扱われており、ごく一部の人間にしか明かされないからだ。
しかし――――現在、エルアグア教会において殆どの教徒がこの事実を知っている。
一般人ではないとはいえ、決して身分の高い魔術士とは言えない者であってもだ。
それには明確な理由が存在する。
この教会内において、何者かが教皇の体調悪化という事実をリークしたからだ。
当然、情報管理の不備という事で、教会には大きな罰が与えられる――――
「……はずなのに、一切のお咎めがないそうだ」
医療室に響くアウロスの冷淡な声に、ベッドで寝ているフレアと椅子に腰掛けていたマルテが同時に眉尻を上げる。
「なんでさ? 普通、そんなずさんな出来事があったら、お偉い人から注意くらいはされるでしょ?」
声を出したのはマルテ。
一方、フレアの方は怪訝な表情のままアウロスを凝視していた。
「つまり、ずさんな出来事じゃなかった、って事だろう」
「……わざと、か?」
フレアの意見に、アウロスは無表情で頷く。
「もし、これがエルアグア教会の大きな過失だとしたら、噂話として教徒が口にする事も禁止されているはず。でも実際にはそうはなっていない。だからこそ、故意という推測が成り立つ」
「でも、なんでそんな事すんのさ。わざわざ最重要機密をこの教会限定で漏らすなんて……」
「お前は自分で考える事をしないのか」
合いの手ばかりを入れるマルテに、フレアの呆れ気味な目が向けられる。
「そ、そんな事ないよ。ちゃんと考えてるさ。えっと……そ、そうだ! ホラ、この教会で最近、大事な会議やってたよね。あれをここでやる為じゃない? 教徒の人達が教皇が死にそうだって知ってたら、いちいちコソコソしなくていいでしょ?」
ピンと人差し指を伸ばして語るマルテに対するフレアの目が――――より呆れを帯びた。
「ここで会議をやる為に教皇の情報を漏らすのか? 私には意味が繋がっているようには思えない」
「うぐ……だ、だったらそっちこそどうなのさ! 考えてるの?」
「当然だ」
上半身を起こした体勢で、フレアが頷く。
「教皇の体調がよくない、もうすぐ教皇が変わるかもしれない、という事をこの教会内で噂にして貰えば、得する誰かがいるからだ」
「得する誰かって……誰さ?」
「知らない」
臆面もなく断言するフレアに、マルテは頭を抱えてため息を吐いた。
「お前にそんな態度を取られるのは心外だ」
「いや、それはこっちの科白だよ……僕の意見と同レベルじゃん。
なんにも実になる事言えてないし」
「そんな事はない。お前の見当外れな考えと違って、私はちゃんとした事を言ってる」
「いやいや、僕の意見はまだ今後の役に立つ可能性に向かってトライしてるけどさ、そっちのはてんで役に立ちそうにないじゃない。誰かがわからないと無意味でしょ?」
「偉そうに言うな」
「そっちが先に言ってきたんじゃないか!」
次第にヒートアップする2人に対し――――アウロスは特に仲裁する気もなく、思案に脳を委ねていた。
「ちょっとアウロスのお兄さん! 何1人でボーッとしてんのさ!
この人なんとかしてよ! いちいち僕の悪口言ってくるんだよ。意地悪だよ」
「私は意地悪なんかしてない。聞いてばかりで自分の意見を言わないから注意しただけだ」
「だから、それが……うわあぁぁっ!?」
顔を紅潮させたマルテが、話の途中で驚愕の声をあげる。
――――アウロスの使用した音と光だけの魔術によって。
「怪我人相手に大声を出すな」
「う……お兄さんもそっちの味方? そうだよね……僕なんて誰も味方いないよね……」
「いじけるな。見苦しいぞ」
「う、うるさいなー! あーもう、僕この人苦手だよ!」
フレアの視線に耐えられず、マルテはぷいっとそっぽを向く。
アウロスはマルテの過去を断片的にしか知らない。
が、隻腕となってからどのような目に遭ってきたかは想像に難くない。
少々いじけやすい性格になったのも、数多の差別に遭ってきたからと解釈できる。
それだけに、難しい。
心を壊さないように、出自や来歴を明かすのは容易ではない。
だが、黙ったままでいる訳にはいかない。
エルアグア教会がマルテを利用しようとしているのは、火を見るより明らか。
デウスがそれについてどう考えているのかわからない現状では、親の庇護は期待できない。
かといって、アウロスにも目的があり、マルテを第一に考える事は不可能。
ならば――――自分でやるしかない。
マルテ自身が、自分の生い立ちを知り、自らの運命に立ち向かわなければならない。
答えは明白なのに、そこへ持っていく事が難しい状況。
それでも、アウロスは覚悟を決めていた。
若干瞼を落とし、フレアを見る。
その時を迎える前に、マルテを凹ませすぎては支障が出る。
「お前も、思った事を逐一話さなくていい。もう少し相手に気を遣え。
多分お前の方が年上だろ? 年上なら年上らしく振舞え」
「……わかった。おい、私が悪かった」
本心からそう思っているのか――――そう疑いたくなるような科白だが、フレアが若干俯きながら告げた事で、アウロスはそれを本心と判断した。
「だ、そうだ。お前もいじけてないで、こっちを向け、マルテ」
アウロスの声に、マルテは涙目で振り向く。
「……僕も、ムキになり過ぎてゴメン」
それでもペコリと一礼。
2人とも根が素直だという事は、これまでの時間の中で十分にアウロスは察していた。
だから、衝突はしやすいが、修復は楽。
そう思いつつも、アウロスは違和感を覚えていた。
ただしそれは、自分に対して。
なにしろ、これまでは常に自分自身が他者と問題を起こす側だった。
自分が仲介役を担うような事があるとは夢にも思わず、心中で苦笑する。
「仲直りしたから、答えを教えろ」
「そうだよ、教えてよ」
ケンカした直後に、息の合った要求。
今自分が起こしている問題とは真逆だと思い、今度は嘆息を禁じ得ない。
その問題は――――当分解決しそうにないだけに。
「……ま、いいか」
ここでそれを悩んでも仕方がないという結論に到り、目の前の2人に目を向ける。
まずは、この2人と共に、現在最優先すべき事項へ取り組むしかない。
その決意を込め、もう一回だけ息を落とした。
「基本的には推論だから、そのつもりで頭に入れておけよ」
前置きに対し、マルテとフレアは同時に頷く。
「簡単に言うと、教皇に関する情報のリークには2つの目的がある。
1つは、皇位継承争いに関する事。もう1つは、俺らの全く知らない事だ」
「……なんで全く知らない事が目的の1つに含まれてるってわかるのさ」
「それは今から説明する」
マルテにそう告げ、アウロスは丸めて足元に置いていた大きな羊皮紙を手に取り、床に広げる。
紙には、多くの名前とその役職などが記されていた。
フレアはその記載に、一つの結論を見出す。
「……相関図か?」
「ああ。お前等に現状とこれからの事を説明するのに必要だと思ったんで、昨日書いておいた」
「へえ。意外とマメなんだね、お兄さん」
マルテの言葉とは裏腹に――――アウロスは研究者の割には然程マメではない。
一つの事に執着する為、周囲の景色を敢えて消すような生き方をしているから、気配りや気遣いは余りしないし、細やかさも目的としている事以外には発揮されない。
それでも、そうせざるを得ないのは、一つの流れを生み出す為だ。
これから話す会話が不自然ではないように。
「……まず、皇位継承争いについて。デウスが言うには、3つの勢力があるらしい。
1つは、現教皇の派閥。代表者は枢機卿ロベリア=カーディナリスだ」
フレアの顔が、ピクリと動く。
だが今は、それに構う時ではない。
アウロスの目は、マルテに向けられた。
「次に、反教皇派。こっちは2つの勢力があって、1つはデウス。俺の上司であり……」
心中で深呼吸。
上手くいく事を願って――――
「……お前の父親だ」
しれっと告げるアウロスに、マルテはコクコクと頷き、そして――――二度見のようなタイミングで驚く。
「え、ええええ!? そ、そうなの!?」
「言ってなかったか?」
「言ってないよ! 教皇様の孫っていうのは聞いてたし、デウスさんが教皇の息子っていうのは確かにあの怖い女の人が言ってたような記憶あるけど……ええぇ?」
だからといって、デウスとマルテの親子関係が成立する訳ではない。
突然の実父の判明にマルテはただただ戸惑うばかり。
「そうだったか。まあ、そういう事だから、これからはデウスを父親と認識しておけ」
「いや、ちょっと待ってよ! それ本当なの? だってデウスさん、そんな事一言も……」
「言わないのには理由があるって事だ。考えてもみろ。どうしてデウスは俺だけじゃなくお前も四方教会に引き込んで、更にはこのエルアグア教会にまで連れてきた?」
「そ、そう言われると……でもちょっと待ってよ! えぇぇ……? いや、そ……えぇぇ? こんな大事なこと、こんな所でサラッと言われて……僕って一体なんなのさ……」
マルテの言い分は尤もではある。
教皇の孫が、その身分をずっと隠されたまま、教会とは無関係な所で1人で生きてきて、ついにその身分について明らかになる――――これ程に重要な局面はそうそうない。
だが、結果としてアウロスは『教皇の孫』、『デウスの息子』というその身分の暴露を、どちらもマルテが会話の中心にいない中で、実にアッサリとした口調で行った。
当然、そこには意図がある。
二つの暴露を分けて行ったのも、サラッと告げたのも、マルテに重くのしかかる重圧を少しでも軽くする為だ。
マルテは既に『隻腕』という重荷を背負っている。
その中で、教皇の孫、更にはデウスの息子だと一度に知れば、自分の存在について余りに重く考えてしまうのは必然であり、マルテの年齢を考慮すれば潰れかねない。
話はそれだけではない。
教皇の血縁者となれば、イヤでも今回の後継争いと絡んでいく事になる。
事実、そうなりつつある。
アウロスは、デウスがマルテに父親だと名乗らず、かつ手元に置いている現実から一つの結論を推測していた。
その結論とは――――マルテを王になる為の道具として使うもの。
そして、もしマルテが自身の身分を知れば、いずれその結論に辿りつく事も容易に想像できる。
1人で背負えば、マルテの小さな心は軋み、壊れてしまうだろう。
ならば、少しずつ、なるべく重たくならないような空気の中で自分が教える――――そうアウロスは結論付け、行動に到った。
「あーもう! ヒドいよお兄さん! 最悪だよ! こんな判明の仕方ってないよ!」
だが、マルテにアウロスの気遣いを把握する余裕などある筈もなく、頭を抱えながら非難の嵐を巻き起こしていた。
「……お前、ちょっと酷いな」
フレアにも理解できず、結果アウロスは『酷いヤツ』の烙印を押される事になったが――――
「そういう訳だから、これからは自分の父親が皇位継承争いの主役だって事を
各々理解しておくように。じゃ、次行くぞ」
全てを飲み込み、アウロスは説明を続けた。
「デウスとは違う、もう1人の反教皇派が……この『ルンストロム』っていうウェンブリーの首座大司教だ。こいつも次期教皇候補の1人」
衣嚢から羽根ペンを取り出し、『ルンストロム』と書いている部分を囲む。
「アウロスのお兄さんって、話を整理する前にどんどん次行くよね」
「こいつは自分勝手なヤツなんだ」
「ヒソヒソと悪口を言うな」
微妙に距離感の縮まったマルテとフレアの姿に少し満足しつつ、アウロスは両者の頭を軽くはたく。
「痛いなーもう……でも、ウェンブリーからも立候補する人いるんだね。
お兄さん、確かウェンブリー出身だよね? もしかして顔見知りだったりする?」
「いや、面識はない。ただ、デウスが警戒してたから、相当厄介な老人みたいだ」
そして――――ミストが目指す頂に君臨している、第二聖地ウェンブリーの顔。
本来は幹部位階3位の総大司教ミルナ=シュバインタイガーが頂点に君臨しているのだが、実質的な長はこのルンストロムと言われている。
「以上の3組が、教皇の座を争ってる。つまり……お前等の父親は敵同士だ」
「ならばお前も敵だな」
「えぇぇ!? 組んで間もないのにいきなり対立!?」
睨み付けてくるフレアに、マルテは本気で怯えた。
「冗談だ。本気にする奴があるか」
「いやいやいや! 本気の目してたもん! っていうか、連日衝撃の事実を突き付けられた僕をもう少し労ろうって!」
そんなマルテの反応に、アウロスは微かに安堵した。
押し潰される心配はまだあるが――――取り敢えずは大丈夫か、と。
「そんな訳で、妙にややこしい関係性だって事がわかったところで、これから俺達がする事を発表する」
「ホントややこしいよね……」
疲れた顔で項垂れるマルテ。
一方、フレアは――――
「私は父の邪魔はしたくない」
真面目な顔でそう断言する。
アウロスは小さく頷き、フレアの意を汲んだ。
その上で告げる。
「これから俺達は……ロベリアと一戦交える」