第8章:失われし物語(3)
「あれ、貴女は確か……」
すでに面識のあるラディが、フレアの痛々しい姿に驚いた顔を浮かべる。
アウロスはまだ彼女のケガのことを話してはいなかった。
「私の父は枢機卿だから、私の見舞客ということにすれば、教会の人間は迂闊に怒ったり指示したりはできない。ただし、バレたら最後だ。
バレないようにしろ」
「あ……うん。そんじゃありがたくその手を使わせて貰うけど……その腕大丈夫なの?」
「大丈夫じゃない。今も痛い。しかもちゃんと動かせるようにはならないらしいから、すごくイヤだ」
「……なんて言うか、素直な子よね」
「まあ、そういう性格みたいだ」
アウロスの呟きに、フレアはムスッとした顔でそっぽを向く。
余り機嫌がよくないのは、痛みからなのか、他に理由があるのか――――
「ま、なんにしても免罪符が出来たことだし、適当にウロついてから宿にもどるぜい。ほんじゃ、期待してて待ってておくんなまし」
「ああ。仕事に関しては期待してる」
瞑目し、掌をヒラヒラさせてラディの背中を見送り、アウロスは開けた目をフレアへと向けた。
「……いつから聞いてた?」
「全部聞いてた。マルテという子供が出ていった直後から盗み聞きしていた」
「あっそ」
余りにも素直すぎる目の前の女性に、アウロスはあらためて自分とはまるで逆の人間だという認識を持った。
ルインともまるで違う。
ラディとも、クレールとも。
当然、ティアやサニアともまったく違う。
少ない知り合いの女性を全員巡ってみたものの、上手い対応の仕方が引き出しの中から出てこない。
この一週間、アウロスは割と悩んでいた。
ルインの事。
これからの事。
そして――――このフレアの事。
枢機卿ロベリアの娘として、戦闘能力の高さを活かして活動していたフレアは、その唯一とも言える親孝行の手段を失いつつある。
隻腕でも、闘うこと自体はできる。
だが、同じように闘うことはできない。
違ったスタイルを身につけるのには、一度身につけたスタイルを全て瓦解させるくらいの心構えが必要だが、それは極めて難しい。
より強い型を持っていればいるほど。
「お前はこれから、何をしようとしている」
だが――――フレアの目はアウロスが驚くほど真っ直ぐだ。
一点の曇りも迷いもない。
イヤだ、痛いという言葉は、本音であって本音に過ぎない。
フレアの目は語っている。
痛かろうと、難しかろうと、必ず父の役に立てる自分になってみせる――――と。
再起を目指すと。
今自分が置かれている、父親へ多大な迷惑をかけている現状を十分に理解してもなお、フレアはそんな目をしていた。
口に出さないのは、迷いがあるからではなく、言う機会を窺っているから。
「……決まってる」
だからアウロスは、先んじて言葉にする。
多少なりとも、対抗意識もあったのかもしれないと自嘲しながら。
「俺がやることなんて、このマラカナンに来た日からずっと変わってない」
だが、一番の理由は別にある。
「『アウロス=エルガーデン』の名を、この国に刻み付ける。永遠に消えないように」
もう一度――――自分を奮い立たせる為。
この歪んだ状況をも利用し、奪われた全てを取りもどし、目的を達成する為。
そして――――
「……その為に、私は必要か」
フレアに、決意を言葉として表明させる為。
それは臨戦者としての腕を失ったも当然の今、彼女に最も必要な事だった。
「お前がいなくても、例え一人でも、俺はやり遂げる。
でも……お前がいると実はかなり助かる」
「なら助かれ。私もお前の力を借りる。父を……助けて欲しい」
フレアは、真っ直ぐな目をしてアウロスへ訴えた。
「私は父を助けたい。父を……私を生かしてくれた父と、生きていきたい」
その目には、いつしか――――涙が浮かんでいた。
予兆なき、しかし正しい涙。
アウロスは理解していた。
フレアがこの8日間、どれだけ苦しんでいたか。
どれだけ自分を怨み、呪い、悔やんでいたか。
それは――――アウロス自身も体験していた感情だったから。
論文を取りあげられた、あの日に。
遠き日のアウロス=エルガーデン。
あの、壁を隔てた隣に確かにいた少年に向けての、やるせない悔恨と懺悔。
だが、今はまだ報告の時ではない。
まだ『ダメだったよ』と言うことはできない。
やれることは残っているのだから。
「頑張ろうな」
「え?」
ポツリと呟いたアウロスの言葉に、フレアが驚いた顔を見せる。
殆ど見せたことのない表情だった。
「お前でも、そんなことをいうのか。ビックリした」
「俺もお前のことはまだ全て知ってはいない。お前も同じだ」
「……なら、ちゃんと教えろ。仲間になるんだったら、知っておかないとダメだ」
「おいおいな」
アウロスはフレアに背を向け、小屋の入り口まで歩を進める。
そして――――
「お前はどうする? マルテ」
「……あ、バレてた?」
「これだけ帰りが遅ければな。で、どうする?」
扉を開け、盗み聞きしていたマルテに二度問いかける。
マルテはバツの悪そうな顔で、俯いてしまった。
「正直言うとさ……僕、どこに行っても役立たずなんだよね。
闘えるわけじゃないし、かといって頭もよくない。雑用だってこの腕じゃ人の半分しか出来ない。っていうか、人扱いもされてないか……はは……」
フレアの実直な吐露が、或いはマルテにも伝染したのか。
これまではずっと封印していた泣き言を漏らす。
このエルアグア教会に侵入を試みた日のクリオネの言葉をずっと気にしていた証でもあった。
「人扱いされないのなら、自分が人間だって叫べばいい」
「それはそうだけど……僕には声高に誇れるものがないよ」
「あるだろ。お前の不貞不貞しさは間違いなく一流だ」
「ちょっ……お兄さん、それはないよー」
半泣きで苦笑するマルテに、アウロスは笑顔を返すことはない。
代わりに、自分にとって大事なものを返す。
「俺も人間扱いされない時代があった。奴隷だったからな。
身体には人に見せられないような醜い傷も沢山ある」
「……え?」
これには、マルテだけでなく、フレアも驚く。
既に知っていたルインや、自ら話したラディだけでなく、ミストが発表会で曝露したため、何気にそこそこの人数が知っている真実。
今更隠す理由もない。
「ま、だからといって痛みがわかるとか、気持ちが理解できるとか言う気はこれっぽっちもないけどな。フレアに対しても同じだ。お前等の気持ちなんて俺にはわからない。だから、一緒に行動する事には意味がある」
「……わからないのに? 何でさ」
「俺にわからない事を、お前がわかってるからだ」
マルテは、不安げに瞳を揺らす。
自分がわかっている事なんてない、と訴えるかのように。
だが――――アウロスはそれを退ける。
同時に、ヒントを与える。
「お前は自分で自覚がないだろうけど、教皇の孫らしい」
「え……?」
ずっと隠していた事実。
父デウスですら、自らが父親だとは決して名乗らなかった。
名乗らない理由を、アウロスは15個ほど予想立ててはいたが、それに対して配慮する義理もない。
「ど、どういう事? 僕が……え? だって……」
「お前はその身分をどうしたい? 要らないか? 利用したいか? 無視したいか? 恩恵に預かりたいか?」
「え?」
間髪入れず問いかけるアウロスの言葉に、マルテは思い悩む事すら許されず、混乱を持て余していた。
「お前は雑用馴れしてる。その手際の良さを活かせるかもしれない。
役に立たないかもしれない。ちょっと活かせるかもしれない。
期待されたほどは役立てないかもしれない」
「あ……えっと……」
「お前は案内役として、エルアグアの街を歩き回っていた。
俺やフレアよりは地理に詳しいだろう。俺はその経験を活用したい。
でも、できないのなら仕方がない。逆に足を引っ張るかもしれないからな。
けど、決定打になるかも……」
「わ、わかったって! そこまで言わなくても、もうわかったよ!」
アウロスの言葉の連打に、マルテは両手を振って対抗した。
「……要するにさ、こんな僕でも利用価値はある、って言ってくれてるんだよね?」
「お前は何もわかってない」
ズイッと、フレアがアウロスの前に立ってマルテに顔を寄せる。
「うわっ! な、何がさ」
「お前がお前自身を信じるのも、私達がお前を信じるのも、お前が私達を信じるのも、全部お前次第だって言ってるんだ、この口悪男は」
「え……?」
口悪男、と言われたアウロスは、若干眉をひそめて首筋を掻く。
「そんなこともわからないのか」
「いや、でも……僕なんて……」
「こういう場合、素直に受け取る人間の方が理解が早いな」
半分呆れ、半分感心を込め、アウロスはフレアの頭を軽くはたいた。
「……なんで叩いた」
「何となくだ」
拗ねるフレアを尻目に、アウロスはマルテと向き合う。
それなりの期間、時間を共にしてきた少年。
投影していた自分自身はもう、そこにはいない。
いるのは、マルテという少年だけだ。
アウロスは――――隻腕という足枷を持て余していたその少年に、左手を差し出した。
「実はお前に一つ助けられたことがある」
「へ? そんな覚えは……あ、最初の案内? 魔術密売の会場に行った時の」
「近い。案内そのものじゃなくて、その時に言われた一言だ」
言いながら思い出す。
その科白は――――
「『投げかけられただけで、それが堪らなく苦痛に感じる時期は誰にでもある。
それは人となりとは関係ない。もし、そんな時期の人間と向き合う事があったら、そう言うモノなんだと理解して接するべき』……って内容だったか」
「よ、よく覚えてるね。そんなの」
「お陰で、間違えずに済んだ」
フレアをチラリと見ながら、アウロスは断言した。
フレアがこの8日間、どれだけ苦しんでいたか――――それを理解し、この日まで待つことが出来たのは、マルテの言葉があってこそ。
アウロスには、腕の機能を失った人間の気持ちはわからない。
厳密には、マルテにだってフレアの気持ちはわからない。
けれど――――経験を活かし、思いやることはできる。
或いは、できないかもしれない。
でも、できるかもしれない。
答えは実践した未来にだけある。
マルテはすでにそれを実践していた。
そしてその未来を、アウロスは受け継いでいた。
「だから、俺はお前を信じる。あとはお前次第だ。自分を信じて自分のしたいようにしてもいいし、俺やフレアを信じて行動を共にしてもいい。
俺らを信じずに、ここで俺らが話したことをデウスたちに密告したら倒す」
「お兄さん……なんでこの流れで最後『倒す』とか言っちゃうのさ?」
「正直、ここでお前に離れられると困る理由の一つが密告だからな。
脅すのもやむなし、だ」
アウロスがそれを実行する可能性はないとわかっていても、強迫は強迫。
言われた人間にしてみれば、心穏やかとはいかない。
それでも――――マルテの結論は既に出ていた。
その結論を告げる為の前置きを語るべく、口を開く。
「思うんだ。『かたっぽ』の僕ってやっぱり、人間じゃないのかなって。あの偉そうな女の人に『おぞましい』って言われたでしょ? あー、やっぱりそうなのかなって。それに僕、教皇様の孫なんでしょ? 僕。なのに人間扱いされないって、それってもう人として終わってるよね?」
「終わってはいない」
「別に終わってないぞ」
アウロスとフレアは同時に発言し、同時にお互いを睨む。
「あのさぁ、そこは……あーもう! いいよもう。せっかく不幸自慢しようと思ってたのに、いきなり話の腰折られたらなんかもうバカバカしくなってきた!」
何かから立ち直った訳でもないが――――マルテの顔は、サバサバとしていた。
「アウロスのお兄さん」
「何だ?」
「正直、まだ何がなんだかわかってないけど……僕はお兄さんがやろうとしてる事を手伝うよ。
それが今、僕が一番したいことだから。その自分を信じてみるよ」
「……その内見つかるさ。お前が自分自身の為にしたい何かが。
その時まで、少し手を貸してくれ。ただし見返りは自分で探せよ」
「ホント……手厳しいよ」
マルテは笑った。
これまで見せたことはあっても、決して心からではなかった笑顔とはまるで違う――――小さくとも深い笑顔で。