第8章:失われし物語(2)
エルアグアで先日行なわれた六聖地首脳会議。
デ・ラ・ペーニャを代表する首座大司教以上の身分の面々が集結したこの会議の内容は、決して大司教以下の身分の魔術士に漏れることはないが、状況的にメインとなる議題は容易に推測できた。
すなわち、教皇ゼロスの体調と、その先の事について。
特に次期教皇についての議論は相当な熱を持って交わされた事は間違いない――――エルアグア教会内は今、そんな話題で持ちきりだ。
「って言うか、なんでここでそんな大事な会議をやったのさ。普通は首都でするんでしょ?」
礼拝堂に隣接した休憩用の小部屋を雑巾掛けしながら、マルテはブツブツ呟く。
片手でありながら、かなりの手際の良さ。
それもそのはず――――このエルアグア教会に身を寄せてから1週間、毎日掃除に明け暮れていたからだ。
「想像する事はできる。でも、検証する事は不可能だから、想像する意味は乏しいな」
「参考までに聞かせてよ。お兄さんはどんな想像をしたのさ?」
そんなマルテの目の前で、同じく雑巾を手に暖炉を拭いている青年――――アウロスは顎に手を当てて思案する。
「……逆に聞くけど、本来首都でするはずの首脳会談を、首都でしない理由は何が考えられる?」
「え? わ、わかんないよそんなの。会議室が予約でいっぱいだったんじゃないの?」
「首脳会談より優先する会議があるのなら、参加してみたいけどな」
呆れ気味に唱え、アウロスは雑巾を指先に引っかけ、クルクルと回した。
「各聖地の代表が集う首脳会議だ。そこには当然、国家レベルの機密がある。
万が一にも他国に知られる訳にはいかない」
「それって……スパイがいるかも知れないってこと? でもそれだと、ここでやっても変わらない気が……」
「それ以前に、このエルアグア教会で会談をしたことが、教会内に知れ渡ってる。
機密の漏洩にしろ、首脳陣の護衛の問題にしろ、秘密裏に行う上での問題じゃないってのは明らかだ」
回っていた雑巾が、天井へ向かって舞う。
その雑巾へ向けて、アウロスは緑魔術を放った。
殺傷力のない、少し強めの風に押され、雑巾はベチッと音を立てて天井に張り付く。
「つまり、それ以外の理由があるって事になる」
すぐに剥がれ、落ちてきた雑巾を受け取りながら、アウロスは落ち着いた声で『それ以外の理由』についての解説を続けた。
「考えられるのは一つしかない。このエルアグア教会、若しくはエルアグアという都市で首脳会談を行うことが、お偉いさんにとって都合がよかったからだ」
「……その都合って何さ? っていうか、今の魔術は何の意味があって?」
「天井に羽虫の死骸がついてただけだ」
そう告げ、キャッチした雑巾を机の上に放り投げつつ、アウロスは最寄りの椅子に腰掛けた。
「このエルアグアの一番の特色は、当然『水没都市』ってところ。観光地としては国内屈指の知名度を誇っている。その視察……ってのはどうだ?」
「それはさすがにどうかな……」
「そう、あり得ない。観光地の視察を首脳会議のついでにやるようなことはしない。まして、お偉いさんが総出でなんて、あり得ない」
「だったら、視察じゃないってことだよね?」
「……さてな」
マルテの問いに対し、アウロスは言葉を濁した。
自分の知らない、自分以外にも殆ど知られていない何かがこの地にはある。
そう仮定すれば、視察の可能性は十分にある。
今回の皇位継承争いに関わることであれば、可能性は更に高まるだろう。
「その検証をしようがないから、無意味な想像ってことだ」
「なんかスッキリしないね……」
雑談を終え、マルテはモヤモヤしたまま口を尖らせる。
「なら、外で休憩してこい。その代わり、水を替えてきてくれ」
「はーい」
アウロスの言葉に従い、マルテは汚水の入った容器を持って部屋を出て。
それを見計らうようなタイミングで――――
「よっと」
煙突から暖炉に向かって人影が落ちてきた。
「あ、あれ? あれれ? にょわーーーーーーーーーーーーーっ!?」
ついでに着地に失敗し、豪快に転げた。
「な、なんでこんなに暖炉がツルッツルなのよ! 掃除に気合い入れすぎ!」
「縄ばしごでも使えばいいだけだろ。ムダにカッコつけるお前が悪い」
「う~……折角の華麗なる登場が……情報屋の見せ場だってのに」
唸りながら立ち上がったのは、アウロスの専属情報屋、ラディ。
専属なので当然、アウロスの所属が変わろうとも関係は変わらない。
ただし、今のアウロスには行動の自由はないので、ラディから教会へ出向かなければならない――――という面倒ごとが追加されていた。
正式にエルアグア教会に加わったアウロスには、契約が交わされた。
まず、守秘義務契約。
この教会におけるあらゆる情報を、他言しないというもの。
その他、日常における仕事、行動の制限、食事の回数まで、様々な項目が条件として突きつけられた。
教会勤めとなると、その宗教における規律を遵守するというのは当然のこと。
アウロスは書類にサインをし、承諾の意を示した。
「……で、舌の根も乾かない内に私に情報を流す、と」
「信者でもないのに守る必要は何処にもない。義理もないしな」
この教会へ入る経緯を思い出し、アウロスは珍しく苛立たしい顔を覗かせる。
実際に思い出したのは――――その翌日の事。
あれ以来、ルインはアウロスの前に姿を見せていない。
この地にいるかどうかすら怪しい。
そうなると、話し合いをする機会をいつ作れるかもわからない。
頭痛のタネは尽きない。
「で、どうだった? 何かわかったのか?」
「おうよ。この天翔る情報屋ラディアンス=ルマーニュにかかればどんな情報だってすぐにゲットだかんね」
「ついに天に召されたのか」
「死んでない! 空飛ぶくらい機動力に優れた情報屋っていう普通の解釈してくれりゃいいの! で……えーと、依頼なんだったっけ?」
「……いっぺん頭を掃除してみるか?」
「じょ、冗談だってば! ンな汚いので拭かれたら臭いつくからやめて!」
雑巾をブンブン指で回すアウロスに、ラディは思わず怯む。
「えっと、『このエルアグアにウェンブリーの人間が来てないか』を調べるって事だったね。ウン、いた、いたよー。結構いっぱいいた。観光地だからね」
「人数の問題じゃない」
「えーえー、そこもちゃんと調べてますって」
頷きながら、ラディは自慢のメモ帳を取り出した。
それを暫し眺め――――
「その中で、私が突然大声で叫んだ『ミストが死んだ!?』って言葉に過剰に反応したのが、1人だけいたね」
それは、アウロスが提案した方法。
アウロスが知りたかった事が、簡単にわかる単純かつ効果的な引っかけだ。
つまり――――アウロスは、ミストが送り込んだ間者がいないか調べていた。
今回の論文流出に、ミストが介入していることはほぼ確実。
それなら、論文の漂流先となっているこのエルアグアにミストの間者がいるのは寧ろ自然と言える。
「よし。そいつの名前を教えてくれ」
「ベリー=ベルベット。アンタが雇ってた情報屋よ」
「……やっぱりか」
思わず頭を抱え、アウロスはしかめっ面を作った。
極力表情を変えないようにしていても、こういう場合は致し方ない。
致命的とも言える失態だ。
自らの手で、ミストに情報を与えていたのだから。
「情報屋の立場で言わせて貰えたら、こういう騙し討ちは反則も反則、大反則なんだけどね。
ってか、情報屋全体の信用に関わる問題だから、告発して資格剥奪して貰わないと……」
「いや。可能性を考慮しなかった俺の落ち度だ。それに、彼には別の機会に働いて貰う」
「……どゆ事?」
「多分、お前のブラフで向こうも俺にバレた事は察知済みだろう。
それを逆手にとってやろうと思う」
つまり――――ミストを相手に、情報戦で勝利するということ。
今やウェンブリー魔術学院大学史上最年少の教授という肩書きだけに留まらない、アランテス教会が一目置く人材となったミストの、最も得意分野において真っ向から立ち向かい、論文を取りもどす。
今や青年となった少年は静かに決意していた。
これが、アウロス=エルガーデンの名を魔術士の世界に残す、最後の闘いになると。
だが、現状では勝負にもならない。
今のアウロスは、エルアグア教会に幽閉されているも当然の身だ。
アウロスには、デウスが自分をここへ引っ張ってきた意図がまだ読めていない。
しかも、現在のアウロスは外出すら不自由な状況。
まずは、環境の整備から行わなければならない。
「……で、もう一つについては?」
アウロスは一週間前、ラディに二つの依頼をしていた。
一つは『ミストの間者を探す』。
もう一つは――――
「こっちは簡単だったよん。アンタが最近まで所属してた、四方教会がどうなってるか、でしょ?」
ティアも、デクステラも、サニアも、トリスティも、全員デウスの為に四方教会という組織に所属し、活動を行っていた。
デウスが抜けた今、組織である必要はなくなってしまったのだから、そこにはもう何も残っていないと考えるのが妥当なところだ。
だが、アウロスは敢えて、その四人について調べるよう依頼した。
教会に侵入した8日前、ゲオルギウスに捕らえられ、放逐された四人は――――サニア=インビディアと、トリスティ=モデストはそれぞれ酒場と飲食店で目撃されてるから、まだこの都市にいるね。ティア=クレメンも虚ろな顔で街を歩いている姿が視認されてる。デクステラって人は不明。もうこの都市にはいないかもね」
「……三人か」
そう呟きつつ、アウロスは少し不満な顔を覗かせた。
「できれば、残りの一人の所在も探し出して欲しい。追加依頼って形で構わない」
「まあ、依頼が増えるのはこっちとしても助かるけど……支払いのメドはあんの? こんなトコで掃除任されてるヤツに、いい給料が支払われる気しないんだけど」
「もし払えなかったら、ウェンブリーにいるマスターの酒場を売ってでも支払うから安心しろ」
「いや、あそこ私の将来のお家だし」
どっちの物でもなかった。
「ま、その辺の心配はしてないけどさ。そんじゃ、探ってみますか」
「頼むな。正直なところ、今はお前が頼りだ」
何気なく告げたアウロスのそんな一声に――――
「任せときなさい!」
ラディは満面の笑みで親指を立てた。
しかしその笑みが、徐々にしおしおになっていく。
「どうした? 何か不安でもあるのか? 例えばここから出ていく方法を考えてなかったとか。
いや、天翔る情報屋がそんな事を考える必要はないか。飛べばいいんだから」
「イジメだ! 陰湿なイジメをする人がいます先生!」
当然、ここに先生はいないので――――
「うう……ここって離れになってるから屋根裏へは侵入し易いんだけど、窓もないし教会と直で繋がってるから、煙突以外から出ていくのはムリなんだよね……」
「そこまで理解していて縄ばしごを使わなかったお前に忠告したい。お前はいつか必ず自分のアホに殺されると」
「言わないで! 私の中のアホがヒタヒタ迫ってくるから!」
耳を塞いでイヤイヤをしながら頭を左右へ振るラディ。
そんな喧噪の中、ノックもなく小屋の扉が開く。
「私の見舞客ということにして、堂々と出ていけばいい」
「……フレア?」
振り向いたアウロスの視界には、まだ痛々しい包帯を右腕に巻いたフレアの姿があった。