第7章:革命児と魔術士の王(26)
「……バカな娘だ。直接聞けばいいものを」
すっかり怒気の抜けたロベリアは、呆れ気味にそう漏らす。
勿論、心底呆れている訳ではなく、その顔は柔和な色彩に染まっていた。
「いや……バカなのは私の方か。仕事に没頭する余り、家族として本来取るべきコミュニケーションが不足していたのかもしれん」
「どの家庭にも起こり得る問題だ。卑下するほどの事でもないさ」
デウスは苦笑しながら、肩を竦める。
そんな隣の人物に、アウロスは半眼を寄せた。
そのアウロスには、一つ疑問に思っていた事がある。
デウスとロベリアの関係。
ロベリア曰く、デウスは『現教皇猊下の御子息』。
となれば、教会における存在は、枢機卿すらも凌駕する。
いわゆる『王子』とは異なるものの、やはり教皇の息子というのは特別。
そんな人物が、無類の強さを誇り、教会を出て独特の持論を振りかざしているとあれば、厄介極まりない存在だ。
だから、ロベリアがデウスを苦手にしているのは理解の及ぶところだし、事実そういう素振りも多々見せている。
だが――――デウスがロベリアをどう思っているのかは、今一つ把握できていない。
アウロスが初めてロベリアと対峙した際、デウスは明らかにロベリアを見下していた。
教皇の息子という血筋から来る傲慢さ――――ではない。
一人間として、自分がより優れているという態度だった。
しかし、今のデウスは、寧ろ親しげにロベリアと話している。
見下している相手に対しての、遠慮のない態度。
そう取る事も可能ではある。
だが、それだけではない何かを、アウロスは言葉の節々に感じていた。
「……デウス。教会に戻る気はないのか?」
そんなアウロスの思考をなぞるように。
ロベリアは、今までとは異なるニュアンスで、デウスに語り掛ける。
それだけでも、2人の間には身分とはまた異なる何か別の関連性がある、と推測できた。
「お前が教会に残っていれば、今の騒動が起こる事もなかっただろう」
「何言ってんだ? 教会は世襲制じゃないんだ。俺がいようがいまいが関係ないだろうが」
「関係はある。お前が教皇にならなかったとしても、お前が中心となって次の教皇を決める事はできたのだからな。一枚岩となって」
ロベリアの言葉は、紛れもなくデウスへの絶対的信頼。
これまでの態度とは正反対の言葉に、アウロスは思わず眉をひそめる。
だが――――この場には、最早飾り立てるべき人物もいない。
こちらが本音という判断をせざるを得ない。
「デウス。教会の現状は誰よりお前が知っているだろう」
「ああ。腐り切ってやがる。だから俺はとっくに見切りをつけた。
代わりに四方教会がデ・ラ・ペーニャを仕切る。俺は教皇じゃなく、国王となってこの間違った国を正しい方向へ導く」
「……それでは、ダメなんだ」
いつものデウス節に対し――――ロベリアは搾り出すような声で、それを否定した。
「私は、或いはそれでもいいと思っていた。外部から、今の教会を破壊し、そうする事で未来が拓かれる可能性があると。だから、お前等の活動を見過ごしていたところもある」
「そうかい」
「だが……教会は『腐りすぎた』。外部からどうこうできる段階ではないほどにな」
そう語るロベリアの姿を、フレアは不安そうに眺めている。
父親の苦悩する姿は、これまでに何度も見てきた筈だった。
だが、その苦悩の質が違う。
フレアの目が、そう語っていた。
「それは、思想的な問題って事なのか?」
沈黙を守っていたアウロスが、不躾に問う。
アウロス自身、この問題には関心があった。
魔術士だろうとなかろうと、教会は魔術を使う人間にとっては、重要な機関。
何より、今は論文の終着点。
我関せず、とはいかない。
「……そうとも言えるし、そうでないとも言える」
ロベリアの答えは、答えにはなっていなかった。
「ま、教会の腐り具合は今の俺には関係ない。俺がここへ来た目的は、そんな事を聞きにきたんじゃないからな」
スッと、デウスは音もなく立ち上がる。
その顔からは、温和な色は消えていた。
「ウチのガキを攫ったのは、お前等の仕業か?」
代わりに浮かんだ色は――――黒。
一面の黒。
それはまるで、闇夜が迫ってくるかのような、有無を言わせない圧迫感。
殺気ではないが、下手したらそれ以上の圧。
ロベリアだけでなく、アウロス、フレアも緊張感を帯びるほどの。
「私は関与していない。だが、答えは『肯定』だ」
「……ありがとうよ」
「『借り』を返したに過ぎん」
ロベリアの素っ気ない言葉に、デウスは笑う。
四方教会の拠点では、決して見せない種類の笑顔で。
そしてそのまま、枢機卿に背を向ける。
この空間に、教会2位の面影はない。
あるのは――――父親と父親の会話のみ。
何処にでもある日常。
だが、何処にもないような一幕。
デウスの身体が隆起しているように、アウロスには見えた。
「グランド・ノヴァ……だったか。マルテはその派閥の連中に攫われた?」
「確証はない。だが、彼がいなくなったのだとしたら、その可能性は高いだろう。
この男……デウスに子供がいる事は、我等も把握している。ならば、どのように利用するにしても、確保しておいて損はない」
それまでの、父子の心情を色濃く反映した空間は、気付けば子を物のように語る空間と化していた。
それもまた――――この世の一つの姿。
デウスが一足早く応接室を出て行く中、アウロスは疲労感を覚えながらも、ゆっくり立ち上がった。
「俺も一つ、アンタに聞きたい事がある。一つ借りを作るんで、質問に答えて欲しい」
「君は……見た所まだ若いようだが、随分と生き急いでいるな」
枢機卿への憮然とした態度――――ではなく、先回りした言葉に対してロベリアは呆れ気味に述べる。
アウロスは今更それを説明する気にはなれず、肯定と判断して質問をぶつけた。
「【魔術編綴時におけるルーリング作業の高速化】、という論文に心当りはないか?」
このエルアグアへ来て、ようやくする事が出来た、直接的かつ核心を突いた質問。
答えは――――
「いや。知らないな」
期待したものではなかった。
だが、徒労という訳ではない。
「……なら、借りを一つ追加。もしその論文、若しくはこのタイトルから連想できる技術に関して何か知る機会があったら、俺に教えて欲しい。諜報ギルドの『1224』に伝言をしてくれれば助かる」
「君は意外に、借金を作る事に抵抗がないタイプかね?」
「返す見通しのある額なら」
そのやり取りは、雑談以上のものではなかったが――――
「わかった。では、早速借りを使おう」
その見返りは余りに大きかった。
「他でもない、フレアの事だ」
ロベルトの言葉が聞こえる前に、アウロスは部屋の入り口の傍で突っ立ったままのフレアに目を向けていた。
前半以外は殆ど話に参加する余地がなく、暇を持て余している――――という訳でもないらしく、フレアの顔は緊張を帯びたまま。
デウスの気にあてられたのもあるが、父親の心情が伝染している事は間違いない。
単純明快。
フレアは、実にわかりやすい少女だった。
「この娘は、余り社会経験が豊かとは言えない。本来は私がそれを教える立場なのだが、忙しさにかまけ、余り父らしい事が出来なかった」
「その場合、人を雇って親代わりをさせるのが定石だと思うが」
「本人が拒否するものでな」
フレアはその言葉に、コクリと頷く。
「なんで?」
「なんとなく」
答えになっていない――――訳ではない。
もしアウロスが同じ立場なら、同じように答えたかも知れない。
これは、理屈だけの問題でもないのだから。
「だから、出来るだけ父の近くにいようとした」
「それで暗殺者まがいの技術を身につけた……か。単純ってより、バカだな」
「我が娘ながら、否定はできん」
「いや、アンタも辞めさせろよ。親も十分バカだ」
枢機卿にそのような言葉を投げつける人間が、果たしてこの世にどれだけいるのか。
「それも否定できんな」
そして、許される人間となると、最早数える必要もない。
だが、アウロスの価値観は、そこに何も見出しはしない。
一切表情を変えることなく、視線をフレアに向け直す。
「……バカとはなんだ。私は私の思うままに生きているだけだ」
「それがバカなんだよ」
だが、フレアと向き合うと、それが直ぐに崩れた。
特に意味があるわけではない。
あるとすれば――――
「俺もバカだからな。良くわかる」
そこに鏡があるようにも思えた故だった。
「君に頼みがある。いや、借りを返して貰う」
突然、ロベリアが立ち上がり――――頭を下げる。
「フレアを、宜しくお願いできるだろうか」
「……言っている意味が良くわからないんだけど」
「君の言うように、私はバカだった。浅はかと言い換える事も出来る。
娘が自分の傍にいる為に、危うい人生を送る事を傍観していた。
悪い気分じゃなかったからだ」
「素直に喜んでたって言ってやれ。それがコイツの願いなんだから」
「そうだな……私は、嬉しかったんだ。喜ばしかった」
フレアは、父が喜ぶ事を願っていた。
だが、実は無意味な事だった。
何故なら、彼女は既にそれを果たしていたのだから。
その事実を前に――――フレアはただ、狼狽えていた。
「だが、もうそういう訳にはいかない。これから、皇位継承争いは熾烈を極める事になる。
今のままでは、フレアにも危険が及ぶかもしれない。実際、デウスの子は既に巻き込まれたのかもしれんのだからな」
「……」
フレアの顔が、更に狼狽の色を濃くする。
本当は、『お父さん……』とでも呼びかけたいのかもしれない。
だが、それすらも出来ない。
あれほどに単純明快な性格なのに。
フレアは、そういう少女だった。
「だから、君に暫くこの子を預けたい」
「……いや、それは」
「借りは、返して貰おう」
二の句が繋げず、アウロスは珍しく一歩後退った。
「不躾な娘だが、心だけはこの時代に逆行するように、清らかだと断言できる。
器量も良い。これは決して親バカではなく、客観的見解に基づく評価だ」
「ちょっと待て。話が変な方向に行ってるぞ」
「娘を頼む」
「……いや、だから」
斯くして――――
アウロスは、枢機卿の娘と親公認の仲(?)になった。