第7章:革命児と魔術士の王(22)
世界最大の規模を誇る宗教団体、アランテス教会。
その教徒たる魔術士は、デ・ラ・ペーニャにおいて最大の勢力である事は、誰であっても異論なき事実だ。
では、そのアランテス教会の脅威となり得る勢力が存在し得るのか。
あるとすれば、それは教会の実状を知り尽くし、同時に圧倒的な才能を有した人物がアランテス教会を壊滅させる為だけに、それに必要な組織を作り上げた場合。
つまり――――枢機卿と旧知の仲で、その枢機卿が恐れる才能を有したデウス、そしてそのデウスが作り上げた組織、四方教会は、十分にその条件を満たしていた。
現在は決して大きな組織ではないが、いずれは脅威となり得る。
その未来図は、既にかなり克明に描かれていた。
だが、その描き手がいなくなった今――――
「……」
四方教会は、抜け殻と化していた。
デウスの失踪に対し、各々思うところは山ほどある筈だが、誰もそれを口には出さない。
その内容が希望的観測に過ぎないと、自覚しているからだ。
そして、誰かにそれを否定される事を、皆恐れていた。
『デウスは四方教会を捨てて、息子の救済に向かった』
そう結論付けられる事を。
それはそれで、人として一つの道ではある。
だが、結局のところ、自分達が天秤に掛けられ、そして持ち上げられた事は間違いない。
サニアを含む全員が、明らかに落ち込んでいた。
ティアに至っては、部屋から一歩も出てこない。
生命の心配すら必要なほどに衰弱していた。
そんな中、代表代理を任されているアウロスはというと――――
「いーの? そんな状況で、私と密会なんてしてて」
【クエスタ】の酒場で、ラディと席を共にしていた。
「……密会?」
「そりゃ密会でしょ。私の事、その人達には言ってないんでしょ? やーね、もう。そんなに私を紹介するのが恥ずかしいの? もう付き合い長いんだし、そろそろいいじゃないの? もっとちゃんと考えてよ!」
「なんで急に怒り出したのか全くわからないが、お前を紹介するような空気じゃない」
「ま、そうかもねー。要は捨てられたワケでしょ? ロス君ですら、ミストにクビ切られて逃亡したコトあったくらいだし」
不本意な比較に対し、アウロスは眉間に皺を寄せて抗議を行ったが、ラディは一切気付く事はなく、目の前の肉料理を肉食動物の如くむさぼっていた。
「けど、むにゅむにゅ、はぐはぐ、もうげきゅげきゅ、ごきゅごきゅ、ぷはー、なんでしょ?」
「食うか喋るかどっちかにしてくれ……」
「けど、そのデウスって人がいなくなったんなら、もう四方教会ってトコにロス君がいる意味ってないんでしょ? もう私っていう最強の情報屋を手に入れたワケだしさ」
最強かどうかはともかく――――ラディの指摘は正論だった。
アウロスが四方教会に留まっていた理由は、四方教会の持つ情報網を利用し、自身の論文の在処を探る為。
その内の一つをアウロスは利用していたが、結局役には立たず、ラディと再契約する事となった。
それでも、デウスがより質の高い情報網を持っている可能性はあったが、そのデウスが不在となれば、四方教会にいる意味はかなり薄い。
寧ろ、余計なトラブルに巻き込まれる可能性を考慮すれば、所属する事によるデメリットばかりが目立つ事になる。
「お前、あそこからいなくなる気か?」
不意に、隣のテーブルからそんな声が届く。
「……監視のつもりなのか? それで」
アウロスは半眼で、その方向にいるフレアを睨んだ。
変装しているつもりらしく、目の部分に穴の空いた仮面を装着しているが、そもそも話しかけてくる時点で無意味。
それ以前に、最初からアウロスはその存在に気付いていた。
「監視じゃない。私はフレアじゃない。ただの立ち聞き人だ」
「立ち聞き人……聞いた事もない役目だな」
「そんな事はどうでもいい。抜けるのか?」
相変わらず率直に聞いてくるフレアに、アウロスよりラディの方が興味を示す。
「ねー。フレアちゃんだっけ? そのお面、幾らした? ちょっと欲しいかも」
「これは売り物じゃない。自分で作った」
「うわ、マジかよ! ロス君、あんたの愛人中々やるねー」
弄られる事に不快さを覚えたアウロスは、目の前の料理を魔術で凍らせた。
「ぎゃーっ!? 何すんだ何すんだ! あうう……折角のお肉がカチンコチン」
「それより、質問に答えろ」
そんな実力行使を目の当たりにしても動じないフレアに、アウロスは思わず息を落とす。
「……今のところは、抜ける気はない」
「そうなのか。なら、監視続行だ」
「監視じゃないって言ってたの、もう忘れたのか」
「間違えた。立ち聞き続行だ。私に構わず話を続けろ」
仮面の女はぷいっと明後日の方向を向き、話をそこで終えた。
「……あーあ。で、なんで脱会しないの? 見捨てられた人達が可哀想だから?」
「そんな事でいちいち自分の身の振り方を変える訳がない。ただ……」
アウロスの中には、二つの事が引っ掛かっていた。
一つは、マルテの事。
ここで四方教会から脱会するという事は、マルテの危機に対し背を向ける事に等しい。
それほど長い付き合いでもなければ、特段親しい訳でもない。
だが、人としての情が全く通っていない訳でもない。
隻腕となった過程を聞いた事も、多少は響いている。
ウェンブリー魔術学院大学に入る前の自分なら、この結論を出したかどうか――――そんな無意味な仮定を頭の中に浮かべつつ、アウロスは小さく溜息を吐いた。
「あに? 妙に溜め作ってるけど」
「いや。なんて言うか、ちょっと代表代理を任された事が、少し引っ掛かってて」
マルテの事には触れず、アウロスはもう一つの引っかかりに言及した。
「他の人達がウジウジ、オロオロしそうだから、冷血なロス君に任せたんじゃないの?」
「冷血……ま、いいけど。その推論には異論はない」
ないが――――他の意図もあるかもしれない。
アウロスはそう認識していた。
そこには、ここまでの過程の中で、少なからずデウスから『誘導』されている節がある、と思っているからだ。
例えば、マルテが息子である事を断言した点。
その事で、マルテに対する関心が一つ増えている。
同じように、代表代理という役割を与えられた事で、四方教会の繋がりを断ち辛くなっている。
もし、この一連の流れが、『アウロスは新たな情報屋を得て、四方教会にこれ以上留まる理由がなくなった』という事態を見越しての対抗策だとしたら――――
「……バカバカしい」
そこまでの自己評価はとてもできず、アウロスは思わず肩を竦める。
自分を四方教会に残留させる為、そこまでデウスが策を講じるというのは幾ら買っている相手といっても、やり過ぎだ。
客観的に評価しても、あり得ない事だった。
「何がバカバカしいのかは知んないけど、結局居残り確定って事よね?
んじゃ、私の仕事はどうなんの? そのデウスって人とか、マルテ君って少年を探す?」
「いや、それはいい。他の連中がやってるだろう。お前には、論文の捜索を全力でやって貰う。で、進展は?」
ここに来た主目的をようやく告げたアウロスに、ラディの不敵な笑みが浮かぶ。
「ふっふっふ……この悠久の情報屋が、なんの手土産もなくノコノコ依頼人の前に現れると思う?」
「思う。けど、一応最後まで聞いてみよう」
「しっ、失礼な! ちゃんと仕事しましたから! 前任の失敗を踏まえて、別のアプローチで論文が流れそうなルートを探りましたから!」
ラディという女は、性格はスチャラカながら、仕事はできる。
アウロスが彼女を重宝する理由は、そこにある。
「まあ、流石にこの短期間で現物の発見は無理だったけど、他の研究論文とか、闇市場に流れてる類似品とかの入手方法、流れるルート、流れ着く場所、相手を100例持ってきたから、そこから傾向と対策を練るって作戦を提案するけど、どう?」
「……なんでその論理的思考を、私生活の方にも回せないのか」
「うっさい! で、これが100例のリスト。綺麗にまとめてるから、目を通して」
安価の羊皮紙の束を取り出したラディは、それをテーブルの上にどっさりと乗せた。
綺麗に……という言葉には明らかに語弊があるものの、そこには闇市場に流れた様々な物品、特に論文に性質の似た物に関する『例』が多数書き込まれている。
例えば、ある区域にて行われている横領に関する内部告発をまとめた資料。
これは、資料をまとめた人間が『意図的に』闇市場に流したという。
自分自身を特定させない為だ。
その後、流れた資料は、ある情報屋が買い取る。
そして、その横領を行った人物が失墜することで益を得る者に売り、資料はその人物の手に渡った。
その結果、横領は明るみに出て、資料内に記されていた犯罪者は領主によって流刑に処せられた。
このような話が、実に100例も載っている。
そこに【魔術編綴時におけるルーリング作業の高速化】の論文はないが、例に倣う事で、どういったルートで誰の手に渡っている可能性が高いかを検証する事ができる訳だ。
「ざっと見る限り……情報屋が一旦買い取るパターンが多いな」
「ま、情報屋なら、そのブツを活かせる人脈をいっぱい握ってるってのが大きいって事よね。けど、ここらの情報屋でロス君の論文を買い取った人はいねーぜ。それくらいはとっくに調べたし」
「その仕事の速さを、どうして日常に活かせないのか」
「う、うっさいな! それより、どうなの? 他に何か見えてきたりしない? ちなみに私はもうお手上げなんで、後はロス君にお任せ」
匙を投げたラディは、凍った肉にガチガチ歯を当て始めた。
一方、アウロスは資料を睨み付けながら、試案を練る。
思案ではなく、試案。
研究を行う上では必要なプロセス。
それを、研究論文を探す為に試みるのは、最大級の皮肉ではあった。
「なんか、いろいろ小難しいな」
いつの間にか、フレアが傍に立って、資料の一部を眺めている。
仮面をしている為、物を食べたり飲んだりできない分、暇らしい。
「なになに、『ケース98 盗まれた心』? 闇市場に流れた一通のラブレターが何人も介して行き着いたのは、10年後の正式な受取人だった。なんだコレ」
「あー。それはね、なんかロマンティックだったからちょっと入れてみたのよ。なんでも、暗殺者に恋した女性が、暗殺者に届く可能性を信じて、ラブレターを闇市場に流したんだって。そしたら、10年経ってホントにその暗殺者に届いたんだって。スゴいでしょー?」
「凄い。なんか、かっこいい」
フレアは素直に感動していた。
「でしょでしょ? でも、皮肉にもその暗殺者、その頃にはもう暗殺家業から手を洗ってる訳。そのラブレターの差出人は、暗殺者の彼が好きなのよ。だから、気持ちには答えられない……くーっ、切ないねぇ! 泣けるねぇ!」
「泣けないけど、なんか良い話っぽい気はする」
「うんうん、フレアちゃんは話がわかる良い子ね。ロス君もちっとはこういう純粋な心を見習いなさい。日頃から言葉の裏を読むとか、駆け引きとか、そんな事ばっか考えてないで……」
講釈を垂れ始めたラディは、アウロスの表情の変化に気付く。
それは――――何らかの筋道が見えた時の顔だった。
「お前等、お手柄。好きな物奢るから、注文しろ」
「え!? 何その太っ腹モード! ロス君ってそんな事する人だったっけ!?」
「正直、俺の発想じゃ絶対出てこない『可能性』だったからな。それくらいはする」
「じゃ、御言葉に甘えて一番高い肉を! フレアちゃんは?」
「……仮面が取れないから、何も食べられない」
「いや、もうバレちゃってるから、取っていいのよ?」
妙に仲良くなったラディとフレアが交流を深める中、アウロスは真剣な目でケース98の書かれた羊皮紙をじっと凝視していた。