第7章:革命児と魔術士の王(21)
再会、そして襲撃――――様々な出来事に心を乱されたこの日は、明らかに異質だった。
そして、このような『異質』は連なるもの。
それは偶然の因子である事も、必然の因子である事も否定できない。
事実、アウロスはこれまでに何度も、それを体験してきた。
いい事は連鎖する。
悪い事も連鎖する。
そして、この日もまた、それは同じ結論に至らざるを得ない――――
そう確信したのは、四方教会の根城に戻って来た直後だった。
「……マルテが拉致された?」
フレアと共に、古書をデウスの部屋へと届けたアウロスは、思わず眉をひそめる。
左側の頭は、魔術によって縮れた髪を剃り落としている為、一部おかしな髪型になっていた。
尤も、それを指摘し笑うような雰囲気は、既に存在しない。
「ティアと共に、年配者の家を訪問するボランティアをやっていた最中、数人の男達に連れて行かれたらしい」
自分の机に肘を突きながら、そう説明するデウスの顔は、明らかにこれまでの彼とは違っていた。
常に余裕をもって構えていたその雰囲気が、影を潜めている。
それも意外な事ではあったが、何より意外なのは――――
「なんで、マルテが?」
アウロスと同じく、まだ四方教会に身を寄せてまもない少年が拉致された事実。
無論、誘拐し易さという意味では、唯一戦闘力に乏しいマルテが狙われるのは必然ではある。
だが、同時に『切り捨てられ易さ』も一番。
人質としての価値は、決して高いとは言えない。
或いは、その事を把握していない面々による犯行の可能性もあるが、それならデウスが余裕をなくす筈もない。
「私は、その理由がわかる」
突然、フレアがポツリと呟く。
その意外な言葉に、アウロスは隣に立つ枢機卿の娘に目を向けた。
「……どういう事だ?」
「マルテというのは、この男の子供」
その目が映す光景は――――指を差すフレアの姿。
その指先は、デウスに向けられていた。
つまり――――
「……マルテが、デウスの……子供?」
「そうだ。だから私は、お前と、そのマルテという子供の監視を命じられている」
「道理で、この隠れ家までついて来る訳だ」
まだ痛みの残る頭を抑えつつ、アウロスは嘆息した。
この間、デウスは一切発言をしていない。
否定なき沈黙は肯定――――とは限らないが、現時点でフレアの話を否定する材料もない。
まして、デウスと四方教会を敵視している枢機卿の娘。
デウスのアキレス腱となり得るこの事実を知っていても、不思議ではない。
「ふう……」
不意に、デウスが大きく息を吐く。
珍しい事だった。
「説明の手間が省けた、という事にしておこう」
「って事は、今の話は本当なのか」
「隠しても仕方ない。その通りだ。お前なら、俺の動揺を見抜いているだろうしな」
その言葉と同時に、デウスはこれまで以上に不安や苛立ちを表情に現わした。
「マルテは、その事を知ってるのか?」
「いや。だから、アイツを保護したのも、教育を施しているのも、息子としてではなくあくまで一個人として、という姿勢を貫いている。ティアに預けたのも、過保護という訳ではなく、新人教育としては妥当な範囲だろう。どう思う?」
まるで、自分自身に言い聞かせるような物言いで、デウスは確認を求めた。
「今は過保護かどうかの議論をしてる場合じゃないと思うが」
「その通りだ。これからすべき事は、犯人と目的の特定……だが」
それに関しては、既に容易に行える。
この誘拐劇は、マルテがデウスの子供であるという事を把握している勢力以外行う意味がないのだから。
「恐らく、前回と同じように、向こうから連絡が来るだろう。尤も、今度は相当強気に出て来るだろうがな。恐らく、交渉役には俺を指名してくるだろう」
そこまで告げ、デウスはフレアに視線を向けた。
「……交渉のカードを調達する気か?」
その視線に、アウロスは思わずそう問う。
目には目を。
歯には歯を。
なにしろ、ここには枢機卿の子供がいるのだから。
「いや。恐らく意味がない。だからこそ、この娘はここにいるんだろう」
「……」
それは――――本来、フレアへの死刑宣告に等しい文言。
敵の子供を誘拐するという事は、子供だからこそ人質の価値がある、と判断している故。
当然、自分の子供が……という発想もない筈がない。
にも拘らず、四方教会の監視役として送り込まれているというのは、フレアに人質としての価値はないと言っているようなものだ。
しかしそれは、フレアが『父親の指示の元』ここにいる事が大前提。
実際、デウスはそう判断しているからこそ、前言を告げた。
上の指示なく、下の人間が動く、それも監視という役を担う事はあり得ない。
当然の判断だ。
だが、アウロスは知っている。
フレアという人物が、その常識論を無視しかねないという事を。
父親に褒めて貰いたくて、勝手に行動している可能性もあるという事を。
しかし、アウロスがその事実を話す事はなかった。
「という訳で、アウロス。以上の事を踏まえて、お前に一つ頼みがある」
「同行なら、自分の部下に頼め。何でもかんでも付き合う気はない」
「いや。そうじゃない」
読みが外れ、アウロスは右目の瞼を落とす。
怪訝さが生じた心理の表れだった。
「お前に、この四方教会の代表代理に就任して貰いたい」
それは――――余りに突飛な『頼み』だった。
その日の夜。
デウス、マルテの親子を除く四方教会の面々は、デクステラの部屋に集まり、
今回の件に関する自主的なミーティングを開いていた。
「……」
その中にあって、異彩を放っている人物が一人。
ティアは死人のような顔色で、終始瞳孔が開いたまま、部屋の隅で膝を抱え座っている。
マルテが拉致されたのは、彼女の目の前。
当然、抵抗を試みたものの、出し抜かれてしまったとの事で、責任を感じるのも仕方のない状況ではあったが――――
「ティア。いつまで塞ぎ込んでいる?」
「仕方ないって、ティアっち。相手何人もいたんだろ? 保身だけならともかく、マルテっちまで守るのは無理だってば」
その落ち込みようは尋常ではなく、デクステラとトリスティの言葉もまるで耳に届いていない。
サニアは依然、ぼーっとしたまま。
集まったはいいが、まるで話し合いにならない。
明らかに、四人は動揺していた。
そしてその動揺は、デウスのものが伝染している事に他ならない。
それを踏まえた上で――――
「そのマルテっちは、デウスの息子らしい」
アウロスは容赦なく真実を告げる。
当然のように、全員の丸くなった目がアウロスへと向けられる。
サニアですら、驚愕の表情を浮かべていた。
「……それは、真か?」
そして、戦闘中でもないのに、明確な言葉を発する。
彼等にとっては、それ程の衝撃だった。
「確証はないけど、デウス自身が肯定してるし、これまでの事を考えても真と判断していいんじゃないか」
「あの子が……デウス様の、御子息……?」
アウロスが返答し終える前に、ティアがプルプルと震え出す。
デウスに子供がいた事。
その子供を任され、守れなかった事。
凶悪な貌をした現実が、ティアを襲っていた。
「私……あ……ああ……あ……」
目に見えて崩壊していくティアを、誰もフォローしない。
或いは、できない。
全員、動揺の上に更なる動揺を上乗せされ、身動きが取れずにいる。
「で、俺がこの四方教会の代表代理を依頼された」
そこに、もう一つ上乗せ。
アウロスは基本、配慮はしても、遠慮はしない性質だった。
「――――!?」
ティアの顔が、更なる刺激によって生気を取り戻す。
それはアウロスの意図通りではあった。
「ちょ、ちょっと……何がどうなってんの? なんかもー、ワケわかんないって!」
取り乱すトリスティは、ある意味性格を反映した反応だったが、一方のデクステラは、アウロスの予想に反し、絶句したまま。
完全に思考が停止している。
女性陣と違い、デウスに子供がいたという事実をそこまで深刻に受け止める理由はないのにも拘らず。
アウロスは怪訝に思いつつも、視線をデクステラから外し、サニアへと向けた。
この中で、最も冷静さを保っていると思われる人物に。
「代理の件に関しては、理解できぬ事もない。この中で唯一、平常心を保てそうなのは貴様だ」
「同意見だ」
「代理を立てた理由は?」
それでも、ある程度の動揺は隠せず、強張った顔のサニアに対し、アウロスは首を左右に振った。
「デウスからは何も聞いてない。息子を取り戻す上で、四方教会から離れて一父親として行動する為……ってのが妥当なところだな」
「なっ……!?」
そんなアウロスの見解に、ティアが衝動的に声を上げる。
「私の所為で、御主人様が……嘘……そんな……」
「落ち着きなって、ティアっち。マルテっちを取り戻すまでの緊急処置だろー? あの人が、四方教会を捨てるワケないよ」
一方、トリスティは意外にも、正確な判断を口にした。
外見上の狼狽えぶりほど、中身は混乱していないらしい。
「いずれにせよ、この話が全て真実となれば、今こそ我らがデウス師を支える時。いつまでも動揺すべきではないぞ、ティア。デクステラ、貴様もだ」
「……ああ。そうだな」
返事をしたのは、デクステラのみ。
ティアは依然として、思い詰めた顔のまま、その身を震わせていた。
その後――――サニアの言葉に従い、デウスを如何に支えるかという内容の話し合いが朝まで行われた。
そして、数日後。
誰に何を告げる事もなく――――四方教会から、デウスの姿が忽然と消えた。