第7章:革命児と魔術士の王(19)
目的地に着けば、馬車から降りるのは当たり前の行為。
しかし、それを行ったアウロスの顔は、失態を演じた時のような苦い表情に自然となっていた。
「……偶々、同じ目的地だった、とでも言いたいのか?」
「そうだ。私もここに用がある」
そう言われる以上、否定する事も出来ず、アウロスは嘆息混じりに歩き出す。
フレアは何の躊躇もなく、その後を追った。
付きまとわれている――――そう確信すると同時に、その理由が今一つ定かではない事に、途方もないストレスが溜まって行く。
アウロスは基本、『見られる』という事に慣れていない。
幼少の頃から、狭い空間に一人でいた。
唯一の友達は、壁の向こう側にいた。
その後、牢獄から出て、次に辿り着いた舞台は、漆黒の闇の中。
夜間に動く事を基本としていた、戦争時における行動は全て、『見られてはいけない』という前提が存在した。
更にその後、酒場、そして大学と、居場所を転々としながらも、アウロスは決してその場における『主役』とはならなかった。
自分を気にかける存在は、殆ど皆無。
酒場のマスターくらいのものだった。
しかも、彼は慈愛に満ちた瞳を向けてくるので、暑苦しくはあっても、不快に感じる事は、余り多くはなかった。
故に、感情の不明な視線で背後からジーッと見られるという状況は、慣れていない。
身体の何処からか、冷や汗のようなものが流れている事を自覚しながら、アウロスは降り立ったその街を、暫しの間闊歩した。
【クエスタ】と言う名前のこの街は、水没都市【エルアグア】の中でも高台に位置する為、水の影響を受ける事がない地域。
ただ、やたら坂が多く、住みやすさという点でいうと、必ずしも快適という訳ではない。
とはいえ、段々畑のような立体感溢れるその街の光景は、それ自体が観光名所と呼ぶに相応しい事から、エルアグアを訪れる人の多くが、このクエスタへも足を運ぶという。
「……いつまで付いてくるんだ」
そんなクエスタの坂道を、息を切らしながら歩くアウロスから離れる事、歩幅8歩分。
見事に等間隔を保ちながら、フレアはその後ろを陣取っていた。
「別に付いてきてはいない。私の目的地と、お前の目的地が一致してるだけ。偶々」
「尾行だったら、せめて隠れる努力くらいしろ……」
「尾行じゃない」
頑ななフレアにこれ以上の問答は無意味と判断したアウロスは、自身の目的の場所へ早足で向かった――――が、所詮は体力なき魔術士の中でも際立って体力のない虚弱人間。
程なく、足の筋肉が悲鳴を上げ、ペースダウンを余儀なくされる。
「お前、体力全然ないな」
「……煩い」
それでもようやく辿り着いたその酒場の入り口で、アウロスは壁に手を吐きながら、息を整えた。
「それで、昼間から酒場に何の用事だ」
その姿に呆れ気味の息を落としつつ、フレアが何の遠慮もなく問う。
「何でそれを、お前に言わなくちゃならないんだよ。お前はお前の目的地に行け」
「私も、ここがそう」
臆面もなく、何処か怒ったような顔で、フレアは堂々と断言した。
そもそも、普段からそういう顔ではあるが。
「……ったく。どうしろってんだ……」
頭を掻きつつ、アウロスはその難題を高速で整理した。
酒場に来た目的は、情報の確認。
四方教会の情報網を利用しながらも、実は独自の情報網も無断で作っていたりする。
大学時代の給与の貯蓄を使い、四方教会の情報屋を一人抱え込み、最優先で論文の在処を調べさせていた。
問題は、その報告手段。
経過を手紙に記載させ、四方教会に郵送する――――と言うのは難しいので、こうして直接出向く事になった。
ただ、このままだと、その情報収集の場面をフレアに見られる事になる。
「おい、枢機卿の娘」
「なんだ、虚弱」
「……俺は今から用事があるから、暫くどっか行ってろ」
「私は別に、お前を追いかけてる訳じゃない。指図も受けない」
やたら頑なだった。
その理由について、暫し考えた後――――
「父親に言いつけるぞ」
発したアウロスの言葉は、元々悪いフレアの目付きを更に悪くした。
それは、苦悶の表情とも言える顔。
効果は覿面だった。
「……勝手にしろ。私は私で用事があるから、勝手にここをウロウロする」
結果、意味不明な言動を残し、フレアは人混みの中に消えていった。
それを確認した後、アウロスはカウンターに向かう。
かつて、酒場で仕事をしていた事もあり、情報屋との接触方法は心得ている。
尤も、地域差があるので、万能な手段ではないが――――
「1,224ユローのお酒、ある?」
「ああ。それなら『二階の奥から三番目の席』で待っていれば、届けるよ」
幸いにも、あっさりと通じた。
ちなみに――――『ユロー』というのは、デ・ラ・ペーニャの通貨単位。
3ユローで、安物のワインやビールを一杯だけ買える程度の金だ。
高級ワインでも、せいぜい100ユロー。
その為、1,224ユローも出して買う酒など、この酒場には存在しない。
あくまでも、この会話は情報を売買する際の暗号的なもの。
1,224というのは、アウロスが利用している情報屋の登録番号だ。
暫く、指定された席で待っていると――――
「……」
これから直ぐに大量虐殺でも始めそうな、凄まじく目付きの悪い男がアウロスの目の前で着席した。
フレアの目付きの悪さなど、この男と比べれば、実に可愛いもの。
身体付きも、極限まで贅肉を絞り落とした、刃物のようなしなやかさ。
情報屋と言われても、誰も信じないような外見だった。
そんな、殺し屋の中に入れても一際目立ちそうな強面男が――――
「あの~、いつもご利用頂き~、ありがとう~、ございます~」
何度もヘコヘコと畏まる。
情報屋ベリー=ベルベットは、腰の低い人物だった。
「今更だけど、その話し方、どうにかならないか? 落差が……」
「すいませ~ん、これが普通なもので~」
「……ま、良いけど。で……」
「はい~、例の件ですね~。お待ち下さい~」
まるで狼のような口元の獰猛さを覗かせつつ、ベリーはテキパキと資料を鞄から出してきた。
世の中、色んな人間がいる。
アウロスは、自分は決して変わり者ではない、と確信した。
「結論から言うと~、見つかりませんでした~」
「そうか……」
落胆――――したい気持ちはあるものの、目の前の人物のやたら間延びした説明と、直ぐにでも店内を蹂躙して客の血でも吸いそうなその外見のギャップに、素直に落ち込めない。
複雑な心境で、アウロスは話を聞いていた。
「……という訳で~、きっとその流れた論文には~、誰かがプロテクトをかけてると思います~」
「やっぱり、そうなるよな」
「その線で調べましたけど~、追跡の途中で~、シャットアウトされました~」
ベリーの情報屋としての格は、街の酒場を根城にしている割には高い。
諜報ギルドの末端と比較しても、上。
アウロスの大学時代の情報屋と、ほぼ同等だった。
「ですから~、他の方を紹介しますね~。その人なら~、もしかしたら~、プロテクトを突破できるかもしれません~。なんでも~、以前大学の研究者と仕事をしていたらしくて~、論文の探索は専門分野と言っています~」
「……何?」
通常なら、適格者を紹介して貰えると喜ぶ場面。
だが、アウロスの顔は真逆の方に歪んだ。
「なんでも~、『悠久の情報屋』という異名を持つそうで~、最近この辺りにやって来た凄腕の情報屋らしいです~」
「いい、要らん。本当に要らない。紹介不要。絶対に近寄らないようにキツく言っといて欲しい。これは俺の人生に関わる極めて重大な問題だ」
「あんでよ! 日頃から最優秀総合特別名誉敢闘奨励情報屋賞をいつ貰ってもいいように受賞コメント準備中の情報屋ラディアンス=ルマーニュの優秀っぷり、もう忘れたっての!?」
ベリーの背後から、ニュッとラディが現れた。
それはもう、ごく不自然に。
「……まさか、お前まで俺を付けてきた訳じゃないだろうな?」
ヘコヘコ何度も頭を下げつつ、ベリーが一階へと下りていく中、アウロスは半分以上落ちていた瞼を少し上げ、ラディの方に視線を向け直した。
「ん?『まで』ってのは聞き捨てならないね。まさか、ルインちゃんもここに来てるの?」
「来てない。そもそも、俺がここにいる事も知らないだろ」
「ほー。それはいいコト聞いちゃったにー」
歯を見せてニッコリ笑う、久しぶりなのか、そうでもないのか微妙な間隔での再会となった情報屋に、アウロスは露骨に眉を顰めた。
「これは、浮気の兆候と見た!」
「……浮気?」
「妻に黙って外出。行き先も告げず。それを実行する男の殆どは浮気が目的さっ! くふっ、普段はやたら能面で朴訥ぶってるクセ、やっぱロスくんも男だねぇ。男だねぇ」
相変わらずの知り合いに、アウロスは沈黙のまま、指輪をした一差し指を立ててちゃちゃっとルーリングを行った。
当然、オートルーリング。
「ぎゃーっ!?」
直ぐさま発生した氷の塊が、ラディの額にヒット。
そのまま背後へ転倒していった。
「……!」
それを、後ろに座っていた客が軽やかに躱す。
軽やかすぎるくらいに。
まるで、常人とはかけ離れた身体能力が必須条件の職業に身を置く者のように。
「……いい加減にしろよ、本当に」
「じょ、冗談だってば。ロスくんがそういうタイプじゃないってコトはそりゃーもう、イヤってほどわかって……あれ?」
一人言い訳に終始していたラディが、ふと気付く。
アウロスの視線が、自分には向いていない事に。
「俺の言った事がわからなかったのか? 本当に言いつけられたいのか?」
「ち、違う。私がここに座ってたのは、本当に偶々。そっちが勝手に近付いて……」
「それを信用しろ、って言うのか?」
アウロスの目に、怒の感情が混じる。
それまでは、控えていた事だった。
「……」
それが効いたかどうかは、知る由もないが――――
フレアは邪魔な位置にいるラディを押しのけ、逃げるようにその場を離れていった。
その後ろ姿を、ラディは目を点にしながら眺め、そして振り返る。
「浮気だ! やりやがったコイツ!」
「なんで今ので浮気なんだ……」
「だって、完全に修羅場だったじゃん、今の空気! そもそも、あんな若い子と知り合いって時点で、もう浮気じゃん! フツー知り合わないでしょ! うっわ、冗談から出たマコト……流石の私も、これにはドン引き」
「勝手に引いてろ。もう知らん」
色々疲れたアウロスは、投げやりにそう告げ、真下の椅子にドカッと腰掛けた。
その様子を何処か嬉しそうに眺めていたラディも、その顔のまま腰を落とす。
「久しぶり。元気してた?」
「何故最初から、その体で接してこない」
「や、流石に照れるしさ……ホラ、さっきも言ってたけど、なんか追っかけて来ちゃった、みたいに思われるのイヤじゃん」
「さっきの一連の流れの何処に、それを否定する要素があった……?」
「ま、それは置いといて。なーんか、面倒な事になってるみたいじゃない?」
ラディは窮地に現れた頼りになる仲間、を演出したいのか、妙に気取った様子で事情聴取を始めた。
それに対し、心の底から嘆息する一方で、その心が少し軽くなった事もアウロスは自覚した。
5年や10年、共にいた訳ではない。
それでも、ラディという情報屋には、そう思わせる雰囲気がある。
過酷な運命を背負いながらも。
そんな彼女の登場に、アウロスは安堵すら感じていた。
「……ま、何事も円滑にはいかない人生だから、仕方ない。誰だって似たようなものだしな」
「そういうコトね。で、少しでも目的に近付く為に、最善を尽くす……っていうのがロスくんよね。つ・ま・り……」
ラディは掌をクルッと返し、上に向けた状態でアウロスに差し出す。
当然、握手を求めている訳ではない。
「またヨロしく」
「……」
アウロスは一度小さく息を吐き、本日の情報料として用意していた銅貨の入った革袋を、その上に乗せた。
「……取り敢えずこの辺りに来てみたはいいけど、全然馴染めなくて客もとれないもんだから、死に物狂いで知り合いを探して、どうにかこうにか俺を発見した……ってとこだろうけど、こっちこそ宜しく」
「そ、そんなワケないじゃない。この何処にでも直ぐに溶け込める、寧ろ向こうがこっちの色に染まる、染色の情報屋がそんな寂しい第一聖地デビュー……う、うううーーーっ! 都会って世知辛い! 世知辛ーーーーい!」
途中で色々諦めたラディは、思いっきり泣き叫んだ。
そんな酔っ払いのような知り合いを、冷めきってはいない半眼で眺めた後――――
ふと、アウロスは一階の方に目を向けた。
「……」
そこに探した人物の姿はなかった。