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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
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第2章:研究者の憂鬱(1)

 少年には名前がなかった。

 何故なら、親がいなかったからだ。

 正確に述べるならば――――生物学的な視点から親と呼ぶべき存在はいるのだが、脳に内蔵されている長期記憶の中にその顔がどこにもない、と言う事になる。

 何れにせよ、育成を一切行わず名すら付けないような親など親とは言えないのだから、親がいないと言う定義で問題はない。

 では、親がいない赤ん坊がどうやって少年と呼ばれる年齢まで生き長らえる事ができるのか――――?

 その道理は一つ。

 育ての親となる人物に拾われる事だ。

 少年もその例に漏れず、幸運にも経済力のある大人に拾われた。

 とは言え、その大人は拾った子供を奴隷として育て、頃合を見て売りに出すと言う世間一般では奴隷商人と呼ばれる類の人間だったので、幸運と言えるかどうかは判断に難しい。

 それでも必要最低限の食事と教育を施された少年は九年程生き伸び、一応の商品価値を見出され、つつがなく売りに出された。

 買い手はとある地方の領主。

 少年は、碌にその顔を見る事もなく、その人物から飼われる事になる。

 この領主の妻は、表の顔こそ誠実で気品に溢れた女性だったものの、裏にはおぞましい秘密を持っていた。


 その秘密とは――――人体実験の施行。


 攻撃魔術を実験体の身体に放ち、それによって受けた損傷、意識レベルの低下、消耗と言った状態変化を調べ、

 そこから魔術の効力を算出すると言う、極めて非人道的な行為だ。

 しかし、生身の人間を実験体にする事で魔術が人に及ぼす効果が具体的に、そして高精度に調べられる為、そのデータの魔術学会における存在価値は極めて高い。

 更に、生物と魔力の関係と言う観点から、対生物兵器の研究材料としても期待できる。

 それらの利点により、禁忌とされている筈の人体実験は、禁忌とした筈の上位者すら関与する程に闇の中で発展し続けている。

 無論、その犠牲者となる実験体――――奴隷達に待ち受けるのは、火傷や凍傷、切り傷に擦り傷、果ては骨折や靭帯損傷などの耐え難い苦痛に苛まれる日々。

 そこに命の尊さを説く神の使徒などいる筈もなく、まるで鼻紙のように使い棄てては調達し、また使い棄てると言う狂気の沙汰が当然のように行われている。

 そんな中にあって、名もなき少年は3ヶ月経っても生き残っていた。

 その皮膚は幾度とない損傷で見るに耐えないものになっていたが、顔と四肢の先端、つまり服で隠れない部分だけは通常の人間と変わらない外観を保っていた。

 それは、万が一の際の体裁を考えての処置だったが、奴隷達にゼロにも等しい社会復帰への可能性を示唆し夢を与える事で、少しでも使い減りを防ぐと言う残酷な効果もあった。

 そして、他の奴隷がそうであるように、その名もなき少年もまた幻想の希望を抱き、決して強くない心を折らずに必死で耐えていた。


 そんなある日の事。


 いつものように牢獄で食事の時を待つ少年の耳に、聞き覚えのない声が届く。

 これまで幾度となく少年の鼓膜を揺らした言葉の殆どが、嘲笑、罵倒、命令、否定、誹謗中傷、嫌悪――――などと言った、

 アイデンティティを磨り減らす呪詛だったが、その声は違っていた。

「ねえ、誰かいるの?」

 唯の誰何。どこにでも散らばっている言葉。

「君の名前、教えてよ」

 少年に名乗る名はなかった。自分の名前は自分の存在。

 存在を確かめる事は、存在を許される事。

 この時、少年は自身の存在が許されていない事を自覚した。

 そして、名を持つ事を許されなかった者の悲哀を知り、泣いた。

「……どうしたの? 何で泣いてるの?」

 その声は震えていた。

 子供の情感は純粋だ。伝染し、むせび泣くのに時間は掛からない。

 牢越しに子供二人が泣く様は、余りにも残酷だ。

 しかし、2人。

 1人ではないと言うそれだけの事実が、名もなき少年の心に大量の白をもたらした。

「ぼくはアウロス。アウロス=エルガーデン。ねえ、ぼくと友達になってよ。いろいろ話そ」

 白は光。

 希望。

 そして夢。

「ぼくは魔術士になるんだ。だれでも知ってるような、凄い魔術士になるんだ。そうしたら、ぼくたちを苦しめる魔術士を追い出して、みんなで楽しく暮らせるもの」

 2人になれば、夢だって語れる。

「君は? 何になりたいの?」

 少年には語る夢がなかった。

 だが、この瞬間に一つの願望が芽生えた。

 いつかこの牢獄を抜け出し、一人の存在として世界の記録に残り、友達と話す――――


 それが夢となった。


 願望と呼ぶには切な過ぎる夢。

 人として生まれた事を認めて貰う、ただそれだけの事。

 ただそれだけの事すら許されなかった子供達は、慣れない笑顔で意思を発した。

「がんばろうな!」

 壁越しに、子供達は誓う。 


 いつか――――



 ただそれだけを胸に。




 第2章 " seeker's melancholy "


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