第7章:革命児と魔術士の王(15)
この日、空はやけにコロコロと色を変えていた。
朝は透き通るような一面の白に覆われていたにも拘わらず、昼間になると、まるで塗料で適当に描かれた落書きのように、ブツ切りの雨雲が点在していた。
しかし、午後になるとその雲も徐々に姿を消し、現在は青空が顔を覗かせている。
そんな目まぐるしい空模様を見上げながら、アウロスは馬車に揺られていた。
先頭で馬を操縦しているのは、先日、高級酒場へと向かった際の御者でもなければ、サニアでもない。
馬車自体、かなり高級な作りだ。
しかし決して派手な装飾はしていない。
それは、この馬車が特別な任務を背負っている事を意味していた。
「……何だかな」
その馬車に揺られながら、アウロスは三日前の事を思い返していた。
アランテス教会からの招待状――――
そんな、ある種物騒な手紙は、枢機卿本人の名義で送られてきた。
無論、隠れ家という性質上、四方教会の拠点である墓場にその郵便物が届けられる、という事はない。
幾つかの窓口を諜報ギルド【ウエスト】に作っており、そこで管轄している。
主に重要度で分けられた窓口において、当然ながら今回の招待状は最も情報管理を徹底させた、厳重なプロテクトで守られた窓口。
デウス本人以外は、例え他の四方教会の面々であっても、勝手に閲覧する事は許されない情報が取り扱われている。
ただ――――その情報を、デウスが独占するという事はない。
必要ならば、デウス本人が口頭で説明し、情報を共有する。
今回の件も、その範疇となった。
「で、交渉の席に着く四方教会側の人間だが……」
枢機卿からの招待状でトントン、とテーブルを叩きながら、デウスは集まった自身の側近達に視線を向けた。
その様子に、ティア、デクステラ、トリスティの3人が息を呑む。
サニアは相変わらずポーッとしていた。
「俺はどうやら嫌われているらしい。名指しで拒否された」
「当然でしょう。誰だって、貴方を直接の敵に回したくはない」
そんなデクステラの言葉に、ティアとトリスティも同意を示した。
「……それがどういう意味かは、後でじっくり聞かせて貰うとして、だ。
招待客は、先方からの御指名が入っている。アウロス、お前だ」
「……はあ」
なんとなく、そういう予感がしていたアウロスは、特に驚く事もなく仏頂面で返事をした。
しかし、周囲はそうもいかない。
特に、ティアの顔はみるみる内に赤く染まっていく。
それが怒りという感情である事は、誰の目にも明らかだった。
「レオンレイ様! 提言があります!」
「聞こう」
「今回の件は、四方教会における重大局面です! それを、まだ加入して間もないこの少年に任せるのは、余りにも危険です! 不相応です!」
「もう少年って年齢でもないんだけどな」
そんなアウロスの呟きは無視され、ティアの視線は他の仲間達に向けられる。
「貴方がたも、何か言ったらどうですか! そもそも、相手の言うがままに指定された人間を派遣するなんて、媚び諂っているようなものです!」
「そうだなあ……確かに、言われるがままってのは、良くないかも」
憤怒するティアにトリスティがのんきな同調を見せる一方、デクステラは腕組みをしながら、鋭い視線をアウロスへと向けていた。
「……俺は、そうは思わないな」
そして、何らかの解答を得たのか、そう呟いた。
「デクステラ!」
「ティアの言う事が全くわからない訳ではない。実際、今回の交渉は今後の四方教会の未来を占う、重要な案件になるだろう。だからこそ、
上手くまとめる可能性の高い人材を送り込みたい。それならば……」
そして、ゆっくりと立ち上がる。
「この中では、デウス師匠を除くとなると、彼が適任だと判断する」
「そんな!」
ティアが悲鳴にも似た声を上げると同時に、アウロスも怪訝な表情を浮かべた。
その隣に座っているマルテも、小首を傾げて不思議がっている。
「な、なんかえらく信用されてるね、お兄さん。何で?」
「いや、俺にもわからないんだが……」
全く自覚がないだけに、不審は募る。
それを察したのか、デクステラは起立したまま、持論を述べ始めた。
「交渉に重要な能力は、理解力、洞察力、冷静さ、そして判断力。これに関しては、異論は無いだろう。どうだ? ティア」
「はい。その通りですけど」
「この中で、最もそれに長けた人間は誰だ? 勿論、お師を入れればお師となるだろう。だが、先方はお師が交渉の席に着く事を拒否している。となれば、それ以外の中で、最も交渉能力に長けた人物が相応しい。俺は、彼こそがその条件に合致すると思う」
そんなデクステラの凛とした発言は、暫しの沈黙を生んだ。
一方、アウロスは心中で狼狽を覚える。
評価されるという事自体、余り慣れていないというのもあるが、ここまで然程接点のない相手に、そこまで言わしめるような事をしてきた実感もないからだ。
「何でそこまで言い切れるの? デクスっち。そもそも、オレっちはアンタが一番向いてると思ってんだけど」
「私もです。貴方が行けば、納得できます」
仲間二人の言葉を、アウロスは無言で聞いていた。
実際、アウロスもその意見に異論は無い。
まだ知り合って日は浅いが、デクステラという人物が、冷静沈着、且つこの組織内におけるまとめ役を担っている事は、既に把握していた。
実際にまとめているのはデウスだが、そのデウスの決定に対して補足説明をしたり、その意図を汲んだ行動を取ったりする事で、よりわかりやすく、より円滑に物事を進めているのは、彼だった。
そのデクステラの推薦だけに、決して軽くはない。
「先日、枢機卿の娘が暫くここに留まる、という通達があった時もそうだった。アウロスは誰より早く、お師の意図を的確に見抜いていた。そしてそれを丁寧に説明する能力も持っている。口惜しい部分もあるが、理解力、洞察力、冷静さに関しては、自分よりも彼が上だ」
「……過剰評価だ」
そう異を唱えたのは、他ならぬアウロス本人だった。
しかし、その意見は通らない。
「俺は、そうは思ってないな」
四方教会の代表者、デウスがそう断言したからだ。
「ティア。コイツがここへ来て以降、お前は少々感情的になり過ぎている。少し頭を冷やせ。別にコイツを評価しろ、とは言わんが、俺やデクステラの決定にまで感情論をぶつけるようでは困る」
「そ、それは……」
「派遣するのは、アウロスだ。これは俺の決定でもある」
その言葉は、この空間において何よりも重い。
そんな、釈然とはし難い流れによって、アウロスは枢機卿との交渉の席に着く事になった。
「……ったく、面倒事ばっかりだ」
その経緯を記憶の中でなぞり、嘆息。
その息は、景色と共にあっと言う間に背後へ流れていく。
四方教会に身を寄せて以降、常に感じている疲労感は、この日も変わらなかった。
自身の目的も、置いてきぼりの状態になっている。
とは言え、四方教会の情報網は、個人で調べるより遥かに優秀という事も、この約一ヶ月の間で、十分に理解できた。
それだけに、歯痒い。
そんな優秀な情報網をもってしても、オートルーリングの論文が見つからないという事は、そこに何らかの意図が隠されている可能性があるからだ。
つまり、見つからないような細工が何者かに施されている可能性。
そうなってくると、ますます厳しい状況という事になる。
「お前、いつも難しい顔ばかりしてるな」
そんなアウロスの眼前に座る女性――――フレアが、ポツリと告げる。
当然、彼女も交渉の席に着く事になる。
四方教会側、という訳ではないが。
「そんな顔にならざるを得ないんだよ。ちっとも上手く行かない」
「それは私も同じだ。お前が素直に応じていれば、ここまで話が
大きくなる事もなかった。難しい顔をしたいのはこっちだ」
「実際してるだろ。お前の笑った顔なんて見た事ないぞ」
「お互い様だ」
その笑顔なき不毛な言い合いは、特に何を生み出すでもなく、景色の向こうへ流れて行く。
アウロスはふと、仏頂面のフレアに視線を向けた。
そこに、誰かの面影がある訳ではない。
ただ――――口の悪い女性、という点に関しては、思い当たる節がある。
その女性の事を思い出し、口元を手で覆った。
「……今、笑ったか?」
「笑ってない」
「そうか。なんとなく、そんな気がした」
それだけだ、と言わんばかりに、フレアはそこで言葉を切った。
この馬車の行き先が、以前訪れた【アルマセン大空洞】だと気付いたのは、この少し先の事だった。