第7章:革命児と魔術士の王(14)
「……何で、お前がここにいる」
驚き以上に、呆れの方が前に立った事もあって、アウロスは半眼でそんな間の抜けた質問を投げかけた。
その答えは、聞くまでもない事。
この馬車の中にいる時点で、目的はかなり絞られる。
少なくとも、その対象者はアウロスかデウスの二人。
デウスとの接点もあるにはあるが、昨日のやり取りを考えれば、アウロスに用事がある事は明白だ。
「お前に用があるからだ」
案の定、そのままの答えが返って来た。
嘆息しつつ、アウロスはあらためてその容姿を眺める。
すると、それまで気にも留めていなかった身体的特徴が浮かび上がってきた。
それは、髪の毛の色。
微かに赤みを帯びている。
日中は気付かない色合いだった。
魔術国家【デ・ラ・ペーニャ】と、その隣国【エチェベリア】は、公用語こそ異なるものの、外見上の違いは然程多くない。
魔術士というと、特殊な力を持った特異な民族のように思われがちだが、実際には魔術の源泉となる魔力は、殆どの人間が内包している。
デ・ラ・ペーニャ人も、単一民族ではなく、複数の民族が根源となっており、髪の毛や瞳の色も単一と言う訳ではない。
アウロスやサニアのように黒髪の人間もいれば、ティアのように栗色の者もいる。
金髪、銀髪も珍しくはない。
その為――――フレアの髪の色は、その国籍を限定する材料という訳ではなかった。
ただ、今になってそれに気付く事に、アウロスは疑念を禁じ得ず、顔をしかめる。
その様子を、背後から眺めていたデウスは、とても楽しそうに眺めていた。
「……で、用ってのは、この前と同じ内容なのか」
「当たり前だ。私はまだ、信用を失ったまま。このままだと帰れない。
その首を差し出すか、一緒に来て誤解を解くか、どっちか選べ」
「生憎、その義理はない。前に言った通りだ」
そして、前回はその後、有耶無耶になった。
堂々巡り。
アウロスの、そして研究者の嫌いな展開の一つだ。
「なら、質問を変える」
それをフレア自ら打破しようとした――――
が、アウロスは特に関心を示す事なく、御者に向けて『もう出して下さい』と言わんばかりに、掌をプラプラ動かす。
「おい、俺はまだ乗ってないぞ」
「だったらとっとと乗ったら良いだろ。人の不幸をニヤニヤ眺めてないで」
「不幸……というようには見えんな。それも経験だ。もっと悩んで楽しめ」
無茶な事を言いながらも、デウスは軽やかに車室――――の上の屋根に足を乗せる。
「邪魔者はこっちでゆっくりしているから、若い者同士で遠慮なく語らうが良い」
「……絶対楽しんでやがるな」
かつて、様々な局面で舌戦を繰り広げたミストの顔が、ふと浮かぶ。
明らかに、その時よりも面倒な相手だった。
「何にしても、出して下さい」
「い、良いんですか?」
「ああ、構わんぞ。ここの方が涼しそうだ」
雇い主が屋根の上で寝転がる姿に動揺しながらも、御者は鞭をしならせ、発車させた。
「そういえば、何でわざわざ御者を雇ってるんだ? あのサニアって人が御せる筈なのに」
「仕事で行くのならまだしも、私的な行動に自分の片腕を顎で使うような真似はせんさ」
だったら仕事でもこの専属の御者を使えよ、という言葉を飲み込み、アウロスは車室の椅子に背中を預けた。
少しずつ景色の流れが速くなる中、対面に座る女性の目線が加速度的に太くなっている事を察しつつ、視線を合わせないよう努める。
女性に対する苦手意識は特にない。
先刻のような、男性を惑わす雰囲気を醸し出す女性は兎も角、普通の女性に対しては、酒場で働いていた頃も、大学時代においても、幾度となく接して来ている。
ただ――――フレアの持つ雰囲気は、性別に関係なく苦手だった。
「さっきの続き」
こうやって、遠慮も策略もなく、踏み込んでくる所も。
「何故あの時、私の武器を叩き落とせた?」
逐一、聞いてくる所も。
アウロス=エルガーデンとして生きている事で、自分をさらけ出す事が難しいという事情もあって、適度な距離感を保つ事に神経を磨り減らして来た人生観そのものを、崩されてしまうような感覚。
「……さあ」
「私とお前の位置関係を考えると、普通に攻撃しただけでは間に合わない。事前に、私の動きを把握していた筈。どうして、そんな事できるの?」
「知らん」
それを払いのけたい一心で、アウロスはぞんざいな返事に終始した。
嫌な予感を察知していたから。
だが――――その努力は報われない。
寧ろ、フレアは身体を乗り出してきた。
「どうしても、私には関わらないつもりか」
「当たり前だ。枢機卿の娘で、実は本当の娘じゃなくて、やたら身体能力が高い女……どう考えても面倒だ。こっちは自分の目的があって動いてんだから、余計な事に首を突っ込みたくないんだよ。とっとといなくなれ」
「お前、やっぱり口が悪い」
「別に悪くない」
アウロスは先程の店舗にて、精神を極限まで疲弊させていた。
「どうしても、私の要求を受け付けないつもりか」
「だから、何度もそう言ってるだろ」
「なら、受け付けるまで、付きまとう」
それは――――アウロスの目を見開かせるには十分な言葉だった。
「……何だって?」
「今のままじゃ、父の元に戻れない。他に行く当てもない。だから、その解決の為に必要な事をする。お前の気が変わるまで傍にいるのが一番合理的」
「合理的じゃないだろ……寧ろ余計に毛嫌いするぞ」
「それは困る。だったら、どうすれば私に対して友好的になれるか、教えろ」
余りに直接的な物言い。
アウロスは確信した。
「苦手だ……今までで一番苦手だ」
「それも困る。得意になれ」
「無理言うな……」
疲労感が溜りに溜まる中、頭上の屋根から遠慮のない笑い声が聞こえて来た。
翌日――――
「という訳で、しばらくの間だが、我々と行動を共にする事になったフレア=カーディナリスだ。仲良くするように」
デウスの紹介と同時に、アウロスは片手で頭を抱え、大きく溜息を吐いた。
アウロスばかりではない。
デウスと付き合いの長い筈のティア、デクステラ、トリスティは一様に、驚愕を浮かべていた。
「御主……レオンレイ様。これは一体、どういう事ですか?」
「どうもこうも、こういう事だ」
「説明になっていないですが。そもそも、大空洞で彼女を捕らえなかったと言う事実があったからこそ、二度目の遭遇の際に、サニアも彼女を捕らえる事なく放逐した筈です。方針が定まっていません」
「だよねえ。どういう事? まさか、自分の女にしちゃったとか……言わないよね?」
デクステラとトリスティは、更に突っ込んだ発言を遠慮なく畳みかける。
そのやり取りに、アウロスは頭から手を離し、彼等の表情を観察する。
本気で怒り、本気で疑問を呈し、本気で悩んでいた。
それらの感情を上司にぶつけるなど、大学ではあり得ない事。
自分がいる場所が、明らかに今までと違う事を再確認し、暫し目を細める。
見聞を広めろ――――そんなデウスの言葉が、頭の中に響き渡った。
「お前はどうして、そう下世話な方向に話を持って行くんだ、トリスティ」
「だって、デウス師匠ってそういうトコあるでしょ。顔が良いもんだから言い寄ってくる女の人も多いし……ね、ティア」
「私に振らないで下さい」
明らかに不機嫌な声と共に、ティアはデウスを睨み付ける。
ゾッとするような目つきで。
「レオンレイ様の女性遍歴に関して、今更とやかく言うつもりはありませんが、方針をハッキリして頂けないと、今後の判断に支障が生じます。説明を」
「やれやれ。言わなきゃわからんか?」
それに対し、デウスは何処か呆れ気味にそう呟いた。
「良いか。このフレアという女の子は、枢機卿の娘だ。枢機卿の器かどうかは兎も角として、あの男の持つ権力は厄介だ。その娘を拉致、監禁、拘束したとなれば、その権力の自浄作用として、教会は全力で取り返しに来る。今の四方教会の戦力では、分が悪い。幾ら俺が世界最高の魔術士だとしてもな」
アランテス教会の使徒の数を考えれば、その結論は当然。
ここまでは、全員が納得する答えだった。
「だが、この娘が自分からここに留まりたい、というのであれば、話は別だ。
それは拉致でもなければ拘束でもない。客人だ。客人である以上、それを追い出す事は失礼に当たる。違うか?」
「そういう問題じゃないでしょう……この状況で、枢機卿が『自分の娘が四方教会に自分の意思で入り浸っている』なんて思う筈がない」
デクステラの訴えに、ティアとトリスティも頷く。
尚、サニアは終始ボーッとしており、全く議論に参加する気配はなかった。
「やれやれ、わかってないな……アウロス、お前が説明しろ」
「は? 何で俺が」
「当事者だろうが。俺にばっかり尻拭いさせるな」
そんなデウスの言葉とは裏腹の意図を、アウロスは察していた。
自分に説明させる事で、その洞察力を見せつけ、組織内における発言力や影響力を上げさせる為。
つまり、アウロスの為の交代劇だった。
その気遣いに辟易しつつも、アウロスは頭を働かせる。
言葉を整理する為に。
「……目的は取引なんだろ」
その第一声は、サニア以外の全員の視線を集めるには十分なものだった。
「枢機卿の立場で考えてみれば、わかり易い。今、枢機卿の元には娘がいない。その娘がここに来た動機を考えれば、恐らく黙って出て行ったという推測が成り立つ。当然、血眼になって探してるだろうさ。俺達が娘を拉致した、という可能性も考慮に入れてな。でも、大空洞でそれをする絶好の好機がありながら、俺達は彼女を拘束しなかった。あの場面で放置しておいて、日を改めて誘拐するなんて、普通に考えると妙な話だ。その前振りがあるから、嫌でも優先順位は低くなる。つまり、俺等が誘拐しているという可能性は考慮してても、その確認は後回しになってる状態だ」
長々と説明し、アウロスは一度、小さく息を吐いた。
「……続きを」
落ち着いた口調でデクステラが促す。
アウロスは頷き、再び整頓を始めた。
「その状態で、この娘が四方教会に身を寄せている、と知れば、どう思う? 罠、若しくは事情が変わった、と思うだろう。どっちにしても、何かしらの勝算があってやっている事、という判断になる。以前一度見逃されているだけにな。勝機があるからこそ、行動を切り替えた、と考える筈だ」
加えて――――
以前、デウスは枢機卿ロベリア=カーディナリスに自身の武を見せた。
旧知の仲であり、且つ現在も強大な魔術士であるという証明を。
権力に屈しない力を。
それを脅威に感じるなら、慎重にならざるを得ない。
娘の命が掛かっているのだから。
「大空洞で攫ってたとしたら、単に力のある魔術士が権力に対抗する為に人質をとった……って構図になる。それなら、武力で鎮圧するしかない。でも、知をもって動いた形跡があるなら、もっと穏便に事を運べる可能性があるし、寧ろ、そうしないと裏をかかれたり、虚を突かれる危険がある。だから、慎重にならざるを得ないんだよ。今の枢機卿は」
「……だから、今回は敢えてこの娘をここに置く、って事?」
トリスティの言葉に、アウロスは小さく頷いた。
「加えて、彼女がここにいる事を、情報ギルド辺りを介して流す。そうすれば、向こうから何らかのアプローチをしてくる。そこで、取引。何を要求するかまでは知らないけどな」
「満点だ。良い解説係が出来たな」
やたら仰々しい拍手を送るデウスを、アウロスは半眼で睨み付けた。
「しかし、お師は先程、彼女が自らここに留まる事に今回の決定の理由がある、という旨の発言をしていた。それはどういう事ですか?」
「取引の時に、こっちに非がない事を証明できるだろ? 当然、一筆書かせるさ。今後、この件を蒸し返さない、ってな。そうすれば、因縁ふっかけられる事もないし、ふっかけられたらその証明書を使ってやれる事が出てくる。いずれにしても、今の状況の方がやりやすい」
「ですが、それを彼女が証明する保証は……」
訝しがるティアの視線が、フレアに向けられる。
その髪の毛に、赤みはない。
アウロスはその事に疑問を抱きつつ、頭を掻いた。
「彼女は、俺に『ある事』をして欲しくて、ここに来た。そこに別の取引が生まれる」
「そういう事だ。本当の事を言えば、こっちもお前が間者ではない事を丁寧に説明する、と約束しよう」
デウスのその言葉に、フレアは真顔のまま大きく頷いた。
「何か複雑だね……ついて行けないや」
呆れ気味に匙を投げるトリスティは兎も角、それ以外の二人は、明らかにアウロスに対する目線を変えていた。
決して、良い方向にではないが。
その一週間後――――
枢機卿から四方教会へ、秘密裏に席を設けると言う通達が送られてきた。