第7章:革命児と魔術士の王(12)
「……そう言えば、あれって良かったの?」
特に何事もなく、酒場や宿屋などの巡回を終えたアウロス一行は、明らかに治安の悪化地帯と思しき路地裏に足を運んでいた。
以前、アウロスがトリスティに連れて行かれ、古書の収集に励んだ、あの教区の雰囲気と良く似ているその場所で、マルテの幼い声は明らかに浮いている。
「結局あの後、何事もなく逃がしちゃったけど。あのエライ人」
エライ人とは――――枢機卿ロベリア=カーディナリスの事だ。
【アルマセン大空洞】で、彼の娘フレアをアウロスが守ったその後、デウスは彼女、そしてロベリアを捕らえようともせず、見逃した。
アウロスに対しての処罰もなし。
「今回の目的は、あくまでも『魔術士殺し』の活動を阻止する事。それは達成した」
それが、デウスの語った理由だった。
当然、アウロスは腑に落ちない。
活動の阻止が目的ならば、拘束する事が最も有効なのは明らかだからだ。
無論、枢機卿などと言う身分の人間を、どのような理由があれ殺す訳には行かない。
捕虜とするのも難しい。
一つ間違えば、即日アランテス教会との全面戦争になる。
だが――――
娘フレアを拘束する分には、そこまで早急に問題は肥大化しない。
格好の人質となる筈だった。
だからこそ、アウロスは彼女を『守った』。
デウスに殺す気がない事を察しつつも、万が一の事を考えて。
尤も、最大の理由は『目の前で死人が出る事への抵抗』だったのだが。
いずれにせよ、デウスの行動には疑問の余地が残った。
「さあな。俺はまだ、あの男の事は上手く理解できてない」
そんな疑念を言語化する事なく、アウロスはそう濁す。
マルテは然したる興味もなかったのか、特に言及はせず、適当に相槌を打っていた。
単なる雑談の一環。
しかし、それは――――意外な所へと繋がった。
「無理もなき事。デウス師の事は、付き合いの長い我等でも完全には把握できておらぬのだからな」
そう告げたのは、先頭を歩くサニア。
大空洞での『あの』サニアだった。
「……え? 何で突然?」
「クク……わからぬか? この気配が。空気に殺気が混じった、程よい味わいが」
振り向いたサニアの顔は、普段のボーッとした顔とはまるで異なり、歓喜と狂気に満ちている。
不思議な形状の髪留めが、今は壊滅的に似合っていない。
「来るぞ。あの時の娘だ」
「枢機卿の……?」
そのアウロスの問いに、返答はない。
沈黙は――――肯定。
代わりに、別の言葉が空気を薙いだ。
「手を出すでないぞ」
路地裏の奥。
周囲の壁で光を遮られ、闇に染まった細いラインから、その姿は徐々に現れた。
フレア=カーディナリス。
今日はローブを身に纏っておらず、布製の衣服とジャケット、ハーフパンツのみを身に付け、無表情で近付いてくる。
その姿に、マルテは戦慄を覚え、絶句したまま立ち竦んでいた。
それとは対照的に、サニアの顔は更に歓喜色が強まっている。
「あの時はデウス師の手前、ティアとの共同戦線を余儀なくされたが……本来、一対一の戦闘が我の領域。邪魔すると只では済まんぞ」
「え、えええ……折角の数的優位をわざわざそんな……」
カクカクとした動きで諫めるマルテを無視し、サニアはアウロスへ視線を向ける。
言うなれば、戦闘狂。
アウロスは何度か、その類の顔を見てきた。
臨戦魔術士の中には、そう言う人間もいる。
そして、その手の人物は、こと戦いとなると、見境をなくす。
アウロスには理解できない人種だ。
「俺は元々、デスクワーク担当だ。手を出す理由はない」
「こんな場面で堂々と傍観アピール!?」
狼狽するマルテを尻目に――――
サニアの左手の指輪が鋭く光る。
同時に、その指を前方へ向け、突き出した。
「我の名はサニア=インビディア。先日の復讐を通達する殺気、しかと受け取った。相手として不足なし。存分に争おうぞ」
「……」
フレアは答えない。
しかし――――応えた。
行動をもって。
「むっ……!」
路地裏の狭い空間を、舞うように跳ぶ。
そして、右側の壁を蹴り――――左側の壁を蹴り――――ジグザグの軌道で高速接近。
規則性はなく、読み切る事は不可能。
瞬時にサニアはそう判断したらしく、綴ろうとしていた一文字目のルーンを変更した。
そこから改めて綴られたのは、結界用のルーン。
性質上、結界はルーリングに必要な文字数が少ない為、オートルーリングでなくても直ぐに結界は完成した。
対物理的殺傷力用の【円盾結界】。
重さのない、鉄の盾のようなモノだ。
それに対し――――フレアは更に壁を強く蹴り、大きく宙へと舞う。
サニアの身長より、遥かに高い跳躍。
その身体能力の高さをまざまざと見せつけ――――斜め上方へ掲げられたサニアの結界に『着地』した。
「……」
そして、同時に身体を前方へ折る。
結界を上から回り込むように、右肩を上げ――――『何か』を振り下ろした。
「ほう」
だが、それはサニアの予測の範疇。
結界を放棄すると同時に、自身の身体を沈ませる。
その瞬間的な判断力もさる事ながら、動作も機敏。
明らかに、標準的な魔術士の動きではない。
「ど、どうなってんの……四方教会の魔術士って」
「……」
困惑するマルテとは対照的に、アウロスは注意深く二人の闘いを観察していた。
攻防は間断なく続く。
次に仕掛けたのはサニア。
後退しながら、赤魔術を綴る。
16のルーンが、サニアの身体と併行して浮かび上がり――――消えた。
【炎の閃爍】
サニアの左手に絡まるように現れた炎の帯が、幾つもの閃光となり、フレアへと襲いかかって行く。
その軌道は常に揺れており、振動を起こしているかのよう。
先程のフレアの突進と少し似ている魔術だ。
それと同時に、高等魔術。
一度の使用で、アウロスの総魔力であれば、半分以上を消費する。
宮廷魔術士クラスでも、そう容易に制御できる術ではない。
それを、移動しながら綴るとなると、更に難易度は上がる。
サニアもまた、紛れもない実力者だ。
「……っ」
それまで常に無表情だったフレアが、表情を曇らせる。
只でさえ狭い路地。
そこに数本の帯状の炎が接近してくるとなると、逃げ場はない。
――――上にしか。
「さあ。どうする?」
だが、それはサニアも承知済み。
迎撃用の魔術を早くも準備している。
これだけの大魔術を使い、直ぐに次の予備動作に移るのも、決して簡単ではない。
にも拘らず――――
「……む」
フレアもまた、サニアの次の一手を読んでいた。
先程の要領で左右の壁を蹴り、【炎の閃爍】を回避。
その瞬間、フレアは右手をしならせた。
手首より先だけの所作。
その余りの速度に、サニアは反応できない。
何が起こったのか――――それすら、把握するのに時間を要した。
次の瞬間、地面に金属音が響く。
フレアは顔をしかめ、自分の右手を凝視していた。
そこには、『何もない』。
持っていた筈の武具は、地面に落ちていた。
それは――――直径10cm程度の、環状の武器。
「円月輪……これが、か?」
ポツリと、サニアが呟いたその名は、以前大空洞でデウスが言い放ったフレアの得物と一致する。
だが、その時サニアは実際に目撃はしていなかった。
平均的な円月輪よりも、かなり小さい。
理解の範疇にない武器だった。
それが、何故地面に落ちたのか――――も。
「……」
フレアは、既にサニアの方を見ていない。
見ているのは、青年と少年の並ぶその方向。
指を前方に出し、今しがた魔術の行使を終えたばかりの、アウロスの方向だった。
「貴様……手を出したのか? あれ程、邪魔をするなと言った筈だぞ? 殺されたいのか……?」
その視線で全てを察したサニアが、怒りの矛先をアウロスへと向ける。
が――――
「煩い、戦闘狂。だったら殺されそうになるな。目の前で人が死ぬのは嫌いなんだよ。辛気臭い。戦闘力の割に注意力の足りない戦い方しやがって」
「……え?」
突然の、刺すようなアウロスの物言いに、サニアも、隣のマルテも、思わず目を点にした。
アウロスには、疲労がピークに達すると、口が悪くなると言う癖がある。
ここ半月、色々やらされた挙げ句、この日も歩き回った為、ついにその水準にまで蓄積疲労が達してしまった。
「ど、どうしちゃったのさ、アウロスのお兄さん。僕の知ってるアウロスのお兄さんじゃないよ……ですよ?」
思わず妙な敬語を使うマルテを無視し、アウロスは鋭い視線をサニアに向けている。
「殺されそうに、とは心外だな。確かに虚は突かれたが、その程度の秘器で命を取られるなど……」
「お前は大空洞でのデウスの話を聞いてなかったのか?」
「……む」
思い出したのか――――サニアの眉がピクリと動く。
あの時、デウスはこう言っていた。
「あの蹴りも、さっきの『円月輪』による薙ぎ払いも、一撃で命を断てるモノだ」
無論、小さい暗器であっても、急所を突けば死に至らしめる事は可能。
だが、それを回避できないほど、ティアは鈍重ではない。
つまり。
「毒、か」
「暗器の基本だろ。わかったら、殺されないよう注意して闘え、ボケ」
「……貴様、訳がわからんな」
「二重人格女に言われたくない」
終始イライラを募らせるアウロスに、サニアは歪んだ笑みを返した。
「面白いとは思っていたが、予想以上に面白い男だ。感謝するぞ。助けられた事ではなく、我の欠点を指摘してくれた事にな。確かに、慎重さに欠ける所が我にはある」
そして――――戦闘態勢を崩す。
既に、フレアは殺気を放っていない。
身動きもせず、アウロスの方向をじっと眺めている。
アウロスの放った魔術【氷塊】が円月輪を捉えたその時から、闘いは終わっていた。
「だ、大丈夫なの……? なんかずっとこっち睨んでるけど」
一度、殺されかけた事のあるマルテは、不安げな眼差しをアウロスに向ける。
だが――――
「もし本気で復讐に来てたんなら、武器を弾かれようと殺気を消す事はない。最初からその気はなかったって事だろ」
「待て。だったら、何故毒を使用する必要がある?」
「使ってないんだろ」
当然と言えば当然のサニアの疑問に、アウロスはしれっとそう答えた。
「お前……」
「あの時点では、使ってる可能性が高かった。だから邪魔したんだ。だけど、その後の反応を見る限り、それは間違いだと判明した。何か不自然な点があるか?」
それは、先に結果を予測し、それを証明していく研究者の習性。
『毒が塗られている』現実と、『毒が塗られていない』現実とは決して重ならない。
だから、まず状況から『毒が塗られている』を仮定し、動く。
その結果、仮定に誤りがあった事が判明し、後者と断定した。
アウロスにとっては、それだけの事だった。
「……面白いが、面白くないヤツだ」
サニアは現存する重複に肩を竦めつつ、視線をフレアへと向けた。
「復讐でないのなら、何故殺気を放ち、我に襲いかかって来た?」
その質問に対し、フレアは――――
「そっちの要求に応えただけ。殺気は……」
初めて、言葉を発した。
そして、その目は依然、アウロスへと向けられている。
殺気の原因へと。
「……俺、怨まれるような事したか?」
顔をしかめるアウロスに対し、フレアは口角を下げ、非難の色を濃くした。
「どうして私を助けた?」
そして――――
紡ぎ出された返答は、通常は非難と真逆にある内容。
だが、その言葉でアウロスとサニアは同時に理解した。
「どう言う事なのさ。助けられてキレるって、変だよ」
「変じゃない」
マルテの言葉を一蹴し、今度は眉尻を上げる。
「仲間に疑われている。四方教会の間者じゃないかって」
「……はぁ」
予見通りの解答に、アウロスは思わず嘆息した。
尤も、恩を仇で返されている訳ではない。
恩を売る為に助け船を出した訳でもないのだから。
「ああ、そういう事かあ……って、アンタは枢機卿の娘でしょ? 何で疑われるのさ」
「私は、あの人の本当の子供じゃない」
今度は、マルテだけでなく、アウロスとサニアも驚きの顔を浮かべる。
それは――――枢機卿の個人情報の漏洩に等しい言動だからだ。
通常、起こり得る事ではない。
「だから、信頼されてる訳じゃない。今回の件で、それが表面化した」
「追い出された、と言う事か?」
サニアの言葉に、フレアは首を横に振る。
「でも、そう言う空気になった。だから、私は信頼を回復する為にここに来た」
「俺の首を取りに、か」
今度は首肯。
律儀に返答する辺り、意地の悪い性格ではないようだ。
「最初は、直ぐにお前を襲うつもりだった……が、先にそっちの女にケンカを売られた。だから、対抗した。私の戦闘スタイルは先手必勝。先に仕掛けたのはその為」
「わかりやすい説明だ。我の認識違いだったか。相済まぬ」
素直に謝罪したサニアとは対照的に――――
アウロスの顔は煮え切らない。
疲れている、と言う事もあるが。
「そっちはもう良い。問題はお前。大人しく私に殺されろ」
一方、フレアは物騒な物言いで殺気を放った。
先刻と言い、余り制御が上手くないらしい。
「生憎、殺される気はない。死んでやる義理もないしな」
「だったら、私と来い。仲間の前で誤解を解け」
「その誤解とやらを、俺が解く理由もないな」
交渉決裂。
だが、フレアの足は動かない。
「そうはいかない。疑われたままじゃ、父に迷惑が掛かる」
「知らん。とっとと帰って勝手に罪悪感と疎外感に苛まれてろ」
アウロスはまだ疲労状態のままだった。
「こいつ、意外と口が悪い」
「それに関しては、同意せざるを得んな」
「僕も」
何故かアウロスが四面楚歌状態になっていた。
「バカバカしい。他に用がないなら、もう話は終わりだ。適当に見回りして帰るぞ」
クルリと踵を返し、アウロスはフレアに背を向けた。
当然、その隙を見逃す筈はない。
アウロスは迎撃用の魔術を綴る為、身体で死角を作り、指を掲げた。
「敵に背を向けるとは……バカめ」
「お前がな」
アウロスの背中には、常軌を逸した速度でフレアが接近している。
サニアに見せたような、複雑な動きではなく、最短距離を移動して。
アウロスは、その軌道上に向け、背を向けたまま青魔術【氷塊】で生み出した氷の塊を手に乗せ、それをヒョイッと投げた。
「……っ!」
頭に血の上っているフレアは、それを避けられない。
自分で生み出した速度が、そのまま自分への殺傷力となり――――
フレアの頭に、結構な衝撃で氷が直撃。
そのまま倒れ込む。
「やれやれ……って」
溜息混じりに振り向いたアウロスは、珍しく目を見開いて驚きを露わにした。
『前のめりに』倒れたフレアの顔が、直前まで迫っている。
氷塊が直撃し、後ろに倒れ込むイメージを持っていたアウロスにとっては、予想外の展開。
よって、回避する事は出来ず――――
「……!」
アウロスの顔と、フレアの顔が、重なった。