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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
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第6章:少年は斯く綴れり(24)

 前衛術の生成、そして発展は、後方支援を主色として来た魔術士界に、明らかな革命をもたらした。

 盾役のいない状況であっても、堂々と敵と対峙し、戦い、そして勝つ。

 その成果が、日陰の存在だった魔術士に、勇気と誇りと信念をもたらしたのは、余りに必然だった。

 しかし。

 それは同時に、不必要な優越感や攻撃性、そして危険を生む事にも繋がる。

 危険は死を生み、死は恐怖を生み、恐怖は緊張を生む。

 そして、緊張は動揺を生み、動揺は行動力、判断力の低下を呼び込み、そして危険を増やす。

 この悪夢のような循環が、魔術士を臆病に、保守的にした事は間違いない。


 ――――ならば、前衛術において、最も重要とされるのは?


 かつて受けたその質問の答えは、実に明瞭だった。

 循環からの脱出。

 すなわち――――緊張の緩和だ。

 前衛術において、編綴の自動化・高速化は、大きな意味を持つ。

 効率の向上は勿論だが、何よりも特質すべき点は、安心感をもたらす事。

 アカデミーを卒業した魔術士であれば、日常の中で魔術の編綴に失敗する事は、ほぼ皆無だ。

 しかし、実戦となると全く勝手が違う。

 死の危険が脳裏を過ぎる中、敵を前にして、10以上の文字を正確に綴るのは、決して容易な事ではない。

 まして、ただ綴るだけではなく、魔力の制御も必要とするのだから、尚更だ。

 実際、前衛術の発展と共に、臨戦魔術士の死者数は増加したと言われている。

 由々しき事態である事は、言うまでもない。

「編綴の簡易化は、それを抑制する事に繋がる――――か」

 ポツリとそう呟きながら、ミストは粉々になった仮面の欠片を一つ摘み、それを懐に仕舞った。

 そして、哀れみにも似た視線を、遥か上の位の人物へと向ける。

「総大司教様……敢えてそう呼ばせて頂きます。貴女は今日、何もしていない。何も話していない。そう言う事にしておいて下さい。それが貴女の責任です」

 それだけを告げると、今度は首の向きを変える事なく、会話の相手を変えた。

 隣で佇んでいる、功労者へと。

「『あの時』の押し売り情報屋か。只者じゃない雰囲気はあったが、まさか【魔術士殺し】だったとはな」

「予兆はあった。気が付けなかったけどな。まだまだ俺は……甘い」

 魔術士殺しの話を聞いた後に、あの殺気を感じていたならば、或いは――――そんな言い訳を心で噛み潰し、アウロスは嘆く。

 実践訓練で、疲労困憊になった日の翌日。

 白色の仮面をつけた男が、アウロスの前に現れた。

 その男は、ミストに自らを売り込み、好感触が得られなかった事を確認すると、直ぐに立ち去った。

 明らかに、別の目的があった。

 つまり――――この時点から、既にミストは『標的』となっていた。

 つい先程まで、蜜月関係にあった相手の。

「殺気を放ってからの動き出し、突進速度、キレ……全てが最高級だった。それを正面から討った事は、オートルーリングの重要性を語る上で、何よりの説得力になる。見事な戦いだった」

 だが、そんな事など一切気にも留めず、ミストはアウロスと、その成果物に対して称賛を送った。

 接点は一瞬。

 アウロスの綴った氷の刃と、『魔術士殺し』の銀色の剣――――先に敵を捕らえたのは、前者の先端だった。

 ほんの些細な躊躇や竦み、迷いや恐怖が、この構図を逆転させていただろう。

 それ程の、際どい勝負。

 そして会心の編綴だった。

「……」

 にも拘らず、アウロスの表情は晴れない。

 諦観じみた顔で、ミストに目を向ける。

「……結局、あんたの思惑通りに事が運んだか」

「それについては、全く同意しかねるな。少なくとも、このような脚本を用意したつもりはない。結末もな」

 ミストにしても、何時の間にか姿を消したミハリクとその部下に掻き回された格好。

 面白い筈はない。

 少なくとも、発表会と言う舞台を文字通り台無しにされたのだから。

「それにしても、用意周到な男だ。たかが論文発表会に情報屋を忍ばせて、危険を察知させるとはな」

「後ろ盾がない人間としては、当然の身嗜みだ」

 朴訥な口調で答えつつ、ラディに親指を立てて見せる。

 一瞬驚いたラディだったが、直ぐにノリ良くダブルピースを返した。

「で、こんな結果になった訳だが……教会との癒着、どうするんだ?」

「教会の人間なら誰でも良い、と言う訳ではない。連中と組んでも得はないと判断したまでだ。どうも私はクジ運に恵まれていない。それが判明した事が、今日の最大の収穫だな」

 ミストは本心を述べた。

 隠す必要性を感じなかったのか、或いは――――敬意の表れか。

 いずれにせよ、只で転ぶほど、ミストと言う人物は脆弱ではない。

「これは、総大司教を陥れるよう企んでいた連中を特定し、捕獲する為の壮大な罠です」

「……は?」

「我ながら迫真の演技でした。演劇の道を目指すのも、悪くないのかもしれません」

 突然の、高らかなる宣言。

 傍にいたアウロスだけでなく、周囲の全ての面々が、驚きを隠せない。

「御協力、感謝します。ミルナ様をはじめ、皆様がこの会場を埋め尽くしてくれたお陰で、不届き者は自由に動けなかった。素晴らしい協力者がこれだけいたと言う事を、私から上の者へ伝えておきます」

 ミストの言葉の意味がわからずにいた人々も、徐々に理解し始め、次第に歓声と拍手が生まれる。

 これにより、この教室は、『研究発表会の会場』から、『総大司教の抵抗勢力を特定する為の謀略を行った場所』となった。

 無論、そんな予定など一切なかったのだが――――

「結果論で動けると言うのは、楽で良い」

「……大したタマだよ、あんた」

 何の布石もなく、そんな大層な嘘を高らかに宣言すれば、普通は後々自分の首を絞める事になる。

 が、ミストに限ってそんなヘマはしないだろう――――そうアウロスは踏み、半ば感心すら覚え、嘆息混じりに後頭部を掻き毟った。

「一応敬語は使え。上司と部下なのだからな」

「もう違うだろ」

「生憎だが、在学中だ。私がそう言っただけで、まだ手続きはしていない。尤も、直ぐにその手続きを済ませる予定だがな」

 名前が残っていた時点で、ある程度は予想していた事だったので、アウロスの顔に驚愕の色は浮かばなかった。

 そもそも、アウロスにとって、クビになるタイミングが何時だろうと、特に意味はない。

 意味を持つとすれば、ミストの方だ。

「論文発表前に『協力者』が辞めたとなると、後々不必要な疑惑を持たれる、か」

「無論、それもある。前と後では大きな違いがあるからな。だが、それだけではない」

 意味ありげに呟き、ミストは身体の向きを変える。

 そして、暫くその場に留まり――――

「……総大司教を味方に引き込んでいるのなら、幾らでもやりようはあった筈だ。

 幾ら責め立てられる立場であっても、あの方はこのウェンブリーの最高権力者。

 お前なら、それを利用し、論文を取り戻せただろう」

 背中を見せたままで、淡々と言葉を紡いだ。

「何故、そうしなかった? お前にとって、この論文は命と同等の価値がある。違うか?」

「違わない」

 断言しつつ、アウロスはその疑問の意図を探る。

 が――――無意味だと悟り、牽制程度の文言を適当に積み上げた。

「アウロス=エルガーデンは、近しい人間の親を利用してまで、自分の研究に固執するような人間だったらしい……

 なんて言う名前の残り方は、彼には相応しくない。そう思っただけだ」

「成程。良くわかった」

 理解した、と言うより、本心を答える気がない事を悟ったのか、ミストはそれ以上の言及を控えた。

 そして、アウロスの攻撃を顔面に喰らい卒倒している『魔術士殺し』に一瞥をくれる。

「魔術士ではなかったのなら、少しは救われたのだろうがな」

 それは、果たして誰に向けての言葉なのか。

 アウロスは、それを断定できるだけの材料を持ち合わせていなかった。

「さて……この有様では、論文発表会どころではないだろう。延期、若しくは中止と言ったところか。つまり、これ以上ここにいる意味はないと言う事だな」

「帰るんですか?」

「忙しくなるんでな。時間が惜しい」

 それだけ言い残し、ミストは早々に講義室を出て行った。

 これだけの事があったにも拘らず、その判断には一切の逡巡がない。

 常に、視界にあるのは未来。

 アウロスとは正反対だ。

 それでありながら、その無謀と紙一重の即断は、お互いが自覚するほど、よく似ている。

 だからこそ、同調し、認め合い、そして敵対した。

 皮肉な話だった。

「……何も出来なくて、申し訳ない」

 その背中を目で追っていたアウロスに、ウォルトが近付いて来る。

 痛恨の極みと言う表情で。

「動くなと言ったのは俺だ。それを守ってくれたんだから、感謝するよ。それに、お前はミストに借りがあるだろう?」

「……済まない」

 見ていて痛々しいくらいに自責の念に駆られ、無念の表情で退室して行く協力者を、アウロスは苦笑しながら見送るしかなかった。

 その後、横目でその傍らの様子を確認する。

 すっかり人気がなくなった講義室の中央では、ルインが朧げな目で母親を見つめていた。

 かつて、これ程までに二人の距離が縮まった事はない。

 研究に没頭していた母は、娘に率先して近付こうとはしなかったし、躾は使用人と先生と呼ばれる人間が行っていた。

 食事すら、同じ席で取る事はなかった。

「貴女は……」

 決して遠い筈のない人間は、見えない程に離れて行ってしまった。

 しかし今は、声が届く距離にいる。

 その事実に、ルインは思わず一歩踏み出した。

 アウロスが、あれだけ固執していた自身の目的よりも優先し、そして突き止めた真実。

 それが本当に、そこにあるのか――――

「いえ。何でもありません。失礼しました」

 しかし、その足がそれ以上踏み出す事は、なかった。

 それは、彼女なりの配慮。

 事実がどうあれ、彼女には総大司教に近付けないだけの理由がある。

「……」

 総大司教は何も語らず、大学関係者の誘導に従い、部屋を出て行く。

 その背中は、第二聖地を統べる聖職者としては余りにも小さく、年齢以上に弱々しく映る。

「ルイン」

 見かねたアウロスが、ルインの背中をポン、と押す。

 そして、彼女の顔に浮かんだ確かな感情を肯定するべく、首を縦に振った。

「あの……!」

 話し掛けた所で、何がどうなる訳でもないかもしれない。

 決定的に袂を分かち、断裂した関係。

 血の繋がりすら、それを埋める決定的な要素とはなり得ない。

「私……は……」

 それでも、それでも尚――――ルインは言葉を搾り出す。

 憎むべき相手だった。

 信じるべき相手とは言えなかった。

 それでも、心の奥底で眠らせていた子供の頃の純粋な部分が、残火のように燻っていた。

 それを伝える――――筈だった。

「私は【死神を狩る者】です。だから……総大司教様とは、何の関係も……ありません」

 しかし結局、想いを伝える事は叶わない。

 素直に心を開くには、余りに年月が経ち過ぎていた。

 見ていられなくなったアウロスが、助け船を出そうと口を開く。

 が、それよりも早く――――

「私には、子供がいます」

 年配の女性の落ち着いた声が、二人の鼓膜を揺らした。

「目に入れても痛くないくらい、可愛い子です」

 今、自分には愛すべき息子がいる――――ルインはそう解釈し、目を伏せ俯いた。

 しかし、そうではない事を、次の言葉で知る。

「けれど、愛情の注ぎ方がわかりません。苦労ばかりの毎日です。私には子供を育てる資格がないからでしょう。そんな私に育てられた子供がどうなるのか……想像も出来ません」

 ルインは、ミルナの声をじっと聞いていた。

 意図や目的などを探ろうとはせず、ただ声を聞いていた。

「その子供は、本当に苦労するでしょうし、私へのやるせなさや怨みが、その人生の足枷になる事は間違いありません。それでも、一人前に育ってくれたとしたら、それはとても喜ばしい……嬉しい事でしょう」

 その声が一瞬、ほんの一瞬だが、確かに揺れた。

 ルインの記憶に、その声が重なる。

 言葉に覚えはない。

 ただ、断片的な情景の中に、その声と同じ響きがあった。

 ルインは、何かに耐えるように唇を噛んだ。

「どうか子供達の未来に……祝福を」

 その様子に一瞬微笑みかけ、それを噛み殺し、総大司教ミルナ=シュバインタイガーは講義室を去った。

 それを見送るルインの目尻に、心の切れ端に残っていた光が眩しく輝いている。

 それは、彼女を長年の呪縛から解き放つ為の、美しく清らかな雫だった。

「……達、か」

 そんなルインの姿を見守り続けたアウロスが、ポツリと呟く。

 彼女が何を言いたかったのか――――それは、その一つの文字に集約されていた。

 表立って名前を呼ぶ事も出来ない二人。

 繋がりは極めて希薄で細い。

 しかし、それが切れない限り、別の何かが生まれるかも知れない。

 生まれなくとも、生み出す事が出来るかもしれない。

 アウロスもまた、そう信じる事にした。

「恐らくは、総大司教になるずっと前から、彼女には意思などなかったも同然だったのでしょう。経緯はわかりませんが、彼女の研究の背後に教会があった事は間違いない。でなければ、一代で富を築いた元領主の夫が亡くなった時点で、権力は傾いていたでしょう」

 暫く空気を読んで間を取っていたリジルが、ゆっくりと近付いてくる。

「人体実験も、教会主導で行われていた?」

「恐らく。でなければ、そう都合良く戦争で戦果が出るほど利用されはしませんし、総大司教の地位なんて用意されません。尤も、あくまでも表向きと言うだけで、本人に実質的な権力は殆どないでしょうけどね」

「教会は女性に対しても間口を広げている、ってアピールか。下らない話だ」

 嘆息しつつ、アウロスは自分の雇った情報屋に顔を向ける。

「ラディ、御苦労さん。最後の報酬な」

「毎度あり♪」

 持ち合わせとは別に用意してあった、情報屋への報酬を手渡し、アウロスは小さく嘆息を漏らした。

「……結局、何も出来なかったな」

「そんな事はないでしょう」

 それを、リジルがキッパリと否定する。

「少なくとも、貴方が大切にしている人は救われたでしょう。貴方の思惑通りにね」

「そうなのか?」

 大切な人である事を隠しも否定もせず、アウロスは隣の女性に問う。

「……」

 返答はなかったが、顔の色が肯定を示していた。

「ま、いっか。さてと……それじゃ、戻るとするか」

「随分と切り替え早いな。何か思い付いた事でもあんのか?」

 腕組みしながら半眼で問うラインハルトの言葉に、アウロスは首を振った。

 ――――横に。

「そうか。まあ、仕方ねーよな。ダメだったらスパッと諦めて、次の目標を探す。

 コレしかねーもんな。人生まだ長げーんだしよ」

 遠慮もなく背中をバシバシと叩いてくるラインハルトに、アウロスは半眼を向ける。

 それでも、激痛以上のものを受け取ってしまったので、非難する事は出来なかった。

「なーに。いざとなったら、俺が新しい職場を紹介してやるさ。何しろ、俺は……」

「んじゃ、帰りましょっか。いつまでも師匠ん所にいるのは何か癪だし」

 ラディの足が、ラインハルトの足をグニュリと踏みにじる。

「痛ぇ! 痛ってぇーーーーー! おいコラ!」

「あ、クレよんと名シェフに土産買わないと」

「また土産で悩まなきゃならないのか……って、お前まだ向こうにいる気か?」

「情報屋にとって、大学の近くは金ヅルの宝庫だからねー。具体的に言うと試験前とか」

「犯罪の片棒を担ぐな」

 嘆息しつつ、アウロスは空を仰ぐ。

 それだけで、何でも出来そうな気持ちになれる不思議さが、一面の蒼にはある。

 が、現実は斯くも厳しい。

『ダメだったらスパッと諦めて、次の目標を探す。コレしかねーもんな』

 その通りだった。

 確かにその通りなのだが――――アウロスは、その現実と馴れ合う気はなかった。

「じゃ、戻るか」

 天空には、夢や希望が浮かんでいる。

 しかし、そこへと行ける魔術は、まだ開発されていない。

 ならば、今ここにある大地に足をつけ、歩むしかない。

 アウロスもまた、地面を踏みしめて、前へと進んだ。

「だーっ! お前ら、人の話を聞けっつーの!」

 ラインハルトの怒号が響き渡る中、一向はアウロスを先頭に、足並みを揃え、【ヴィオロー魔術大学】を後にした。



 こうして――――波乱の研究発表会は、清爽な空の下でその幕を閉じた。



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