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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
13/383

第1章:大学の魔術士(12)

「珈琲飲みますか?」

 研究室の午後は、午前中と比較して人口密度が低い。

 部屋には講習から戻ったアウロスの他二名しかおらず、緊張感のない軽い空気が充満していた。

「ありがと。でもこう言うのって普通、新入りの仕事じゃないの?」

 にっこり微笑みながらカップを受け取ったクレールが、半眼でアウロスの背中に視線を送る。

 睨まれたアウロスは無表情で首を回し、3秒ほどして無言のまま首を元に戻した。

「アウロスさんもどうぞー」

「サンキュ。そこに置いといてくれ」

 顎で使うかの如く。

 しかしリジルは一切不満げな顔はせず、アウロスの机にカップを静かに置いた。

「……つくづく、どっちが新人なんだか。それ以前にどっちが年上なんだかって感じもするけど」

「まあ、色々ありまして……」

 リジルは苦笑しつつそう呟くと、その顔を思案顔にシフトして、自分用のカップをじっと眺め出した。

「どうしたの?」

「いや、この珈琲を魔術で暖める事って出来るのかなー、などと」

「無理よ。そんな魔術どこも教えてないでしょ?」

 口の中を苦味で満たしたクレールが、至福の表情で答える。

「ま、攻撃魔術の専攻ですからね、僕達」

「結解術科や魔具科でも教えないと思うけど。飲み物を温める魔術なんて」

「アウロスさんはどうです? 使えますか?」

「試した事すらない」

 背中越しに素っ気ない返事を放り投げたアウロスは、湯気が薄くなったカップにようやく手を伸ばした。

「ですよねー。でも、そう言う魔術があれば便利なのに」

「そうでもない」「そうとも限らないんじゃない?」

 混声の否定。

 それに何となく不満を覚えた両者が、睨むように視線を合わせる。

「お二人とも呼吸ピッタリですね」

「……」「……」

 その視線が揃ってリジルに向けられると、リジルは怯えるように後ずさりした。

「新入り、説明」

「何で俺が……別にいいけど」

 アウロスはようやく身体を反転させ、カップを持ちつつ先輩の指示に従った。

「魔術の規模や殺傷力と魔力の消費量は比例する。だが魔力の消費量が少なくても、制御が面倒な魔術は疲労が大きくなる」

「カップに入った珈琲を、カップに大きな負荷や過度な熱を与える事なく、尚且つ珈琲の質を損なう事なく適度な温度に暖めるなんて、面倒な作業だと思わない?」

「確かに……」

 任せた割にアウロスの説明よりも若干多めの補足を入れたクレールが、苦笑気味に息を落とす。

「ま、そんな事を日常生活の中でしれっとできる人は天才でしょうね。レヴィならやれるかも」

「あいつ天才だったのか」

 意外極まりないと言う表情のアウロスに、クレールは思わず苦笑した。

「そりゃ、20代半ばで修士号取って、講師にもなってるんですもの。一般的には天才って言うんじゃない?」

 魔術大学の職階は、研究論文を認められる事で学位が与えられ、その学位に応じた官位に就く――――と言うシステムになっている。

 講師になるには、修士の学位を取らなければならず、この習得にはかなり高度な研究で成果を上げなければならない。

 通常の場合、30歳までに習得できればエリートだと認識されるだろう。

「レヴィさんは凄い人ですよ。ちょっと融通が利かないとこありますけど」

「ちょっと……どころじゃないって、アレは。病気よ病気」

「生憎、僕は健康だ」

 途端――――空気が変わる。

 その原因である声の主が扉を閉めると同時に、クレールとリジルは頬に冷や汗を滲ませていた。

「あら。もうお勤め終了のお時間だったの」

「仕事中に私語は慎め。まして陰口など、もっての外だ」

「か、陰口なんてそんな! 偶々話題に出ただけですよー」

 そんなリジルの必死の弁明を無視し、レヴィはアウロスの席までツカツカと歩み寄った。

「……」

「何だ?」

「フン」

 これ見よがしに鼻であしらい、睨みつける。

 睨むと言っても、それがアウロスに対するデフォルトの目つきなのだが。

「ミスト助教授がお呼びだ。早急に助教授室へ行け」

「……またか」

 アウロスが嘆息すると、レヴィの目がカッと見開かれ、修羅のような形相になったが――――アウロスは平然と無視して腰を上げた。

 後ろの方で怒号とそれをなだめる声、非難めいた叫びが上がったが、これもシカトして、扉を閉、開、閉。

「講習はどうだった?」

 開口一番、ミストは昨日と同じ問いかけを投げ付けてきた。

 机の上の飲みかけの珈琲が暖かそうに湯気を立てている。

「昨日より幾分雰囲気が柔らかかったですね。後は特に」

「そうか」

「まさか用件はそれだけ、じゃないんでしょうね」

「無論だ。これとこれと……そうそう、これだったな」

 ミストから差し出された封書を受け取る。

 中には数枚の紙が入っているだけのようで、重さは全くない。

「この書類を持って、魔具科のクールボームステプギャー教授の所に行け。用件は伝えてある」

「俺には伝わってないですけど……それより何より、その教授とやらは人なんですか?」

「クールボームステプギャー教授は魔具の軽量化と高い携帯性の実現に多大な貢献をされた、我が大学の誇りとも言うべき御方だ。

 くれぐれも粗相のないようにな」

「……」

 何かに納得できないアウロスはロクに返事もせず退出し、同じ階の魔具科教授室に向かった。

 魔具科は一つなので教授違いと言う事はないが、そんな事はどうでも良い様子で、扉にかかっている表札をマジマジと眺める。

【ールボームステプギャー教授室】

 最初の文字が掠れて消えていたが、ほぼそのままの名前で実在していた。

 何かに怯えるような、奇妙な心持ちでノックする。

「どぅーぞ」

 地響きが起こりそうなしゃがれた声が入室の許可を伝えて来た。

「失礼、します」

 アウロスが真剣な顔で指輪を光らせつつ入室すると、そこに待ち構えていたのは――――大量の白い毛だった。

「ちっ、やはり罠だったか!」

「……どぅーゆー意味じゃ」

 臨戦態勢のアウロスに、地獄の底から鳴り響いて来たかのようなシワガレ声が向けられる。

 それと同時に、白い毛がもぞもぞ動く。

 アウロスは戦慄を覚えつつも、意を決して宙に文字を――――

「待たんかい! ワシを妖怪か何かと勘違いしとるだろ貴様!」

「どっちかと言うと生物兵器の方向です」

「同じじゃ! 名前と見た目で人を判断するでないわっ!」

 危険物は皆そう言う――――と指摘しようとしたアウロスだったが、落ち着いてみると、四肢や鼻と思しき部位が

 視覚的に確認でき、どうやら本当に人間だと言う判断を下さざるを得ず、編綴しかけた魔術をキャンセルした。

「全く……ミストの小僧、恐ろしいガキを連れてきおってからに……ちょっと待っとぅれ。そこにでも座っとぅれ」

 あの顔を小僧呼ばわりするクールボームステプギャー(正式に人名と確認)に凄まじい脅威を覚えつつ、

 アウロスは言われた通りに接客用の長椅子に座った。

 安物なのか、臀部と背中に当たる感触は余り柔らかくない。

 そもそも、それ以前に――――この部屋は人を受け入れる体制が整っておらず、床には金属片や虫食いだらけの古本が

 あちこちに散らかっているし、テーブルの上にはよくわからない物体が明らかに正式な置き方じゃない格好で転がっている。

 癒し効果を期待されて置かれた筈の花瓶には、黄土色の何かがアメーバ状にへばり付いていた。

 ついでに、それに挿されている花は食虫植物だ。

「これでよし、と。待たせたの」

 白い毛から四肢を生やした生き物がもぞもぞと動いて、アウロスの対面に座った。

 どこからが髪で、どこからが眉で、どこからが髭なのか、全く判別が付かない。

 そんな、感情の読みようがない顔を向けて来る。

「話はミストから聞いとぅる。書類は持ってきおったか?」

「はい……ああ、そうか。そう言う事か」

 アウロスはここでようやく、ミストの意図を理解した。

 アウロスの研究は、魔具科と密なリレーションがなければ成果が上がらない。

 ルーリングシステムの変更は、ルーリングを制御する魔具の改良も必要とするからだ。

 その為の訪問と言う訳だ。

「何じゃ?」

「いえいえ何でも。これが書類です」

 それをいちいち報告する必要もないので、さっさと封書だけ渡す。

「大学の備品を使わせるにも、いちいち許可を出さにゃならん。面倒じゃのう」

(毛の手入れの方がよっぽど面倒そうだが……)

 声は心に留め、視線だけ送った。

 書類は幾つかあり、それぞれ【備品使用許可書】【魔具持出許可書】【魔具科実験室使用許可書】【魔具科資料室使用許可書】などと書かれている。

 それに魔具科の教授であるクールボームステプギャーが印を押す事で、定められた期間はそれぞれの許可が下りる事になる。

 つまり、魔具科の様々な施設や備品を扱えるようになると言う訳だ。

「ほれ、これをミストに持ってけ」

 アウロスは印を押された全ての書類を受け取り、頭を下げてそれを仕舞った。

「ところで。貴様の研究は長年に渡って成果が出てない、ある意味禁忌と言われとる研究じゃ。勝算はあるんか?」

 勝算――――つまりは、誰一人成し得なかった先人の優秀な魔術士とアウロスとの相違点は――――ある。

 ルーリングと言う作業は単純に魔具でルーンを綴るだけでなく、文字に込める魔力の調整を行わなければならない。

 実はこの調整が曲者で、魔術をしっかりと使う事ができるかどうかは、この部分にかなりの比重が置かれている。

 例えば10の文字が必要な魔術を編綴する際、知識として必要なのはその10の文字と並べる順序だけだ。

 しかし、その一つ一つの文字に込める魔力の量は千差万別で、理想値こそ推奨されているものの、実際に全ての文字に

 その値と全く同じ魔力を込められるかと言うと、それは不可能に近い。

 何故なら、魔力を込めるその作業は感覚的なもので、これと言う決まった方法がないからだ。

 それ故に、同じ魔術であっても、威力・規模・射程範囲・速度などは編綴する人間によってそれぞれ微妙に異なり、

 当然、消費する魔力量も変わってくる。

 それらのバランスを上手く取って、少ない魔力の消費で有効的な魔術を編綴する事が、優秀な魔術士の条件と言えるだろう。

 アウロスはこの部分も余り得意ではなく、魔力の節約を優先してしまうあまり、仕留めるべき所で仕留め損なう経験が何度もあった。

 しかし、その部分こそが勝算の重要な要素でもある。

「儂の研究室とて人材に余裕はない。実る予定のない木に水を撒くなんぞ、まっぴらじゃからな」

「甘い果実をご所望なら、期待には応えられるかどうかはわかりません」

 アウロスの即答に、クールボームステプギャーの毛……もとい、顔が一瞬引きつる。

 しかしアウロスは構わず続けた。

「ただ、誰も見た事のない、毒か薬かすらもわからないような……未知の生成物を見たいのであれば、その願いを叶える事は可能です」

 キッパリとそう答えたアウロスに対する魔具科教授の反応は――――

「ぐぉぉぉぉぉぉぉ……」

 奇声。

 アウロスは指輪を光らせつつ、重心を下げて後退りした。

「面白い。魔術大学の教授を口説く文句とぅしては最高の返事じゃ」

「今の、笑い声だったんですか……」

 余りに奇妙な感情表現に、半眼で苦笑いを浮かべつつ――――アウロスは本日2度目の魔術キャンセルを施行した。

 これだけでも結構疲れたりする。

「若いのを1人貸す。要望や発案があればそやつに言え。貴様の望む魔具を作らせる」

「ありがとうございます」

 爽やかに礼。

「ぐぉぉぉぉぉぉぉ。若いとは素晴らしき事じゃのう」

 地震でも誘発しそうな笑い声に不安を抱きつつも――――取り敢えず、アウロスの研究環境は一歩前進した。



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