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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
128/383

第6章:少年は斯く綴れり(22)

 ミストの言葉は、単なる絶縁宣言ではなかった。

 思想の違い。

 見ているモノの違い。

 住む場所の違い。

 あらゆる、相容れない要素で研ぎ澄まされた、声と言う名の刃。

 老人の顔に、無数の傷のような皺が刻まれる。

 そのやり取りの一方で、アウロスは直ぐに総大司教の方へと視線を向けていた。

 ミストの思考とは正反対の意図で。

「総大司教……いや、ミルナさん。一つ聞きたい事があるんですが」

 ミルナの反応はない。

「グレスと言う名前の男に心当たりは?」

 しかし、返事すら待たずに尋ねる。

 アウロスに余裕はない。

 元々ない。

 常にない。

 だから、それを覆い隠す為に、口調や表情には細心の注意を払って生きて来た。

 それは、虚勢と言うよりは、擬態。

 自分より優れた人間に擬態する事で、大きな危機を乗り越え、明らかに格上の敵と渡り合ってきた。

 本来、この場はその集大成となる筈だった。

 しかし、アウロスはそれを止めた。

 擬態に必要な、微小な時間を惜しみ、素で問いかける。

 自らの全てを、一人の恩人の為に費やしてきた少年が、旅路の果てに辿り着いたのは――――自分を支えてくれた人達の危機を防ぐ為に必死になる、ごく普通の人間だった。

「……心当たりなら、あります」

「初めて会ったのは何処で?」

 ミルナは沈痛な面持ちで、答えを言い淀んでいた。

 間髪入れないアウロスの迫力に気圧された訳ではない。

 明らかに、別の理由がある。

 しかし、アウロスにそんな心の整理を待つゆとりはなかった。

「俺は別に貴方の事を怨んではいない。それを盾にする気もない。けど、本当の事を言って欲しい」

 それが理由の一つであれば――――そんな希望を込めて、懇願する。

 アウロスに出来るのはここまでだ。

「……クワトロホテルで、私の護衛をしていらっしゃった時です」

「それ以前に、貴女『自身』が彼と『直接』関与した事は?」

「……」 

 沈黙。

 それは、事実上の肯定だった。

 不意に、アウロスの顔に安堵が滲む。

 論文の件が解決した訳ではない。

 それどころか、光明すら見えないまま話が逸れてしまっている。

 紛れもなく、最悪の展開。

 だが、アウロスは心の底からホッとしていた。

『彼女』が救われた事は、この上ない喜びだった。

 その顔を隠しもせず、リジルの方に向ける。

「……良く、『こんな事』を知ってたな。教会の最高機密じゃないのか?」

「情報屋ですから。彼女がここに来る事は知りませんでしたけどね。それに、僕はアウロスさんの味方ですから」

 事もなげに言う。

 実際、『こんな事』の情報の質を考慮した場合、アウロスの支払った金額の100倍以上の市場価値は確実にある。

 それを敢えて提供したと言う事実は、彼の言葉に説得力を持たせた。

「そこまで気に入られる覚えはないんだが」

「ご存知の通り、僕には様々な顔があります。意識して使い分ける事もあります。でも、貴方はいつも、どの僕に対しても同じ接し方をしてくれます。何気に嬉しいんですよ、そう言うのは」

 リジルも、アウロスに負けず劣らず面倒な生き方をしている人間だった。

 ある時は迫害され、ある時は重宝され、最終的にはその血の所為で棄てられる――――そんな人間にとって、如何なる時も変わる事のない不敵さで自然に在り続ける姿は、嬉しくもあり、尊くもあった。

「だから、味方なんです」

「どうだか。エグい殺気でビビらせたりした癖に」

「え?」

 その反応は、リジルがこれまで見せて来た対応の中で、際だって不自然だった。

 つまりは――――素。

 アウロスの記憶が、思考によって急速に塗り替えられる。

 そうしなければ――――そんな警鐘が図中に鳴り響く。

「最初に仮面をして俺に会ったのは何処でだ。真実を言え」

 そして同時に、ある一つの可能性を見出したアウロスは、懐から小銭を取り出してリジルに投げ付けた。

 情報料としては余りに少ない額だったが、そう言う問題でもない。

「あれ? さっきはあれで全部って……」

「ヘソクリは別腹だ」

「やれやれ」

 最後までこの人は……と口元で呟きつつ、リジルは律儀に情報を提示する。

「ウェンブリー教会です」

「……となると、あの時の『アレ』は別人か。テュルフィングってのは個人名じゃなくて何かのコードネームか?」

「話が早いですね、いつもいつも」

 先に先に行くアウロスを諌めるように、肩を竦めて掌を返す。

「テュルフィングと言うのは、バランサーのコードネームです。僕のように情報屋を兼任している人が大半ですね。情勢に疎いと意味がないんで。恐らく僕以外にも何人か、ウェンブリーにいると思います。その中の一人と会ったんですね」

 アウロスの視界の外で、ミストと老人は未だに睨み合っている。

 奇妙な空気が流れる会場に、倦怠感が漂い始めたその時――――

「まあ、中には魔術士の『間引き』を専門にした人間もいますけどね。そう言う人は、生物兵器の仮名同様、こう呼ばれています」

 一つの気配が――――

 そして殺気が――――

 弾けるように発生した。

 それは人の神経を針で突付くような、エグい殺気。

 それに呼応するように、気配がもう一つ増える。

 悠久の情報屋、ラディアンス=ルマーニュその人だった。

「何かいる! そっち!」

 切り裂くようなラディの声が室内を伝う。

 大きく膨れ上がった殺気が、会場全体を蹂躙する中、リジルは淡々と言葉を紡いだ。

「――――魔術士殺し、と」

「仕事だ! そこの裏切り者……いや、ここにいる全員を間引いてしまえ!」

 それと同時にミハリクが吼える。

 アウロスは瞬時に指輪を取り外し、携帯していたもう一つの指輪を右手の人差し指に嵌めた。

「ルイン」

 そして、外した指輪を相応しい人に向け、投げ贈る。

「昔、お前を殺せって命じたのは、多分お前の母親じゃない。お前の母親を影で操っていた奴だ」

 刹那の中で、アウロスはあらゆる可能性を考慮した。

 そして、最も優先すべき言葉を、丁寧に綴った。

「良かったな」

 言い終えると同時に振り返り、殺気の方向に向けて右手を伸ばす。

 ピン、と伸ばした人差し指は、たった『一文字』を、それまでで最も早く綴った。

「……こう言う時に名前を呼べないのは、辛いのよ?」

「悪い」

 自動的に綴られる文字を前に、そして謝罪の言葉を後ろに。

 アウロスの元に残されたのは、後者だった。

(でも、もう暫く、この名を借りなきゃならないんだ――――)

 見覚えある仮面が、信じがたい速度で視界を埋める中。

 アウロスは、そんな事を考えていた。

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