第6章:少年は斯く綴れり(18)
周囲の雑踏が活性化の兆しを見せる中、ミストの頭の中は、それに反比例するかのように、静まり返って行く。
外部からの情報を遮断し、自らの思考を優先させる為だ。
(さて……厄介ごとが増えたな)
以前、グレスの要請でアウロスを魔術士ギルドに派遣した際、アウロスは総大司教から感謝状を受け取っている。
結果的にそれは、大学への贈呈と言う形で世に発表されたが、この件でアウロスと総大司教に何らかの繋がりが生まれた事は明白。
それに、もう一つ――――
(ルイン=リッジウェア。殺されかけたのだから、当然憎んでいると思っていたが……どうやらその先入観も捨てねばならないか)
【死神を駆る者】――――その二つ名に用があり、ミストは彼女を雇った。
魔術士殺しの噂を聞いた時点で、二つの役割を与えられると判断したからだ。
それは、自分の警護と、同胞殺しの犯人確保。
この時点では、彼女が総大司教の娘である事を把握してはいなかった。
情報屋として契約している『テュルフィング』から、その情報を仕入れたのは、偶然ではないにしろ僥倖。
ミストは、自らの持つ絶対的な運に確信を持った。
労せずして、教会に楔を打つ為の最強のカードを手に入れたのだから、当然だ。
しかし、そのカードは不良品だった。
それでも戦闘要員としての手駒である事に変わりはなく、裏方としては十分な役割を担っていたのだが――――
(ここに来て裏目とはな。もう少し人間関係の把握に力を注ぐべきだったか)
教授になった代償として、大学を空ける時間が多くなった。
結果、研究室内の人間関係の変化が、中々実時間で得られなくなった。
それ故に、歓迎会と言う名目で人を集めたり、部下に監視をさせたりした。
その成果もあり、アウロスとルインの関係がある程度近くなっていた事は把握していたが、ルインにとって憎悪の対象である筈の母親――――総大司教との便宜を取り持つ程の間柄である事は、全くもって想定外の事。
そもそも、幾ら命を助けられたとは言え、或いは仮に娘と近しい人間であったとしても、各国の王に等しい権力を持つ総大司教が、一魔術士の為に自ら御忍びで赴くと言う事自体、考えられない行為だ。
(アウロス=エルガーデン……)
ミストは改めて、自らと敵対する事を選んだ少年を見やる。
あどけなさはほぼ消えているが、大人びた雰囲気も殆ど感じられない、年齢相応の顔。
その中に、食わせ者の多い魔術研究の権威の面々すらも上回る脅威が潜んでいるなど、誰が想像出来るだろうか。
(やはりお前は、ここで消えるべき人間だ。ここで……消しておく必要がある魔術士だ)
ミストの目が、徐々に凍て付いて行く。
その瞳の中に映る標的を凝結させんばかりに。
そして、開口――――
「まとめてお答えします」
徐々に大きくなっていた雑音は、その一言で瞬時に消え失せた。
「まず、生物兵器の使用についてですが……初めに、これが事実である事を伝えなくてはなりません」
代わりに、呻き声にも似たざわめきが起こる。
ミストは気にも留めず続けた。
「ここに至る背景として、まずは、この研究が既に何通りものアプローチを試されている事が挙げられます。つまり、普通の、常識に囚われたやり方では上手く行かない事が証明されている……と言う事です。当然、特殊な着眼点が必要となります。その数ある発想の中で、魔術士の忌避する『生物兵器』と言うものが出て来ました」
生物兵器を使用する具体的な必要性については、大量生産が可能だと言う一点に尽きる。
それをクリアする為の止むを得ない処置、と言っても過言ではない。
仮に、アウロスが論文発表者と言う立場であったとしても、確実に突かれていた部分。
それを――――果たしてどう言い逃れるのか。
聴衆の、そしてアウロスの耳に、その声を拾う為の力が籠った。
「無論、当初は大きな抵抗を覚えました。我ら魔術士と、生物兵器の製造者たる【トゥールト族】の関係は、説明には及ばないでしょう。魔術の研究にこの技術を用いれば、非難は避けられません」
ミストはまず、誰でもわかる構造を敢えて口にした。
重要なのは、その避難対象を公表するか否か。
大学の研究は、お金にならなければ成立しない一方で、利益主義と言う批判にも敏感だ。
表立って宣言する事で、透明性を強調する事も出来るが、大したメリットはない。
だからこそ、アウロスは別名を用意する事を選択した。
とは言え、この場でミストがそれを答えとして提示したとしても、説得力には欠ける。
何故ならその手法は――――アウロスだからこそ、説得力を有する手段だったからだ。
アウロスには、魔術士の資格はない。
そもそも、アウロス=エルガーデンですらない。
『魔術士』
『アウロス=エルガーデン』
その『別名』を背負っているからこそ、魔術の研究を重ね、そして成果を発表するまでに至った――――アウロスは、そう説明するつもりでいた。
この研究発表の場で、アウロスの名を『少年』に返還するつもりでいた。
ミストには、その方法は使えない。
よって、別の理由が要る。
「が、しかし。社会的観念、民族間の抗争、常識、通念……そう言ったものに囚われ、研究の幅を狭めるのはどうなのか――――研究者としての誇りが、そう訴えかけて来ました。そうして同時に、現在の魔術士界は余りにも、過去の亡霊に怯え過ぎていないか、と言う危惧を覚えたのです」
「危惧……? それは例の戦争の事ですか?」
ミルナの問い掛けに、ミストは真顔のままで頷く。
「その通りです。我々は生物兵器と言う一技術に過ぎない存在に、敗戦の念をフィードバックさせ過ぎている。確かに、生物兵器は魔術士を滅ぼすと言う意図の元に創られた兵器ですが、我々までその原点を尊重する必要はありません。技術として扱う事で、魔術士の慄然たる矜持が保たれると考えました」
生物兵器を使用する正当性としてミストが提示したのは、自身の理想とする魔術士像だった。
しかしそれは、あくまで個人的見解の域であって、説得力と言う点では欠ける。
魔術士がどうあるべきか、と言う方向に論点が摩り替えているとも取られかねず、印象としては良くない。
実際、一部の聴衆の中には露骨に不快感を表情で示す者もいた。
「無論、独りよがりにならない為にも、協力者は必要です。そこで私は、魔術士と【トゥールト族】の混血たる人物と交渉し、彼に協力を要請しました。既に契約を交わしています」
言葉を紡ぎつつ、ミストは自分の発言に余り力が宿っていない事を実感していた。
これは自分のペースではない。
本来ならもっと円滑に、そして堂々と述べる事が出来た筈だった。
主体的な発言であれば説得力も生まれる筈の意見でも、質疑に対する応答としてだと、まるで言い訳に聞こえてしまう。
アウロスの先制攻撃は、確実にミストを痛め付けていた。
「彼の指摘する通り、他のやり方もありましたし、検討もしました。だが、研究者として、そして魔術士として、適切な判断の元に私はこの方法を選びました」
少々おざなりで、苦しいまとめを口にせざるを得なかったミストは、講義室中央に座る少年を睨みたい心境でじっと見つめた。
「……次に、彼が何故、この研究内容について熟知しているか。それについてお答えします」
そして思う。
次はお前が守勢に回る番だ――――と。
「彼は、私の研究スタッフの中の一人です」
再び、ざわめきが起こる。
生物兵器の時以上に、その音量は大きかった。
「オーサーの中に彼の名前を入れてあります。ファーストは私、セカンドは共に魔具の製作を行ってくれたウォルト=ベンゲル……そこにいる彼です。そして、魔具科の長であるクールボームステプギャー=ベレーボ教授にも協力して頂きましたので、連名をお願いし、快諾して頂いております。そして……私の手伝いをしてくれた数人の中の一人として、彼――――アウロス=エルガーデンの名前も連ねてあります」
オーサー。
それだけなら、論文の著者の事を指すだけの、単なる一般名詞に過ぎない。
だが、そこに『順番』を意味する言葉を加え『オーサーシップ』とするだけで、研究者にとって、非常に重要なものになってくる。
論文は、単に文章をまとめるだけでは作成できない。
過去の膨大な実験データや資料を集め、それを読解し、研究の主題および副題に必要な実験を重ねて行く過程もまた、論文作成の中の一要素。
よって、分野によっては、単独で著す事は難しいと言う一面がある。
事実、アウロスも、実験の際にはクレールやリジルに幾度となく手伝って貰っていた。
だからこそ、大学と言う機関が存在すると言っても良い。
よって、大抵の場合は複数のオーサーが存在するのだが、その場合、研究に対する貢献度の大きさによって、その序列が付けられる。
分野によって、多少定義は異なるものの、最も貢献した人間を『ファーストオーサー』として記載するのが一般的だ。
そして、次に貢献した人間を『セカンド』、『サード』と序列して行く。
セカンド以降は特に重要視されないので、余り意味はないが、最後に記載される『ラストオーサー』は、当該研究の最高責任者が名を連ねる場合が多い。
ミストは、アウロスの名前をオーサーの一人として連ねていたが、それはファーストでもセカンドでも、ましてラストでもなかった。
それは、この研究における彼の役割が『まあまあ頑張ってくれた小間使い』程度だったと言う主張に他ならない。
「順列に不満があったのかもしれません。彼は良く勉強していました。そして良く手伝ってくれた。恐らく論文の中身も、殆ど把握しているでしょう。しかし、物事にはどうしても序列を付けなければなりません。彼の名をセカンドに入れなかったのは、私の判断によるもの。それがこのような状況を生んだ事は、真に遺憾です。身内の恥を晒してしまい、申し訳ない」
一礼し、顔を上げた瞬間、アウロスの顔が視界の中心に収まった。
「……宜しいでしょうか?」
この日初めて――――ミストは心からの笑みを浮かべた。