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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
122/383

第6章:少年は斯く綴れり(16)

 室内が異様な緊張感で支配される。

 総大司教ミルナ=シュバインタイガーの存在は、学会や大学の権力者が集うこの中でも、明らかに浮いていた。

 それもその筈。

 教会の幹部位階三位に君臨する彼女の権力は、第二聖地ウェンブリーにおいて最高の位置にある。

 ウェンブリー教会の頂点である『首座大司教』よりも上だ。

 つまり、この場はおろか、この地域で彼女に意見を言える人間はいないと言う事だ。

 そんな人間が、何の予告もなく、しかも単身で論文発表会を来聴するなど、普通なら絶対にあり得ない。

 この場に特別な何かがあると言う事は、疑いようのない事実だった。

「……」

 魔術士ではないアウロスにとっても、彼女が雲の上の人物である事に変わりはない。

 だが、一度悩みを相談されている事もあり、遠くの存在と言った印象はなかった。

『あいつはな、戦争にかこつけて、一つの村の住民を皆殺しにしやがったんだ。それも、自分の国の村をな』

『ルインさんは、第二聖地ウェンブリー総大司教ミルナ=シュバインタイガーの、本当の子供です』

 同時に、他者の口から語られた、彼女を形成する重要な事項が頭を巡る。

 自分の印象、他人の印象、そして真実――――どれが近いのか、或いは遠いのか、アウロスはまだ掴み兼ねていた。

「そ、総大司教様……あ、あの……」

「私の事はお気になさらないで、お続けになって下さい」

 総大司教は余りに無茶な要求をするや否や、その足を聴衆席に向ける。

 その場にいる殆どの人間が、驚愕で表情を引きつらせる中、澄ました顔で机の間をすり抜けるように歩き――――アウロスの隣に腰掛けた。

「御久し振りね」

「本当に」

 あの総大司教が、一人の少年に自分から近付き、話し掛ける――――その異様な光景は、論文発表会の会場である事を、その場にいる全員に一瞬忘れさせた。

「フ……」

 その中で、一人の男が心底嬉しそうに笑みを漏らす。

 ミスト=シュロスベル、その人だ。

「で、では、続けます。次の方、前へどうぞ」

 ミストが席を立つ。

 そして、未だ室内が異様な雰囲気に包まれる中で教壇に立ち、部屋全体をぐるりと見渡した。

 程なく、その中心にある二つの顔に視点が定まる。

「懐かしい雰囲気。心が躍りそう」

「お若いですね」

「あら、御上手」

 司会役の男が時間計測係に視線を送る。

 それを合図に、最前列の右端に座る男が、大理石の粉を用いた砂時計を逆さにした。

「昔はこれでも、研究の虫だったの。朝から晩まで、それこそ寝る間も惜しんで粉骨砕身、努力し続けたものよ」

「魔術士の鑑、ですか」

「残念だけど、そんな綺麗なものではなかったのよね」

 司会の男がミストに視線を送り、頷いて見せた。

 この瞬間から十五分間が、ミストに与えられた発表の為の時間だ。

 しかしミストは口を開かない。

 沈黙のまま、視線の先にいる二人を見ていた。

「私は、人の道を踏み外した魔女。私の所為で人生が狂った人間は数知れず。例えば……」

 ミストの視線を正面で受けるアウロスに、今度は総大司教の視線が向けられる。

 この場の中心人物が、誰であるかを指し示すかのように。

「貴方、良く冷静でいられたものね。普通の神経をしていれば、私の顔を見た瞬間に飛び上がっているでしょうに」

 総大司教のその言葉は――――初対面時の話。

 二人にしかわかりようのない内容だ。

「貴女の顔は知りませんでしたから。当時、見たのは恐らく一度くらい。それもほんの僅かな間です。記憶には残りません」

「あら。でも今は違うでしょう?」

 アウロスはその問いには答えず、表情も変えず、視線だけ横に向ける。

 常に砕けた雰囲気の、最高権力者に対して。

「ここに来たのは、誰の要請ですか?」

「残念だけど、口止めされているの。私はお飾りだから、怖い人には逆らえないのよね」

「笑う所でしょうか、ここ」

「発表者が泣いても良いのならね」

 上品に笑みながら、総大司教はミストの方に顔を向けた。

 それに伴い、視線の固定を解除されたアウロスは、辺りを一通り見渡す。

 出入り口付近に、今しがた到着した知り合いの顔が見えたので、何となく微笑んでみた。

 特に意味はなかったが。

「彼の発表を聞く為に、ここに来たのではないけれど。一応聞いておかないと」

 総大司教のその言葉が、ミストに聞こえた訳ではないだろうが――――

「宜しくお願いします」

 それが合図であったかのように、注目の論文発表は始まった。



 清々しい程に蒼く清んだ空に、ミストは一抹の不安を覚えていた。

 昔から、天候と気分が一致する事の少ない人間だった。

 何か不利益があると言う日は決まって、今日のような天候。

 しかし、裏を返せばそれは警告――――神からの啓示とも取れる。

 ありのままを受け入れれば、負債の中に眠る金色の糸を見つける事は決して難解ではない。

 ミストはあらゆる障害を想定し、この場に挑んでいた。

(とは言え、まさか、総大司教が御来賓なさるとはな。呼んだのは、恐らく……)

 ミストの視界に、一人の老人の姿が映る。

 クラスラード兄弟の襲撃の事情説明以来、最も好感触を得ている教会の幹部の一人だ。

 その左右にいる若い魔術士には面識がなかったが、彼の部下である事は想像に難くない。 

 事情説明の際、ミストはアウロスの研究を餌とし、教会との繋がりを強化しようと試みた。

 その結果、一人の幹部がミストへ恋文をしたためて来た。

 今度の発表会での評価如何では、特許を含む研究そのものの権利を全て買い取っても良い――――そう言って来た。

 それはつまり、完全なる癒着を望むと言う事だ。

 ミストを相棒に選んだその幹部の名は――――ミハリク=マッカ。

 司教と言う地位にいる人間との癒着は、今のミストの身分からすれば、破格とも言える好材料。

 だが、同時に懸念もあった。

『身体検査』の結果、幾つか問題点が見つかったのだ。

 その中の一つが、早くも顔を覗かせた格好となった。

(権力者と言う者は大抵、自らの欲を深く覆い隠すか、大っぴらにするかのどちらかだが……彼は後者か。困ったものだ)

 そう思う一方で、内側から込み上げて来る歓喜の歌を無視する事も出来ない。

 研究者は想定外の出来事に対し、忌み嫌う者と、好き好む者が両極端に分かれる傾向にある。

 ミストは完全に後者の部類。

 とは言え、この状況は喜んでばかりはいられない。

 ミストには明確な目的がある。

 それは、魔術士界の頂点に君臨する事だ。

 現在、魔術士の中で最も権力を有する人間は、教会の幹部位階一位である【教皇】と言われている。

 世襲制ではないので、ミストがその地位に付ける可能性はあるのだが、その道のりは余りに険しい。

 ミストが生まれた家庭は、裕福には程遠い、どちらかと言うと貧民と呼ばれる部類の家だった。

 上位者は名家の出でなくてはならない、と言う決まりはなくとも、それが暗黙の了解となっているのが現実。

 未だ、保守派で塗り固められた上位者の面々が、それを如実に現している。

 八年前――――魔術士の尊厳と誇りを粉々に打ち砕いたガーナッツ戦争。

 それが、ミストの行動理念を決定付けた。

 仲間が殺されたとか、恋人を拉致されたとか、そう言った切実なエピソードは存在しない。

 ただ、魔術士は騎士の助手、小間使い、奴隷……そう呼ばれる事に、この上ない恥辱を覚えた。

 ミストは、魔術士と言う存在に絶対的な信仰心を抱いている。

 一つの術が生まれるまでに、何人もの賢人が知恵を出し合い、試行錯誤し、研究に研究を重ねなくてはならないその過程が、何よりも貴かった。

 かつて超常現象とすら呼ばれた概念を、自らの手で具現化するカタルシスに酔い痴れた。

 人が人を超えたと錯覚する瞬間が、たまらなく好きだった。

 思い通りにならない研究と、その果てに辿り着く境地が、何よりも嬉しかった。

 それ故に、そんな魔術士を見下す連中、そしてそれを許している現状が、どうしても許せなかった。

 ミストを支えているものは、情愛でも執念でも飢餓感でも憧憬でもない。

 魔術士としての純然たる誇りに他ならない。

 そして、完全なる合理性を武器に、一つの想いを成し遂げる――――その生き方は、アウロスとよく似ていた。

(似ていると言われるのも仕方がない、か)

 そう分析し、眼前の顔を眺める。

 隣には総大司教。

 その周りにも、教会や学会の上位者が犇くこの場所において、その顔は取るに値しない、ちっぽけな存在である事に、誰一人として異論は挟まないだろう。

 にも拘らず、脳が警戒を促すのは、アウロス=エルガーデン――――その一点のみ。

 思い入れによる感情論ではない。

 長い年月を使って形成して来た経験則が、警鐘を鳴らしている。

(認めるしかないな。アウロス=エルガーデン。私はお前を恐れている)

 十年以上長く生きていると言う事実が、そして二十代で教授となった自身のステータスが、それを拒み続けて来た。

 しかし、この発表会を最善の形で終わらせる為には、まず認めなければならない。

 そして、考えなければならない。

 それはミストにとって――――いつも通りの決断だった。

「では、【魔術編綴時におけるルーリング作業の高速化】についての発表を始めさせて頂き……」

「質問があります」

 儀礼的な言葉すらまだ途中だと言うのに――――天に向けて、一本の腕が伸びる。

 ミストは、改めて認識した。

 この講義室の中心に座っている男が、自分にとって、どう言った人間なのかを。

 そして、その手の遥か上に広がる、一面の蒼の意味を。

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