第6章:少年は斯く綴れり(14)
翌朝――――
特別な一日の始まりは、誰もが見た瞬間にそう認識する程、完璧な快晴だった。
雲は一つもなく、光のムラもない。
同じ色で染まり切った一面の頂は、人を何処までも惹きつけて止まない。
アウロスは誰よりも早く、その空を眺めていた。
「……おはよう」
その姿を、寝起きの段階で視界に収めたウォルトが、目を擦りながら近付いて来る。
その足元で、体格に恵まれた男が幸せそうに涎を垂らし眠っていた。
「どう? 頭の中はまとまった?」
「変わらないな。やれる事をやる以外に何もない」
「いつもと同じって事だね」
「ああ」
自分への確認の意味合いも込め頷き、同時に寝転がっているラインハルトの頭を蹴る。
「ふあ~ぉ」
痛覚がないのか、何一つ気に留めず目を覚ました。
「よう。頭大丈夫か?」
「その聞き方は朝一でケンカを売っているものだと判断するが」
「なんでキレんだよ! 心配してやってんじゃねえか!」
朝っぱらからがなるラインハルトと、それを冷めた目で受け流すアウロスの二人を、ウォルトが微笑みながら諌める。
『仲良し三人組』とでも題名が付きそうな絵だ。
「凄いよね、アウロス君は。自分の運命を決める日でも、いつもと何も変わらない。どうしたらそんな風に振舞えるの?」
特にこのやり取りがいつも通りと言う訳でもないのだが、ウォルトの目にはそう映ったらしく、感心や呆れと言うより、心底羨ましそうな感情を込めて聞いて来る。
「……心の何処かに、他人事だと思ってる自分がいる。毎日それと戦ってるから、他の事に構ってる余裕が余りないんだ」
アウロスのその言葉は、人間ならば誰しもが対峙する問題だ。
実際は――――他の理由もあるのだが、それは秘密にしておく事にした。
「何だそりゃ。意味わかんねー」
「さ、朝食でも食いに行くか。ここのマスター、料理は下手糞だから期待はしない方が良いぞ」
半ば強引に話を遮断し、寝室を出て一階に降りる。
階段に足を掛けた時点で、既にその下が騒がしい事に気付き、アウロスは髪の毛を掻き毟って嘆きを露わにしながら、一階の床を踏んだ。
「なんだいこの季節の野菜のサラダ的な盛り合わせ! 肉だ、肉持って来い! 肉! ぐるるっ!」
「君は何処の肉食動物だい!? 朝からお肉食べさせろなんて言う女の子他にいないよ!」
「うるせーうるせー! あっ、ロッくん! ちょっとこの融通利かねー酒バカマスターになんか言ってやってよ! 肉拒否とか人間としてどうなの!?」
「……今の呼称が噛んでの狼藉か、素での暴挙かで内容が変わってくるけど、良いのか?」
微妙に殺気を放ち、ラディをビビらせるアウロスの視界に、死神とか狩ってる長い黒髪の女性が入る。
朝は苦手なのか、表情は元々暗いものの、更に暗い。
「煩い事この上ない……」
そんな不機嫌極まりないルインのヤブ睨みに、ビビリ気味だったラディの顔が更に怯えの色を濃くした。
「あんたの女絡み辛い。どうにかして」
「ええっ!? アウロスくんの女!? かっ、かっかっ彼女!? 彼女が彼女!?」
「違う」
アウロスが最小言語で否定すると、ラディが顔に手を当てて深い溜息を落とした。
「あんたねえ、この期に及んで女に恥をかかせんじゃないよ。見なさい、イラっとした目でこっち見てるじゃない」
「お前らが煩いからだろ」
「おおう、他人の気持ちを断言しましたよ。これはアレですか、以心伝心と言うヤツですか」
「……」
再び放った殺気に、ラディの顔はおろかその場の空気が凍る。
「メシ」
「う、うん。了解しました」
微妙な空気の中、朝食が並ぶ。
「いや、でも本当、感慨深いね。こうしてアウロスくんと一緒に朝食を食べていると、つい昨日の事のように思い出すよ……あの頃を」
「懐古は年寄りの証拠よねー」
「そ、そんな事ないよ! ボクは30代真っ盛りだよ! 朝から肉なんて食べる野獣にそんな事言われたくないよっ!」
「あ!? 誰が野獣だコラ! こんなフローラルでミントな女性掴まえて何つー事言いやがるこのハゲヒゲフー!」
「なっ……何って生意気で下品な子なんだ! 教育した人間の顔が見たいよもう……あっ」
叫び倒すマスターの目に、訪問者の目の中にいる自分が映る。
昨日破壊されたボードの破片が放置されている出入り口の前に、その男は立っていた。
「こんにちは」
「あれ? リジルくん。随分久し振りだねえ」
決して酒場とは相容れない外見の男が、場慣れした足取りで入ってくる光景は中々にシュールだった。
そして、自称30代のハゲヒゲマスターとのコントラストもかなりシュールだった。
「……まあ、情報屋をやってるんなら、繋がりがあってもおかしくはないけどな」
「そう言う事です。広く深くの業界なんで、出来る限り多くの人と知り合っておかないといけないので」
我が家のような気軽さでテーブルに同席し、朝食のスリーフィンガーハムを頬張る。
肉類を奪われたラディが憤慨する中、リジルの顔が小悪魔的な笑みを携えた。
尚、男なので不気味さしかない。
「いよいよミスト教授と対決ですね」
「別に宿敵って訳じゃないんだから、無理に盛り上げる必要はない」
「向こうはそうは思ってないみたいですけどね」
苦笑しているが、リジルの目は笑っていなかった。
「アウロスさん、『席を取ってある』って言うのは、嘘ですよね」
「ええっ!? そうなの!?」
過剰反応するラディを無視し、続ける。
「良く良く考えれば当たり前の事ですよね。一日でそんな事出来る訳がない。いくら会場がかつての学び舎とは言え」
反応すべき当の本人がほぼ無反応だったのが面白くなかったのか、若干早口になった。
「じゃあ、まずは入室の方法から考えないとダメって事? それってキツいんじゃないの?」
「ああ、入室だけなら問題ないですよ。名簿に名前さえ書けば、誰でも入れるようにはなってます。発表後に質問する事も可能です」
「なら問題ないじゃねーか」
ラインハルトの言葉に、リジルが小さく肩を竦ませる。
そして、テーブルに両肘を付き、組んだ両の手を口元に寄せ、呟いた。
「アウロスさんが今回やろうとしている事を、僕なりに推測します」
探るような目でアウロスを見る。
情報屋特有の、ねちっこいその視線を向けられた対象は、軽く眉を顰めた。
「アウロスさんの目的は、自身の論文を、ミスト教授ではなく自分が書いたと証明する事、だと思います。その為には、見物にやって来るであろう学会や教会の偉い人達に『それを認める事が自分の利になる』と思わせなくてはなりません。正義感に溢れた権力者がその場にいれば、話は別ですが……まずあり得ません。と言うか、この世にいるかどうかも疑わしいです」
実際問題――――正義を愛する権力者がいないかと言うと、そんな事はないだろう。
しかし、割合的には絶滅種と呼ばれる部類のもので、そんな確率を期待するのは滑稽でしかない。
「そんな訳で、アウロスさんには次の行動が必要になります。1……自己アピール。2……自分がその論文を書きましたと言う証拠の提示。3……それをミスト教授以上の権力者に認めさせ、ミスト教授の行為を糾弾させ、是正させる事。4……その恩を返す事」
「ちょっと良いかな」
珍しく、話の途中にウォルトが割り込んで来る。
「ミスト教授が自ら非を……って可能性は?」
「ないな」「ない」「ないです」「ないない」
アウロス、ルイン、リジル、ラディの四重奏に、ウォルトの腰が及ぶ。
「彼の推進力に感情や道徳観はありません。それは僕が保障します」
「そうなんですか……」
自分を大学に留めた人物に一抹の期待を抱いていたらしきウォルトは、残念そうに俯いた。
「で、結局何が問題なんだ?」
進行役を買って出たラインハルトに、リジルが人差し指を立てながら微笑む。
「発言力がない。これに尽きます」
そして、キッパリと言い切った。
「質問する事は可能です。その際に自分が何者で、どう言う理由でここにいるか、と言う事を発言する事も容易に行えるでしょう。ですが、自分がこの論文を発案から執筆まで全て行い、ミスト教授はその手助けだけしかしていない……そのアピールが権力者の耳に届くかと言うと、厳しいのが現状です」
「権力者は保守派ばかりだから」
ルインの補足に、リジルが深々と頷く。
「そうです。権力は権力を護ります。ある意味、自然治癒と同じ法則です」
「そして、ミストはその位置に足を踏み入れている」
権力者と言えど、その作用の中に組み込まれるには、それなりの実績と社会的価値を必要とする。
そして、20代で教授となったミストは、既にそれを手に入れていた。
「それじゃ、もうダメじゃん。ロスくん、どうすんの?」
「僕もそれを聞きに来たんですよ。席と言うのが言葉通りの意味だと言う事は当然ないんでしょう? 嘘を吐いてまで僕との取引を拒んだ理由も知りたいですね」
ラディの発言に乗っかって来たリジルに向けて――――アウロスはこれから始まる未曾有の闘いに向けての予行練習のような心意気で、口を開いた。
「お前はミストの協力者だろう? 組める訳がない」
その指摘に――――リジルが狼狽を見せる。
表情もやや固くなったが、何より瞬きが多くなった。
「そりゃ、古い知り合いとは言いましたけど……僕はアウロスさんと同じで、研究室を辞めた身ですよ?
しかも彼の所有物であるドラゴンゾンビを逃がしたんですよ?」
「あれはミストの脚本だろ」
更なる指摘がリジルを襲う。
「恐らく、ミストはあのバカ兄弟と取引でもしてたんだろう。だが、あの連中と繋がりを持った所で、ミストに大した利はない。教会での立ち位置を確約させるだけの権力もないし、上に目を掛けられるようなタイプでもない。聖輦軍の長と言えば聞こえは良いが、結局はトラブル処理班だからな」
「……」
「俺なら、連中を利用して、教会自体に貸しを作る。そして、それを足懸かりにして、揺るぎない土台を作ってくれる連中に売り込みを掛ける」
「つまり、あのいざこざはミストが教会に貸しを作る為の茶番……?」
その茶番に関わっていたルインが、眉をひそめて呟く。
「推測だけどな。取引は恐らくフェイク。ドラゴンゾンビを餌にして連中をおびき寄せて、大学内で一暴れさせる。それを大学関係者以外の人間……例えば調査員にでも目撃させ、その件に客観性を持たせた上で、教会に責任を問う。どうだ?」
「おお……ロスくん何かインテリっぽいぞ。さすが大学研究員、元!」
「奇妙な倒置法使わないで頂戴」
ルインの不機嫌そうな指摘に対し、ラディは待ってましたと言わんばかりに人を喰ったような笑みを浮かべた。
「あーらー、さすがに夫がバカにされるのは我慢出来なくて? おほほ」
「ああっ、またバカ弟子が醜態を……」
マスターが嘆く。
場が混沌として来た。
「仮に、それが全て真実通りだとしましょう」
そんな空気を無理矢理冷却するかのように、ルインの凛とした声が周囲に浸透する。
「そうなると、当然リジルはミスト教授の協力者と言う事になるのね。ドラゴンゾンビを誘導して、教会の連中を誘き寄せたのは、彼の主導なのだから」
「ああ。そもそも、本気でドラゴンゾンビを護りたいなら、もう少し効率の良いやり方がある。封術を利用したりな。あの時、お前は連中をおびき寄せる為の時間を調整してたんじゃないのか? 早く追いつかれると地下での戦いになってしまうし、遅過ぎると連中が見失って夜明けまでに大学にまで来れない可能性もあった」
そこまで述べ、アウロスはリジルに視線を向けた。
図らずも、情報屋に情報戦を挑む形になったが、勝算は多分にある。
「……どうなんだ?」
それを確認する為に、低い声で尋ねた。
すると――――リジルは爽やかな笑みを零し、両腕を挙げて降参の意を露わにした。
「バレましたか」
「チッ、当たらずとも遠からずか」
「いやいやいや! 僕ちゃんと言いましたよね、バレたって。全肯定ですよねこれ……」
そこまで言って、気付く。
「今のも引っ掛けですか。反応を見定める為に」
「まあ、念には念をな」
苦笑するアウロスに、リジルは全身を弛緩させ、首を横に振った。
「もう何と言うか、唯々面白いですよね。そこまで読もうとも思わないですよ、普通は」
「ここまでやって、ようやく人と同じ高さに立てる仕様の人生だからな。仕方がない」
それは間違いなく事実だった。
だからこそ、ここまで曲がりくねった生き方になってしまっている。
それでも、今のアウロスに不満は全くなかった。
「わかりました。真実をお話します。何故僕がミスト教授に協力するのか……」
「それは良い。もう時間だし」
「え゛」
壁に掛けられた時計を差しつつ、アウロスは最後のスリーフィンガーハムを手に取り、立ち上がった。
「結局最後まで遊ばれっぱなしですか……これでも、裏の世界ではニヒルな感じで通ってるのになあ」
「良い準備運動にはなったよ」
少し皮肉気に呟くアウロスに対し――――リジルが真顔で向き合って来る。
アウロスの記憶にはない顔だった。
「本当に、僕の力は必要ないんですか?」
「ああ。お前はミストの仲間だからな。敵の味方は敵。基本だろ」
「でも、僕はアウロスさんの敵ではありませんよ。それは本当です」
「あっそ」
やたら淡白に受け流したアウロスの様子に、リジルは思わず苦笑する。
年上の余裕と言うには、少し寂し気だった。
「ところで、私達も見学出来るの?」
そんなやり取りを見届けた後、ラディが目を輝かせ問う。
明らかに含み笑いを心中に隠した顔だった。
「出来るだろうけど……見てどうすんだ?」
「ふっふっふ。いざとなったら、煙玉投げて逃亡の手助けを」
「するな。風で吹っ飛ばされて御用だ」
「うがっ! 魔術士怖っ!」
奥の手をシミュレートの段階であっさりと攻略され、ラディは恐怖に怯えた。
「それよりも、お前は仕事があるだろ。ちゃんと働けよ」
「へいへい」
返事は適当ながら、その目はしっかりと仕事の出来る人間の持つ光を放っている。
まだ若いとは言え、仕事に関してはラディアンス=ルマーニュ、本名(笑)グラディウス=ルーワット(笑)は侮れない女性だった。
「ミストの発表時間は10時15分からだ。見に行くのは構わないけど、一つお願いがある。俺に何が起きても、俺が何をしても、決して動かないでくれ。見守っていて欲しい」
アウロスは全員の顔――――特にルインの方を見ながら、介入禁止令を発動させた。
「それでミスト教授に勝てますか?」
「勝ちも負けもない」
そして、不敵に問い掛けるリジルから視線を外し、光の注ぐ入り口へと振り向く。
決意の顔を誰にも見せないまま、挑戦者は静かに告げた。
「目的を達成しに行くだけだ」
25/7/13
改行の不具合に関する御指摘を頂きましたので修正致しました。
御教示頂き誠にありがとうございました。