第6章:少年は斯く綴れり(13)
【第三十五回 魔術学会前衛術研究論文発表会 会場】
発表会を前日に控え、【ヴィオロー魔術大学】はその会場設営に追われていた。
論文の発表の為にこの大学を訪れる魔術士の数は、実に200を超えると言われている。
聴衆や役員、魔術学会関係者などを含めれば、その数は更に上積みされるだろう。
よって、下見に訪れる人数もかなり多く、局地的に人口密度が大きく跳ね上がった状態が生まれ、混沌とした様相を呈していた。
何故、これだけの人数が集まる大きな発表会が、【ヴィオロー魔術大学】で執り行われるのか。
それには、明確な理由が存在している。
それは――――棟の数だ。
【ウェンブリー魔術学院大学】と【ヴィオロー魔術大学】を比較した場合、その殆どの要素で前者が勝る。
大学としての格、職員の実績、学生の質、卒業生の社会的貢献度、施設の充実度、衛生状態など、あらゆる部門で見劣りする【ヴィオロー魔術大学】だが、建築物の多さに関しては、一日の長があった。
それは、大学全体の方針、方向性が関係している。
多くの学生と研究員を募る為に、今から10年程前に改築工事を行い、分野毎に棟を建築する――――と言う、かなりブルジョア仕様な改革に打って出たのだ。
尤も、10年経った今も尚、その成果が数字として現れる気配はなく、支出の増加に実績が追い付いていないのが現状だ。
とは言え、今回のような論文発表会などの大掛かりなイベントには重宝されるので、その際に生じる利益が大学の運営費をかなり幇助している。
大学としての本分は逸脱しているのだが――――
「まあ、その恩恵もあったからこそ、俺はここに入れたんだろうけどな」
結果として、それによって魔術士となれた人間もいる。
アウロスはそんな過去に対して、感慨を持たずにはいられなかった。
一つ一つの棟に目を向けつつ、小さく息を落とす。
無論、全ての建築物に対して思い入れがある訳ではない。
そもそも、思い入れと言う点では、つい最近まで所属していた【ウェンブリー魔術学院大学】の方が強い。
アウロスにとってこの場所は、人間関係に関する知識及び忍耐力の養成所だった。
「しっかしまあ、無駄に建物多いよね。取り敢えず学食のレベルを試すには何処行けば良いんだか」
「女のレベルも微妙だな。才女ってのは中々お目に掛かれないから、結構期待してたんだがな」
後ろに控える俗物二名の呟きを無視し、前衛術科のある西棟と目指す。
敷地内にある建築物の数は10を超え、研究施設だけでも東西南北に4つ、更に学生の使用する講義室専用の棟も同じ数だけ聳え立っている。
建築物を結ぶ道は、公道と同等の整備をされており、常灯や景観の為の植物も設置されてる。
まるで街中を歩いているような、奇妙な錯覚すら感じさせる空間がそこには広がっていた。
「すごー……なにアレ」
そんな人工物の充実っぷり――――は完全に放置し、ラディは大学に集った人々の様相に目を向けている。
そこには、混沌と言う言葉がまさに相応しい程、様々な格好の魔術士で溢れかえっており、中には明らかに発表会とは縁のない。夜の匂いのする衣服に身を包む者までいた。
「愛人のお披露目会でもあるんかね」
「あんた、ナンパが目的なんでしょ? 行っちゃえば? そして玉砕して死ねば?」
「……ちょくちょく感じてたんだが、お前さん、俺の事嫌いだろ」
「えー? まさかー。だって知り合ってまだちょっとしか経ってないじゃーん」
ラディの砕いて砕いて粉々にしたかのような物言いに、ラインハルトのこめかみの血管が破裂して鮮血が飛び交う中、アウロスは静かに西棟へと入った。
外面だけは良いこの大学の本質そのままに、建築物の内部は荒んでいる――――そんなアウロスの記憶とは裏腹に、前衛術科の研究棟は清潔さで潤っている。
「当然と言えば当然だが……体裁を取り繕うって行為は、外から見てると予想以上に恥ずかしいもんなんだな」
「ん? どゆ事?」
「何でもない。と言うか、お前ら何時まで付いて来るんだ……って、ラインハルトはいないのか」
緊張感のない声に振り向くアウロスの視界に、屈強な剣士の姿は入らない。
「ハルハルなら、人外の言葉で断末魔の声をあげた挙句絶命したよん」
「あんま苛めてやるな。あれでも一応俺の命の恩人なんだ」
「でもそんなの関係ないし」
「……」
講義用の棟は全て一階建てで、一部屋一部屋がかなり広い。
明日の発表会に備え、入り口の前には案内用の張り紙が、室内にはタイムスケジュールを記した紙が張られてある。
アウロスは全ての部屋に入り、その紙を確認した。
「これ全部、今回の発表者?」
「ああ」
学食や購買部のある建物の中で一息付きながら、説明開始。
「発表者は、自分に割り当てられた時間帯でのみ発表する事が出来る。発表の時間も決められてて、それを過ぎると受賞の資格がなくなるってシステムだ」
「賞って?」
「優秀な研究に対しては、魔術学会の御偉方が御褒美をくれるんだよ。最優秀賞とか新人賞とか色々ある。賞を取れば、その研究は凄いって周りから認識されるし、学会の後押しも受けられる」
「つまり、金になると。うっひょー」
頼んだ肉料理が来た事もあり、ラディのテンションは妙に上がっていた。
「間違ってはいないな。実際、その為に金を積む魔術士も多い。回収出来る保障があるからだ」
「やーん、怖い怖い」
ラディは口の端を歪ませながら肩を竦めた。
「んで、下見ってこれで終わり?」
「いや。寧ろこれからだな」
届いた生パスタ(特注)を噛み締めるように食しながら、ニヤリと笑う。
「……ってか、そこまでパスタに拘る意味あるの?」
「ほっとけ」
そして、同情の視線を受け流しつつ、静かに告げた。
「最後の仕事、やってみる気はあるか?」
「えー? 最後に一回! 一回だけで良いから! ……とかそう言うノリ?」
「良くわからんが、やる気ないならお前の師匠にでも頼むけど」
「冗談だって。やるって。仕事超募集中だって」
ラディはいつも仕事を欲している。
それはつまり、身体を治す為に必要な資金を少しでも多く欲している、と言う事だ。
その割には、肉ばかり頼んで食費を圧迫しているが。
「……もしかして、物質代謝を期待してる、とか」
「何言ってんの?」
アウロスは自分の深読み癖を呪いつつ、依頼内容について述べた。
「了解。大海原に乗ったつもりで任せといて」
「乗れるものなら乗ってみたいが……ん?」
アウロスの半眼に、通行人の一人が留まる。
その顔には――――仮面が被られていた。
「どったの?」
(まあ、来るって言ってたしな。でも……)
雑踏の中に消えて行ったその残像に、アウロスは何故か違和感を覚えていた。
その後、ラディと別れたアウロスは、かつて良く利用していた休憩室へ足を運んだ。
会場設営中の為か、学生の姿はない。
扉を開放した形で、木造の椅子が乱雑に並ぶ中、その一つを部屋の隅に置き、腰を落とす。
そして、嘆息一つ。
懐かしむ、と言う目的もあったが、それ以上に実際休憩したいと言う気持ちが強い。
それほど、アウロスは消耗していた。
長旅の疲れも、多少はある。
これからへの不安や焦燥も、無論燻っている。
だが、一番の理由は――――かつて辛酸を嘗めた舞台にいる事で生じる、精神的磨耗だった。
アウロス自身に、絶対的な自信や能力がある訳ではない。
信念を貫く事だけで、ここまでやってきた。
それだけに、決別した過去も凍結する事が出来ていたのだが、一旦解凍してしまうと、
それを再び凍らせるのは至難。
モヤモヤとしたものが、胸の中で渦巻く中、アウロスは窓の外に目を向けた。
かつて、幾度となく見た景色。
そこに覗く古木も、自分と同じく歳を取っている筈だが、特に大きく変わった様子はない。
そして、自分もまた――――成長している実感はなかった。
理由は明確。
――――目標が、達成出来ないかもしれない。
その懸念が、思考を停滞させている。
自分自身を客観的に眺める目を、曇らせている。
既に、ある程度の策略は練っていた。
だからこそ、敵地と呼んで差し支えないこの場所に乗り込んだとも言える。
だが、それは確信には程遠い、綱渡りの策。
まして、相手はミスト。
20代で教授となったと言う実績も相成り、その影響力を日に日に高めている、ある種の怪物だ。
理想的な結果だけを想定するには、余りにも分が悪い。
かと言って、他に手がないのも事実――――
「……?」
ふと、アウロスは視線を上げた。
そこに何かがある訳でも、誰かがいる訳でもない。
ただ、聞こえる。
声が。
その声は、こう告げている。
『ぼくは魔術士になるんだ。だれでも知ってるような、凄い魔術士になるんだ』
アウロスの傍には、常に一人の少年がいる。
初めての友達――――その名を名乗っている限り、少年が傍を離れる事はない。
だから、聞こえる。
記憶を介し、幾度となく頭の中で反芻される。
それでも、最近は余り聞こえる事はなかった。
少年が夢に出てくる事も、殆どなかった。
【ヴィオロー魔術大学】と言う、ある種原点とも言える場所に来た事で、
記憶が活性化されたのかもしれない――――そう解釈し、アウロスは苦笑した。
そして、同時に。
(……そうか)
アウロスは気付いた。
この現状だからこそ。
積み上げてきた研究が取り上げられたからこそ、出来る事もある、と言う事実に。