第6章:少年は斯く綴れり(11)
「師匠と会ったのは五年くらい前かなあ」
夜――――客で溢れかえる一階から避難するような形で、マスターから手配して貰った部屋へ移動した四人は、なんとなく昔話に花を咲かせていた。
良識あるウォルトがせめて酒場を手伝うと進言したものの、プロ意識の強いマスターがそれを頑固拒否した為、現在は全員でラディの話に耳を傾けている。
「ロスくんには話したけど……色々あって家を出る事になって、アテもなく彷徨ってた所で、あの変な中年と出会ってしまったのよ。あの時はホント、弱ってたんだよねー……あんなのを師事するなんて、人生最大の汚点」
「あんな共通の知り合いがいる割には、それまで全く面識なかったのか? お前ら」
ラインハルトの呆れ気味の言葉に、アウロスはそっぽを向きながら首肯した。
二人は大学で顔を合わせるまで、一度として接点を築いてない。
それは、マスターなりに思うところがあっての事だったのだろう。
「そりゃ、表の顔と裏の顔って奴じゃない? そもそもロスくん、情報屋としての師匠と接した事あんの?」
「ないな。不必要に俺を見つめ続ける中年のマスター、以外の顔は知らない」
嘆息交じりのそんなアウロスの発言に、周囲がざわめく。
「な、何だぁ? あいつ変態だったのか?」
「アウロス君、冗談でもそう言う事を言っちゃ駄目だよ。お世話になってるんだから」
そんな中、『良識のウォルト』と言う二つ名が誕生しそうな勢いで、説法が飛ぶ。
アウロスは耳を塞いで却下の意を示した。
「まあ、年端も行かない女の子に情報屋のノウハウを仕込む時点で、まともじゃないからねー、あの中年。隠密や一通りの護身術も習ったし」
「万能教師だな」
「伊達に長く生きてないって事だろう」
本人にしてみたら、これっぽっちも褒め言葉とは受け取らないであろう発言をしつつ、アウロスはつまみ用のガーナッツをポリポリつまむ。
この酒場の繁盛している理由の一つは、つまみが充実しているという事だったが、それは健在のようだった。
「とまあ、そんな訳で、私が情報屋として一本立ち出来たのは、一応あの中年のお陰なのでした……って話」
何故か拍手が起きる。
発表会の予行練習のような雰囲気だった。
「アウロスくんは、そう言うのは何も習わなかったの? 良い先生みたいだけど」
「興味なかったからな……酒も大嫌いだから、習う事なんて何一つなかった」
ウォルトのマスターに対するフォローも兼ねた質問は、より彼の名誉を傷つける結果となった。
「ま、戦闘に関しちゃ、この男が習う事なんて殆どねーしな」
自分を実質負かした少年の頭を、ラインハルトは高笑いしつつ撫でる。
まるで親戚の寄り合いで甥を自慢する叔父のような所作だった。
そもそも、実際にはそこまでの戦闘技術は持っていない。
アウロスは特に肯定も否定もせず、面倒臭そうに頭を揺らしてた。
「さて、そろそろ寝るとすっか。ウォルトだったか、お前さんは明日、会場の下見に行かなきゃならないんだろ?」
「ええ。そこでミスト教授達と落ち合う事になってます」
今回の論文発表会における【魔術編綴時におけるルーリング作業の高速化】の論文を発表するのは、他ならぬミスト教授。
だが、技術的な部分の補足を必要とする可能性を考慮し、連名者も参加するようになっている。
当然、そこには技術・開発を担当したウォルトの名前もある。
一方、着想から研究全般を行ったアウロスの名前はない。
「いい気なもんだよな。部下の論文を自分の書いたもんとして発表すんだろ? 詐欺じゃねーか。天才が聞いて呆れらぁ」
「ホントよね。顔だけじゃなくて性根も腐ってやがったのねー、あいつ。最っ低。鏡に映った自分の顔でビックリしてショック死すれば良いのに」
特に酒が入っている訳でもないが、その場にいない超強面の男に対する非難が続く。
「でも……彼がいなかったら、アウロスくんの研究が日の目を見る事もなかった。それに、部下の研究成果は上司の研究成果でもある。この構図は、研究環境の在り方を鑑みた場合、決して動かしてはならない事なんだ」
良識のウォルトがそれを諌めると、不遇の張本人であるアウロスもそれに同意を示した。
「あの男は覇王への道を突き進んでる。その中で、アウロス=エルガーデンの研究をどう使うかと考えた結果、教会への貢物ってのがベストだと踏んだ。実際、教会の中にはオートルーリングの効果を肌で感じてる奴がいる。喰い付きは抜群に良いと読むのは間違いじゃない」
「教会? 貢物? どゆ事?」
「ミストは、ほぼ間違いなく教会と癒着してる。実際、取引をしようとしてたみたいだしな」
そんなアウロスの発言に――――ウォルトが目を見開いて驚きを表現する。
以前、自分自身がその境遇にあり、それをミストによって助けられた過去があるだけに、その複雑な感情はそのまま顔に出ていた。
一方、他の二人は特にその必要性を感じなかったようで、キョトンとした面持ちで聞いている。
「ついでに、例の襲撃事件もあの男主導だと俺は踏んでる」
「マジかよ。だってありゃ、ドラゴンゾンビの取引をリジルって野郎が俺ら使って荒らしたんだろ? どっちかってーと、ミストって奴は被害者じゃねーのか?」
「ところが、リジルはそのドラゴンゾンビをあの場で処分した。役割を終えたって言う理由で。この件、おかしいと思わないか?」
ラインハルトはそんなアウロスの提議に対し、首を捻り、また首を捻り、首を捻る。
要するに、よくわかっていなかった。
アウロスは――――あの襲撃事件以降、ずっと考えていた。
何故リジルは、ドラゴンゾンビを外に出したのか。
名目上は、もう直ぐ教会へ引き渡される『どらぞー君』を、助ける為。
だが、後に始末している時点で、それが方便である事は明らかだ。
ならば、ミストと教会関係者との取引をぶち壊す事が目的だったのか。
それなら、連れ出した後に処分する必要はなかった。
地下で始末すれば良い。
ドラゴンゾンビが消滅した時点で、ミストと教会関係者の取引は成立しないのだから。
それに、生物兵器に精通している人間であれば、あれほどの規模の擬似生命体がどれだけの価値を有しているか、当然誰より理解している。
生かし、尚且つ取引に利用されないよう、夜の内に何処か遠くへ連れて行く。
もし処分していなければ、辻褄は合っていた。
その為、アウロスは暫くの間、『消しました』と言うリジルの発言自体の信憑性を疑っていた。
が、その後、別の可能性が浮上してきた。
ミストとリジルが結託し、二人があの騒動を巻き起こした張本人だとしたら?
もし、地下で予めドラゴンゾンビを消滅させていたならば、取引は不成立で終わり、ミストは教会に不信を抱かれる事になる。
もし、そのままドラゴンゾンビを逃亡させていたならば、教会側は真っ先に生物兵器に精通した勢力を疑う。
だが、逃亡させ、かつ消滅させたとなれば、取引を邪魔した存在に怒りの矛先が向く上、その犯人の特定は困難になる。
結果として、ミスト、リジルの双方が、教会に睨まれずに済む。
あの騒動は、ミストが教会側の弱みを握り、尚且つリジルにもリスクを背負わせない――――そう言う構造の元で成り立っている事がわかる。
それに気付いた時点で、アウロスは襲撃事件の全容を理解した。
「なんか、話が見えないんだけど。そもそも何でミストはロスくんの研究を教会に貢ぐのさ?」
そんなアウロスの思考についていく気もないのか、ラディは簡素な方の疑問を寝転がりながら無造作に投げてきた。
「繋がりを得る為だろ。足懸かりと言っても良い」
「下手に市場に出して金儲けするより、教会に売り込んだ方が後々色々と都合が良いってか」
ラインハルトから吐き棄てられた言葉に、アウロスは首肯した。
大学独占の状態で、オートルーリングの技術を売り出し、魔具の商品化までこぎつけ、成功を収めれば、かなりの額の利潤を生む。
大学内の地位も安泰となり、当人にも相当額の研究費が充てられる事になるだろう。
最終的には、秘密裏に教会側から何らかのアプローチをしてくるかもしれない。
ただ、そうなれば、仮に教会側がミストを迎え入れたとしても、客人以上の扱いにはならない。
その一方で、初期段階の今、ミスト側から貢物としてオートルーリングを提出すれば、教会側は本来大学が得る分の利潤も得られる。
何より、『教会が広めた技術』と言う、この上ない箔を得る。
そうなれば、ミストも『大学の教授』としてではなく、『大学とパイプを持つ有能な人材』として招かれるだろう。
いずれ教会進出を果たす目的があるのなら、どちらがより有利かは明白だ。
「でも、ロスくんはそれで良いの?」
一連の説明を受けたラディが、怪訝そうな、或いは不満そうな顔で、そう問う。
これまでアウロスが解説してきたのは、あくまでもミストの立場。
当然、アウロス当人にとって、この流れは――――
「不満に決まってる。俺は、アウロス=エルガーデンの名前を残す為に生きてる。当然、今のままじゃそれは無理だ」
「だよねー。だからこんな辺鄙な所まで来てるんだしね」
そのやり取りに、ラインハルトが身を乗り出してきた。
「じゃ、寝る前に聞かせろよ。何をどうやって、この状況から一発逆転を狙うんだ? 全く考えなしっで訳じゃないんだろ?」
数日前とは違い、本番まで既に二日を切っている。
この状況で何も考えていないと言うのは、アウロスの性格上考え難い――――それがアウロス以外の三人全員の総意だった。
「……まあ、一応」
「どうすんの? 発表会の途中で殴り込んで『それ自分のッス! 自分、頑張ったッス! 認めて欲しいッス!』ってアピールする、ってのが今の所一番人気なんだけど」
「賭けの対象にするな」
しかも、やたら原始的な方法が一番人気と言う事に、アウロスは少し凹んだ。
「事前に話して、それが漏れても困るからな。終わってから話す」
そんなつれない返事に対し――――三人は同時に脱力気味に微笑んだ。
「ま、お前ならそう言うと思ったけどな。んじゃ、先にお休みっと」
ラインハルトがゴロンと寝転がる。
「僕も、そろそろ休むよ。明日から、発表の練習をしておかないといけないからね。お休みなさい」
ウォルトもそれに続く。
「非難出来る立場じゃないしー。仕方ないか」
「悪いな、グラディウスさん」
「ほ、本名!? 本名で呼ばれた!? こ、これって……微妙な関係の男女間の忙しない日常の中の一ページに良くある『ロマンスの始まり』って奴!?」
「お休み」
そして、ラディは一人、別室へと追い出された。