第6章:少年は斯く綴れり(10)
その日、デ・ラ・ペーニャの北部に位置する沿岸都市【ボルハ】は、活気に満ち溢れていた。
面積はウェンブリーの半分で、人口は四分の一。
決して小さな都市ではないが、年に二度ある祭りの時を除けば、そこまで賑やかな地域とは言えない。
水産業や造船業を中心とした、牧歌的な雰囲気の都市だ。
とは言え、祭りの時がそうであるように、何かしらのイベントが行われる場合は、大都市よりも張り切る人間も少なくない。
日頃の退屈が蓄積し、それがまるで火山のように噴火すると言う、ある意味自然に則した性質と言う事も言える。
とは言え、それが火山灰のように、他者に対して思いも寄らない悲劇を与える可能性も、否定は出来ない。
「……ははは」
そして、アウロスもまた、その灰を被った一人だった。
街の片隅で静かに営まれている酒場【スコール】は、ケバケバしい極彩色で塗りたくられた看板で、その名を燦然と紹介している。
その下では、天使をモチーフとした石像が入店を促すように立っているが、その一つには首がなく、微妙に地獄絵図の様相を呈していた。
更に、店の前に立て掛けられたスタンドボードには、『あの天才教授ミスト=シュロスベルからスカウトされた金卵魔術士アウロス=エルガーデンが勤めていた酒場へようこそ! 100ユロー以上お買い上げの方には、アウロス=エルガーデンの直筆サインをプレゼント! 先着100名様にはアウロス=エルガーデン特製タブレットもセットで!』と、異常なまでの達筆で書かれていた。
「あれだけ別れを惜しんでおいて、ここまで利用するか」
アウロスのこめかみに、珍しく血管が浮かぶ。
全力でスタンドボードを破壊したい衝動を抑えるのに、相当なエネルギーを消耗してしまった。
「変わった……お店だね……」
「って言うか、終わってるよね」
「終わってんな」
が、同行者三名の恩人から非難された事もあり、結局は最新技術であるオートルーリング仕様の魔術により粉々に砕く事で事態を収拾せざるを得ず、我慢は徒労に終わった。
「にしても、出席者のウォルトはともかく、何でお前らまで同行してるんだ……? 今更言うのも何だが」
ボードの破片を蹴飛ばしつつ、観光気分ありありのラインハルト(指名手配犯)と、眼前のケバい看板を嘆息交じりに眺めるラディに問う。
「お前が何をしでかすのか、じっくり見届けようと思ってな」
「私は別件の用もあるし、ついでに」
父性すら感じさせる貫禄を見せたラインハルトは貫禄の放置対象となり、アウロスはラディの発言に首を傾げ、視線を向ける。
「別件?」
「まあ、直ぐわかると思うけど……」
「あれ? え? ええっ?」
そんな、普段のテンションとはまるで異なるラディの言葉が終わる前に――――扉が開き、ハゲでヒゲな強面の男が出て来た。
「アッ……アッ……アッーーー!」
「落ち着け。年相応に」
「アウロスくうん! その口の悪さもアウロスくうん! どうしたんだい!? 辛くなって帰って来ちゃったのかい!? ああっ、どうしよう……そんなにボクを慕ってくれるのは嬉しいけど、ここは心を鬼にして追い返した方が愛情って話もあるし、でもそんな仕打ちに打ちひしがれて孤独死したら夜に化けて来られそうだし……ボクはお化けや幽霊なんて信じないけど、そんな不確定な存在なんて認めないけど、でももしかしたらと言う疑念に苛まれて寝不足になっても嫌だよね。ああっ、どうしよう!?」
「師匠……落ち着け、なんか恥ずかしいから」
そんなけたたましい音声が屋外に響く中、自分の親の失態を他人に見られた子供のような目で、ラディが諭す。
「師匠?」
その言葉にアウロスが怪訝な顔をする中、師匠と呼ばれたハゲヒゲマスターはラディの方を見るや否や、借金を作って逃げた子供を見るような目になった。
それは、アウロスの記憶の中にいる温厚な彼とは違う、別の顔だった。
「あれ? グラディウスくん。何でいるの?」
「何でいるとか言うな! って、ああっ!? 今私の本名言った!? これまで情報屋の威厳に懸けてっ、ひた隠しに隠してた私の本名をサラっと言いやがったか!?」
「だってグラディウスくんはグラディウスくんじゃないか! グラディウスくん以外にどう呼べば良いかなんてボクにはわからないよ! 大体だね、何ヶ月か前に会ってる弟子に会っても感慨とかないよ! ぶっちゃけどうでも良いよ! それより今はアウロスくんとの再会に浸るべきだと思うんだよ! 邪魔しないでくれよ!」
「んにゃにぃ!? 言うに事欠いて私が、私がどうでも良いですって!? この泣く子も笑う白馬の情報屋ラディアンス=ルマーニュを捕まえて、どうでも良いったーどうゆう了見だコラ! 表出ろや表! 今日と言う今日は実年齢を自覚させてやっから!」
「既に表だよ! って言うかこっちだって上等だよもうっ! 今日と言う今日はねえ、今日と言う今日はねえ、今日と言う今日はその空気ヨメナイヨメナイ病を治してやるから、覚悟――――」
面倒臭いやり取りの間、アウロスはウォルトとラインハルトに耳を塞ぐようジェスチャーで促し、音だけやたら大きいが殺傷力は皆無と言うパーティー用の魔術を自動編綴した。
『ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!』
結果、師弟もろとも心臓発作になりかねない勢いで卒倒。
アウロスはその屍をひょいと跨いで、懐かしい酒場の中に入った。
「俺の使ってた部屋、まだ空いてるかな……」
「い、良いの? 二人とも白目剥いてるけど……」
「ほっとけ。けたたましい事この上ねーし」
仲良く伸びている二人は、一時間ほど外気に晒されていた。
「……改めて紹介。以前世話になった、酒屋の中年」
「チャオ=フルーライド三十代です。さっきは色々と申し訳ありませんでした。後悔していますし、反省もしています。ううっ……アウロスくんに恥をかかせて申し訳ない……」
一度意識を失った事で冷静さを折り戻したマスターは、年齢相応の口調で深々と頭を下げた。
相変わらず、発言は無駄に長いが、
尚、時刻は現在、午後三時。最も酒場に人気がない時間帯と言って差し支えない。アウロスは、勝手知ったるかつての職場で飲み物を物色しつつ、今の自分の知り合いがその場所に集うこの状況を、なんとなく不思議な感覚で眺めていた。
「お友達連れて来るのなら、手紙で知らせてくれれば良いのに。君はいつも一人だったから、予想できなくて吃驚したよ」
「そう言う問題じゃないと思うが……それより、そこの女と師弟関係があるってのは本当……だな。そう言や、良く似てる」
「どこがよ!」「どこがさ!」
「空気読めない所だ」
一点の曇りもない目でそう指摘され、ラディとマスターは同時に怯んだ。
「くっ……ああもう、折角顔出したってのに、ケンカになるわ本名バレるわ……やってらんねーっすよホント」
「良いじゃねーか別に。本名知られるくらい」
アウロスの出したノンアルコールの良くわからない飲み物をガブ飲みするラインハルトを、ラディがキッと睨み付ける。
「バカ言ってんじゃないよ! 情報屋が本名知られるって、どんだけ情けないって思ってんの!」
「そうだよ。ボクなら氷に頭ぶつけて、自ら死を選ぶね」
「あんたの所為だろがあああっ!」
ラディは本意気で泣いていた。
実際、情報屋と言うのは、基本的に偽名で裏社会を渡る事が常識とされている。
とは言え、本名を知られて困ると言う人間も、実際には少ない。
出生や経歴を特定されてしまう事に重大な問題がある場合を除けば、偽名だろうと、本名だろうと、大した意味はない。
ただ、自分の情報をしっかりと隠し通せていると言う、情報屋としての威信には繋がる――――と言う、実際にはそうでもない信仰のようなものが定着しているので、自然と皆がそうしているだけの事だ。
「で、突然の帰省にはちゃんと理由があるんだろう? 聞くよ」
「この辺の自浄作用は年の功だな」
感心しながら、アウロスはこれまでの経緯をコンパクトに説明した。
「……大変だったんだねえ」
「さっきのあんたの世迷言も、あながち的外れじゃないってのがな……まあそんな訳で、二日ばかり泊めてくれ。出来れば全員」
「良いよ。部屋なら十分あるからね」
酒場は宿屋を兼ねている所が多い。
この【スコール】もその一つなので、四人が寝泊りするくらいは何の問題もない。
「ありがとうございます。助かります」
「世話になるぜ、オッサン」
明らかに金を払う気がない二人の感謝の意に対し、マスターは若干表情を暗くした。
「それにしても、あのアウロスくんがお友達を連れてくる日が来るなんてねえ……ボクは嬉しいよ。あとは恋人を紹介して貰えたら、もう言う事ないねえ。何時死んでも良いくらいだよ」
感慨深げなマスターの言葉に、ラディの毒針のような笑みが零れる。
「それなら、明日には死ねるんじゃない?」
「……え?」
一方、マスターは不穏な空気を感じ取ったのか、冷や汗を浮かべながらラディの顔を見ていた。
「言ったからには実現して貰うからね。ふっふっふ……こんなに早く酒場を一つ持てるなんて、私ってばラッキー♪」
「え? ちょっ……どゆコト? ボク死ぬの? え? ボク死んでこの駄目弟子に店継がせなきゃならないの?」
「知らん」
取り敢えず、宿は決まった。