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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
115/375

第6章:少年は斯く綴れり(9)

 数日後。

 アウロスは借りていた資料を返還する為、【ウェンブリー魔術学院大学】を訪れていた。

 久し振りと言う感覚を呼び起こすには、余りに短過ぎるブランク。

 感慨は然程ない。

 しかし、自分がここにいない事が正しいと言う現実に対しては、まだしこりのような違和感が残っていた。

(ここも結構使ったっけな……)

 一階資料室――――その扉には、自分の手垢が他の研究者のそれより多めに付着している事を確信し、アウロスはローブの袖で扉のノブを拭った。

 アウロスなりの、別れの儀式。

 そして、返却した物とは別の、一冊の書をこっそりと拝借する事への、せめてものお詫びでもあった。

 扉に背を向けると、正面には旧実験室こと魔具Ⅱ実験室の扉。

 右を向くと、突き当りには壁一面修理中の倉庫。

 いずれも、アウロスにとって色々あった場所だ。

「……」

 やはり感慨はない。

 寂寞感も。

 ただ、そこに居た事実と、もう来る事のない未来が交錯する唯一の接点を、目を細くして眺めるだけだった。

「貴様」

 そこへ、横槍を投げ付けられる。

 アウロスにとっては、嘆息を禁じえない声。

 レヴィ=エンロールの足音が近付いてくる事に、思わず内心で舌打ちしつつ、これも最後だと思い、その槍を後方へ投げ捨てた。

「何故ここに……」

「用事はもう済んだ。直ぐ消える」

 その返答に対するレヴィの反応は――――ない。

 不気味な程の沈黙で、アウロスの顔を睨むでもなく、じっと眺めている。

「……」

「何だよ」

 以前居た【ヴィオロー魔術大学】から去った日と同じような構図が、アウロスの記憶に蘇る。

 あの時は、自身の客観性が強かった事もあり、特に何と言う事もなかった。

 が、今は違う。

 もし、レヴィがあの時の『彼』と同じ行動を取るならば――――

「不服はないのか?」

「あ?」

 そんな仮定は、早々に霧散した。

 レヴィに敵意は見られない。

 寧ろ、狼狽のような感情を、その端正な顔に滲ませている。

「不当解雇と言う訳ではない。だが、文句の一つくらいは言いたい立場の筈だ。不満や苦情を誰にともなく発散させる気ではないのか?」

「その予定はない。それじゃ、俺はこの辺で。楽しい研究ライフを今までどうも」

「待て」

 皮肉を残し、通り過ぎようとしたアウロスの身体を、半ば強引に引き止める。

 レヴィはフィジカル面で特に優れていると言う訳でもなく、貧弱なアウロスでも振り切ろうと思えば、それは可能だ。

 しかし、敢えてそうする理由もなかった。

「貴様が大学を出て行くまで、僕が監視する。ミスト教授に逆恨みして、何かしでかすつもりなのだろう?」

「勝手にしろ」

 アウロスは嘆息交じりにそう言い放ち、歩行を再開する。

 レヴィは宣告通り、その横にピタッと接近したまま、同じ速度で並行して来た。

「……」

 その様子を不気味に思いつつ、無言で廊下を歩く。

 玄関までの道のりはおよそ一分程度だったが、やたら長く感じた。

「もう良いだろ」

 玄関を出た所で、アウロスはレヴィの方に顔を向け、睨み付ける。

 辟易した心持ちで後頭部を掻き、返事を待った。

「……僕はお前を監視していた」

 そんなレヴィの言葉は、搾り出すようにして発せられた。

「さっき聞いた」

「そうじゃない。貴様を監視していた情報屋が失踪して以降、僕がその後を受け継いだ」

 それは――――告発だった。

 無論、アウロスに権力がない以上、監視を命じた人間に害はない。

 だが、敢えてその事実を伝える必要もない。

 アウロスに得となる訳でもないので、餞別を贈ると言う意味合いもない。

 その真意は、何処にあるのか――――アウロスはそれを量りかね、顔をしかめた。

「だが、僕と貴様の関係は御世辞にも良好ではない。そこで僕は、早急且つ自然に関係の改善を図り、距離を縮めるよう努力した」

「自然……あれがか」

「残念ながら、余り上手くは行かなかった」

 自覚はしていたらしく、自嘲気味に一つ息を吐く。

 だが直ぐに切り替えたらしく、目に力を込めて、アウロスの鼻の辺りを睨んだ。

「ミスト教授に貴様を解雇するよう進言したのは僕だ」

 淀みなき口調で言い切る。

 決して、意外な事実ではないその言葉を。

「僕が貴様を追い出した。僕が貴様から研究成果を取り上げた。貴様の怨むべき人間は僕だ」

 その吐露の内容は、【ヴィオロー魔術大学】の時と同じ。

 だが、意図はまるで異なる。

 少なくとも、アウロスはそう理解した。

 同時に、その忠誠心に対して感心すら覚え、湧き上がる苦笑を抑えずにはいられなかった。

「……心配しなくても、俺は別にミストを怨んじゃいない」

「信用出来ると思うか?」

「出来ないから何だ?」

 平日と言う事もあり、大学の玄関は学生や職員が行き交いする。

 だが、誰一人として二人に視線を向けない。

 何食わぬ顔で通り過ぎて行く。

 日常の光景の中に組み込まれた対立の構図は、ある意味自然よりも自然だった。

「才能がない人間は、必ず他人の才能に嫉妬する。ないものをねだり、羨み、妬むのは人間の本質だ。そして、高い確率でその才能を潰そうとする。自分が高みへ昇れない限り、他人を見下す為には他人を引きずり落とすしかない」

 そこまで言葉を編んで、レヴィはその目をアウロスの目に合わせた。

「何故だ」

 狼狽に加え、切実さも混じる。

「僕が知る限り、貴様にそのような素振りは一度としてなかった。ミスト教授に対してすらだ。何故お前は、他人の大きな才能に対して無関心でいられる?」

「他人に構ってる余裕はないんだよ。才能がないから、最短距離を最高の能率で走らないと結果を出せない」

 それが、才能を頂けなかった人間の宿命――――アウロスの自覚と覚悟を知ったレヴィは、自身の懸念に確信を持つ。

 そして、それまでは見せずにいた敵意を放出した。

「ミスト教授は僕が支える。それが僕の総てだ」

 しかし、その敵意には圧力がない。

 寧ろ、後ろめたさすら感じさせるくらい、迫力に欠ける。

「けれど、貴方では勤まらない」

 それを払い除けるような突風が、二人の間に吹く。

 その『風』を起こした人物を目にしたレヴィは、おもむろに顔を歪めた。

「少なくとも、ミストはそう思っているようね」

「”教授”を付けろ。無礼者」

 憤りを現すレヴィだったが、殺傷力はないに等しい。

 微風を受けただけの涼しげな顔で、ルインは忌憚なく続ける。

「貴方は棄てられたのよ。レヴィ=エンロール」

 三分の一ほど瞼を閉じたルインの視線が、レヴィの神経を射抜く。

 その顔は一瞬、激昂の兆候を見せた――――が、歯軋りのしそうな程に顎に力を込め、必死で押さえ込んでいた。

 ここで感情を出した瞬間、何かが決壊すると思い込んでいるかのように。

「何を言っているんだ……? 僕は棄てられてなどいない。論文の評判だって上々だ。既に新たな研究にも取り組んでいる。『あの夜』だって、僕はちゃんとやれた。言われた事を忠実に実行できた筈だ。僕は……」

 その言葉は全て、自身に言い聞かせる為だけの、単なる独り言だった。

 しかし、レヴィは愚かではない。

 直ぐにそれが無意味だと悟り、病的な目を普段の色に戻して、現実を見た。

「……ああ、そうだ。僕はミスト教授に見放された。でなければ、明らかに成果が出ない仕事など、与えられはしない。棄てられたのは……貴様じゃない。僕だ」

 レヴィの視線が地面に落ちる。

 何を見ている訳でもない。

 虚空すら、視界には入っていないようだ。

「新入りの二人にミスト教授の片腕が務まるとも思えない。他の研究員も同様だ。誰も、あの人の支えにはなれない。それだけの高みへ行ってしまわれたのだ。しかしあの方は、大学の教授で納まる器ではない。いずれ、更なる高みへと登りつめるだろう。僕はその傍らにいる事を許されなかった……それだけの事だ」

 徐々に、その目から生気が消える。

 レヴィは――――絶望していた。

 自分の存在の限界を悟り、心折れていた。

「何故貴方が切られたのか、冥土の土産にでも教えておきましょう」

 ルインの目が、静かに細まり、鋭さを増す。

「貴方は、自己矛盾が過ぎるからよ。そう言う人間はいずれ、これまで愛でていたものに必ず牙を剥く。尊敬が憎悪へと変わる。そして、ミストはそれを知っている」

 天才と言う一言で片付けられるのを毛嫌いしながら、自分は魔術量の少ない者をそれだけで切り捨てる。

 ミストの益にならない存在を除去すると明言しておきながら、いざ自分がその立場になった今もまだ、ここに居続けている。

 それは、矛盾に他ならない。

 レヴィはそれを、自覚していなかった。

 そして――――ミストはそれすらも見抜いていた。

「行きましょう」

「……ああ」

 もうこの場にいる意味がないと判断し、二人してレヴィに背を向ける。

 その背中に、弱々しい声が向けられた。

「ミスト教授は、貴様を警戒していた。警戒を怠る事に危機感を抱く程に」

 刹那――――これまでとは違う、人を殺傷する意思の宿った敵意が発生し、膨張した。

 まるで、自分自身をも巻き込もうとしているかのように。

「その危機感を消す事が、僕に出来る……最後の……貢献だ」

「下がって」

 危機感を抱いた――――と言う顔とは明らかに違い、無に近い表情でルインが、アウロスの前に出る。

 アウロスは、何を言うでもなく、その場に立っていた。

「邪魔をするのか? ルイン=リッジウェア。女性と言えど……容赦は出来ないぞ」

 言葉とは裏腹に、レヴィの声には鋭さがまるで欠けている。

 それは虚勢と言う言葉が最も相応しい、張子の殺気だった。

「……貴方は本当に、何も知らされていないのね」

「何?」

 目の前にいるのが何者なのか。

 ルインの指が、それを綴った。

 瞬間――――鎌風が旋毛を巻き、指の周りから離れる。

「……っ」

 レヴィは動けない。

 音もなく頬を掠める風に、反応どころか認識すら出来ぬまま、血が滲むその薄い傷を、震える手で触れた。

「……あ……」

 そして、そのまま呆然と立ち尽くすレヴィに、アウロスは今度こそ背を向けた。

 既視感がその脳にまとわり付く。

 一方で、あの時とは感じ方が全く違う事に、驚きを覚えていた。

 大切な人にしてあげられる唯一の行為すら、全うする事が叶わず、脆くも崩れ去る姿――――それが、自身と重なる。

「貴方はああはならないから、大丈夫」

 アウロスの僅かな表情の変化でそれを読み取ったのか――――ルインは素っ気なくも暖かくそう呟いた。

「研究者としては、天才と呼ばれるだけの才能を持ってる男だ。あいつにとって、本当の天才に出会った事は、ある意味不幸だったのかもしれない」

「……」

 一通り話した所で、沈黙が続く。

 二人きり。

 気まずさの要因が、以前その状態になった際の一場面にある事は、余りにも明白だった。

「……結構久し振り、か?」

「そうね。貴方が大学に来なくなったから」

「元々大学ではあんまり会ってなかったような……」

 他愛もない話で空気を暖める。

 二人とも余り表情が豊かではない為、第三者の目には決してそうは見えないが、徐々に気まずさは消えていた。

「この間は悪かったな。心配掛けて」

「心配なんて……していなかったけれど」

 ルインは前方に視線を固定したまま答えた。

「それよりも、これからどうするの?」

「ああ。それなんだけど……」

 顔の向きは変えないまま、ルインの目がアウロスに向く。

 それは、何かを期待しているような、不安に駆られているような、何とも不安定な輝きを放っていた。

「偶々、会場が昔勤めてた大学だったんだ。場所もわかってるし、取り敢えず……乗り込んでみようかなと」

「……え?」

「……ん?」

 ルインが立ち止る。

 大学は既に出ており、民家の並ぶ公道は喧騒で溢れている。

「何か俺、的外れな事言ったか?」

「別に」

 ルインの拗ねたような返事はその音に紛れ、アウロスには聞こえなかった。

「それで、乗り込んだ後はどうするの? 大逆転劇の見通しでもあるのなら……」

「ない」

 きっぱりと答えるアウロスに対し、ルインが半眼で訝しさを露わにした。

「考えなしで動く性格じゃないでしょう?」

「取っ掛かりがない事には、思案も何もない」

「それは、そうだけれど……」

 ルインの顔を横目で確認し、アウロスは破顔する。

 こんな、ちょっとした気遣いすら、これまでは必要のない事だった。

 既に、あらゆる面で『研究者アウロス=エルガーデン』は崩れている。

 ただ、それを放棄する訳には行かない。

「前衛術の鉄則。思考と行動を連立させる」

「?」

 三角帽子を傾けて疑念の意を示すルインに、アウロスはもう少し踏み込み、やや大げさに微笑んでみせた。

「俺は俺のまま、行ってみるさ」

 それは、虚勢でも開き直りでもない。

 アウロス=エルガーデンの最後の戦い――――その決意表明だった。

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