第6章:少年は斯く綴れり(2)
少年の戦いは、戦争が終わった後も尚、続いた。
それは、生存競争。
まず何より、生きる為に必要な費用を捻出しなければ、未来はおろか現在すら確保出来ない。
生まれた瞬間から親もなく、奴隷として、そして被験者として生きていた少年に、衣食住を賄う経済力はない。
自然児として生きる知恵も力も、誰かの養子になるような縁もない。
自力で生きるしかなかった。
その為には、少年の持っている他者にとって利用価値のあるもの――――魔術士としての戦闘能力を売るしかなかった。
とは言え、元々独学で学んだ技術である事に加え、その経験は余りに特殊な戦略に基いて得たものと言う事もあり、余り良いアピール材料にはなり得なかった。
年齢的な問題もあり、ギルドに入る事も出来ない。
結果――――裏社会の溜まり場で、自分の腕を買ってくれる人間を探すしかなかった。
「おいおい、まだ子供じゃねーか。戦争孤児か?」
「何でも、あの【シュバインタイガー】家で飼われてた奴隷だってよ」
「って事は、あの噂は本当だったのか。恐ろしい女がいたもんだ」
「可哀想だが、今は自分の飯に有り付くので精一杯だからな。下手に同情しないよう、目を合わせないようにしようぜ」
喧騒の中に混じる、少年へ向けられた言葉。
十日足らずの戦争だった事もあって、戦争孤児は然程多くなく、ゴロツキの集う夜の酒場にみすぼらしい格好をした少年の姿は余りに異質だった。
貧民街や街の郊外になら、似たような境遇の子供はいる。
少年もそれは知っていた。
だが、その場所に赴こうとはしなかった。
そこに実はないと判断したからだ。
加えて、活気のある場所に飢えていた所為もあった。
アウロス=エルガーデンの声を聞くまで、少年はずっと独りだった。
それが当たり前で、それ以外の概念は知らなかった。
しかし――――知ってしまった。
そして背負ってしまった。
少年は、生きるしかなかった。
生きて、何が出来るかを考えなくてはならなかった。
思考と言うスキルは既に持っているが、余りに知識が不足していた。
少年の心は年齢以上に幼く、そして脆い。
たかが声や言葉で激しく揺さ振られ、粉々に打ち砕かれてしまう程に。
が、少年はそこに居続けた。
あたかも、何時その身を焦がすか知れない篝火の傍を飛ぶ羽虫のように。
少年は、がんばった。
――――切欠は些細なものだった。
常連の一人と流れ者のゴロツキが揉めている最中、放られたビール瓶が少年の身体に向かって飛んで来た。
少年の身体には、既に無数の傷痕がある。
今更それが増えたくらいで、どうなるものでもない。
しかし、少年はそれを『止めた』。
見よう見まねで覚えた三点結界が、瓶を少年から守った。
一瞬、酒場の誰もが目を疑った。
その編綴の速さ、そして正確さ――――それは少年が毎日、路地裏で訓練していた積み重ねに拠るもの。
その事は、その場にいる誰もが知らなかった。
ただ、目の前で起こった事実だけを受け止め、驚きを隠せずにいた。
数拍の間の後――――大歓声が湧き上がった。
指笛と机を叩く音が喧々諤々とした空気を掻き消し、笑い声が街中にこだまする。
強面の大人達が少年を取り囲み、その日が終わるまで宴は続いた。
そして少年は、その酒場で働く事になった。
経済的な心配がなくなった事で、新たな目標が脳裏に浮かぶ。
思うのは、いつかの声。
『あのね、魔術ってさ、出すまで時間がかかるんだ。それでね、それを……』
それを――――?
毎日のように重労働に勤しみ、様々な人達を見て行く中で、度々見かけるローブ姿の大人達が常に目に留まった。
少年は考える。
彼は何を言っていた?
彼は何を望んでいた?
『ぼくは魔術士になるんだ』
思いは日に日に募り、そして、固まった。
生きる意味が決まった。
魔術士――――少年の心に、その言葉が深く深く綴られた。
少年は、魔術士になるつもりはなかった。
魔術士になりたかったのは自分じゃなく、アウロス=エルガーデンなのだから。
だから、アウロス=エルガーデンが魔術士になるべきだった。
そうなる事がとても自然だった。
だから、そうする事に決めたのは必然だった。
逡巡や不満など、入り込む余地すらなかった。
可能性は無限ではない。
有限の中で仮初めの世界を創り、そこで空のような夢を見る。
少年は、身軽になる為に、限りある未来と笑顔と涙を極力棄てた。
広くとも、遠くとも、何時か辿り着く為に。
蒼く清んでいるのなら、行ける所まで行く事で――――
薄暗く曇っているのなら、濡れない為に急ぐ事で――――
茜色に染まっているのなら、見惚れる通行人をこっそり追い越す事で――――
闇を映しているのなら、見失わぬよう這い蹲る事で――――
少年は、がんばり続けた。
アウロス=エルガーデンと言う偉大な魔術士がいたと、沢山の人達からそう言われる為に。
総ては――――その日の為に。
第6章 ”also spell Nameless Sage”