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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
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第5章:乖離(32)

 それから、一月後――――割とすんなり、魔具の材料が大学に届いた。

 双方との契約でミストが提示した初回出荷量は、魔具二百個分。

 二百と言っても、所詮は指輪。

 それ程の質量ではない。

 しかし、その量を手に入れるのに必要とした時間と労力が、結晶のような材料をやたら大きく見せた。

「本当に届いたね。【メルクリウス】と【ノクトーン】」

 郵便馬車から下ろされた、金属板と瓶の入った箱を眺めつつ、感慨深げにウォルトが呟く。

 魔具研究家にとって、材料の到着はカタルシスを得る機会の一つらしい。

「次は、これを大量に製造出来る所と契約しなきゃならない。ラディ、調査結果」

「あいよっ! 現在の市場における魔具製造及び販売に携わる工場の業界人好感度ランキングはこれだー!」


 第10位 ピラルク工房

 第09位 アルフレッド製作所

 第08位 ガンバルクイナ工場

 第07――――


「ちょっと待って。好感度ランキングって何?」

「と言うか、俺は費用対効果や販売実績を調べろと言ったんだが……」

「甘い甘い! 外面だけの数字に意味なんてないの! 業界のノウハウを知り尽くした業界の人間が『ここだ!』って選んだこのランキング上位の工場こそ、良い仕事してる工場なのよ!」

 ラディの身振り手振りを如何なく披露しつつの力説に、アウロスが気圧される。

 実際、一理あった。

「……じゃ取り敢えず、その上位五組に見積もりを頼んでみるか」

「フッ……また良い仕事をしてしまった。さすが私。これだから私」

 永遠の情報屋は、決して自分で発してはならない類の言葉を発し、一人悦に浸っていた。



 そして――――実際にその五組へ見積もり請求を依頼した結果、全ての工場が無視する事なく、しっかりとした見積もり書を届けて来た。

 無論、見積もり請求に応えるのは商売人としては当然の行動なのだが、『金属と生物兵器の融合』と言う特殊な仕様の為、無視されても不思議ではない状況ではあった。

「やっぱり、ミスト教授の名前は大きいみたいだね」

「二十代教授のブランド力は伊達じゃない、か」

 そんな人間と仕事上の御付き合いをするのは、魔具を扱う工場にとってメリットが大きい。

 その現実を改めて見せ付けられたアウロスは、現在の上司の力に対し脅威を覚えた。


 

 更に時は流れ――――



 その中から最も条件の良かった工場を選び、その工場と結び付きの強い問屋と小売店に挨拶を済ませたアウロスは、最後の詰めを行う為に研究室に篭り切った。

 それは――――論文の完成。

 これまでやって来た研究を文章と数値で表現し、万人にわかり易いよう理路整然とまとめる。

 その作業は初期から少しずつ行って来ているが、それらはあくまで断片的な記録の一時的な整理であり、一冊の書を作ると言う作業ではなかった。

「……字、汚い」

 自分の机で羽ペンを走らせていたアウロスの後ろから、ルインが覗き込んで来る。

 これまでは研究室では殆ど話し掛けて来なかったのだが、今は割かし普通に接して来る。

 それが妙にこそばゆくて、アウロスは無意識に瞬きの数を増やした。

「そうか?」

「貴方は文字を書く際の姿勢が悪いのよ。貸しなさい」

 そう言うや否や、アウロスの持っていた羽ペンを取り上げる。

 手が触れ合う事に何の抵抗もないのか、ルインの表情は常に変わらない。

 常に変わらず穏やかだった。

「ほら、どいて」

「あ、ああ」

 アウロスを押し退け、机に向かう。

「まず、背筋はしっかり伸ばす事。書く物と中心を合わせて座り、自分の身体を机と拳一つ分離す。手はペンの中間を持って、手首も肘も机にはつけず、肩肘を張らず、腕を楽に動かせるようにして……」

 令嬢ならではの英才教育により、ルインは一通りの礼儀作法を嗜んでいた。

 険の取れた彼女の文字を書く姿は、優雅と言う言葉が良く似合う。

 じっとその様子を眺めていたアウロスは、とある一点でその視線を留めた。

「……聞いているの?」

「お前、指、綺麗なんだな」

「なっ」

 まるで後ろから首筋を撫でられたかのような反応を見せ、ルインはペンを手から離してしまう。

 しかし直ぐにそれを拾おうとはせず、右手を包むように左手を添え、微かに俯いた。

「そ、そう?」

「ああ。細くてスラッとしてて、綺麗だ。羨ましい」

「……」

 ルインの顔が、みるみるうちに紅く染まる。

 そして、戸惑いつつもその視線をアウロスに向け――――

「喜べアウロス! このラインハルト様が差し入れを持って来てやったぜ! だから俺の俺の俺の話を聞け!」

「邪魔あああっ!」

「うごおおおっ!?」

 結果的に、何の前触れもなく研究室に飛び込んで来た指名手配犯が、何の前触れもなく飛んで来た机の引き出しを顔面に受け、卒倒した。

「あ、ゴメンなさ~い、ちょっとした不手際だから、気にしないで続けて」

「そうそう。続けて続けて」

「……お前ら」

 何事もなかったかのように机の陰に隠れるラディとクレールを、アウロスが半眼で睨む。

 で、その後ろから魔女が出現した。

「【死神を狩る者】の名の下に、貴方がたを抹消します」

「ま、抹消!?」

「うわマズい目がマジってる! ロスくん止めて! 一刻も早く止めて!」

 アウロスは既に部屋を出ていた。

「あんの野郎……どわわっ! ご、ごめんなさーーーい! もうデバったりしませーーーん!」

 そんな――――賑やかな日々に揉まれながらも、論文は無事完成した。

 だが、論文を発表し、研究成果の公表を行う前に行う事は、まだある。

 まず、特許の申請。

 オートルーリング及びその為に製造した魔具は勿論、それらを細分化し、編綴を高速で行う技術、自動で行う技術、或いは生物兵器と金属を融合するその製作技術に関しても、全て個別に特許を取る。

 手を変え品を変え類似品を作り、シェアを横取りしようと企む人間は多く、それらを防ぐ為には出来るだけ広範囲、広義的にカバー出来るような特許の取り方をしなければならない。

 こう言った知識に疎い研究者は、全てを人任せにした結果、将来的に泣く羽目になる。

 アウロスはミストと綿密な話し合いを行い、更にクールボームステプギャー教授にも師事を仰いで、万全を喫した。

「まあ、こんな所かの」

「ありがとうございました」

「にしても、大したもんじゃ。まさかこの研究を成就出来るとぅはのう……辛い事もあったじゃろうに」

「程ほどに」

「ぐぉぉぉぉぉぉぉ。泣ける、泣けるぞえぇぇぇ」

 クールボームステプギャー教授の鳴き声を聞きながら、アウロスは安堵の息を一つ落とした。

 次に必要なのは、論文に対する内部からの一定の評価だ。

 ポッと出の人間がいきなり発表出来るほど、世の中は甘くない。

 魔術大学における一般研究員の論文の発表は、まず教授に認められ、連名と言う形で大学へと提出されるのが一般的だ。

 そこで審査が行われ、その内容が認められた場合のみ、外部への投稿や口頭による公表が許可される。

 それを通過する為には、学内の御偉方にその価値ありと判断して貰わなければならない。

 とは言え、それは上司の名前で大方クリア出来ると言う見通しがあった。

 新人教授のミストは、権力こそ大学内の教授では最低だが、そのネームバリュー、勢い、そして能力には、誰もが一目置いている。

 彼を敵に回す必要性がない限り、その部下の論文にケチを付ける事に意味はない。

 後は、それなりに体面を整えれば、比較的楽に乗り越えられる程度の壁だ。

 最低限の学術的価値、そして大学への利益を見込めると言う客観的判断さえあれば良い。

 既に一流ホテルのオーナーや、名の通った工場と業務提携しているアウロスの論文は、それらを十分に満たしている。

「ホントに大丈夫なの?」

「……多分」

 恒例となった料理店【ボン・キュ・ボン】での会議にて、アウロスは少々力なく頷いた。

 これまで卒業論文くらいしか完成させた事がないアウロスに、一切の不安なく朗報を待つ事は出来ない。

 何より、ネックとなるのは生物兵器の存在だ。

 アウロスの案である『名称の変更』が、どれほどの説得力を持つのか。

 そこにかかっている。

「重要なのは、センスよね。誰もが『え? それ本当にあの禍々しい生物兵器の事? あの、人を不幸のどん底に引きずり込んでベッロベロ嘗め回すカス兵器を指してるの? うっそーしんじらんなーい。だって眩暈がするほどオシャレなんだもーん』みたいに思う名前を考えなきゃ。当然私に任せてくれるんだよね。ね?」

 ラディが振り向いた先には、ピッツ嬢の首を捻る顔があるのみだった。

「取り敢えず、ルーリングを補助すると言う点を強調する名前なら、上の連中も納得させやすいだろう」

「随分媚びてるのね」

「名前なんて幾らでも機嫌取りに使ってやるさ。大事なのはそんな事じゃないからな」

「そーそー。お偉方なんて、煽てて煽てて掌でクルクル躍らせてりゃいーの」

 離れた席に移動した面々に、ラディが気だるげに合流する。

 この手の展開も、もう手馴れたものだった。

「でも、どう言う名前が良いのかな。僕にはそう言うセンスはないから、皆に任せるよ」

 ウォルトの不参加表明に伴い、名付け親候補はかなり絞られる。

「ま、考えた本人が付けりゃ良いんじゃないの?」

「実はもう二つとも案があるんだが」

 クレールの呟きを受け、アウロスはその二択をボロ羊皮紙に書き殴った。

「……『生成施術』と、『ブースター』?」

 アウロスはネーミングセンスが皆無だった!

「ま、私の研究じゃないし」

「僕は……黙秘権行使の方向で」

「なんて言うか、ダサ」

 そして、周囲は結構薄情だった。

「え、嘘」

 そんなこんなで、名前は決定。

「大丈夫かな……」

 ――――が、ウォルトの懸念も何処吹く風、結局は問題なく通過。

 以前のシンポジウムでアウロスの論文に何の興味も示さなかった魔術士達も、まるで媚び諂うかのような態度で、アウロスに声を掛けて来た。

「いやあ、私の期待通り、素晴らしい論文になった。一押しした甲斐があったよ。知っているかね? あのシンポジウムの後、私は他の首を捻る審査員達に向かって、何度も何度も説得を……」

 同じような事を数人に言われたが、その全員の喜劇をアウロスは適当に受け流し、一礼して背を向けた。

 論文を公表する条件が整ったら、今度は魔術学会へと論文を投稿しなければならない。

 原本は本人が所持しておかなくてはならないので、写しを自分で書き、連名者及び学長の捺印を貰った後にそれを送る。

 投稿された論文は、魔術学会の担当者から厳格な審査を受け、審査を通った論文のみが、年に数回行われる発表会で研究成果を発表する事が出来る。

 その場で口頭発表を行い、優秀な論文と認められれば、その論文は最新の印刷技術によって書籍化され、瞬く間に全世界の魔術士が閲覧可能となり、発表者の名が知れ渡る事になる。

 そして――――論文投稿から二ヶ月。

 アウロスの人生最大の見せ場が四十日後に訪れる事を告げる書類が、大学に届いた。

 その会場に指定されたのは――――【ヴィオロー魔術大学】。

 それは、かつてアウロスが勤めていた大学だった。

 暗黒時代と言っても過言ではないような時を過ごした場所。

 良い思い出など欠片もない。

(……面白い)

 アウロスはそれを知った瞬間、人間の本能に挑戦と言う項目が組み込まれている事を知った。



 それから一ヶ月後――――



「悪いな。こんな時間に」

 陽はとうに落ち、一般家庭では夕食を終え団欒の一時を過ごしている時間。

 アウロスはミストに呼び出され、教授室に足を運んでいた。

 教授室の様子は普段と変わらない。

 書で満たされた棚は僅かな埃もなく整然としており、接客用のテーブルの上には何一つ置かれていない。

 ミストの前の机には、珈琲の入った白いカップが置かれてある。

 薄い湯気が立ち込めるその向こうに、三十年の年月を生きた教授がいる。

 普段となんら変わらない風景。

「いえ。御用件は?」

 アウロスも、普段と変わらない口調でそう答えた。

 ミストの後ろに見える窓の外の空が黒い事も、頻度こそ少ないが見た事のある風景だ。

 何もおかしな事はない。

「大した事ではない。だが、お前にとっては重要な事かもしれないな」

 敢えて立体的な物の言い方をするのも、普段のミストに良く見られる傾向だ。

 問題は何もない。

「本来なら明日告げる予定だったのだが、早いに越した事はないと思ってな」

 ミストは机に両肘を突き、口の前で手を組んでいた。

「アウロス=エルガーデン」

 変わらないもの。

 この場所はそれに満ちている。

 そのようなものなど、本当は何処にもないというのに――――



「本日付けで、君を解雇する」



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