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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
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第5章:乖離(29)

 人間が覚悟を決めた時に発揮する集中力と言うのは、様々な学問の解析を無視するような瞬発的な力を生み出す。

 何故そのような事が起こるのか――――その解明は、まだ成されていない。

 はっきりしているのは、その集中力は誰もが有している可能性である事。

 そして、それと引き換えに、他の感覚を極度に鈍くする事。

 ルインの前に突如として現れた結界は、あらゆる物を引き換えにして生み出された産物だった。

「……!」

 それを挟む双方が目を見開く中、高威力の黄魔術が完全に遮断される。

 驚愕で動けずにいるギスノーボに対し、その視界に映る女性は、瞬時に迷いなき顔へと変わった。

 振り下ろされる風圧。

 その結果を待つ事なく、アウロスは瞼を落とし、視界を閉ざし――――

「……ん?」

 次の瞬間、再び開いた。

 覚悟していた背中への衝撃はなく、浮遊感のような行き場のない肩透かしの感覚に、足元がフラ付く。

 生きている。

 しかも、何一つ傷付く事なく。

「お、おのれ……」

 怪訝な顔で振り向くと、ウェンデルの怨めしげな顔の前に鋭利な金属が見える。

 怒りと共に放たれた炎の帯は――――魔崩剣の剣先によって、その効力を失っていた。

「間に合って何よりだ」

 ラインハルトが救世主の言葉を紡ぐ。

 復権を実感したのか、満足気な表情と余裕が見て取れた。

「助かった。ありがとう」

「意外だな、素直に礼が言える奴だったのか。さて……」

 苦笑しながら、ラインハルトはその剣先をウェンデルに突き付け、表情を戦闘中の剣士のそれに変える。

 その眼前の顔は、薄闇の中でもわかるくらいに蒼白。

 敗者の顔だった。

「自慢の部下はもうお前の傍にはいねーぜ。どうすんだ?」

 視線だけで指すその先には、ルインの魔術によって昏倒したギスノーボの姿がある。

 そして――――時を同じくして、グレスが緩やかな足取りで近付いて来た。

 最早その身に殺気はない。

 確かに、それは『部下』の姿ではなかった。

「グレス……貴様、裏切ったのか。総大司教にその存在を抹殺された貴様に慈悲を与えたこの小生を……裏切るのか!」

「……」

 グレスの顔は動かない。

 ただ、何処か達観した表情で、司祭の姿ではなく、夜空を見ていた。

「それがどう言う事かわかっているのだろうな! 貴様にはこの世界にもう居場所などないのだぞ!? 昔は暗殺者! 今は死人! 誰が手を差し伸べてくれると言うのだ!」

「……暗殺者、ですって?」

 ピクリとも動かないギスノーボの傍らで座り込んでいたルインが、その言葉に反応を示す。

 口元を袖で拭きながら、グレスの方を睨み付けていた。

「そうだ! その男は元暗殺者なのだよ! それがギルドで隊長を務め、総大司教の御子息を警護するなど……身の程知らずにも限度があると思わんかね! 下衆めが、貴様など弾かれて当然だっ!」

 醜悪な顔で絶叫するウェンデルに、それまで何の反応を示さずにいたグレスだったが、一瞬瞑目し、祈るような表情で仰いだ空から視線を外し、アウロスの方に向けた。

「少年、オレは……」

 そこで言葉が不自然に止まった。

 それが何故なのか誰もわからない中、グレスの身体が静かに崩れて行く。

「!」

「……グ」

 その足元に、鉄の匂いの混じった液体が流れ落ちる。

 それが血だと直ぐに気が付いたアウロスは、顔色を変えてグレスへと駆け寄った。

「グレス! おい!」

 苦悶の表情を浮かべて身体を振るわせるグレスの背中に、魔術によって生み出された石の槍が突き刺さっていた。

 貫通しているかどうかは、ローブに隠れてわからない。

 が、それがかなりの深手である事は一目瞭然だった。

「あっちか! ンの野郎!」

 その石槍が飛んで来たと推測されるグレスの後方を注意深く調べていたラインハルトが、指を差して叫ぶ。

 そこには――――ウェバーがいた。

 覚束ない足取りでゆらゆら揺れながら前進している様は、敵意より狂気の方が色濃い。

「ヒホホヒーホホ! 良いぞっ、良いぞ弟よ! 殺せ! そいつら全員皆殺しにしてしまえ! 魔術の通じぬお前ならば出来るぞっ!」

 起死回生の逆転劇を期待したウェンデルが、急に元気を取り戻す。

 しかしそれも一瞬。

 自身の叫びに一切応じず、徐々に近付いて来たその弟の虚ろな表情に異変を感じ、顔が強張る。

「ど、どうした! 兄の言う事が聞こえぬのか! 小生は兄だぞ! お前の目上の人間なのだぞ!」

「あ……あああ……」

 虚空を彷徨っていた視線が、ウェンデルに固定される。

 それは肉親を見る目とは程遠く、認識しているかどうかすら怪しい。

 そして――――次の瞬間、その目がカッと見開かれた。

「あああああ!!」

「ぬおっ!?」

 まるで、子供が駄々をこねる様な仕草。

 乱暴に編綴された魔術が暴発し、ウェンデルの足元に小規模な爆破を起こした。

 全く予想だにしなかった身内の反抗に、ウェンデルの腰が砕ける。

 その様子を他とは違う視点で眺めていたルインが、怪訝な顔でアウロスの方に視線を送った。

「あの男、人の気配が、ない」

「何……?」

 うずくまるグレスを庇うように立っていたアウロスがそう呟いた刹那―――― 

「どうやら、人間ではなくなってしまわれたようですね」

 暗がりから人の影が一つ、今度はしっかりした足取りで近付いて来た。

「生物兵器の人間への投与……これまでも幾度となく研究され、そして悲しい結末を迎えた負の遺産。再びそれを目にする日が来ようとは……複雑ですね」

「テュルフィング殿!? 弟は、弟はどうなったのだ!?」

 その仮面を被っている男に、ウェンデルが詰め寄る。

 それを小馬鹿にするように、テュルフィングは首を振って肩を竦めた。

「もう回復は無理ですね。彼の理性は死んでいる。どうするかは身内の貴方が決めれば良い」

「な……」

 絶句。

 実の弟が自我を失った現実をいきなり突きつけられたエリート魔術士に、それを受け止めるのは無理だったらしく、呆然とした面持ちで唇を戦慄かせている。

 そんな様子に元より興味などなかったらしく、テュルフィングはウェンデルを素通りし、アウロスとグレスの元に近付いて来た。

「どうします? 今から最寄の施療院に駆け込んだところで、この時間に医師がいるかどうか」

 既に石槍は消えているが、その傷からは止めどなく血が滴り落ちている。

 グレスはローブの袖を引き千切って包帯のように巻きつけたが、それで応急処置が出来たとは言い難い。

「……致命傷では……ないだろう。このままで構わん」

「無茶だ!」

 強引にローブを剥ぎ取ろうとしたアウロスを、グレスが笑顔で制す。

 その顔は、相手が誰であろうとも主張を曲げない、意思の固定力が滲んでいた。

「さて、ルインさん。ぼ……私のあげた情報を覚えてますよね?」

 テュルフィングもそれを感じ取ったらしく、早々に視線をルインの方に移した。

「貴方の捜し求めていた人は、彼。グレス=ロイドその人です」

「っ……!?」

 ルインの目が限界まで見開かれた。

 だが、驚愕も当然。

 長年探していた人間がそこに――――直ぐ目の前にいると、突然言い渡されたのだから。

「グレスが……?」

 アウロスもその事実に驚きを隠せない。

 視線の先にいる男が元暗殺者だと言うウェンデルの言葉ですら、まだ半信半疑だった。

「話は……聞いている……とは言っても、あの頃の事は余り覚えていないがな……」

 何かに立ち向かう者の目の光を携え、ゆっくりとグレスが立ち上がった。

 浅い呼吸を無理矢理整え、一つ大きく息を吐く。

 石槍によるダメージは内臓に達していると思われる。

 一挙一動が地獄の苦しみである事は想像に難くない。

 しかし、グレスは普段と変わらない様相を僅か数秒で取り戻し、凛然とした面持ちでルインと対峙した。

「聞きたい事があるのなら、覚えている範囲で答えよう。【死神を狩る者】……いや、総大司教の娘」

「はあ!?」

 今度はアウロスの目が限界まで見開かれた。

「ルインさんは、第二聖地ウェンブリー総大司教ミルナ=シュバインタイガーの"本当の"子供です。ファミリーネームは違うようですが」

 その顔を、何処か満足気な空気を醸し出しつつ眺めるテュルフィングが淡々と補足する。

 当のルインは、そんな二人のやり取りに構う余裕もなく、一点――――グレスの顔だけをじっと見つめていた。

「……貴方があの時の暗殺者なの?」

「ああ。それは間違いない。オレがその暗殺者だ」

 ルインの瞳が大きく揺れる。

 アウロスはその瞬間、彼女が何を思うのか、何を知りたかったのか――――それを悟った。

「ならば、問います」

「待てルイン。止めとけ、聞くな」

「あの時……」

「ルイン!」

 アウロスの制止を振り切り、問う。

「あの時、貴方は……本当にフローラと私を殺せと命じられたの?」

 それは、自身の口から確定事項として発せられた内容の単なる確認――――ではなかった。

 願望。

 そうであって欲しくない、そうでないと言って欲しい――――そんなルインの気持ちを、アウロスは沈痛な思いで感じ取り、憂う。

 その余りに切なる、そして小さな願いの成就する可能性を。

「……そうだ。君の持ち出したデータ一式を回収する事と……君とその付き人を殺すよう依頼された。君を殺さなかったのは、オレの判断だ」

 それは余りに呆気ない、夢の終わり――――ルインの願いは静かに、そして無残に散ってしまった。

「…………そう」

 それでも、呆然とはせずに前を見て、ゆっくりと頷いた。

 その様子をじっと見ていたグレスの身体が、小刻みに震えている。

「見損なっただろう、少年。グレス=ロイドと言う男は元暗殺者だ。人を殺す事を生業としていた、真性の下衆だった」

 懺悔と自嘲、そして無念。

 アウロスの知るグレス隊の隊長にも僅かに見られたそれらの要素は、今眼前の男を支配していた。

 或いは、亡霊と言うのも本当なのかもしれない――――そう思わせるほどに。

「総大司教に呼ばれたのは、全くの偶然だった。過去に自分が依頼した暗殺者等とは夢にも思っていなかったようだ。尤も、当時はお互い顔すら合わせていなかったがな」

「御偉方は依頼する暗殺者の顔なんて、いちいち確認しない……か」

 アウロスの補足に、グレスが寂しげに頷く。

「発覚した途端、グレス=ロイドはあっさりと存在を消されたよ。ちっぽけなものさ」

 総大司教と言う地位にいる人間が、過去に暗殺者として雇った人間を再び雇用するなど、その地位を狙う魑魅魍魎に餌を撒くようなものだ。

 彼女にとってもそのアクシデントは、不運だったと言える。

 とは言え、自分で雇っておいて直ぐに切り、しかも死んだ事にすると言うのは、余りに身勝手で理不尽な行為に他ならない。

「だが、そんな不甲斐ない人間でも、ギルドの隊長を勤め、一時とは言え総大司教の御子息を護ると言う栄誉を頂いたのだから……感謝せねばならないのだろうな……」

 グレスのそれは、奇麗事には聞こえなかった。

 少なくともアウロスにとっては。

「ふう……少し疲れたな……」

 グレスの顔から生気が消えた。

 ルインへの説明責任を果たした事で、張っていた気が緩んだのか――――ガックリと膝を突き、項垂れる。

 その顔には脂汗が異常なほど吹き出ており、包帯代わりに巻いたローブの袖部分は既に吸水量の限界を超え、血が滴り落ちていた。

「お前……全然大丈夫じゃないだろ!」

「まあ聞け。心配して貰うのは悪い気分じゃないが、オレは既にこの世にはいない筈の亡霊だ。血が流れても死にはしない」

「そんな理論があるかバカ野郎! さっさと医者に診て貰え!」

「相変わらず口の悪い男だな……」

 グレスの顔は穏やかだった。

 それは、引き際を飾る為、最後の一時を豊かに過ごす晩年の名君が見せるような表情に近い。

 彼も今、その境地にいると言う事なのだろう。

「ここに来たのはもう一つ理由がある。最後に一目、奴に会っておこうと思ってな」

 闇に遮られ視界には映らない大学を眺め、呟く。

「繋がりがあると言うそこの司祭に拾われ、おめおめとやっては来たものの……どうやらそれは叶わないらしい。まあ、お前に会えたのだから、良いとしよう」

 妥協のような物言いも、そこに深い情感が有るのがわかる。

「出来れば、グレス=ロイドとして会いたかったが――――」

 グレスはそこまで言うと、その視線の先に見つけた顔に思わず目を見開いた。

 それは驚きと言うより『ああ、そう言う事か』と言う納得に近い顔だった。

「ミスト教授!」

 ウェンデルの悲痛な叫び声の通り、現れたのはミストだった。

 或いは、既にその場にいたのかもしれないが、この瞬間まで誰もが認識出来ずにいた。

 それは、暗い視界の所為だけではないのだろう――――アウロスはそんな事を考え、場所を空ける。

 厳つい顔に更なる険を携え、ミストはグレスの傍へ近付いて来た。

「どう言う事ですかこれは! 貴方の指定通り取引に来てみれば、ドラゴンゾンビは賊に奪われ、貴方はいない……貴方は賊に襲われたのではなかったのですか?」

「一体何を言っているのかわかりませんね。そもそも貴方はどちら様ですか?」

「なななっ……」

 ミストは教会の司祭に視線を向ける事なく、冷淡に続ける。

「そう言えば、以前何処かで拝見した事がある顔ですね。ああ……そうだ。ウェンブリー教会の司祭の方でしたか。そのような貴き身分に籍を置きながら、大学を襲撃とは。随分と無茶をする御方だ」

 そして――――やはり冷淡に、見えない糸を切った。

「ききキキ、貴様っ! 謀ったな! そこの仮面の男を使って取引を持ちかけたのは貴様ではないかっ! 二十代教授の名の下に、小生の理想と執行に最大限の協力を惜しまないと、そう宣告したではないかっ!」

 指を差されたテュルフィングが、嘆息交じりに両の掌を上に向ける。

「僕は確かに、貴方と数度お会いしましたね。尤も、取引は不成立に終わりましたが」

「戯けた事を! 教会の小生の部屋で……!」

「まさか。司祭様ともあろうお方が、教会内で闇取引など……そんな筈が」

「ハッ……それで脅しているつもりかね。小生は司祭であるぞ? 貴様らの証言など誰が鵜呑みにするか」

 ウェンデルの言葉は虚勢ではない。

 教会の権力者ともなれば、一教授の言葉を打ち消すくらいは訳もない。

 自身の罪など幾らでも部下や他人に被せられる。

 良識を捨てれば、何処までも強くなれる――――そんな錯覚すら確信に変わってしまうくらいに。

 当然それを全て承知済みのミストは、既に詰みとなった争いにそれ以上の興味は持たず、視線をそのままに口を開く。

「既に、偶然ここで調査をしていた人間が憲兵を呼びに行っている。直ぐに駆け付けるだろう」

 それは、退場を促す言葉だった。

 が、栄誉ある司祭職に就く男は、それすら気付けない。

「それが何か? 司祭である小生が憲兵など怖がるとでも? それとも、彼らが小生をどうにか出来ると本気で……」

「頭に血が上り過ぎですね、司祭殿。貴方の権力がどうあれ、この場に貴方を始末出来る個人が何人いると思うのです?」

 テュルフィングの声質が変わった。

 それは、声自体が変わった訳ではない。

 彼を取り巻く空気が変わったのだ。

 ウェンデルは途端に狼狽の色を濃くする。

 もし憲兵を脅せば、その場で――――そんな不安に支配されているのは、誰の目にも明らかだ。

「侵入者は何処にいるのですか!?」

 そんな心境を更に逆撫でするかのように、憲兵の声が響く。

 近付いて来た武装完備の彼に対し、テュルフィングは先程の殺気を瞬時に消し、淡々と対応した。

「それと、あれと、後はそこの人です。何か教会関係者とか言ってますから、扱いには気を付けた方が良いですよ」

「え?」

「く、くそっ! 覚えていろ! 聖輦軍の名に賭け、必ずお前らに神罰を与えてやる!」

 不安に駆られたウェンデルは、一人で逃走した。

 片腕も、そして弟すらも残して。

「良いのか? 逃がして」

 ラインハルトの問いに、答える者はいない。

 無視された事に凹んだのか、それとも空気を読んだのか――――息を一つ吐き、そのまま無言で去って行った。

「取り敢えず、この二人を確保します」

「ム……? ムムムムム……?」

「な、何だこいつ……」

 既に魔具を取り上げられていたウェバーは、子供のような顔で憲兵をじっと見つめ、首を不規則に振っている。

 それを背に、アウロスはグレスの傍でしゃがみ込み、その精悍な顔を眺めていた。

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