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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
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第5章:乖離(28)

 記憶の中に棲む、刹那の記憶。

 それは、彼がアウロス=エルガーデンとして生きて来た道のりの中で、かがり火のように揺らめいている。

 暖かくて、何処か誇らしい、かけがえのない一時。

 それをアウロスは、瞬き一つする間に――――消した。

「お前はあいつの相手をしてくれ」

 アウロスは、目配りでグレスを差す。

 ラインハルトはそれを意外な表情で聞きながら、それでも肩を入れ、臨戦態勢を作っていた。

「お前はどうすんだよ。ここは二対一で確実に仕留めるべきじゃないのか?」

「一応の『保険』だ。俺は別の奴を追う。ここに食い止めておいてくれ。頼むな」

 強制的にそう告げ、顔の向きを変える。

 広がる世界は、閉じられた仰々しい門と、そこから左右に伸びる高さ一メートルの塀によって支配されている。

 飛び越える事自体は容易だが、それを安易に許す程寛大な敵ではない。

 アウロスは再び、グレスの方を見た。

 しかしグレスそのものは見ていない。

 視線は定めず、聴覚を丹念に研ぎ澄ます。

 虫の声や風の音を掻き分け、手掛かりを探す。

 その様子に感じるものがあったのか、ラインハルトは何も言わずにじっとしていた。

 そして――――敵である筈のグレスも、動く気配すらなかった。

「……」

 アウロスの鼓膜に微かな、とても微かな音が届いた。

 それは声。

 悲鳴に限りなく近い、心からの叫び。

 その声を拾ったアウロスは、躊躇なくグレスの方へ駆け出し――――その屈強な肉体の前で速度を緩めず左側に折れた。

 交錯はない。

 ただ必死に疾走するその背中を、精巧な殺気が静かに見送る。

 アウロスは――――気付いていた。

 会議室を離れたその時から、グレスに敵意はなくなっていた。

 そして、アウロスはそれを利用した。

 目的の為に、大事なものを廃棄した。

 大事な事を放棄した。

 そしてそれは――――いつもの事だった。

「奴には気をつけろ。俺より純度が上だ」

 すれ違う際に聞こえたその声に、一瞬唇を噛む。

 それだけで十分だった。

 声がしたのは、敷地の西側にある学生寮の方。

 現在は大学閉鎖に伴い、この寮も立ち入りは禁止されている。

 住人は一時的に別の施設で生活しているので、灯りはない。

 アウロスは照明と証明の意味を込め、右手の上に炎を浮かべた。

「ルイン! いるなら返事しろ!」

 全力で呼び掛ける。

 滅多に声を張り上げる事のないアウロスは、喉も決して強くはない。

 数度の叫びで早くも声が掠れて来た。

「ル……」

 寮の数メートル手前、その地面を照らした瞬間、アウロスの視界に二人の人間が映し出された。

 探し人は、そこにいた。

 全速力で駆け出し、その姿が視認出来る場所までその身を近付ける――――が。

「動かないで下さい。小生はこれでも女性崇拝家でしてね。余りこのような体勢を長く取りたくはないんですよ」

 つい今しがた、捕獲したのだろう。

 僅かに息を切らしたウェンデルが、薄気味悪い笑みを浮かべながら、地面に横たわるルインの首筋に杖先を当てている。

 ルインは意識こそ失ってはいなかったが、まるで最悪な失敗を犯した子供が親の前でどうして良いかわからない時のような顔で、アウロスに目を向けようとはしなかった。

「さて……そろそろ詰み、ですかね」

 以前逃がした事が、教会の司祭、そして聖輦軍の長と言う立場の矜持を大きく傷付けたのか――――ウェンデルの表情は、それを癒すこの瞬間をひたすら待ち侘びていた事がありありとわかる程、晴れ晴れしいものだった。

「ここまで粘った事には、賞賛を惜しみませんよ。お陰で貴重な研究機関に大きな損失を与えてしまった。まあ、小生にとっては大した事ではありませんが」

 その言葉を聞きつつ、アウロスは周りを警戒していた。

 グレスの言葉を鵜呑みにするならば、最悪の敵は別にいる。

 人質を取られている上に、その敵の姿が見えないこの状況は、致命的とも言える事態だ。

「取り敢えず、魔具を外して下さい。慎重な性格で申し訳ありませんね」

 ルインの安否を握られている以上、アウロスに選択肢はない。

 直ぐに左手で指輪を外し、ウェンデルに投げ付ける。

 それを満足気に受け取ったウェンデルは、間断なくそれを真上に放り投げた。

 すると――――小さな爆発音と共に、魔具は砕けた。

 目の前の男の仕業ではない。

「最後です。ドラゴンゾンビの居場所、聞きましょう」

 その光景をぼんやりと見ていたアウロスは、返事もせずに警戒を強める。

 今の芸当で確信していた。

 後一人の敵は、近くにいる――――と。

「沈黙、ですか。では仕方がない。後で弟にでも探させましょう」

 特に困った素振りもなく、ウェンデルが呟く。

 その下で屈辱的な扱いを受けているルインは、特に言葉を発しはせず、あらぬ方向をじっと見つめていた。

「……」

「……」

 視線は絡まない。

 言葉もない。

 しかし――――

「さあ、フィナーレです。まずは……」

「誰かいるのか? 今ここは伝染病の調査中だ。即刻立ち退き給え」

 突然の部外者の声に、ウェンデルの言葉が遮られる。

 どうやら調査員がいたらしい。

 女性を地面に横たわらせているその光景を不審に思わない筈もなく、ランプをかざした途端に顔色を変えた。

「な、何者だお前ら! ローブを着ているって事は魔術士か? 何をしている!」

「折角の盛り上がりに水を差さないで頂けますかね」

 第二聖地の司祭は、頭の中身だけで辿り着ける位ではない。

 まして、聖輦軍の長と言うポジションにいる人間が、臨戦魔術士として無能である筈もない。

 ウェンデルの薄笑いは、それだけでその下地を表現するに十分な程の迫力と狂気に満ちていた。

「ひ、ひいっ!?」

「逃げろ! そいつ等はきっと侵入者だ! 殺されるぞ!」

 他にも人がいたらしく、その男は懸命な意見を叫んだ。

(……?)

 その声にアウロスが既聴感を抱く中、調査員は全面的に従い、ランプを捨て一目散に逃げて行く。

 ウェンデルはそれを特に執着せずに見過ごした。

 彼にしてみれば、目撃者の一人や二人等、どうとでもなるだけの権力を有しているのだから、当然の事なのだろう。

「やれやれ……とんだ邪魔が入りましたね。では改めて、賞金首から頂いておきましょう」

 嘆息が落ちると同時に、ウェンデルの杖がルインの首を貫かんと持ち上げられる。

 その僅かな隙間に、小さな結界が生じた。

「む?」

 ウェンデルはそれが結界である事を瞬時に判断出来ず、その思考に空白が生まれた。

 それもその筈。

 眼下の女性はルーリングなど行える状況になく、もう一人の男からは魔具を取り上げてある。

 予備を持っていたとしても、遠隔で結界を張るような時間はなかった。

 よって、ウェンデルの思考停止は当然の出来事だった。

「なっ……」

 思考が動き出すと同時に、ウェンデルは眼前の男の手に光を見た。

 アウロスの指には、魔具を外した手に持っておいた『もう一つの指輪』が堂々と嵌められている。

 八年前から構想を練り、ついに具現化された、半生の結晶だ。

 切り札は最後まで取っておく――――戦術の基本中の基本である。

 アウロスは『再び』編綴を始めた。

 空中に描かれる光の文字は、僅か一つ。

 それを綴ると同時に、足の筋肉をフル稼働させる。

 地面を掴んで背後へ放り投げるような感覚で蹴り、前傾姿勢でウェンデルへと突進した。

 その直ぐ後ろで文字は自動的に綴られ続け、一つの意味を成した所で役割を終え、消える。

 その瞬間、アウロスの右手に輝きが宿った。

「ギッ、ギスノーボっ!」

 ウェンデルの叫び声と同時に、凶悪な圧迫感を有する殺気が一気に膨張する。

 それは、ルインの視線の先で発生した。

 そこに、もう一人の敵がいる――――ルインはそれを告げなかったが、アウロスは理解していた。

 そして、身体の向きは変えないまま、右腕で首を巻き込むようにして、掌を後ろにかざす。

 見えていなくても、その方角は既に知っていた。

 最短距離で主の呼び掛けに応えるその魔術士に対して放った閃光は、正確にその顔の中心を捉えていた――――が――――当たらない。

 静寂を切る光の余波がフードを剥ぎ取り、若い男の顔を露出させる。

 彼の名は、ギスノーボと言うらしい。

 状況的に、ウェンデルの片腕であり、聖輦軍で一、二を争う戦闘力の持ち主である事は明白だ。

 そんな男の姿を視界に収めぬまま、アウロスは僅かに足の運ぶ角度を変えて突進を続ける。

 攻撃を回避されたのは衝撃音がしなかった事で認識済みだが、行動には微塵の無念さも出す必要がない。

 完全に不意を付いた形にも拘らず、完全に回避されたと言う事は、まともな攻撃が何一つ通用しない程の実力差がある、と言う現実を如実に表している。

 だが、そんなのは気にも留めない。

 アウロスの戦闘経験の中で、その差は寧ろ平常の部類だったし、何より今は感情の流動すら邪魔だった。

『奴には気をつけろ。俺より純度が上だ』

 グレスの助言が、疾走するアウロスの背中を押す。

 純度と言う言葉を用いた以上、ただ単にギスノーボの魔術士としての強さを警戒しろと言っている訳ではない。

 ならば、何の純度なのか――――その答えは彼の役割にあった。

 それはウェンデルの護衛。

 つまり、護衛としての純度。

 ウェンデルの危機回避を何よりも優先すると言う行動理念に基き、ギスノーボは動く。

 ならば――――

「……」

 アウロスの無防備な背中に、膨大なエネルギーを含有した光波の照準が向けられる。

 それは、結界を張ったとしても、無傷でやり過ごすのは困難な程に、凶悪な殺傷力を有していた。

 しかし、一向に射出される気配はない。

 アウロスの背中がみるみる遠ざかる中、ギスノーボは全く動かない。

 動けなかったのだ。

 アウロスの身体は、ギスノーボとウェンデルを結ぶその線上にあった。

 突進中に微調整した事でそれは更に如実となり、ギスノーボの視界にはウェンデルの姿が全く映らない。

 この状況でアウロスを攻撃すれば、その攻撃がアウロスを貫通し、ウェンデルをも巻き込んでしまう。

 万が一避けられれば、単なる謀反。

 この一瞬の間、アウロスはその全てを仕組んでいた。

 初発の攻撃は当たれば儲けもの、防がれても微調整の為の時間稼ぎになる。

 ここまでは読み通りに世界が動いていた。

「な、何をしているっ!?」

 絶大な信頼を置くギスノーボの支援がない事に焦ったのか、ウェンデルの身体は硬直したまま動けない。

 アウロスは徐々にその距離を縮め、そのまま勢いを殺さずに体当たりした。

「ぬおおっ!」

 魔術士の中においても細身の部類に入るアウロスの体当たりは、決して大きな威力ではない。

 だが、覚悟のないウェンデルの身体は踏ん張りが効かず、腹部に受けた衝撃で容易に吹き飛ぶ。

 それと殆ど同時に、邪魔な障害物がなくなったルインの身体が跳ね起きる。

 身体に大きな外傷はないが、唇の端には血が滲んでいた。

 無論、そんな事は気にも留めない。

 ルインはアウロスの顔を見る事なく、直ぐにその身をギスノーボへと向け、ルーリングを始めた。

 新たに見えた標的に対し、ギスノーボが逗留させていた攻撃を放つ。

 黄魔術の中でも最大級の殺傷力を誇る【審判の終】が、編綴中のルインを瞬く間に捉え、直撃――――する寸前、その軌道を大きく変えて上空へと消えた。

「!」

 さしものギスノーボも驚愕を覚えた。

 防がれるとも想定していない攻撃だったが、何よりその理由がわからない。

 ルインは攻撃の編綴を行っている最中だし、もう一人の男に結界を張るような時間的余裕はないと判断していたからだ。

 だが、【審判の終】を防いだのは、アウロスの綴った【玻璃珠結界】と呼ばれる黄魔術専用の結界に他ならなかった。

 体当たりした直後に、ギスノーボの死角で綴られた二つの文字及びその後ろに高速表示された文字は、既に消えている。

 オートルーリングを知らない人間には、何が起こったのかすら把握出来ないだろう。

「消えなさい!」

 ルインが怒りを凝縮したかのような咆哮と共に魔術を放つ。

【旋輪】と呼ばれる円形の風の刃が虚空を旋回し、ギスノーボの身体へと届く――――前に、結界によって掻き消された。

 が、ルインは初めからそれを想定していた。

 本命は次の【安息の螺旋】。

 頭上に掲げた両手に風力を圧縮した塊を宿し、それを敵に叩き付ける前衛魔術だ。

 威力は緑魔術の中でもトップクラス。

 しかし非常に扱い辛い為、使い手は少なく、防御手段も確立していない。

 それ故に、一撃必殺の術となり得る。

「砕け散りなさい!」

 目にも止まらぬルインの疾走。

 ギスノーボが結界を張った瞬間にはもう走り出しており、その距離は既に三メートルまで縮まっていた。

 敵の反撃などまるで頭にない、特攻にも似たその攻撃に、ギスノーボの表情がやや強張る。

 しかし、戦闘の専門家は身体までは硬直させない。

 ほぼ無拍で綴った七の文字が、ルインの前方一メートルに浮かび、消える。

 並の魔術士なら何も出来ずにルインの攻撃を受けるところを、結界どころか攻撃魔術によるカウンターで返り討ちにするだけの余裕が、彼にはあった。

「ルイン!」

 アウロスは瞬時にその攻防の結末を悟り、同時にそれを引っ繰り返す為の魔術を綴る。

 ギスノーボが何を綴ったのか、アウロスには見えていない。

 ルインへの直撃を防ぐには、それを読み切るしかなかった。

(明らかに黄魔術が得意な魔術士が、この状況で他の魔術を選択出来る筈がない――――)

 僅か一秒にも満たない最終局面の攻防。

 アウロスはその中でしっかりと判断をし、遠隔結界を綴る。

 一寸の淀みも、一瞬の逡巡もない。

「おのれ虫ケラがあああああっ!!」

 背後からウェンデル司祭の絶叫が聞こえる。

 無防備となった背中に対する、攻撃の布告。

 当然耳など貸さない。

 背後で膨張する熱量も無視。

 ほんの少しでも意識を分担したら間に合わない。

 それが例え、自分自身を裏切る事になろうと――――構わない。

 少年は自身の全てを賭け、想いを綴った。

(悪い、アウロス)

 約束などではなかった。

 或いは、ただの自己満足に過ぎない事。

 しかし、アウロスは心中でその名に謝った。

「死、ね、え、え、え、え、え・・・・・・」

 やたら緩やかに聞こえる自身への鎮魂歌を背に、アウロスは僅か二文字の結界を綴り終わった。

 後は魔具がやってくれる。

 オートルーリングでなければ絶対に間に合わない局面はこれで三度目。

 間違いなく、この技術は魔術士に必要とされる――――そう確信しながら、アウロスは自分の研究の成果を見届けた。

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