第5章:乖離(26)
その男は、手にランプを持っていた。
それが翳されると同時に、驚きの表情が輪郭を帯びる。
「……まさか、生きていたとは。お二方とも大した生命力だ」
その男は――――ウェバー=クラスラード。
大学内では二度目、総合で三度目の邂逅となる。
しかし、『教会』と言う言葉が出た時点でアウロスはこの男も絡んでいると予想しており、特に驚く事はなかった。
「しかし、正直あれで死んで貰っても余りスッキリしなかったのだから、好都合と言える。【死神を狩る者】と……君は……ああ、そう言えば名前を聞いていませんでしたね」
「必要ない。これで接点は消える」
「ククク。生意気な口を利けるのも今日までだねえ。これでようやく熟睡出来そうだ――――」
刹那。
閃光がウェバーの顔面を襲った。
「相変わらず魔術は利かないみたいね」
「……」
全く予告も容赦もないルインの攻撃に、無傷とは言え、ウェバーの顔が歪む。
怒りと言うより怯えに近い表情で、攻撃した女性を凝視していた。
一方、その女性も同様に顔をしかめ、翳した腕を下ろす。
「厄介な事になったみたい」
「ああ。魔術が効かない敵となると……」
「そうじゃなくて。あの下手剣士が足止めに失敗。三人がこっちに向かっている模様」
「……まあ、良くやった方だと思うけどな。俺は」
この場にいないラインハルトの名誉を適当に保護したアウロスと、あくまでそれを否定する構えのルインに対し、ウェバーが存在感をひけらかすべく指輪を光らせた。
年配の教会関係者は、魔具に杖を用いる事が多い。
が、まだそこまでの年齢には達していないウェバーは、指輪タイプの魔具に抵抗がないらしい。
「余計な心配は無用だよ? 兄の手を借りるまでもない。君達を仕留めるのはワタシ一人で十分なのだよ」
斯くして、過去二度の時と同じように、語りが始まる。
「現に、君達は一度ワタシに手も足も出ないまま逃げたじゃないか。あそこから飛び降りて死ななかったその生命力には賞賛を惜しまないが、それだけでは勝てんよ!」
言いたい事を言い尽くしたのか、満足し切った顔でウェバーがルーンを綴る――――
「馬鹿者めが、先走りおって」
その指が、階段の方から響いた重厚な声によって編綴を止める。
意味を与えられなかった文字は、支えを失った想いのように、静かに霧散した。
「ほう……これはまた興味深い面々ですな。弟の報告では死亡したとなっていましたが」
落ち着いた面持ちでそう言い放ったのは、リジルの言葉通り、ウェンデル=クラスラード司祭に他ならなかった。
左右に従えた黒いローブ及びその付属のフードに身を包む二人と共に、悠然と近付いて来る。
その姿には、権力者が醸す不快な空気が感じられた。
「兄弟だったのか……」
アウロスの視界に入る、薄い暗闇をまとう二つの顔は、それ程似てはいない。
弟は目付きが鋭く頬がこけているのに対し、兄は一見人の良さそうな、ふくよかな顔。
だが、物腰や口調は血の繋がりを多分に感じさせる。
「それにしても、【死神を狩る者】も堕ちたものですな。まさかこのような盗賊行為に勤しんでおられるとは」
「盗賊……?」
「我々とて暇ではない。ドラゴンゾンビを何処に隠したのか早急に教え願えますか? そうすれば命くらいは保障しますが」
兄ウェンデルの言葉に、ルインが眉を顰める。
「何を言っているの? 盗賊は貴方達なのでしょう?」
「は? これはまた異な事を。我々は取引に従い、わざわざ出向いて来ただけの事。盗賊などとは随分な言われようですね」
「大方、ミスト教授も君達が幽閉なり始末なりしているのだろう? それをワタシ達に擦り付け、利だけを得る……まさに下衆の思考! ククク、良いよ。良いよ君達!」
遊び道具を見つけた子供の目で、ウェバーが吼える。
明らかに齟齬を来たしている中、寧ろそれを理解しながら楽しんでいるように、アウロスの目には映った。
「たまにね、自分が正しい人間だと自覚したくなる時がある。我々のような立場にいると、中々それが叶わない。しかし今日はその日のようだ」
歯の隙間から漏れる息が、肉食動物の吐く息のような臭いで宙を舞う。
ルインは思わず眉間に皺を寄せ、そのまま睨み付けた。
「さて、最終確認と行きましょうか。ドラゴンゾンビの在り処、話せば良し」
「さもなくば、神の代行者である我ら聖輦軍の名の下に、正義の鉄槌をくれてやろう」
クラスラード兄弟の顔に険が増す。
聖輦軍の長とその弟――――その地位は、そう簡単に手に出来るものではない。
それがそのまま、外見に滲み出ていた。
「鉄槌、ね……」
「そんな物で殴られる謂れはありませんので、粛々と却下します」
良くわからない言葉遣いでルインが遺憾の意を示した瞬間――――ウェンデルの杖が怪しい光を放つ!
「ルイン!」
床に綴られるルーンに危機感を覚えたアウロスが、ルインに散開を促す。
その意図を瞬時に察したルインは、弾ける様に真横へと跳躍した。
そして、それと同時に――――ルインが立っていた場所を雷の閃光が通過し、日常にはない音を発する。
高度な黄魔術だ。
「チッ! もうおっぱじめてやがったか!」
その一瞬の光が、階段から上がって来たラインハルトの姿を映し出す。
図らずも挟み撃ちのような格好になった事で、敵の警戒が増したのか、追撃はなかった。
「今更ノコノコと……生きていて恥ずかしくないの? 能無し剣士」
「何でそこまで言われなきゃならねえんだ! やったらエグい魔術士三~四人を相手に結構粘ったぞ俺!」
「彼はその倍の人数を相手に、役割を完遂したけれど?」
敵四人が怪訝な顔でそのやり取りを見守る中、ルインが誇らしげに半眼状態のアウロスを指す。
かなり奇妙な光景だ。
「彼の半分以下の難易度もこなせない骨骨しい剣士は、その辺で朽ちてなさい」
「骨骨しいって何だよ畜生! どうなってんだよお前! こいつの口、尋常じゃねえくらい悪いぞ!」
「知るかバカ。そんな事よりさっさと切り込め愚鈍剣士。ここで唯一魔術士じゃないお前が鍵を握ってるってくらいわかれバカ」
矛先を向けられたアウロスは――――まだ疲労困憊と言う訳ではない。
かと言って、素で苛立っている訳でもない。
実は何気に照れ隠しだった。
「くあーっ! そうか、男か! 男の影響か! ああ良いさ行ってやる! 俺が一流の剣士だって事、まざまざと見せ付けてやっから良く見てろテメーら!」
「待て。切り込む相手はあの目付きの悪い奴だ。間違えるなよ」
「ハイホー!」
ラインハルトの意味不明なテンションが、闇の空に空々しく響く。
しかし、その踏み込みは鋭利。
圧倒的な身体能力を駆使した一瞬の加速は、標的の顔に怯えの色を滲ませた。
「ムムム! ムムムムム! ムム!」
奇妙な空気から一転、戦闘仕様の雰囲気へと変貌した事に戸惑ったのか、攻撃魔術の編綴は間に合わない。
辛うじてラインハルトの攻撃を避けたウェバーは、距離を取るべくそのままの体制で後ろへ跳び、半身の姿勢で外へと消えた。
「待ちやがれ!」
ラインハルトもそれを追う。
その背中を雷が襲ったが、魔崩剣がそれをあっさりと防いだ。
「ルイン! こっち来い!」
その隙にアウロスは合流を試みる。
数的不利のこの状況で、離れて戦うのは危険極まりない。
「俺がお前の安全を全て引き受ける。攻撃に専念しろ」
「了解」
ルインはあっさり受理し、俊敏な動作でルーリングを行った。
薄暗い空間に螺旋状の炎が舞い、的確に黒ローブの一人を襲う。
が――――
「!」
その攻撃は、標的の伸ばした手の前に張られた簡易結界によって、音もなく遮断された。
【炎の旋律】はかなり高レベルな攻撃魔術で、掌サイズの結界でその威力を無にする事はまず出来ない。
ルインの顔に焦燥が生まれた。
「残念でしたね。【死神を狩る者】」
それを見抜いたウェンデルが、心底愉快そうに微笑む。
自分の駒の働きに大変満足した様子だ。
「この二人は、以前に差し向けた追っ手の連中とは違いますよ。護衛、若しくはトラブルの処理を目的とした、戦闘力重視の人選ですからね。幾ら戦闘経験豊かな君と言えど、専門家には及ぶまい」
不気味なまでに沈黙を守る二人に、アウロスも少なからず脅威を感じていた。
それは、かつて常に心を覆っていたもの。
懐かしく思うゆとりなどなく、冷や汗が伝う頬をそっと拭う。
「今回は足止めって訳にも行かないしな……」
ここは森とは違い、視界が開けている。
敵意が明確な相手に背を向けられる環境ではない。
覚悟を決めなくてはならなかった。
「ルイン」
アウロスは浅く息を吐き、目だけルインの方に向ける。
その視界に映る、あくまでも凛とした姿を確認する為に。
「お前の好きなように、やりたいように戦え。俺が何もかもフォローしてやる」
「わかった」
やはり即答。
アウロスの顔が引き締まる。
「じゃ、行きますか」
その呟きが合図と言う訳ではなかったが――――その場にいる全員の前に、ほぼ同時にルーンが踊った。