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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
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第1章:大学の魔術士(9)

 静寂に舌鼓を打つ鵺が、囀りを噛み殺す真夜中。

 ――――コンコン

 本日の営業を無事終えた料理店【ボン・キュ・ボン】の二階にて。

「どうぞ」

 入室の意思を確認したクレールが緩慢に扉を開くと、アウロスは認めていた書類を引き出しに収め、視線を扉の方に移した。

「作業中だったの?」

「単なる書類の整理だ。何か用か?」

「少し話があるの。時間貰うけど、構わない?」

 アウロスの首肯を待つまでもなく、クレールは室内に入ってベッドに腰掛けた。

 特に不快感を感じる事もなくそれを眺めていたアウロスは、椅子を回転させて会話の体制をとる。

 クレールは満足気に微笑んだ。

「どう? ウチの大学は。以前に貴方の勤めてた所と比べて」

「活気が溢れてるな。第二聖地で最も勢いのある魔術学院と言われているだけはある。建物自体も広くて良い」

 アウロスの【ウェンブリー魔術学院大学】に対する第一印象は、概ね高評価だった。

 現在のデ・ラ・ペーニャには、隣国エチェベリアとの戦争終結後、教育水準の向上・魔術の更なる発展などと言う大義名分の下に教育機関を濫造した事で、大学とは名ばかりの、粗雑で不衛生な、極めて低水準の施設が少なくない。

 アウロスの勤めていた【ヴィオロー魔術大学】もその例に漏れず、高尚なイメージとは程遠い外観だった。

「それじゃ、研究室は?」

 好奇心旺盛――――と言う表情とは縁遠い、真剣な顔でクレールが問い続ける。

「随分個性的な面々に囲まれて辟易している所だ」

「そうでしょうね。私以外まともな人格の人間がいないから」

 そう言い切る貴女も怪しいもんだ、という声にならない声を飲み込みつつ、アウロスは頷いた。

「でも、リジルとは仲良くなったみたいじゃない」

「仲良くなった覚えはない。仲良くなる事もないだろう」

 アウロスは、冷たくも暖かくもない声で極めて断言に近い推量を口にした。

「何でそう言い切るの?」

「彼とは合いそうにない」

「……ま、確かに。合う合わないは重要よね」

「まるで合わない人間が身近にいるみたいな実感の篭り具合だな」

「ええ、それはもう」

 アウロスのシニカルな指摘を、クレールはあっさりとかわした。

 特に隠す気はないらしい。

「ところで、貴方は研究員になって何年経つの? 学位はないみたいだけど…」

「1年強だ」

「ちなみに、お幾つ?」

「17」

 平然としたその回答っぷりにクレールの表情が一瞬凍った。

「……はい?」

「聞き返されても数字は変わらないから。秒単位で言えば多少は変化しているが」

「ちょっ……17? えっ……17? 待っ……17?」

「17、17鬱陶しい」

「あり得ない。17? リジルより年下? その態度で? 馬鹿じゃないの?」

 首を左右に振って全否定する。

「いや、馬鹿って……」

「アウロスくん。人間は自分を騙し粉飾する生き物よ。でもそれに逆らわない人間は例外なく堕落して行くんだから」

「……」

 因果応報と言う言葉が、アウロスの頭で高笑いをしていた。

「……ま、良いけどね。今更敬語使われても引くし」

「引かれる筋合いもないが」

「でもレヴィからはウダウダ言われるでしょうから、覚悟しといた方が良いかもね」

「既に体験済みだ」

「……そりゃご愁傷様」

 その言葉には少し同情が篭っていた。

「話ってのは、年齢についてとやかく言う事か?」

「違います。ま、忠告とでも言っておきましょうか」

 声のトーンが変わる。

 ようやく本題に突入するらしい。

「貴方の境遇には同情すべき点があるし、身内を助けたいというミスト助教授の温情も人として立派だと思う。けど、それを快く思わない人間が大学内には沢山いる。だから……」

 その長い前置きにアウロスは一瞬違和感を覚えたが、昼間のミストの言葉を思い出し納得した。

(そういや、面倒な設定があったんだったな)

 助教授の友人の忘れ形見がお情けでコネ就職――――これが、大学内に精通したアウロスの編入理由だ。

 真面目に勉強して研究員になった人間にとっては、嫉妬と侮蔑の対象に他ならない。

 当然、これからクレールの発する言葉は、それを指摘するものだろう――――とアウロスは内心嘆息した。

「貴方とは仲良くしたくないの」

 しかし、そんなアウロスの予想の一歩先を行った発言が、両者の間の空気を割いた。

「……普通、そういう事は思っていても口にはしないもんだけどな」

「じゃあ、私は普通じゃないのかもね」

 不敵な笑みがクレールを飾る。

 第一印象を魔女と位置付けたルインとは違う方向性の禍々しさが、そこにはあった。

「わかった。それじゃ金輪際あんたとは仕事以外の会話はしない。それでいいか?」

「そこまでする必要はないけど……とにかく、馴れ合いはご遠慮申し上げます、って事。言いたい事はそれだけ」

 忠告というより宣言のような切り方で、クレールは腰を上げた。

 その間、アウロスに一切視線を合わせなかった。

「……それが貴方の為だから」

 出て行く途中、アウロスの耳には届かない声でクレールはそう呟いた。

 その姿を無言で見送ったアウロスは、ベッドに大の字で寝転がり視界を閉ざす。

 その先には思考の網があった。

(少し整理しよう)

 網は一つの巨大な主題を心臓とし、血管のように細やかに広がった。

 静かに、波紋のように、未来から現在、過去に遡り全ての事象を伝って行く。

(俺の目的は論文の完成。その為に必要な事項は、理論の構築と環境の整備。前者はほぼ出来上がりつつある。問題は後者だ)

【魔術編綴時におけるルーリング作業の高速化】という自己の論文タイトルを反芻する。

 このテーマは、魔術が世に出て数百年の間、大多数の人間が取り組み頭を痛め、結局現状を上回る成果を得られる事のなかった、まさに未知の領域だ。

 それ故に、前例のない理論を構築し、具現化しなければならない。

 全ての理論を完璧に組み立てたとしても、それを実戦で使用できる水準にまで仕上げるには、途方もない数の実験をこなさなければならない。

 そして、その実験に必要な情報、必要な道具、必要な人脈、必要な時間、必要な空間、必要な金銭をを充足させるには、ミスト助教授の昇進が必須と言える。

 上司の権力が強まれば、必然的に部下に与えられる権限も広くなる。

 それには、まず与えられた仕事をこなさなければならない。

 無論、同時に論文の構築も進めて行かなければならない。

 同様のテーマで研究を進めている誰かが先に完成させ、発表してしまえば、全てが終わる。

 タイムリミットは常に一歩先の未来を揺蕩う、という状況だ。 

(魔術士資格を剥奪された時と比べれば、随分と進歩したもんだ。金を貯めて、どこかの民間施設を借りながら研究を進めようと思ってたけど、再び仕事として研究が出来る事になるとはね……)

 僥倖により、舞台は整った。

 それが必ずしも、反逆の正しい第一歩とは限らない。

 だが、踏み出した足は元には戻らない。

(戻す気もないけどな。遠回りして遠回りして、ようやく見つけた表街道だ)

 そこにある全ての目が冷たい視線を送って来ようとも、そんなの知った事か――――まどろみの中でそう確認した瞬間が、この日の終わりだった。


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