07
「す、すみません……いきなり雨が降ってきまして……」
「いえ、とりあえずタオル使ってください」
「ありがとうございます」
夕方頃、瀬戸先輩がやって来た。
びしょ濡れになっており色々と目のやり場に困るが、無難な対応を心がける。
「あと、乙姫の服借ります?」
「え、戻ってきたんですか?」
「はい、実は海に行った日に。それかもしくは俺の服でいいならそれを貸しますけど」
乙姫の服を借りるということになった、まあ当然か。
「乙姫、入るぞ」
と、入ってみたら妹はすーすーと穏やかな寝息を立てて寝ているようで……。
「瀬戸先輩、やっぱり俺のでもいいですか?」
「……逢坂君がいいならですけど」
「別にいいですよ。えっと……あ、これ着てください。着てきた服はこの袋に入れてくれれば……俺は出ているんで」
「……分かりました」
さて、どうやら元々俺の家に用があったようだがなんだろうか。
まだ本題が切り出されていない、とはいえ誤解されても嫌だから部屋の前ではなく階段の最上段に座って待っていることに。
「兄……?」
「どうした?」
先に部屋から出てきたのは先程の眠り姫。
「あ、あれ、そっちにいるの? 部屋から音が聞こえたから」
「ああ、瀬戸先輩が来てるんだよ。雨に濡れたみたいだからさ、着替えてもらってる」
ここで変に隠したところで数分もすれば先輩は出てくるんだ、それにそういうことをする意味もないということでハッキリと伝えておいた。
「起こしてくれればあたしの貸したのに」
「いや、起こすのは申し訳ないぐらい気持ち良さそうに寝ていたからな」
「見たの!?」
「悪い、でも早くしないと風邪引いちゃうだろ?」
乙姫は顔を真っ赤に染めて後ずさる。
まあ確かに少女の部屋にズカズカと入るのはデリカシーがないかもしれない。
だから謝罪をして、けれど少しの言い訳なんかもしてしまったりした。
ここで謝るだけで終わらせられないのが俺の弱いところだ。
幸い、「そ、それはいいけど……それに兄の言う通りだし」と乙姫も同意してくれた。
「逢坂君」
「はい」
戻ると、なんとも曖昧な表情を浮かべている先輩が。
「ご、ごめんなさい……着させてもらってしまって」
「それはいいですけど、嫌じゃないですか?」
「嫌じゃないですよ」
「なら良かったです。それで今日はなんか用があったんですか?」
あまりこれに触れると嫌がるだろうから本題に切り替え。
もう交換していてアプリを使えばすぐに話せるのにわざわざ来た理由は?
「あ、えっと、来週夏祭りがあるじゃないですか……その時、一緒に行きませんか?」
「それをわざわざ口頭で伝えるために? 俺はいいですけど」
「あっ、もちろん乙姫さんや鞠さんもですけどね!」
「はい、分かっていますよ? 俺らふたりきりで出かけたことないですもんね」
海に行った日はみんなが帰ってしまったことによりふたりきりになったが、最初からふたりきりだったわけじゃないからノーカウントだ。
「では、それだけなので」
「紗弥花、このまま泊まっていけば? どうせ兄の服だって借りてるんだし」
「え……いいんでしょうか?」
「俺は別にいいですよ、どうせ母さんや父さんだっていいって言うと思います」
「……えっと、それでは」
うーむ、なんか先輩が泊まることになってしまった。
だったら念の為に風呂に入ってもらうことにする。
風邪を引かれたらなんだか俺のせいみたいで嫌だし、泊まるんだったらちょうどいいから。
分からないだろうから説明は乙姫に任せて、俺はその間に飯作り。
「んー……オムライスでいいか」
あんまりガッツリした感じのものは負担が大きいから手軽にできるそれを選択。
炒めて、ごはん投入して炒めて、ケチャップ加えて炒めれば完成。
「あれ、兄が作ってくれたの?」
「おう、簡単オムライスだ」
「食べたい……けど、紗弥花待たなきゃ」
「先に食べろ、瀬戸先輩には来てから作るからさ」
「うん……いただきます――あ、美味しい」
そりゃそうだ、誰が作ったって美味しく仕上がる。
ケチャップ様は偉大なのだ、他が駄目でも粗をかき消してくれる。
「夏祭り、浴衣で行こうかな」
「あれ、あったっけか?」
「うん、あるよ」
で、同級生と出くわしてお互いにドキドキみたいな展開とか有りがちだよな。
まあドキドキするのは男子君の方だろうが、一応見ておかなければならなそうだ。
「でもあたし、本当は――」
「逢坂君」
「あ、いまから作りますね」
「作る? あ、ごはんですよね、ありがとうございます」
本当は、なんだろうか。
乙姫はそのまま食べ始めてしまったため、聞くことができなかった。
というか、ここで聞くべきではないと判断したのかもしれない。
とにかく彼女の分と両親の分を作って、先輩にはそのまま渡して、両親のはラップをしておく。
「……逢坂君は食べないんですか?」
「ま、後で腹が減ったら作って食べます。俺はその間に風呂にでも」
「えっ!?」
「ん? なんか不味いものでも置いてあるんですか?」
「あ、いえ……あの……浸かってしまったので」
そりゃ風呂に入ったのならそうだろ、というのが正直な感想。
別にそんなこといちいち気にしない、異性が入っただけでわざわざお湯を変えたりしたら高くなってしまう。面倒なのは嫌いだ。
ごゆっくりと残して気にせず入浴開始。
「別に汚れているわけじゃないしな」
顕微鏡とかでチェックすれば菌はいるだろうが、そんなもんお湯を溜めた時点でいるだろう。
それに俺はいちいち浸かったりはしないため、先輩が恥ずかしがることはないように思える。
「おまけに俺、短時間派だし」
手早く済ましてリビングに戻るとエアコンの風がなんとも気持ちがいい。
ただ、テレビを点けても微妙な時間なのでつまらない番組しかやっていなくてすぐ消した。
「ごちそうさまでした」
お粗末さまでしたと内心で呟く。
ただ残念、寝るまでまだ時間はあるもののこの家にはなにもない。
食べる、風呂入る、寝るぐらいが精々できること。
「乙姫さん、大丈夫でしょうか」
「そうですね、毛布持ってきますよ」
今日はなんだかお疲れのよう。
食べ終わったらすぐに寝てしまったようだ。
とりあえず部屋から持ってきて、それをかけてやる。
エアコンの設定温度も変えて、体が冷えてしまわないように対策。
「ふふ、可愛い寝顔ですね」
「起きていても普通に可愛いですけどね」
「むぅ……そんなこと分かっていますよ、寝ている時でも可愛いってことでいいじゃないですか」
やべ……なんかシスコン野郎みたいじゃないか。
先輩の前で恥ずかしいところを見せてしまった、これ以上誤解されないようにしなければ。
「瀬戸先輩、アイス食べます?」
「……それよりちょっと廊下に出ませんか? 少し寒くて」
「いいですよ。あ、じゃあ乙姫を部屋に運びます」
「はい」
丁寧に抱き上げて部屋へと移送。
これでも普通に寝てるということは、夜ふかしでもしたのだろうか。
でも別に元気だったし、風邪というわけではないだろうが……これはこれで心配になる。
「よし、どうします?」
「それなら逢坂君のお部屋に行ってもいいですか?」
「いいですよ」
どうせ1度入ってもらっているんだから緊張する意味もない。
それにこの家なら先輩といてもあまり気にならなかった。
「紛らわしいので、大地君って呼ばせていただいてもいいですか?」
「いいですよ、俺は瀬戸先輩のまま継続しますけど」
「はい、私はそれで構いませんよ。それで先程着替えている時に気になったんですけど、その本って……」
「本? ああ、普通の漫画ですけど」
エロ本とかそういうのではない。
けれど、先輩とか異性からすれば気になるレベルということだろうか。
「普通の漫画にしては……露出が多いようですけど……」
「最近はこれぐらい普通ですよ」
まあこれを見れてしまうところに置いてしまっていたのが悪かったな。
しかもこれ乙姫に借りたやつだからな、同じような趣味だからしょうがない。
「うーん……良くないと思います」
「乙姫の趣味でもありますからね」
「良くないと思いますっ」
「そう言われましても……」
「こういうので満足させようとするのは不健全です、だから」
だ、だからなんだ? 三次元の良さを教えてくれるってのか?
「私や乙姫さん、鞠さんと一緒にいれば良くない考えも直ると思います」
「元々区別はついていますけど」
二次元に恋をするような人間じゃないぞ。
それに家に帰ったら大抵飯を食べて風呂入って寝るだけだ。
会話くらいならするが、漫画を読んで夜ふかししたりしない。
「とりあえず、ゆっくりしてください」
「はい……」
一緒に過ごせば誤解だということも分かるだろう。
逆に知ってほしいのはこちらの方だった。
「兄、遅いね」
「ああ、全然来ないな」
約束の時間はもうとっくに過ぎてしまっている。
後ろではワイワイともう盛り上がっているんだが……。
「連絡きてないか?」
「ちょっと待って……あ、もう着くって」
「そうか、ならいい」
にしても、乙姫だけではなく基本的に学生っぽい女子は浴衣を着てきている。
ということは瀬戸先輩や鞠も――と考えていたが実際は違かった。
「す、すみません……遅れてしまって」
「いえ、行きましょうか」
「は、はい」
「あのお兄ちゃん」
鞠はいつも無表情だが、今日はなんだかバツの悪そうな顔。
「なんだ?」
「えっとその……俊明くんも来てるんですけど」
「ああ。乙姫、どうだ?」
「あたしは別に大丈夫だよ」
「じゃあいいだろ、一緒に行こうぜって言ってくれるか?」
「分かりました」
今日も5人で移動することに。
なんだかハイテンションな先輩と乙姫が先頭、その間にまだ一言も発していない俊明、最後尾に俺と鞠という形になっていた。
「俊明くん、大丈夫でしょうか」
「どうだろうな、会わないって決めていたしな。俊明が行きたいって言ったのか?」
「はい、やっぱり完全に会わないのは寂しかったんでしょう」
そりゃそうだ、寂しいに決まっている。
相手のことが好きであるならば尚更のことだ。
「お兄ちゃんが乙姫ちゃんに言われた時ありましたよね」
「ああ」
「私、あっさりと認めてしまったお兄ちゃんのことが嫌でした」
「それが乙姫の願いだとしてもか?」
「はい、だってそれが本当かどうかは分からないじゃないですか」
いくら考えたところでそれが心からの本音かどうかは分からない。
いま鞠が言っていることだってどういう風に嫌なのかが分かっていない。
「鞠、なにか食べたいのあるか?」
「焼きそばが食べたいです」
「買ってやるよ」
「ありがとうございます」
どうせ祭りに来たのなら楽しい方がいいだろう。
それに腹減ったしちょうどいい、しょうがねえから全員分を買っておく。
「ぐっ……なんでこれぐらいの量で500円もするんだ……」
「払いますよ? 私と俊明くんの分くらいは」
「気にすんなよ、年上だからな俺は」
「どうせ格好つけるなら愚痴を言わないでほしかったです」
「まあそう言うな、食ってくれ」
ただ黙って乙姫達に付いて行っている彼に手渡す。
これは別に気遣ったわけではなく単純に重かったからだ。
「俊明」
「……おう」
「これやるよ」
「サンキュ。金払うよ、鞠にも買ってくれたんだろ?」
「気にすんな、冷めない内に食ってくれ」
にしても高え……これをニコニコと売る人もそうだし、買う学生も凄えな。
スーパーで袋麺買えば100円以下だぞ、有りえない……。
「いいなあ、あたしには?」
「あるぞ。瀬戸先輩にも」
「ありがとっ」
「ありがとうございます」
でもまあ楽しんでいる人の前でいちいち言うことでもないから黙っておくことに。……俺は家に帰る前に袋麺でも買って帰ろうと決めたが。
「乙姫」
「な、なに?」
そこで初めて俊明が乙姫に話しかけた。
なんかそれっぽい雰囲気を出していやがる。
「浴衣、似合ってるな」
「あ、うん、ありがと」
なんだこの初々しいカップルみたいなやり取りは。
乙姫ももう少し照れたりしろよ、真顔でお礼を言っても怖いだけだぞ。
「おふたりで行動するのはどうでしょう」
「いや俺らは……」
「じゃあ私も行きましょうか?」
「紗弥花がいるなら行ってもいいよ」
おいおい、別れるならみんなで来た意味がなくなってしまう。
つか……先輩がみんなで行こうと言ってきたんですが? 祭りはやはり雰囲気に呑まれてしまうのだということをいま教えられているような気がする。
「大地、鞠のこと頼む」
「おう」
まあいいか、乙姫が嫌がっていないのであればそれでいい。
「鞠、どうしたい?」
「私は座りたいです、静かなところだともっといいですね。人混みはあまり好きではないので」
「了解、なら向こうのちょっと暗い方に行くか」
ちなみに俺も人混みが苦手だ。
どうしたって浮くし、同じくらいのテンションにはできないから彼女の提案がありがたい。
「はあ……でも普通妹放って行かねえだろ……」
「しょうがないですよ、好きな子が近くにいるんですから」
「そういうもんかね、好きになったことがないから分からないぞ」
仮にそうでも、一緒に来ているのなら合わせる協調性くらいある。
さすがにそんな空気を読めない行動はできない。
「私はありますよ」
「へえ、意外だな」
「ただ、あっさり振られました」
「残念だったな」
俊明って可能性もありそう。
俺の妹だったら良かったのにと口にしたのはそうすれば兄と恋愛できるから。
「なんで、鞠が俊明を好きとか有りえないか」
「私、俊明くんのこと好きですよ、しかもそういう意味で」
まじかよ! それはかなり衝撃的な事実だ。
振られたってことは告白したってことだよな? それなのによく普通に仲良し兄妹でいられるなこのふたり。
「まだ諦められないです、ですから――」
「あ、やっと見つけた!」
最近はこういう形が流行っているらしい。
大切なところで遮られたりすると気になるからやめてほしかった。
「兄、あたしと――」
「ですから、乙姫ちゃんのことを見てあげてください」
「乙姫のことを?」
「はい、俊明くんを乙姫ちゃんに取られたくないんです」
その姿勢は格好いいが、俊明が好きなのはここにいる乙姫だ。
どんなに努力をしたって叶わないことの方が多い、無理なことを追いかけようとする後輩を止めておくべきだろうか。
「鞠、そのことについては安心してほしい。あたし、俊明のことをそういう意味で好きになれないから。だってもし好きなら家になんて帰ってないよ、一緒にいたいって行動するはずでしょ?」
「……そうですか。ごめんなさい、こんな楽しい時に」
「別にいいよ、大丈夫」
必要ないか、恐らく仮に言ったところで届かない。
そういうこと全部含めて自覚していて、でも、諦められなかったってことなんだから。
「乙姫……あ、大地達もここにいたのか」
先輩も一緒にやって来た。
沢山の袋を持っており、現在進行系でりんご飴を食べている。
「おう。そうだ、鞠のことちょっと頼むわ、乙姫が用あるみたいだからな」
「了解」
先輩もそこに座ったことにより、より食べるスピードが早くなった。
その食べっぷりを見ているとどうしてもなにかを食べたくなる。
「お、乙姫……俺を止めてくれ」
「食べたらいいじゃん、焼きそばとか美味しいよ?」
「しゃあない……買うか」
意地張って腹鳴らしている方がださい。
気にせず購入して一気にかっ食らった。
金を浪費してしまったのは痛いが、ここで食べる焼きそばはなぜだか大変美味なのだった。
「痛え……金がぁ」
「あたしも全部使っちゃったよ、まあ2週間くらい我慢だね」
「それで? なにか用があったんだろ?」
「そうそう、花火を一緒に見ようよ」
「全員でじゃ駄目なのか?」
どこで見たって結局一緒に見ているようなものだ。
なんなら全く知らない人間とも一緒に来ているみたいに感じる。
「駄目じゃないけどさ、鞠には好きな人といてほしいんだよ」
「俊明は? 乙姫のことが好きなんだぞ?」
「……断るつもりだし、あんまり紛らわしいことしない方がいいでしょ?」
「瀬戸先輩は?」
仲間外れにだけはしたくない。
それは自分がされた時に単純に嫌だからだが。
「紗弥花は食べることに忙しすぎ。花火見ようって言ったら『食べることが優先です!』なんて言われたんだから!」
「分かった、なら見るか。3人に説明してからちょっと上に行かないか? 人が多いところは嫌だからさ」
「うん、いいよ」
花火を見たらみんなを送って帰ろう。
で、先程のやつでは足りなかったから袋麺を買って帰ろうと決めたのだった。