06
「ま、まじかよ……」
「え、どうしたの?」
「いや、乙姫が俺の同級生、友達の兄と付き合い始めたって」
「な、なんですってぇえ!?」
あ、ちなみにこれは母親。
俺にも優しいが、乙姫にはめっぽう優しく甘い人。親父も同じ感じ。
「あと、夏休みはその同級生の家で過ごすってさ」
「そうなの……まあ、好きな子といたいと思うのは普通だよね……ああ、愛しの乙姫ちゃんぅ……」
「まあずっと帰ってこないわけじゃないし、俊明の両親がいいって言うならそっとしておくしかないんじゃないか?」
「うん……そうだね、親が邪魔するわけにもいかないし」
俊明以外の男とは例え兄妹であってもいたくないという意思が伝わってくる。
ただなあ、もうちょっと前から教えてくれても良かったと思うんだ俺は。
それこそそういう話題を出した時があったんだから俊明が気になっているとかそう言えばさ……あ、俺が応援できないとか言ったからか、自滅じゃねえか……。
「お父さんには内緒! 女の子の家に泊まっているということにしよっか」
「そうだな、うるさそうだもんな父さん」
こうして母親と共犯になった。
冗談はともかくとして、受験生なのに勉強はどうする気なんだ?
近い内に俊明が荷物を取りにくる可能性がある、その時はきちんと対応できるだろうか。
「だ、誰か来たよ」
「俊明かもしれないな、俺が出るよ」
玄関に移動して扉を開けてみると案の定、外に立っていたのは俊明だった。
少しだけ気まずそうな顔をしながら「乙姫の荷物を取りに来たんだよ」と彼は言う。
彼を家に上げて母親もきっちり2階へと連れて行くことに。
「母さん、乙姫の荷物まとめてやってくれ。俺はその間に俊明と話があるからな」
「わ、分かった」
別に責めようだなんて気持ちは毛頭ない。
乙姫が決めたんだ、そこに文句を言えるような立場ではないから。
ただ、
「なあ俊明、ちょっとぐらい言っておいてくれてもいいんじゃないのか?」
そう、少なくとも彼からは聞いておきたかった。
いやまあ彼に対しても似たような対応をしたから言いにくかったのかもしれないけれども。
「……そうだな、反省してる」
「ちなみにどっちから?」
「それはもちろん俺からだ、俺は乙姫を大切にしているしこれからもするつもりだ」
「……そうか、ならよろしく頼むぞ」
「任せておけ」
うーむ、俊明のことを知っているからこそなんか悔しい気持ちが出てきてしまう。
知っているからこそ安心できる、任せられるなんて言えない、そういう強さがない。
「終わったよ」
「サンキュ。ほらこれ」
「おう」
「……俊明」
「なんだ?」
帰ろうとする彼を止めてなんになるって言うんだ。
でも、こうして実際に呼び止めてしまったし……最低限のことを言っておこう。
「あ、いや……乙姫が元気で幸せならそれでいい、頼む」
「おう」
この様子だけを見れば本当に乙姫がお姫様になったみたいだな。
とにかく俊明は去り、俺と暗い顔の母だけになった。
部屋の前、階段手前というなんとも曖昧な場所でふたりでなにやっているんだろうという話。
「母さん、飯作ってくれねえか?」
「わ、分かった……作ってくるね」
めでたい話なんだから俺も母も喜べよ……なんでおめでとうも言ってやれなかった。
そのことが1番悔しい、わざわざ圧をかけるようなことをしてしまったのは申し訳ない。
「大地……私はてっきり大地のことが好きなんだと思っていたんだけどね」
リビングに行ったら台所で調理している母からそんなおかしなことを言われた。
さすがにそれはないだろうが、まあ仲が良かったのは確かだ。
「よしっ、今日の飯ってなんだ?」
「カレー、沢山食べてスッキリしよう」
「いいなっ、俺も手伝うぞ!」
「うん、ありがと!」
もし会うことになったら心からおめでとうと言ってやろうと決めた。
だが、その日の夜。
「大地、乙姫はどうした」
「あー……友達の家に夏休みの間泊まるんだってさ」
「友達? 女の子か?」
「当たり前だろ、あの乙姫が男の家に泊まるわけがないだろ?」
「これは母さんから聞いた話なんだが、乙姫が付き合い出したそうじゃないか」
っておい! なに言ってんねん!
言わないでおこうって真面目な顔で呟いていたのは母親だぞ。
「……まあそうなんだ、好きな人と離れたくないんだろ」
「なるほどな。それなら相手のご両親に挨拶に行こう、大地も付いてこい」
「え、なんで俺も?」
「大丈夫だ、母さんも当然連れて行く」
「いやいや、そんな乗り込みみたいなことをしたら相手の両親からいい反応貰えないだろ」
で、実際に乗り込むことになった。
「こんばんは、逢坂乙姫の父です。今日は挨拶を、ごはぁ!?」
「ご、ごめんなさい!」
なんでいちいち父を殴ったんだ。
1ヶ月近く泊まることになるから恐らく金銭面の話し合いを来ただけだろうに。
「えっと、あなたが大地くん?」
「あ、はい、逢坂大地です」
話しかけてくれたのは恐らく俊明達の母さん。
どういう事情で俺のことを知っているのかは分からないが、言いたいことがあるみたいだな。
「乙姫ちゃんに会ってあげてほしいの」
「それはいいんですけど……あの、夏休み終了までお世話になるのは……」
「それは大丈夫! とにかく上がって。それと、おふたりは少しだけ待っていてくれませんか?」
「うむ、了解した」
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
って、もう会うことになってしまった。
今度こそ言う、心からおめでとうとちゃんと目を見て。
というか会ってくれるのか? 乙姫は夏休み終わりまで見たくないとすら言ってきたぞ。
「お兄ちゃん」
「鞠か、悪いな、騒がしくして」
「いえ、それよりも乙姫ちゃんのことですけど」
「おう、やっぱり会えないんだろ……って、随分あっさり顔を出すんだな」
今日の朝ぶりだ、もちろん変わってなんかいない。
「そうだ。乙姫、おめでとう」
「大地、乙姫は――」
「いいよ俊明、自分で言う」
おぉ、本気だということ大変良く伝わってくる。
カレーを食べて元気になっているからいまならどんな報告だってきちんと受け入れられるぞ。
「ごめん! 嘘をつきました!」
ばっと頭を下げられてしまった。
「……あたし達、別に付き合ってないの」
「そうか、これから付き合うってことか?」
「……そのつもりは俊明には悪いけどない」
「そうか、なら巻き込んだことを謝らないとな。俊明、悪かったな」
「いや、俺はいいんだ」
罪悪感に押し潰されそうになったのか。
自分だけならともかくとして、こうして相手と相手の親まで巻き込んだらそもいかないよな。
いい人間なら尚更そう、迷惑をかけていると分かっていて笑えることはない。
まあ幸せとは程遠い時間だったというわけだ。
「……まさかお父さんとお母さんも連れてくるとは思わなかったけど」
「やめろって言ったんだけどな。乙姫、飯は食べたか?」
「ううん……」
「家に戻るならカレーがあるぞ。それも沢山、明日も明後日も食べる羽目になるくらい」
ただ、戻ってくる気があるか分からないから違う言い方をする羽目に。
どうして妹に気を使わなければならないのか、なんかそれが凄く悲しい。
「え、どれだけ作ったの?」
「ルー4箱分かな」
「あははっ、買いすぎ!」
「だろ? 母さんは乙姫がいないとドジだからな」
「あ……ねえ、勝手なことを言っている自覚はあるんだけどさ……戻ってもいい? あと、兄とやっぱり一緒にいたい」
家に戻ることに許可を貰おうとするのがおかしすぎる。
いいじゃねえか、帰りたければ帰ってくれば、そこに兄の許可とか必要ないだろうに。
「心配すんな、戻りたければ戻ってこい」
「うん……」
どんな理由であれ妹が俊明を利用したのは変わらない。
「俊明、なにかしてほしいこととかないか? 乙姫が迷惑をかけたからさ」
こんなことを聞いたところであまり変わらないかもしれないが……。
「……俺は乙姫と仲良くしたい」
「それってもう演技じゃないんだよな?」
「おう、俺は乙姫のことがずっと前から好きだったんだ」
「え、俊明……?」
妹は心底驚いたというような顔で彼を見ていた。
が、これをするのには妹の同意が必須、勝手に決めるわけにはいかない。
要は後は妹と彼次第というわけで、俺としては黙って見ているのが1番だと判断した。
「俊明はいつ乙姫と出会ったんだ?」
「乙姫が中学1年生の時だな。鞠と友達になって割とすぐか」
「ちなみに好きになった理由は?」
「面食いというわけではないが乙姫が可愛いからだ。それに優しいことを知っている、部活とか真面目にやる時は格好いいのを知っていた。だから、真剣に考えてくれないか? で、夏休み全部使って考えてほしい。それで最終日になったらどっちでもいいから返事をしに来てくれ」
そりゃそういう感情がなければ虚しくしかならない要求なんて受け入れないよな。
今度はこっちが会わないなんて潔いと言うかなんと言うか。
「でも俊明……あたしは」
「……だから夏休み最後に改めて聞かせてくれ」
「……分かった、俊明がそれでいいなら」
「おう。大地、乙姫は返すぜ」
「お、おう」
下に行くといつの間にか親同士で盛り上がっていた。
父同士もなんだか意気投合したらしく、一緒に酒なんかを飲んでいる。
俺はもう情報過多すぎて疲れたため、一切気にせず財津家から出ることに。
「お兄ちゃん」
「どうした?」
「甘やかすだけではなくきちんと叱った方がいいと思います。乙姫ちゃんは自分の良くない感情を捨てるために俊明くんを利用しました。結果的に見れば俊明くんは喜んでいたかもしれません。でも、自分のために他人を利用しようとするのは良くないことだと――」
「ああ、分かってる、ありがとな」
それを理解しているからこそネタバラシすることにしたんだろう。
鞠には悪いがネチネチ言うつもりはない、別に俊明から乙姫を奪い返せたなんて考えてない。
結局この先はあのふたり次第だ、答えだってなんだって自分で出すんだから俺らは見守るのが仕事と言える。
「はい、それだけですから。気をつけて帰ってくださいね」
「サンキュな」
両親はまだ残ったままだからどうしたって乙姫とふたりきりに。
「家に帰ったらカレー食べてくれよ? 父さんはああ見えて少食だから困るんだ」
でも、不思議と気まずさはもうなかった。
気を使う必要もない、彼女は確かに自分の意思でいてくれてる……と思う。
「……兄、ごめんなさい」
「気にするなよ、ちなみにどうしてこんなことをしたのかって――無理だよな、とにかく家でゆっくり安め。俺と距離を置きたいんだったらなるべく話さないようにするからさ」
「そ、それはいいよっ。もういいんだ……あたし、兄といたいもん」
「そうか、なら早く帰るぞ。で、アイス食おうぜ」
瀬戸先輩の家を出た後に買って帰ったんだ。
一緒にいるのをやめると乙姫は言っていたが、一切気にせず彼女の分まで買ってきた。
喋れなくてもあげることはできる、というか仮になくても勝手に母が渡すだろうけども。
「兄……手、握ってもいい?」
「ん? いいぞ、帰りにくいんだろ?」
「そう、ちょっとね……俊明とかに申し訳ないことをした上にのうのうと帰還なんてあれだから」
「いつまでも味方でいてやるよ」
「ありがと」
まだ中学生だから選択を失敗することだってある。
命の危険に晒されるようなミスならあれだが、そうでないなら子どもらしくていいと思う。
いちいち言わないが責めるつもりは一切ない、だから自分の家なんだしゆっくりしてほしかった。
「ただいま」
「ただいま」
カレーを温めて妹に食べさせる。
俺はその間に風呂に入って、上がったらリビングでのんびりすることに。
「兄……」
「なんだー?」
「今日一緒に寝ていい?」
「別にいいぞ。でも、前みたいなのは駄目だぞ?」
「うん、分かってるよ」
しかしまさか付き合っているのが嘘で、でも好きなのは本当だったとはな。
鞠の情報曰くなにかを捨てるために俊明に頼んだという話らしいが、それを受け入れた彼も凄いし、頼む乙姫も凄いと思う。それでどうして付き合ってとなるのかは分からないが。
「お風呂行ってくる」
「あいよ、俺は部屋にいるからな」
で、上がろうとした時に両親が帰ってきた。
父はベロンベロンに酔っておりすぐに寝室へと入っていったが、母はこちらを見て微笑む。
「やっぱり乙姫がいなければ駄目だね!」
「ああ、乙姫もいて逢坂家だからな」
「あれ、なんか大地嬉しそう」
「そりゃそうだろ、俺は乙姫といるの好きだからな」
名前は大仰だが本人は優しくて家族思いのいい子だ。
それは昔からずっと変わらない、だからこそ戻ってきてくれて嬉しいと思う。
「あら、ふふふ」
「ん? なに笑ってるんだよ」
「いやー……だってそこで本人聞いているからさ」
後ろを確認してみると確かに洗面所からちょっとだけ顔を出してこちらのを見ていたようだった。
「別にいいぞ、恥ずかしいことは言ってないからな」
「うん、そうだね! ところで大地、そのアイスはまだある?」
「あるぞ」
「食べるー!」
……風呂に行ってなかったのかよと当然頭を抱える羽目になった。