05
「誘ってくれてありがとうございました、今日は楽しかったです」
ちょうど昼間頃、俺らは家の方へと帰ってきていた。
瀬戸先輩を送るために彼女の家の前までやってきて挨拶をした、というのがいまの状況だ。
「嘘つき……ほとんど来てくれなかったじゃないですか」
「それを言われるとあれですが……乙姫も決心できたようなので」
ああいう楽しい場所だからこそ言いやすかったと思う。
これがもし家にいる時だったら? 恐らく言えずにずっとなあなあになったと思うんだ。
「本当にやめるんですか?」
「はい、それが彼女の望みですからね。あ、もちろん寂しいですけど」
「私が乙姫さんのサポートをしてあげますね」
「はい、よろしくお願いします。それでは」
あ、普通に帰ろうとしたけどどうすればいいんだ?
家に帰れば乙姫と屋内にふたりきり、出くわすことを考えたらまだ外にいた方がいい。
が、このまま外にずっといたりなんかしたら絶対暑さにやられるぞ……。
「あ、待ってください!」
「なんですか?」
「あの、上がっていきませんか? いまは両親もいないので」
「いいんですか? それじゃあお邪魔させてもらいます」
「はい、どうぞ」
家の中で過ごさせてくれるとか天使か? 水着だって純白で綺麗だったしな。
上がらせてもらってリビングへ行く――かと思いきや、そのまま2階へ行こうとする先輩。
「あの、リビングじゃないんですか?」
「はい、私の部屋でいいですよね?」
「俺はいいですけど」
「じゃあ付いてきてください」
でもなあ、綺麗だからこそ相手するのが疲れることもある。
あとはあれだ、男の単純な部分が少しは気を許してくれているんじゃないかと期待してしまっているのが問題だろう。
「どうぞ」
「失礼します」
先輩の部屋は良くも悪くもシンプルだった。
女子の部屋だが女子すぎないというか、初めてであったとしてもあまり意識せずにいられる空間と言えるかもしれない。とりあえず床に座らせてもらうことに。
「飲み物を持ってきますね」
「先程のがあるから大丈夫ですよ」
「あ、そうですね、それじゃあ私も座らせてもらいますね」
え、なんでこれだけ広さがあってわざわざ俺の横に座るんだ?
どうせなら正面に座ってくれれば会話もしやすいような気がするが。
「逢坂君は鞠さんと関係が長いんですか?」
「鞠とですか? 全然そんなことないですけど。あくまで俊明の妹ですし、乙姫の友達ですから」
「どうしてお名前で呼んでいるんですか?」
「ああ……それは心の中で呼んでいたらつい出てしまいまして、本人からも許可をもらってのでそのまま継続しているということになります」
相手が同級生だろうと年下だろうといきなり名前呼びは良くないと考えている。
別にこちらが呼ばれる分にはどうでもいいが、人によっては微妙な気持ちにだってなることもあるだろうからだ。……呼んでしまっているから説得力はないけどな。
「私のことは、どうですか?」
「先輩呼びですね」
さすがに先輩を名前呼びする意味がない。
姉、妹、兄、弟、その誰かが身近にいれば状況は変わるが。
「……名前で呼んでみてください」
「紗弥花先輩」
「呼び捨てで」
「紗弥花……って、これは良くないですね」
意味ないんだよなこんなことをしても。
意味ないならしても変わらないだろうが、なんか嫌だった。
そういうことに関して自分が分かっている以上にこだわりが強いのかもしれない。
「いいですよ? 私は気にしませんから。乙姫さんにだって名前で呼んでもらっていますし」
「いえ、瀬戸先輩のままにします」
「……そうですか」
そんなに露骨にがっがりした感じは出してほしくなかったな。
でも変えるつもりはないから余計なことは言わない、食いついてこないということは恐らく先輩にとってもあまり影響はないことだったんだと思う。それか人が良すぎて我慢してしまう性格なのか。とにかく俺らは互いのことをなんも知らないわけだ、なのでできるわけがない。
「そういえば俺らって、自動販売機でジュースを買おうとして出会ったんですよね」
「……そうですね」
「それでどうして瀬戸先輩は話しかけてくれるようになったんですか?」
「え、うーん……可愛かったからです」
可愛い……俺が値段がまだ足りていないのに買えないジュースのボタンを何度も押していたからか? 確かにボケをかましたが、それは可愛いと言うよりださいことのように感じるが。
「だって私よりも大きいあなたが自動販売機に向かって喋りかけていましたから」
「何度もなんで買えないんだ! って叫んでましたね」
横には130円が投入されていることを表示されていたというのに、いま思い出しても馬鹿の一言で片付けられてしまうことだった。
「でも、大きいと言っても5センチくらいしか変わらないですよ」
「それでも大きいことには変わりません。ちょっと立ってください――ほら、あなたの方が高いですよね?」
「瀬戸先輩は女子にしては高いですね」
「昔は身長のことを気にしていたんですが、ある人と出会えたおかげで考えが変わったんです」
「ははは、良かったですね」
となると、大切な人になっている可能性は高い。
その人にまた会いたいとか、身近にいるから仲良くなりたいとかそういうのだろうか。
もちろん、アニメや漫画みたいに昔の俺が言っていたーなんて展開にはならないけどな。
「また会いたいです」
「会えないんですか?」
「はい、他県の方ですから。それにお名前も知らないですし」
またそれは大変だな、見つかる可能性はご都合主義に掛ければ10パーセントくらいか?
GPSや番号で管理されているならともかくとして、現実はそうじゃないからほぼ無理だ。
「その人が大切なんですか?」
「……どうでしょうか」
「探しているんですか?」
「いえ、会いたいですけど……探してはいないですね、沢山の人がいますから」
でも会える人だったら違ったかもしれないってことだろこれ。
そうしたらまず間違いなく俺に名前呼びを求めてきたりしなくていいんだがな。
「頑張ってみたらどうですか? 可能性はかなり低いですけど0ではないですよね?」
「……いいんです、ただ感謝をしているだけなのですから」
「学生ですか?」
「恐らく私と同い年だと思います」
「だったら尚更いい人じゃないですか」
その爽やかさんに会ってみたい。
知らない少女にどういう言い方をしたのかは分からないが高身長でもいいと言った人間。
また会いたいと言っていることから清潔感があるのは確かだ、普通にイケメンかも分からない。
「……なんでそんなに必死に会わそうとするんですか?」
「いや、だっていい人ですよね? 会いたいって瀬戸先輩が言ったんですよ? だったら探してみたらどうかなって言っただけですけど」
鞠みたいによく分からないところで不機嫌になられても困る。
この話題は失敗だったかもしれない、本人が探す気がないのに他人が進めるのは余計なお世話だったってことか。
「すみません、忘れてください」
「はい、分かりました」
さて、これからどうしよう。
このまま残ることはなにより物理的ダメージを最小限に抑えられるが、そのかわりに精神ダメージを受ける場所のような気がする。……外へ出て、適当な場所で涼みながらいた方がマシか。
「俺はもう帰ります」
「そうですか、今日はありがとうございました」
「はい、それではまた」
止められなくて良かった。
面倒くさい展開になるのが1番嫌だから。
「あっちぃ……」
これから毎日これが続くのかと考えたら、少しだけ憂鬱な気分になったのは言うまでもない。
「兄といたいよぉ!」
「はぁ……だったらあんなこと言わなければ良かっただろ? つか早く食え、冷めるぞ」
俺達以外には誰もいないから食器にフォークが当たる音だけが響く。
わざわざ昼からパスタなんて茹でて作ってやったのに逢坂はずっとこんな調子だ。
「逢坂、いまからでも間に合うんじゃないのか?」
「それは駄目だよ」
「そうかい、いいから早く食え」
「うん、いただきます」
なんでこのタイミングでこれなんだろうなと考えていた。
別に完全に絶たなくたっていいだろうに、鞠から同じことを言われたら俺だったら食いつく。
なのにあっさり大地は認めやがった、どうせ内では寂しがっているくせにだ。
「逢坂って女子にしては背が高いよな」
「うん? ああ、まあね」
「陸上の時には役立ったか?」
「うん、何回も言われたよ、身長高くて羨ましいって。でもあたし……それ以外ではあんまり好きじゃないんだ、だって可愛くないし……可愛い服とか着ても似合わないから」
「似合うだろ、十分可愛いと思うぞ。まあ、鞠の方が可愛いけどな」
しっかり者だしあと優しい、いつでも「俊明くん」って近づいてきてくれる。
でも、俺も大地みたいな決断が必要なのだろうか、……くそ、不安になるじゃねえかよ全く。
「財津はさ、どうせ誰にでも可愛いとか言ってるんでしょ?」
「は? 思ってなきゃ言わないぞ」
「ふぅん、そっか」
「おう」
可愛いとかって言うのは別に計算じゃないんだ。
こうついつい口に出してしまうレベルのもの、いまの俺は否定したかったから言ったまで。
「ね、あたし達付き合おっか」
「は? 急にどうしたんだ?」
「いや……なんか別に財津じゃなくてもいいんだ、兄と物理的に距離が作れればそれで」
「お前、それ絶対に大地の前で言うなよ? 怒るぞあいつ」
これはあれか、良くない気持ちに気づいてしまったというところだろうか。
だからって誰でもなんていいなんて発言はまず間違いなく大地が悲しむ。
あいつの妹好きは限りないものだからな。あとはまあ、俺が鞠から言われたくないことだから引っかかっていた。
「いいぞ、ただし他の男となんて考えは捨てろよ?」
「うん。あ、でも、手を繋ぐとか抱きしめるとかキスとかそういうのなしだから」
「別に構わないぞ。俺は利用されるだけってことなんだろ?」
「うん、捨てたら……兄とまた一緒にいられるから」
「了解」
と言ってもあれだな、朝に一緒に登校とかも結構厳しいぞ。
中学は高校とは全然違う場所にある、終わる時間だってずれるだろうから現実的じゃない。
「こんなこと頼めるの財津くらいしかいないから」
「嬉しくねえな」
「まあそう言わないでよ。お弁当くらいだったら作ってあげるよ?」
「じゃあ頼むわ、なんたって俺らは付き合っているんだからな」
――こんなことをしたって余計に兄貴のことが好きになるだけだというのに、まだ甘いな。
「なら乙姫って呼んでいいか?」
「ならあたしも俊明って呼ぶ」
「これ、大地に言うのか?」
「言う」
「自分で言うんだろ? じゃあ俺は誤解されないよう鞠に説明しておくわ。なんたって単なる肩書きだけの関係だからな」
俺は乙姫が最低なことをしているとは思わない。
最低なのは俺の方、もちろんこんなことは言えないが。
「うん、普通に現状維持みたいなものだから。でもさすがに申し訳ないからお弁当くらいだったらってこと」
「頼むぞ。食器貸せよ、洗ってくる」
「じゃあその間に言う」
「おう」
それからふたり分の食器を洗って電話をしている乙姫を邪魔するのも悪いからリビングを出た。
「え、い、いたのか鞠」
「うん、俊明くんがごはんを食べている時からずっといたよ」
「あ、なら聞いてただろ? 俺ら、そういうことだからさ」
「……なんで断らなかったの? 俊明くんは利用されようとしているんだよ? 私が言って――」
「いいんだ、気にすんな。あくまで形だけだが、そういう風に認識しておいてくれ」
この先一緒にいる時に大地が来ることだってあるだろうから。
どうしたって身近に住んでいる以上遭遇しないのは不可能だ。
願い、そうしようと行動したところであまり意味はない。
「大地さんも乙姫ちゃんも最低……」
「そう言ってやるな、あいつらはお互いのことをちゃんと考えて動いてるんだから」
俺としては大地が凄いとしか言えなかった。
俺が同じ立場なら先程も考えたことだが必ず食いつく。
なかなかできることじゃない、あいつは格好いい奴だ。
「俊明、終わったよ」
「おう、お疲れさん」
「あれ、鞠いたんだ」
「そりゃいますよ……ここが私の家なんですから」
「そうだよね……あたしがお邪魔しちゃっているのか。そろそろ帰るよ」
こっちがギスギスしてしまったら嫌だぞ俺は。
このふたりがぎこちなくならないようにするには……元に戻すしかねえか。
俺の気持ちはどうでもいい、どうせ捨てられなんかしないんだから大地にぶつけるのが1番。
「送る」
「別にいいよ」
「いいから、行こうぜ」
「じゃあ」
でも、それまでは一緒にいたかった。
虚しいことだってことは馬鹿な俺でも分かっているけどな。