03
「大地起きろ、掃除の時間だぞ」
「……ああ……悪い、サンキュな」
「寝不足か? なんかあったのか?」
「いや……ただ気になった漫画を読んでいたら朝でな……」
期末テストも終わっているからって油断していた。
部屋の掃除をする時の難敵はやはり本だ、もう読んだ本でも気になって開いてしまう。
しかも乙姫まで巻き込んでしまった、おかげで兄妹寝不足状態に陥ったと。
それにしても掃除か、自分の部屋のそれすら真面目にやれていないというのになんとも……。
「あれ、やるとスッキリするな」
「俺も掃除は嫌いじゃないぜ、綺麗になると気持ちがいい」
「……とにかく起こしてくれてありがとよ」
「気にすんなよ、鞠が世話になっているからな」
「いや、鞠はしっかり者すぎてこっちが恥ずかしいくらいだ」
あんな立派な妹がいて俊明は嬉しいだろう。
乙姫にとって俺は……駄目駄目な兄、だって受験生の妹を巻き込んで夜ふかしとか良くない。
「なあ、鞠のことよろしく頼むわ」
「は? なんだよ急に」
「いや、あいつがあそこまで積極的に話すのって全然ねえからさ」
それって単純に俺が年上っぽくないからでは?
元々敬われるようなことをできているなんて考えはしていないが、俺よりしっかりしている身だから色々自由に言っても大丈夫だと考えているのかもしれない。
ま、普通に一緒にいるだけなのに変な風に勘ぐられて兄から邪魔されるよりはマシだがな。
「でもお前、こういうこと言われると極端になりそうだよな」
「極端って?」
「いまやっている掃き掃除みたいに、ひとりに集中してしまうみたいな感じだな」
そりゃ中途半端な態度はできない。
頼まれて、自分にその気があったのならその相手だけのことを考える。
傍から見ればまるで好きな人のような扱いする……かもしれない。
「あるかもな」
「だろ? 意外と分かるんだ俺」
「俺は乙姫を俊明に任せたくないな」
「安心しろ、あいつが嫌がるだろうよ」
そうでもないから言ってるんだがな。
こいつといる時だって普通に楽しそうだし、名字呼び捨てだって信用しているからだと思う。
「よし、終わったな」
「おう、この後は特にないんだっけか?」
「そうだな、夏休みまではずっと午前中帰りが常だな」
となると、帰ってからが暇になるわけか。
こういう時に一緒に出かけられる人間がいたりすると助かるわけだが、俊明とかがそうか?
「この後って暇か?」
「俺か? 悪いが男友達と出かけるんだ、海に行く予定でな。鞠で良ければ呼んでおくぞ?」
「いや、それは悪いだろ。しゃあない、大人しく帰って家でのんびりするか」
家に帰ればエアコンという最高の家電が設置してある。
電源を点けるだけでその空間を冷やしてくれる神器、発明した人を褒めてやりたいくらいだ。
――というわけで大人しく帰宅。
「涼しいなあ……」
いまからやることないって夏休みになったらどうするんだろう。
乙姫の邪魔をするわけにもいかないし、何気に両親共働きだから話して時間をつぶすのも無理。
「やべえ!」
「なにが?」
「おう、おかえり。いや、やることがないなと思ってな」
「兄貴はあたしといればいいじゃん。話し相手にくらいならなってあげるよ?」
おぉ、優しさがとにかくしみる。
だが、これでそのまま甘えるわけにもいかないのだ。
「そうもいかないだろ? 今年は受験なんだから」
「本番は来年だけどね。気にしなくていいよ、兄貴と一緒で日々頑張っているから」
「そうか。乙姫は偉いな」
「それでなにする? おままごとでもする?」
「じゃあ乙姫が嫁役で俺は夫役で……ってならないだろ、俺らは子どもか」
「お父さんやお母さんからすれば子どもだよ」
そりゃ40代と比べればそうだろうけども。
しかもサラッとヤバいことを言ったよな俺、別に兄妹設定でも良かっただろうに。
「なら散歩でもする?」
「俺はアウトドア派だから別にいいぞ」
「じゃあ行こ、兄貴といれば楽しめるから」
な、なんだ乙姫のやつ……俺なんか攻略したっていいことはなにもないぞ。
うーむ、嬉しいことを言ってくれるのはいいが申し訳ない気分になる。
これは鞠と接していて罪悪感を抱くのと同じ感じだ。
「あのね、あそこで鞠と初めて話したんだ」
「そうなのか、なんかあんまり性質が似てないから意外な組み合わせだよな」
「あの子普段ひとりで本を読んでいるような子だったけどさ、運動も勉強もどっちもできて格好いいなって思っていたんだよ。それであのベンチに座って読書をしていたからちょっと恥ずかしかったけど話しかけたの。そうしたら意外にも普通に喋れる子でね、ちょっと驚いたかな」
話しかけてみなければ分からないことって沢山ある。
順番的には逆だが、俊明みたいな明るいキャラはこっちを馬鹿にしてくるものだと思っていたのに全然違かった。偏見で判断してはいけない、後から勿体ないことをしたと後悔しても遅いし。
「で、そっちでは最近紗弥花先輩とふたりきりで話した」
「へえ、意外と繋がりがあるんだな」
「うん、同性だからね」
女子って凄えな、ほぼ初対面でもいきなり外で会話できたりするのか。
それも不可抗力とか偶然ではなく故意に、少なくとも俺にはできないことだった。
「そういえば紗弥花先輩、結局兄貴の教室に行ったんだってね」
「おう、本人は乙姫に言葉で刺されたくないからって言ってたぞ」
彼女は手を後ろで組んで歩きつつ「別に責めるつもりはなかったんだけどな」と呟く。
一応そのことは言っておいたぞと伝えたら、「兄貴は凄いね」と言ってくれて俺はなんだかむず痒い気持ちに。……なんか恩着せがましくなってしまった、こういうのは自分の口から伝えてしまっては意味がない。
「兄貴はどうなの? 紗弥花先輩と鞠だったらどっちがいい?」
「いきなりだな……そんなこと答えられないぞ、比べるなんてことをしたくないからな」
「そっか。ごめん、変なこと聞いて」
「いや、謝ることはないぞ」
まだまだそういう領域に俺らは足を踏み入れていないんだ。
いまはただ、相手がそこにいて会話しているな、くらいでしかない。
それを悪いとは言わないし、きっかけなんてこれからいくらでもある。
だから焦る必要はない、いまはただ普通に仲良くしていれば良かった。
「ふぅ……あっついね」
「飲み物買ってやるよ、付き合ってもらっているからな」
「それはあたしもそうだよ、あたしが兄貴の分を買ってあげる」
「じゃあ俺は乙姫の……って、それじゃ変わらないだろ? 俺が買うから待ってろ」
ちょうど自販機があってくれたので妹の好きな飲み物を購入し手渡す。
なんでもかんでも買ってやれば兄妹関係が良くなるわけではないが、できる限り優しくしてやりたいと考えていた。
だって普通はどんどんと兄離れをしていくものだろ? いい奴を見つけたら俺や家族に対して素っ気なくなるかもしれないからな。仲がいい内に色々しておくしかない。
「乙姫はどうだ?」
「あたし? うーん、関わる男子はいるけど気になる子は特にいないかな」
「そうか、できるといいな」
「まあいつかはね」
もし乙姫に彼氏ができたら祝ってやらなければならないな。
つか俺、俊明みたいに妹を任せるなんて誰かに言えるような強さはない。
冷静に考えてみなくてもやばい気がする、妹離れできない兄とか駄目だろそんなの。
「乙姫、俺ら少しだけ別れるか」
「付き合ってないけど?」
「いや、変わらなければ俺の方なんだ。妹依存している兄とか嫌だろ?」
「別にいいけど、弊害ないし」
「そういうわけにも……乙姫に彼氏ができたら悪いところばかり探しそうだ」
すると「ぶふっ」と妹は吹いていた。
まあ気持ち悪い発言だからな、それを中和させるために仕方なくしたのかもしれない。
「彼氏ができることがないから安心して、それに受験生だし」
「それで安心する兄って気持ち悪いだろ」
「別にいいよ、兄貴のこと気持ち悪いとか思ったことないしね」
「よ、よせよせ、俺の好感度を上げても意味ないぞ。ジュースぐらいしか手に入らないぞ」
「じゃあそれちょうだい」
「あ、おい……って、自分の分もう飲み終わっていたんだな、なら仕方がないか」
脱水症状とかになられても嫌だからこれは普通のこと。
別に間接キスぐらい家族なんだしこれまで何度もしてきた。
そっちまでカウントしてしまうと俺は母さんや父さんとまでしてしまったことになる。
それは気持ちが悪いだろ? だからノーカウントだ家族のは。
「よし、それじゃあこれ捨てて帰ろう。汗かいちゃったからお風呂入りたい」
「洗ってあるから後はためるだけだな」
「うん。あ、一緒に入る?」
「入らねえ……乙姫が出たら入るよ俺は」
仮にここで俺が「入る」とか言ったらどうするつもりだったんだよ。
……こういうことを気軽に言うようになってしまったら嫌だな、やめてほしい。
クラスメイトとか俺の知らない同級生とか先輩に言っていたら? そいつふっ飛ばしたくなる。
「乙姫、そういうことを他の男子に言わないでくれよ?」
「冗談に決まってるじゃん、言わないよ」
「そうか、ならいいんだ」
妹離れしろ、駄目兄貴。
そう呟いて嫌悪感を打ち消したのだった。
あからさまなのはすぐにバレるので、翌日から頻度を減らすことにしてみた。
しかしその日の夜、あっさりバレて吐かされた。
乙姫のためだと何度説明しても理解してくれない、終いには本気で悲しそうな顔をされたから仕方がなくやめるしかできなかった。
妹を傷つけたくてしているわけではないのだからこれが正しい選択だろう。
「――で、これはなんの罰だ?」
「余計なこと考えるからここで寝る」
「ベッドで?」
「ベッドで」
いやまあ不健全なことをするような関係ではないから別にこれはいい。
妹と寝ても良くない感情を抱いたりもしない。とはいえ、ここで気になっているのは乙姫のことを考えて選択したことが逆効果になってしまっていることだ。
「狭い……暑い……床で寝ていい?」
「おう、別に俺はどっちでもいいぞ」
「うん、床で寝る」
「それならほら、これでかけて寝ろ」
「はーい……」
電話がかかってきたから部屋から出て応答。
「あ、逢坂君ですか? 瀬戸です、瀬戸紗弥花」
「はい、声で分かりますよ。それでどうしたんですか? まだ21時過ぎですけど珍しいですね」
なんか緊急の用だろうか。
「乙姫さんは寝てしまいましたか?」
「用があるなら変わりますよ」
「いえ、大丈夫です。もうすぐ夏休みですよね」
「はい、そうですね」
いまからやることないなと嘆いています。
いやマジでどうやって時間をつぶそうか。
課題はやるのは当たり前だが、それ以外で暇死ぬわけにはいかない。
「終業式の次の日、海に行きませんか?」
「いいですよ」
「もちろん、乙姫さんや鞠さんもですけど」
「分かっていますよ、というかふたりきりで行く理由がないですもんね」
乙姫や鞠が楽しめそうならなんでもいいんだ。
つかこれなら単純に3人で行った方がいいのでは?
「瀬戸先輩、乙姫や鞠とだけ行ったらどうですか?」
「え、なんでですか? あなたをお誘いしたいから電話しているんですよ? あなたを誘うつもりがないのにこうしてあなたに連絡したりしませんよ」
「す、すみません……えっと、それなら行きます」
いやでも兄経由で頼んでほしいとかそういう可能性だってあるわけで……。
まあ瀬戸先輩がいいなら別に気にしないで行くけどよ、異性と海に行けるとかいいことだから。
「はい。お昼頃に行くと大変暑いので、朝から行きましょうか」
「分かりました、乙姫に行っておきますね」
「よろしくお願いします。それでは、おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
ふぅ、瀬戸先輩の相手をするのってなんだか無性に疲れる。
面倒事を起こすわけでも彼女が自分勝手というわけでもないんだけどな、なんだろうか。
「紗弥花先輩?」
「おう、終業式の翌日に海に行こうだってさ」
「メンバーは?」
「乙姫と鞠、俺と瀬戸先輩だな」
ふたりきりじゃなくて良かったと考えておこう。
もしふたりきりだったらせっかくの夏休みに心労で倒れてしまう。
「なんで自分はやめようとしたの?」
「いや、女子だけの方が気が楽かなって思ったんだ。まあもう行くって言ったし気にするなよ」
「あたし、兄がいなかったら行かなかったよ?」
「寝ぼけてるのか?」
なんか寄りかかってきているし体温も高い気がする。
水分不足による熱中症か? 昨日の昼間だって飲み物を飲むスピードが尋常ではなかったからよく見ておいてやらなければならないようだ。
「昔はお兄ちゃん、兄、兄貴じゃん」
「そうだったか、懐かしいな。お兄ちゃんって呼んでくれていた時は、俺がいてくれればいいだなんて言ってくれていたのにな……」
「いまでも兄がいてくれればいいと思ってるよ?」
「よせやい、それより早く寝ようぜ」
「うん、寝よっか」
妹が床で寝るのなら俺もそこで寝る。
客人だけ床で寝かせるのはなんか違うからと考えいたら、普通に彼女はベッドに寝転んだ。
それでも一応できる限り距離を取って俺もベッドに転ぶ。
左側に寝返りを打ったらもれなく地面にキスを捧げてしまうわけだが、間違えて妹に触れてしまうよりはずっとマシだと判断。
「別にそんなに避けなくていいのに」
「いや、別に欲情とかはしないからいいんだけどな」
「じゃあこうしてもいい?」
「乙姫から接触される限りは問題ないぞ」
出るところも中学生なりに出ていてそれが当たっている。
しかしなんら不健全な感情は出てこない、だから普通に心地良さを感じながら寝ることに。
「こんなことしてるって分かったらクラスの男子嫉妬しそう」
「人気なのか?」
「うーん、そうかも。陸上の大会にもほとんど来てくれた」
「はは、じゃあやめてやらないとな」
その中のひとりを気に入って仲が深まる可能性もあるわけだ。
昨日の昼間はあんなことを言ったが、本当に乙姫を大切にしてくれるのなら応援できる。
「うん、さすがにこういうのは良くないって思った。兄といたいだけだから」
「おう」
俺も普通に兄として乙姫といたいだけだ、変な勘ぐりをされて距離を作らされたら嫌だった。
だからたまに一緒に寝るくらいでいい、これさえおかしいと言うのならやめるつもりでいた。