01
昔は少し引きもりがちで、でも所謂いい子だった妹がいた。
お兄ちゃんがいてくれればいい、これが妹の口癖だった。
だが月日が流れ、友達が増えると一気に変わって、
「兄貴、邪魔なんだけど」
「悪い」
こんな感じですっかり言葉遣いが変わってしまった形になる。
ただまあ、思春期ならこれくらいじゃないかと母はよく言うから深く考えすぎなのかもしれない。
「そうだ兄貴、今週の土曜日に友達が来るからその間家を出てて」
「え、部屋にこもっているんじゃ駄目なのか?」
「うん。なんかさ、あたしの友達が兄貴のこと怖いって言ってるんだよね」
「あ、そういう……そうか、なら仕方がないな」
妹がその友達に悪く言われても嫌だから仕方がない。
土曜日は近所の川でも眺めて過ごすことにしよう。
「あ、いまから買い物に行こうよ。荷物持って、ジュースかなにか買ってあげるから」
「別に荷物持ちくらいならいくらでもするぞ」
後からだと面倒くさくなるからすぐにやって来たわけだが、
「これ2本くらいあれば足りるよね?」
どうやら2リットルのボトルジュースとお菓子を買いたかったらしい。
来るであろう友達のために3日前から準備するとか可愛いな、あとやっぱり優しい子だ。
「足りるだろうけどどっちも炭酸じゃなくて片方は甘いのとかでもいいんじゃないか?」
「ああ、来るのは女の子だしそれでいいか。ありがと、助かったよ」
俺はカゴを持ちながら色々見て回っていた。
特に買いたいとは思っていなくても気になるからスーパーとかって凄いと思う。
置き方? 本能を揺さぶるなにかがあるのかもしれない。
「もういいよ兄貴、会計済まして帰ろ」
「おう」
金を代わりに払って会計後も荷物は引き続き俺が持つ。
2本も入っているからそこそこ重いが、これくらいで音を上げていては男として情けない。
「あら、逢坂君」
「あ、瀬戸先輩こんにちは」
瀬戸紗弥花先輩。
関わるようになったきっかけは飲み物を買おうとした時にアニメみたいな展開になったこと。
それからというもの、なぜか来てくれるようになった実に不思議な人であった。
「妹さんですか? 私は瀬戸紗弥花といいます、よろしくお願いしますね」
「あ、あたしは逢坂乙姫……です」
そう、冗談でもなんでもなくこれが妹の名前。
故に外で呼ぶのは結構恥ずかしかったりする。
だが、乙女なところが多い妹なので名前と合っていないということはない。
「荷物、お持ちしましょうか?」
「大丈夫ですよ、もう家はすぐそこですから」
「そうですか、それではまた学校で会いましょう」
「はい、気をつけてくださいね」
先輩は「逢坂君達も気をつけてくださいね」と残し歩いていった。
「兄貴にあんな美人の知り合いがいたんだ」
「ああ、たまたまな」
こういう形でもなければ中学生の妹と出会う機会ないからな。
それかもしくは妹のことを知っていて近づいて来ているのかもしれない。
というかそうでもなければ俺のところになんて来たりはしないだろう。
「ありがとね、助かったよ」
「これぐらいならいつでもやるから言ってくれ」
「うん。でも、土曜日は悪いけど……」
「気にするな、川でも見つめてくるからよ」
聞けば昼頃から夕方までという話だから数時間ぐらいなら大丈夫。
暇をつぶす方法なんて沢山あるんだ、気づいたら夜にすらなっているだろうよって楽観視していた。
しかし、
「実際にやってみると、なんとも退屈なもんだなあ」
やってみると分かる微妙さが襲ってくる。
いや、見ていると落ち着くは落ち着くんだ。
水の流れる音は心地いいし、近くにいると涼しいこともあるから。
が、これも妹の友達が心地良くあの家で過ごすため、しょうがないことだと割り切る。
「兄貴ー」
え、なんで乙姫がいるんだ?
妹がここにいたら俺がこうして外に出ている意味がなくなるぞ……。
「もう帰ってきていいよ」
「え、30分しか経ってないぞ?」
「なに言ってんの? もう3時間経ってるけど? いいから早く、飲み物飲ませてあげる」
「お、おう……ひ、引っ張らなくてもちゃんと行くから」
やっぱり根は変わってないな。
やたらに心配して、飲み物とかきちんと飲ませたりするところが。
別に体が弱いというわけではないのだから、そこまで過保護にならなくても大丈夫。
……ただ、妹がこうして構ってくれるのが普通に嬉しい。
父親みたいな目線で見ているのかもしれない、愛想悪くされたりしたら悲しいからな。
「はい」
「サンキュ」
あ、しかもわざわざあの時買ったやつをくれたようだ。
ふーむ、俺としては友達と上手くいったのかが気になるわけだが、わざわざ聞くのもうざがられるかもしれないから黙っておく。
自分から言う気があるのならすぐにでも言うだろうし、言わないのであればそういう判断をしたんだなと分かるから。
「外に出てもらってるって言ったら申し訳無さそうな顔をしてたよ」
「ああ、気にするなって言っておいてくれ。そりゃ、家の中で出くわすかもしれないって不安と戦いながらでは純粋に楽しめないからな」
友達の家で遊んでいて急に姉が突撃してきたら気まずい、母親でも同じこと。
俺は年上だからできる限りのことをしてやるだけだ、そうしないと親父の怒られる。
「そうだ、さっき昨日の人が来たよ」
「瀬戸先輩が? なんの用だろうな」
「というか兄貴、家の場所教えたの?」
「ああ、ちょっと前にな。風邪引いた時にプリント持って行きたいからって言ってくれてな」
しかし同級生ではなくひとつ上の先輩が届けてくれるのはなんかおかしい気が。
いや、先生も困っていたのかもしれない、クラスメイトに頼んでも誰も家を知らなくて。
その日どういうやり取りが交わされたのかは分からないが、まあ大切な書類だったから先輩が持ってきてくれて助かったのは確かだ。
「……なんかおかしくない? どうしてあの人は先輩なのに持ってきてくれるの?」
「うーん、まあ俺も思わなくはないけど、ありがたかったからな」
「ふぅん、まあいいや。今日はありがとね、今度はこういうことないようにするから」
「気にすんなよ、乙姫がしたいようにしてくれればいい。昔と違って家にこもらなくなったのはいいことなんじゃないのか?」
ちょっと寂しくもあるが妹的にはいまの方がいいわけで、それを兄が邪魔できるわけがない。
妹がいてくれるからいいなんて言っている兄は嫌だろう、俺も少しは変わらねばならない時がきた。
「うん、でも……友達が増えると対応も大変だよね」
「悪い乙姫、俺にはその気持ちが分からないんだ」
「え、兄貴ってそんなに人付き合いが得意だっけ?」
「いや、友達がいないんだよ」
「え、昔はいっぱいの人と兄貴は一緒にいたのに?」
ああ、そんな時もあったな。
俺がリーダーで同い年だけでなく年上だって引っ張っていた、言い方を悪くすれば振り回していた。
ただ、大人になるとどんどんと変わっていくもので、ゲームが普及したことにより中で遊ぶやつが増えていったんだよな。
それで持っていない俺はどんどん合わせられなくなって、しかもこれまで引っ張ってきたプライドがあるからひとりでいいとか言って孤立して……。
うんまあそうなるよねって話でしかない。
「乙姫……俺みたいにはなるなよ」
「う、うん、分かった」
よし、これで妹が同じような思いを味わうことはなくなった。
近くにこんな悪いお手本がいたら自分はそうならないぞって人間は動くもの。
そういう意味では妹のためになれているというわけだし、悪いことばかりではないと片付けておいた。
「はよーす」
椅子に座って大人しくしていたらクラスメイトの男子から挨拶されたように見えた。
が、俺は分かっている、これはどうせ後ろの人間にしていたとかそういうのだと。
ここで「お、おはよ!」なんて言ったら笑い者にされるのは必至、故に取れる行動は現状維持だけだ。
「おいおい、無視かよ?」
「あ、俺か? どうしていきなり挨拶してくれたんだ?」
「いやおい、クラスメイトに挨拶するのはおかしいのか?」
「いや、おかしくはないが」
男子が野郎に話しかけるメリットってなんだ?
しかもいまは7月という中途半端な時期、このタイミングで近づいて来た理由は?
「なあ逢坂、お前2年の瀬戸先輩と関係があるんだろ?」
なるほど、そういうことか。
いや寧ろ俺に興味があるとかじゃなくて安心した。
「話すぐらいだったらできるぞ」
「凄えなお前、あの人は基本的にひとりでいるのに」
「へえ、よく知ってるんだな」
「まあ結構有名だからな」
有名なのに俺は全く知らないが。
とはいえ、その理由を知りたいとは別に思わない。
話しかけてくれる唯一の先輩という扱いをしておけばいいだろう。
「ま、先輩のことはいいんだ。それより逢坂、お前には妹がいる、そうだろ?」
「まあな、乙姫って名前なんだ」
「いいな、会いたいぞ」
「じゃ、今日来たらどうだ? 部活動があるから18時過ぎになるだろうけどそれでもいいなら」
いやいや、もしかしたら妹だって気に入るかもしれないし邪魔してはならない。
まだどういう人間かは分かっていないからきちんと見ておく必要はあるが、妹と彼にとっていい出会いになることを願っておく。
一応妹と会うために彼、財津俊明は何度も俺のところに来るようになった。
何気に飯も一緒に食ったり、一緒に帰ったりとまるで友達ができたかのよう。
だが分かっている、財津の目的はあくまで乙姫と会うこと、勘違いをしてはいけない。
「ただいま」
「よう、おかえり」
「兄貴もおかえり――ん? あれ、財津じゃん」
「よう! 呼び捨てなのはいただけないが、いきなり財津先輩とか言われても気持ちが悪いからな」
どうやらお互いにもう知っているようだ。
乙姫があんな自然に男子と関わっているのは初めて見た。
これはもしかしたら……既に気になっているとかそういうのがあるかもしれないぞ。
「逢坂、俺とあいつの関係性、気になっているんだろ?」
「待て、俺が言う。そうだな……財津が乙姫のことを気にしてるんだろ?」
「不正解だ、ヒントは俺にも妹がいるということだ」
「それってもしかしてこの前来た子か?」
「正解」
ってことは接点のない俺が怖がられているのってこいつらのせい?
なんかあることないこと説明して、勝手に怖い人間に仕立て上げられたと。
まあ可愛くもなければ優しくもないから妥当なのかもしれないが、だからって勝手に評価を悪くされてはたまらない。
「ちなみに、妹が怖がっているのは主に俺のせいだ」
「お前のせいかよ……」
「だってよ、いつもひとりでいるし目つきが悪いからな、妹に近づいてほしくなかったのよ」
「安心しろ、女を見ればすぐにナンパをするような人間じゃねえぞ」
寧ろ気を使わせないために家を出ることだってする。
相手の家に行けなくなってしまうとこの先困ることだってあるだろうから。
「逢坂――って呼ぶと紛らわしいか、じゃあ大地って呼ぶわ」
「え、乙姫の方を呼ばなくていいのか?」
「ああ、俺らは別に仲がいいというわけじゃないからな。あと、俺はもう帰る、目的は果たせたから」
「そうか、気をつけて帰れよ」
「おう、じゃあな逢坂」
「うん、じゃあね」
ただ妹と話せただけで満足とかピュアかよ。
それとも最初はこういうもんなのかもな、俺も瀬戸先輩と話せただけで達成感を感じる時もあるし。
「ちなみに財津の妹の名前は鞠だよ」
「へえ、なんかしっかりしてそうだな、あとは声が小さそう」
「兄貴の想像は間違ってないかもね。ちなみに、いま廊下にいるんだけど」
「は!?」
廊下に出てみるとお人形みたいな少女がいた。
瀬戸先輩が美人ならこの子は可愛い系だと言えるそんな人物。
「……はじめまして」
「お、おう、はじめまして」
確かに声が小さい……。
だがいまはそれよりも怖がらせてしまっているんじゃないかって気が気じゃなかった。
「わ、悪いな、俺が家にいて」
「気にしないでください、お兄……あなたのお家なんですから当たり前ですよ」
「そ、そうか」
これはもしかしたら財津もグルか? そういう作戦だったのか?
妹の人見知りするところというか初対面の人相手でも恐れずに話せるように俺で練習しよう的なあれなのかもしれない。
それならそれでいいが、こうして敵地にいきなりひとり残していくというのは酷というものではないだろうか。
「来て鞠」
「はい」
うーん……なんか手足とかも細すぎて心配になる。
沢山食べさせた方がいいのでは? 幸い、それなりの調理スキルは俺にもあるが。
「ざ、財津」
「なんですか?」
「もっと食べた方がいいんじゃないのか?」
「あんまり食べられないんです、すみません」
「あ、そう……」
この反応を見て、いつか絶対に沢山食べてもらおうと決めたのだった。