8.平和な日々の終わり
「じゃあ今回はこれだけだから」
「うす。では、あっしはこれで失礼させていたただきやす」
「ご苦労様」
そう言うと、行商人のヘルマーさんは頭を下げて馬車に乗った。ゆっくりと屋敷の敷地内から出ていく馬車を見送ってから、手の中の袋を開く。中には今回彼に渡した商品の代金が入っている。彼と取引をするようになってもう少しでちょうど5年になるからそれなりの付き合いになるけど、お金の確認は忘れない。さっき目の前でしっかり数え、その枚数も分かっていた。
その中から銀貨を一枚取り出し、自分用の皮小袋にしまいこむ。これが今回の僕の取り分―というよりはお小遣いだ。残りは全部、エリナに袋ごと手渡す。
「エリナ、これを頼むよ。いつも通りにね」
「カナタ様…。いつも言いますが、もっとお取りになってくださっていいんですよ?あの商品のほとんどはカナタ様がお作りになられたものなんですから。屋敷の家計はもう十分すぎるほど蓄えがありますし…」
「そうは言ってもね、エリナ。僕だってあまり貰っても使い道に困るだけだから。僕はヘルマーさんが持ってきてくれる本さえあれば特にいるものはないから、滅多に使わないし」
商品を作り、それを渡して金銭と食糧、必需品を売ってもらう。それが僕とヘルマーさんの間で結ばれている契約だ。書いている本を今のところは毎回かなりいい値段で買い取ってもらえているおかげで生活には困っていない。きっとそれなりに色を付けてくれているんだと思う。二年くらいしか本を作ってはいないけど、今ではそれなりの貯蓄すらできるようになっていた。
しかし6年前に引っ越してきたここデルカンデラは文字通りの寒村、片田舎だ。当然娯楽なんてものはないし、金銭で買い物が出来る店さえそう多くはない。村での買い物と言えば、基本的に行商人がやって来た時くらいのものだ。他はほとんど自給自足と物々交換。だからデルカンデラとせいぜいその周りの森にしか行かない僕にとって貨幣などほぼ使い道がないのだ。
「しかし…」
「いいから。それじゃ、あとはお願いね。僕は村に行ってくるから」
それでもごねるエリナに無理矢理袋を渡し、僕は屋敷を飛び出した。さあ、今日もいつも通り平和を謳歌することにしよう。
「おや、カナタ様。こんにちは」
「こんにちは、ヘレンさん。今日は野菜の種まき?南の畑かな」
「ええ、みんな集まっとりますよ。南のゴンズの家の辺りです」
「ありがとう、いってくるよ」
すれ違った雑貨屋のヘレンさんに挨拶。今年で70歳を超えたらしいヘレンさんは、いつも村唯一の店である雑貨屋で店番をしている。優しく穏やかで村でも人気のお婆さんだ。村の人たちからは「ヘレン婆」と呼ばれている。笑顔で村の人たちがいる場所を教えてくれたので、お礼に笑顔で手を振って村の南にある畑へ向かう。そこには村の半分くらいの人たちが集まっていた。
「こんにちは、みんな。遅くなってすまない」
「おお、これはこれはカナタ様。ちょうど終わったところです。お~い、みんな。カナタ様がきてくださったぞ」
作業を見守っていた村長のモニクに声をかけると、彼が声を上げてみんなに呼びかけてくれた。もう白髪だらけ80歳のお爺さんなのに、モニクの声はよく通る。最初の頃はとてもかしこまっていたけど、最近はすっかり慣れてくれたみたいだ。モニクの声に、すぐにみんなが顔を上げてこちらを見る。
「あ、ほんとだ!カナタさまだ!」「カナタさまやっときた!」「おそいよカナタさま」
「ごめんよ、みんな、遅くなって。ヘルマーさんが来てたから話していたらこんな時間になってしまった」
「気にしないでくだせぇ。本来カナタ様はこんな泥仕事なんてされなくていいお方なんでさぁ。こうして
きていただけるだけで十分にありがてぇです」
駆け寄ってきた小さな子たち(と言っても、11歳の僕とそう変わらないけど)と村人の一人である若者ゴンズに謝る。今日は彼の新しく開墾した畑に種を植える作業なのだ。
「まぁ、そうかもしれないけど。でもまあ、僕はみんな知っての通り貴族なんて名ばかりみたいなもんだから。それにずっと屋敷にこもっていても暇だしね」
この村の人たちは、僕が何らかの理由でデイブレイク子爵家から疎まれていると知っている。流石に妾の子どうこうは知らないだろうけれど。今では僕を貴族として扱いながらも、気さくに話してくれるようになった。
「もう終わったの?」
「はい、全て。あとはいつも通り水やりだけです」
「わかった。じゃあいつも通り降らせるよ」
「おねげぇします」
さて、それじゃあやりますか。
「いくよ…“大地に恵みを”〈弱降雨〉」
魔力をほんの少しだけ使い、魔法を発動する。するとイメージ通りに小雨程度の雨が畑全体に降り始めた。それらはしばらく降り続け、地面をしっかりと濡らしたあたりで止む。何度も使った魔法だから失敗なんてありえない。これでも一応、毎日魔力を使った訓練をしているんだ。魔力も結構増えたし、色々使える魔法も増えてきた。これもイメージをもとにして使えるようになった魔法で、術式で組んだものじゃないけど。ちなみにその前の言葉は一応詠唱だ。一言だけど、あった方が使いやすいんだよね。実は日本語で言ってるので他の人には何のことか分かんないと思うけど。
「こんなもんかな?」
「はい、十分です。いつもありがとうございます」
終わったのを見て、モニクがお礼を言ってくる。いいって言ってるのに。
「気にしないで。それより、今日はもう総出の仕事は終わり?」
「はい、これだけです。これからはみな各自の仕事をします」
「そっか。じゃあ僕も屋敷に帰ろうかな」
人口の少ないこの村では、村の人たちが総出で行う仕事とそうでない仕事がある。大変な仕事や手のかかる仕事は村全体で協力して行うのだ。収穫や今日のような人手が要る仕事の時だ。それ以外の時は、みんな基本的に自分の家の畑を世話する。除草剤もないこの世界の農業は、とても手間がかかるうえに難しい。子供たちも、学校なんて行かずに家の仕事を手伝うのが当たり前だ。読み書きができる大人すらほとんどいない。
助け合い、支えあう小さな村。大人から子供まで全員が顔見知りのこの村は大きな家族のような存在だ。
僕は笑顔で見送ってくれる村の人たちに手を振り、屋敷に戻った。
結局その日は、それ以降何事もなく夜を迎えた。
この村デルカンデラに来て早くも7年。既にここでの生活は、僕の中で一つの日常として深くなじんでいた。
朝起きて村に出かけ、仕事を手伝う。そして帰ってきて、内職や読書、魔法の練習、鍛錬を行う。ときには狩猟に混ぜてもらって狩りに行くこともあった。同じような代り映えしない日々だが、それでも僕は十分に楽しい。
エリナがいて、村の人たちがいて、何かあるわけでもない日々。
「こんな平和な生活が続けばいいな…」
布団の中でそっと呟く。
そんな生活を揺るがす知らせが来たのは、それからひと月後のことだった。




