5.デルカンデラ
デルカンデラの町、というか村はとても静かなところだった。
家は多く数えても50件程度で、そのどれもがごく普通の農家。唯一小さな教会が村の端っこにポツンと建っている。周囲には畑が広がり、すぐそばには森が広がっている。小さな川も近くを流れていて、自然がとても豊かだ。
僕たちがデイブレイク子爵家の馬車から降ろされたのは、そんなデルカンデラでもさらに端っこにある古い建物の前だった。石造りの小さな屋敷で、壁には草が生い茂っている。庭の草も生え放題で、明らかに手入れも管理もされていない。
「これは…」
「なんともまあ、すごいね」
エリナと二人して顔を見合わせる。これは明らかに、一日や二日で住めるようにはならないだろう。下手すれば一週間はかかってしまいそうな気がする。おまけに馬車は僕たちを降ろすなりとっとと走り去ってしまった。
「ひどい有様だね」
「はい…。いかがいたしましょうか?」
「そうだね…。とりあえず、中を見てみよう。綺麗なら、今夜も泊まるだけならできるかもしれない」
草を踏んで道を作りながら屋敷までなんとかたどり着く。扉を開けると、中は薄暗いうえにひどく埃っぽかった。思わずせき込んでしまいながら、慌てて窓を開ける。
「んっしょ…!あ、開いた。…けほっけほっ」
「だ、大丈夫ですか、カナタ様」
「ああ、うん。大丈夫。…にしても、まあ、予想通りだね」
「はい…」
屋敷の中は、予想通りなかなか酷い有様だった。床や壁は大丈夫そうだが、家具は何一つとしてない。床は埃だらけで、蜘蛛の巣なんて部屋の四隅にきっちりある。窓も張り付いている植物のせいでひどく開け難い。それ以前に立てつけもかなり悪くなっているように思う。
「でもまあ、寝泊まりするくらいはなんとかなるかな?」
「そうでしょうか?」
「うん。雨風はしのげるし、床もしっかりしてる。埃さえどうにかできれば、寝るだけなら大丈夫だよ」
「私としては、あまりカナタ様にこんなところで寝てほしくはないのですが」
エリナはまだ幼い僕を思ってかやんわりと反対する。でも、そうは言ってもここしかないのだから仕方ない。幸い布団、というかくるまって寝られる大きな布はあるので、掃除さえすれば大丈夫だろう。寒い季節でもないし。
結局、今夜はこの屋敷で寝ることになり僕とエリナは掃除に取り掛かることにした。ところが、さっそく取り掛かろうとしたところで重大なことに気が付いた。
「…道具がないね」
「…そうですね」
そう。掃除しようにも箒一本持っていないのだ。それどころか雑巾もバケツも何もない。これではたとえエリナが掃除が得意なメイドさんでも掃除は難しい。
「どうしようか?」
「とりあえず、村の人たちに頼んで借りましょうか。うまくいけば、片付けの人手も借りられるかもしれません」
「ああ、そうだね」
「それに忘れていましたが、これからこの村で暮らすのですから村長に挨拶もしないといけません」
エリナの言う通りなので、とりあえずまずは村長に挨拶に行くことにした。ところが、では行こうと屋敷を出たら、屋敷の敷地外に人だかりができていた。屋敷の庭に入るぎりぎりのところで100人を超える人が集まっている。歳は老人から子供までいて、まるで村人全員が集まって来たかのようだ。
「えっと、これは?」
「カナタ様、私の後ろにお願いします」
不安そうな、どうしたらわからないといった様子で戸惑う村人たちを前に、エリナが咄嗟に僕を庇うように立つ。すると村人たちの中から、一人の老人が歩み出てきた。白髪頭のやせ細ったお爺さんだ。杖は持っていないが、足元が少し不安定に見える。
「あ、あなた様は、デイブレイク子爵家から来られたお貴族様ですか?」
「無礼な!まずは頭を下げ、名乗りなさい」
いきなり話し始めた老人に、エリナが怒りの声を上げる。
この世界では、平民が貴族に話しかけるのは許可を得ていない限り無礼なこととされている。頭を下げ、名を告げ、許可を得てから初めて直接話しかけることを許されるらしい。今回のようにいきなり話しかけると、ひどい時にはその場で不敬罪として処刑されることもある。
「不敬罪で首をはねられたいのですか!」
エリナの言葉に、目の前に集まっていた村人たちが一斉に跪いて頭を下げる。進み出てきた老人も同様だ。そこにはひどい怯えがありありと浮かんでいる。村人たちの中には涙を流している者さえいるほどだ。
一見これはやりすぎのように見えるが、この世界では普通のことだ。貴族の地位が恐ろしく高いこの世界では、それに反比例して平民の命は恐ろしく軽い。貴族の言葉一つで簡単に平民は殺されるのだ。エリナの言葉や行動も、貴族の傍付きなら至極当然の行いに過ぎない。
「いいよ、エリナ」
でも、そういう堅苦しいのはあんまり好きじゃない。
「しかし、カナタ様」
「いいから。みんなも、顔を上げてくれるかな。不敬罪なんてことは言わないから、安心してほしい」
僕はエリナの前に出てそう言うと、努めて優しく笑顔を浮かべてみた。そのおかげというわけじゃないだろうけど、一人、また一人と少しずつ村人たちの顔が上がる。
「あなたも、名前を聞かせてもらえるかな?僕はデイブレイク子爵家が三男、カナタ=デイブレイクだ」
「は、はい。ワシはこのデルカンデラの村長をしております、モニクという者です」
目の前に跪く老人に話しかけると、彼は震えながらも答えてくれた。
「こ、この度は大変な無礼を…」
「ああ、うん。いいよ、気にしないで。こっちこそごめんね、エリナが怒鳴っちゃって。僕のことを思ってのことだから、悪く思わないでほしい」
「い、いえ、そんな…」
僕が謝ると、モニクさんは驚いた顔でまた額を地面にこすりつけた。
「それよりもモニクさん、これはいったい何の集まりなのかな?見た感じ結構な人数だけど」
「も、モニクで結構でございます、カナタ様。こ、これはその、お貴族様がこの村にいらしたと村の若い衆から聞きまして、その、御挨拶を、と」
「あ、そうなんだ。それは悪いことをしたね。僕もちょうど村長のところに挨拶に行くつもりだったんだ」
「め、滅相もありません」
モニクによると、ここにいるのは村に住むほぼ全員だということだった。何人か歩けない老人が自宅にいるが、それ以外は全員揃っているらしい。
「挨拶って、村人全員でするのが普通なの?」
「いえ、私も詳しくないですが、普通は村長とその補佐だけで行うのが普通だと思います。全員に来られても困るだけですし」
「まあ、普通はそうだよね」
「も、申し訳ありません!なにぶんこの村にお貴族様がいらっしゃることなど、今までなく…」
それはまあ、当然かもしれない。デルカンデラの村にははっきり言って魅力がない。来る前に少し調べたが、特産品はどこでも栽培できる麦。人口は100人ほどで、娯楽や観光名所もなく、主な街道からも外れている。そのうえ、大きな事件や問題もない、典型的なのんきな田舎。そんな場所には貴族どころか視察の役人すら訪れようとは思わないだろう。実際、デイブレイク子爵家でもこの村の情報はほとんどなかった。
「そっか。なら、今回は別にいいよ。それより、今日僕たちが来ることは知らされていたのかな?」
「い。いえ、申し上げにくいのですが、ワシも今初めてカナタ様がいらっしゃったと知ったところでして」
「デイブレイク子爵家からは何も伝わってないのか。まあいいや。とりあえず、今日からこの村に僕と隣のエリナが住むことになったんだ」
「そ、そうなのですか?」
「うん。ちょっと理由があってね。統治したりはしないから、ただ新しい人間が増えたと思っていてほしい」
どうやら、デイブレイク子爵家からデルカンデラに僕のことは知らされていなかったようだ。とことん僕のことはどうでもいいらしい。屋敷の状態といい、分かっていたことではあったけど。
「それより、ちょっと村の人たちに挨拶してもいいかな?」
「は、はい。もちろんでございます。少々おまちを…」
僕が村の人たちに挨拶したいと言うと、モニクは慌てて村人の方に戻っていった。そして「静かに聞くように!」などいくつか注意事らしきことを言い聞かせている。
そんなに厳しくしなくても、ちょっとした挨拶なんだけど。
「お待たせいたしました」
「いや、うん。ありがとう」
モニクがそう言ってきたので、とりあえず村の人たちの前に進み出る。するとそれに合わせて、また村の人たちが頭を下げた。
「えっと、楽にして聞いてほしい。頭を上げてくれ」
そう言うと、頭こそ上げるものの誰一人として姿勢を崩そうとはしない。全員が真剣な目で僕の方を見ている。小さな子供まで、親に言われているのか微動だにしない。
「さっき言ったけど、僕はデイブレイク子爵家の三男、カナタ=デイブレイクだ。理由があって、今日からこの村で生活することになる。一応貴族ではあるけど、僕はあまり礼儀とかには厳しくないから、ある程度は気さくに接してほしい。また、ここでの暮らしは正直、分からないことだらけだ。いろいろと助けたり手伝ってれると助かる。よろしく頼む」
…話し終わっても、誰も何も言ってこない。あれ?ちょっと不安になってくるな。
「えっと、エリナ。俺何か変なこと言ったかな?」
「いえ、貴族らしくはなかったですが、御立派でした」
そっか。貴族っぽくなかったかな?言葉遣いとか気を付けてたんだけどな。最後には頭まで下げちゃったし。まあ、気にしてもしょうがない。なるべく貴族らしく振舞うように言葉使いとか気を付けてるけど、やっぱり難しい。僕の根は清き良き一般市民だからね。
「あ、あの。よろしいでしょうか」
と、一人の女性が恐る恐る手を挙げた。声も手も震えているけど、目はしっかりと僕をみている。
「あ、うん。なにかな?」
「えっと、か、カナタ様はそちらのお屋敷に住まれるのですか?」
「うん、そうだよ」
「えっと、その、かなり荒れていますが…」
「これから片付けるんだ。僕はこの屋敷しかデイブレイク子爵家からもらってないからね」
質問に答えると、女性は最初驚いた様子だったが、はっきりと話してくれた。そしてしばらく黙ると、意を決した様子で提案してきた。
「で、では、村の者達でお手伝いいたしましょうか」
「本当?それは助かるよ」
その提案は僕にとっては最高の話だった。正直、この屋敷をエリナと二人で掃除するのは大変だったから、素直に助かる。
「は、はい。もちろんです。それで、その…」
と、ここで再び女性が口ごもる。どうしたんだろ?さっきよりも言いづらそうだ。
「どうしたの?」
「えっと、その、図々しい願いだと思うのですが、その報酬に、些少でいいので金銭を…その、いただけると」
その言葉に、村人たちが大きくざわめく。モニクが慌てて女性に駆け寄り、頭を押さえつける。
「こ、これ!何を言うておるのじゃリッテ!」
「でも、おじいちゃん。お金がないと塩が…」
「お貴族様に何てことを!す、すぐに謝らんか!」
モニクは大慌てで女性―リッテの頭を地面にこすりつける。
会話を聞くかぎり、きっとリッテはモニクの孫なのだろう。「おじいちゃん」って呼んでたし。
「も、申し訳ありません!リッテがとんだご無礼を」
「ああ、気にしないで。報酬はきちんと出すから。むしろ、当然の要求だ。こちらの配慮が足りて無かったね」
「えっ?」
僕は謝って、エリナに頼んで袋を持ってきてもらう。エリナがリーン=デイブレイク子爵夫人に渡されていた(投げつけられていた)金銭の入っている袋だ。中には金貨が3枚と銀貨が10枚入っている。
「手伝ってくれたら、銀貨1枚を村に払うよ。今日中に終わらしてくれたらもう1枚だ。これでどうかな?」
そう言うと、モニクとリッテの顔が驚きに染まっていく。周りの村人たちもだ。え、もしかして足りなかったかな?
「足りない?」
「め、滅相もございません!ありがとうございます!」
「ぜ、ぜひ手伝わせてください!村人総出で手伝わせていただきます!」
後ろで「オオー!」と叫ぶ村人たち。え、何急に。ちょっと怖い。
結局、それから僅か数時間で屋敷は綺麗に今すぐ住めるレベルまで片付いた。ホントに、何の比喩もなくリアルに村人総出だった。老若男女問わず、全員であっという間に片付けてしまった。
ちなみに銀貨はちゃんとモニクに渡しておいた。2枚渡すと、感激して食事までごちそうしてくれた。な、なぜだろう…?
こうして僕とエリナの、デルカンデラでの暮らしはスタートした。




