15.王女様謁見
王城ルーニックは、僕の想像を超えたとんでも建造物だった。
周囲を囲む城壁(内壁でも外壁でもありません)の門は警備が厳重で、何人もの騎士たちが見張りや入城検査を行っていた。その騎士の人たちの検査を受けてくぐると、そこはまさに豪華絢爛にして壮大な世界。見上げるは白の王城ルーニック、その威容はまさに並ぶ物のないと言っていい姿だ。庭木どころか芝生一本にまで手入れされ、どこを見ても汚れやごみ、乱れは一切見当たらない。前世にテレビとかで見ていた西洋のお城でもここまでじゃなかったと思う。窓も一片の曇りなく磨かれまさに圧巻だ。外観だけでなく内装もとてもきれいで、赤を基調とした装飾は床のカーペットから廊下に置かれた美術品まで完璧だ。きっと何気なく置かれている花瓶もすんごい高いんだろうなぁ。あちこちを多くの文官やメイド、騎士が歩き回り、それでいて誰もが厳かな雰囲気を保って行動している。
「ここは王城の西門入場口です。正門は南門なのでそちらが正面入場口になるのですが、今回は非公式での登城なのでこちらを利用することになっています」
僕を先導してくれている一人の文官さんがそう説明してくれる。
僕からすれば過去見たことがないほどに豪華で立派なここも、王城の正面から謁見する際に使う通路とは違うためまだまだおとなしい方らしい。そっちは他国の使者が来たりするためもっと気合が入っているのだとか。ちなみにヘルマーさんは、馬車と一緒に門を入ったところで分かれてしまった。そこからは案内を言い渡されているというこの若い男性の文官さんが案内してくれているというわけだ。
ちなみに文官とは、公式の試験に合格した王城や役所で働く人たちのことだ。主に書類や予算などに関する仕事をしていて、前世では公務員にあたる人たちである。王城で働くにはかなりの教養と確かな出自が必要なのでいわゆるこの国のエリートだ。大抵は家督を継げない貴族家の次男以下が就職することが多い。
「こちらになります」
そう言って文官さんの足が止まったのは、お城に入ってから5分ほどたったころだった。それなりの距離を歩き、そこそこ奥の方まで連れてこられた気がする。既にどこをどう通れば帰れるのか僕にはわからないよ。
文官さんが止まった先には一枚の扉。うん、扉ひとつに施された装飾が細かすぎてもう軽く引くレベルだよ。王城すごすぎ。
「入ればいいんですか?」
「はい。中であなたをお呼びになられた方がお待ちです」
そう言われたのでおそるおそる扉をノックする。すると「どうぞ」と聞きなれた声が聞こえたのでほっと息を吐く。これはグラーフさんの声だ。
「失礼します」
そう言って中に入る。するとそこにはグラーフさんの他に予想外の人物が待っていた。
「いらっしゃい。待っていたわ」
黄金。まず僕の目に飛び込んできたのは今日の入学式で見た美しい黄金の輝きだった。そして類まれな美貌、その中心にある碧のあの目が僕を見つめていた。優しく微笑んでいてそれがまたひどく似合う。
「手紙は送らせてもらったけれど、初めましてね。私はクリスティーナ=フォン=ルーニックよ」
「は、はい。お初にお目にかかります」
クリスティーナ王女の言葉に、慌てて我に返ってその場に跪く。あ、危ない…。一国の王女様相手に無礼なんかやらかした日には僕の首が物理的な意味で飛んで行ってしまう!
「カナタ=リナリアと申します。生まれはデイブレイク子爵家ですが、今は故あってこの名を名乗ることにしています。この度は拝謁の栄誉を賜り光栄です」
「あら、意外と作法もしっかりしているのね?学ぶ機会なんてなかったはずなのに」
よかった。どうやら挨拶は間違ってなかったらしい。グラーフさんに借りた本に書いてあったことをそのままやっただけだから不安でいっぱいだったけれど、無礼にはなっていないようだ。
「でも、今回はそんな堅苦しいことはなしにしましょう。せっかく非公式にしたのに、その意味がなくなっちゃうわ。ほら、立って」
「は、はい」
言われたとおりに立つと、機嫌よさそうに笑うクリスティーナ王女とその隣に立つグラーフさんがいた。こちらもいつもと変わらないにこにこ笑顔だ。グラーフさんがいるってことは、つまりはそういうことなんだろう。
「さて、もう分かっていると思うけれど、私があなたを王都に呼んだ張本人よ」
「いえ、まあそれはなんとなく分かりますが」
「ふふふ、あまり驚いてないのね」
「十分驚いています…」
まさかこんな大物だったとは思ってなかった、というのが率直なところです。
いや確かに、オルトリンデ公爵の推薦状だった時点でそれなり以上の貴族、権力者だろうなとは思っていた。けどまさか、王族、しかも直系の第一王女様だったなんて想像の範囲外だって。
「あなたのことはグラーフから話を聞いているし、何度か見たこともあるからある程度は知ってるわ。でも、直接会うのがとても待ち遠しかったの」
「そうなんですか?」
「ええ。だってあなた、とっても可愛いんだもの。ほら、こっちにきて」
言われるがままに近づくと、クリスティーナ王女は僕の長い髪を手にとった。それをさらさらと楽しそうに弄ぶ。
「綺麗な髪ね。あなたの可愛らしい顔と合わせて、まるで物語に出てくる天使みたい」
「あの…お褒めいただいて恐縮ですが、僕は男です…」
「あら、そんなの関係ないわ。だってこんなに可愛らしいじゃない」
「そんなことは…」
「あるの。ほら、肌もすべすべ」
「あ!ちょっと!?」
そしてあろうことか、僕の手を引きそのまま座る自分の膝上に引き寄せてしまった。当然僕はそれに逆らえるわけもなく、後ろから抱えられるようにクリスティーナ王女の膝上に着席することになってしまった。
…いいにおいとか、背中の柔らかい感触を意識したら負けだ。
「く、クリスティーナ王女殿下?」
「なあに?ふふふ。ああ、いいわね。最初に見た時からずっとこうして抱きしめたかったのよ。手触りもいいし抱き心地も最高…!」
実に楽しそうだけど、あいにくと僕はぬいぐるみではないのですが。僕の言葉も聞こえてないな?
「あの、そろそろ離してっ…」
「いいから。しばらくじっとしてなさい♪」
結局、それから十分以上の間僕はクリスティーナ王女の腕に抱きしめられたままだった。グラーフさんが見かねて声をかけてくれなかったら、きっともっと長い時間拘束されていたと思う。いや、ほら、あまりにもクリスティーナ王女が楽しそうだったもので…。言っても聞いてくれなかったし。
そうしてようやく落ち着いて、クリスティーナ王女の隣に座って(そこは譲ってくれなかった)、僕は乱れた衣服と髪形を整える。好き放題抱きしめて撫でられたのでぐしゃぐしゃです。
「えっと、そろそろ話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ、いいわよ。あ、やっぱり膝の上にしましょうか。その方が話しやすいわよね」
「いえ、このままでお願いします。…それでは結局、クリスティーナ王女殿下が僕に王立学園の推薦状を用意してくださったのですね」
「ええ」
クリスティーナ王女はあっさり頷くと、グラーフさんから何かを受け取った。差し出されたそれを見ると、『魔法入門魔導書』なるタイトルが書かれた本だった。促されて開いてみると、中身は僕がデルカンデラで書いてヘルマーさんに売ったものだ。
「これは、僕が書いたものですね」
「ええ。それにヘルマーが名を付け、装丁を整えたものよ。私が最初にあなたのことを知ったのはそれがきっかけだったわ」
「これが…ああ、確かに推薦状には『優秀な学術書作成の功績を認め』って書いてありました」
つまりこの本が、クリスティーナ王女の目に留まったのだ。
「そう。私が叔父様に頼んであなたを王立学園に入学させるよう推薦状を用意してもらったの。あなたが三男でよかったわ。おかげでデイブレイク子爵家ともあっさり話がついたから。長子だったらあんなに簡単に縁切りを認めるはずがないもの」
「えっと、まあ僕は少し特殊でしたから」
「そうね」
僕が妾の子であることなどは知っているのだろう。クリスティーナ王女の反応は淡泊なものだった。
「でも、そのせいであなたという才能を失ったのだから、デイブレイク子爵家ももったいないことをしたわね。いいえ、無能なだけかしら。その理由が嫉妬だなんて、浅ましすぎて言葉もないけれど」
「え…?」
「ふふ。まだ気づいていないのね。あなたはとっても優秀な人物なのよ、カナタ=リナリア」
嘲笑うような怖い微笑みを浮かべてデイブレイク子爵家を罵倒するクリスティーナ王女。い、今の笑みはなかなかに黒かったですよ…?
「まああなたなら、王立学園に通っていればすぐに頭角を現すでしょう。もしかしたら、私の隣に来るのもそう遠い話でもないかもしれないわね」
「それは、どういう…?」
「いいのよ。あなたは気にしなくていいわ。あなたはただ、王立学園での学びを楽しんでくれれば」
怖い笑みは一瞬で引っ込み、再び可憐なお姫様の顔で笑いかけてくるクリスティーナ王女。なるほど、さっきのが素ですね?
そして僕には、ただ学園生活を謳歌しろという。てっきり、なにかやらせようとしているのだと思っていたのに。例えば、さっきの本の続きを書け、とか。
「僕は、何もしなくていいのですか?なにか僕を王立学園に呼んだ意味があるのだと思っていたのですが」
「ええ、意味はあるわ。でもそれは、今のあなたは気にしなくていいの。ただただ学園で全力で学んでくれればそれでいいわ」
そっと僕の頭に触れ、優しく撫でる。その目は優しくて、でもとても力強い。
「研鑽を重ね、知識を蓄え、心を育み、そして実績を積み上げなさい。あなたならきっと、私の隣まで来られると信じているから」
そう言って、最後にポン、と軽く僕の頭を叩いてクリスティーナ王女は立ち上がった。どうやら、これで謁見は終わりらしい。
「またお屋敷にはちょくちょく顔を出すわ。外では話してあげられないけれど、そのときはまたゆっくり話しましょう」
その言葉に慌てて返事をして、僕はクリスティーナ王女のお屋敷への帰路についたのだった。