12.人様のお屋敷
あれから10日たった。
僕は毎日、部屋の書斎で本を読む日々を続けている。グラーフさんが持ってきてくれた本は、基本的なこの国の歴史、文化、地理に始まり、神話や宗教、貴族のマナーに至るまで本当に多岐にわたっていた。これ本当に全部王立学園で学ぶの?ってくらいに。
幸い読み書き計算は問題ないので、僕は今まで入手困難だったそれらの知識を片っ端から読み漁った。それはもう、こんなに本を読んだのは前世の大学時代と転生したばかりの頃くらいだ、というくらいに。一日に何冊も本を読み、その内容をまとめる。そうして出来上がったノートは今日までで実に100枚以上になった。
このお屋敷では、夜には言えば明かりをつけるための魔道具が支給された。そのおかげで夜まで読書にのめりこみ、最近ちょっと寝不足になってしまった。エリナに怒られてからはさすがに気を付けてるけどね。
「カナタ様、どうぞ」
「ありがとう、エリナ」
今日も、書斎にこもって本のページをめくる。エリナが淹れてくれたお茶を一口含む。うん、美味しい。最近エリナは屋敷のメイドさんたちと仲良くなったらしく、お茶の淹れ方などいろいろ教えてもらっているのだそうだ。今度お礼言わないと。
今読んでいるのは、僕がグラーフさんに頼んで持ってきてもらった魔法の術式に関する学術書だった。魔法関連の本は手に入り難いはずなのに、あっさりと持ってきてくれた。ほんとこのお屋敷の主って何者だろう?あれから結局、一度も会うことなく今日まできていた。
「グラーフさん、このお屋敷の主の方とお会いしたいんですけれど」
「申し訳ございません。主様はしばらくお会いになれません」
「どうしてですか?」
「それがあのお方の望みでございますので。あの方は悪戯好きでございますから」
「つまり、僕に会ったときに驚かせようとしてるってことですか」
「おそらくは。なので申し訳ございませんが、その時までお待ちください」
なんて会話が僕とグラーフさんの間で行われていたりする。
「これが“拡散”の術式で…ならこっちが“範囲指定”かな?ここの変数は“距離”を入れるはずだから…」
なんて唸りながら目の前の本と紙とにらめっこする。
勉強は楽しい。いや別に僕が勉強大好きとかそういうわけじゃなくて。魔法は特にそうだけど、知ればそれだけ多くのことができるようになるのが実感できるのが、とても楽しい。
「カナタ様、そろそろ休憩されたらどうですか?もう半日は読み続けておられます」
「え、もうそんな時間?」
だからか、こうして時間を忘れてしまうこともよくあった。外を見れば、いつの間にかお日様はかなり傾いていた。昼食を食べたのがお昼前だったので、かれこれ5、6時間は没頭していたようだ。
「お屋敷のメイドさんが夕食の時間を聞きにこられてます」
「なら、せっかくだし今から食べようか。ちょうどキリもよかったし」
「はい。お伝えします」
エリナに返事をして呼んでいた本をパタリと閉じる。伸びをすると背中がパキパキと鳴った。うーん、ちょっと長い間集中しすぎたみたい。
「失礼しますお食事をお持ちしました」
書斎から出ると、ちょうど部屋に屋敷のメイドさんが料理を運んできたところだった。エリナと二人で食器や料理を机に配膳している。茶髪のこのメイドさんは、僕がこのお屋敷に来てからよくこの部屋に来てくれるメイドさんだった。
「いつもありがとうございます」
「いえ、とんでもございません。どうぞ、お食事の準備が整いました」
微笑みと共に促され、席につく。今日のメニューは白パンに牛肉の甘辛ソース煮、野菜のスープとサラダだ。普通のメニューに見えるけど、たぶんきっとこれら全部相当良い物を使ってあるんだと思う。だってすごく美味しいし。このお屋敷の料理はだいぶ食べ慣れてきたけど、未だに感動してしまう。デルカンデラの村ではパンなんて硬い黒パンばかりだったから、まず柔らかい白パンに驚いた。日本のパンって美味しかったんだと思い出したよ。…うん、今日も美味しい。
「…今日もカナタ様は、お勉強なさっていたのですか?」
「あ、はい。せっかくグラーフさんに用意してもらいましたから、ちゃんと活用しないと申し訳ないですからね。読み終えたものはいつも通り台車に戻してあるので、すみませんがグラーフさんにお返ししておいてください」
「かしこまりました」
食事中、料理を持ってきてくれたメイドさんと時折こうして雑談を交わす。本当はマナーの上でも立場的にもメイドさんとこうして気さくに話すのは良くないんだけど、あまり機会がないので僕から頼んで話し相手をしてもらうようになっていた。ほら、メイドさんって僕から話しかけないと廊下とかで会っても全然話してくれないから。それにこうして話すことで、ちょっとでもこのお屋敷とか僕を呼んだ人物について知りたかった。
「明日の朝も、いつも通り中庭を使っても大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。明日も魔法の練習をなさるんですか?」
「ええ、まあ。毎日やっていることなので。もう日課です」
「すごいですね」
「大したことはしてないですよ」
驚くメイドさんにちょっと照れながら返す。実際、大して何か魔法を使ってるわけじゃない。今まで通り、ただ魔力球を浮かべて魔力操作の訓練をしてるだけだ。いや、さすがに僕も人様の屋敷でそれ以上何かをやる度胸はない。“水龍”とかは中庭を壊しちゃうと嫌だし。
「そういえば、メイドさんも魔法を使うんですか?」
「…?いえ、私は特には。どうしてですか?」
「いえ、メイドさんから微かに魔力を感じるので。体をうっすり覆っているので何かの魔力を纏っているのかと」
「い、いえ…私は魔法は使いません。気のせいではないでしょうか」
「そうですか。まあ、無意識に魔力を込めてることは僕もあるので、そういうのかもしれないですね」
なんて話しながら、僕は夕食を終えた。ちなみにエリナはこの後メイドさんたちと一緒に食べるらしい。それがメイドさんのルールなんだとか。主人と同じ席で食べるのはルール違反だそうだ。僕としては一緒に食べたいからちょっと残念。
そうしてゆっくりと、僕は入学までの日々を過ごしていた。