二話 TS
ユリスは、元々は男だった。名もユリスではなくユリウスと名乗っていた。
最難関とまで言われたダンジョンを、たった一人で踏破した程の凄腕ハンター。
貧困街で生まれ、親の顔も知らず、なんの力も学も持たない彼が生きるには、ダンジョンに潜る以外に生きる術はなく。命を賭け金に、その日のパンを稼いだ。
生きる為に必死で、無我夢中に走って、走って、走り続けて、気がつけば、頂きに手をかけていた。
そんな彼に付けられた通り名は、一匹狼。
誰とも行動を共にすることもなく、たった一人でダンジョンに挑む事から、そう呼ばれるようになった。
だが、そんな通り名とは反対に、周囲の人間が彼に持つ第一印象は、笑顔を殆ど絶やさず、虫一匹も殺せないような優男。
傍に居る妖精が、更にその印象を強くし、下馬評とのギャップにより、初対面では誰もが当人と信じられず、立ち寄った孤児院ではヤンチャ盛りのガキ共に必ずタメ口を叩かれ、舎弟扱いされる事もしばしば。
それでも、一度銃を抜けば、超人的な銃技を揮い、他を寄せ付けない強さを見せる。
多くの人間がそんな彼を羨んだ。やがてそれは、嫉妬や恐れといった負の感情へと変貌し、彼に嫉妬した人々は彼を罠にかけた。
「本当に、子供がここに入っていくのを見たんだよね?」
ユリウスは、薄暗い通路をランプで先を照らしながら進む。その後ろを、剣や銃を持った男三人が、距離をあまり空けずに付いて行く。
「本当ですよ。俺達はちゃんと見たんです。子供が二人、このダンジョンに入っていくのを」
ユリウスの質問に、一人の男がそう答える。
「なんでその時に止めなかったの?」
「止めようとした時には、既に中に入っちまって、A級ダンジョンに挑む程、俺達は強くありませんから、こうしてお願いしたって訳です」
そう言いながら男は、へりくだるように、ニヤつき胡麻をするように手を動かし、頭を下げる。
「といっても、誰かが通ったような痕跡はないけどね。一度引き返して……っと!」
ユリウスは通路を調べるが、襲われた跡も、誰かがこのダンジョンに入ってきた様な跡も見つからない。
男達の見間違いか、もしくは別の通路を通ったのかもしれないと思い、一度引き返して別の道を行こうと言おうとした時、突然、男の一人が剣を抜き、ユリウスに襲いかかってきた。
「危ないな、一体どういうつもりだい?」
ユリウスはそれを難無く躱すと、男達から距離を取り、肩を竦めてそう尋ねた。
「わからねぇか? 今から、お前を始末するんだよ」
「餓鬼に弱いとは聞いてたが、こうも簡単に釣れるとはな」
「始末って、君ら僕とは初対面だろう? 恨みを買うような事は、した覚えがないんだけど」
「お前が目障りで仕方ねぇんだよ」
男達は、憎悪に満ちた眼差しでユリウスを睨みつける。
ユリウスからすれば、完全な言い掛かりだ。相手をするのも馬鹿らしくなる。天井を仰ぎ、これで何人目だろうかと考えるが、数えるのが面倒になりやめる。
「武器は捨ててもらおうか」
「わかったよ」
ユリウスは小さくため息をつくと、腰のホルスターに収まっている拳銃に手を伸ばす。指先がグリップに触れそうになった瞬間、素早く拳銃を抜き放ち、引金を引く。
銃を持った男の肩と、もう一人剣を持った男の肩を撃ち抜くと、残る一人に銃口を向ける。
「急所は外してる。君こそ、武器を捨てなよ。そうすれば、今のは水に流しても良いからさ」
「この宝珠を見てもそんな事が言えるか?」
男は下卑た笑みを浮かべると、懐から真っ黒の水晶玉を取り出す。
「こいつはな、EX級のダンジョンで見つかったっつー代物よ。冒険者仲間から、大金叩いて買ったのさ」
「わざわざ僕の為にご苦労な事で、全然嬉しくないよ」
もっと他に金の使い道もあっただろうにと、肩を竦めるユリウス。
「うるせぇ、軽口が叩けるのも今だけだ!宝珠の力をくらいやがれ!」
魔法陣から眩い光が発せられ、ユリウスを包み込む。
「うわっ」
とっさに宝珠と男を撃ち抜くも、発せられた光はますます強まり、徐々にその輪郭を失って行く。
◇◆◇◆
気が付けばユリウスは、どこか森にある泉の側で倒れていた。
「……ん」
やけに、体が重く感じた。とくに胸辺りに妙な重さと圧迫感があった。それに全身が汗ばんでいる。
胸の苦しさを少しでも和らげようと、プレートを外す。するとその下から、たわわに実った二つの果実が現れた。プレートで押さえつけられ汗ばんだそれは日の淡い光が反射し、その白い肌が滑らかに光っている。
「……?」
一体何が起こっているのか全くわからないまま、ユリウスは自分の胸に手を当てた。
服の上からでも、ふわっと手を包み込む柔らかさ。夢でも幻でもない、確かにそこにあるのはおっぱいだ。
「……顔でも洗うか」
白昼夢でも見ているのかと思ったユリウスは、目を覚ますために顔を洗おうと池を覗き込むと、水面には見知った自分の顔ではなく、美しい黒色の髪に、引き込まれそうな黒の瞳の少女が写っていた。
そんな、まさかと池に写る少女に笑いかけると、少女もまたユリウスに笑いかけてくる。
手振ってみると少女もまた手を振る。
頬を摘んで引っ張って見ると、少女もまた頬を摘んで引っ張る。
「えーっと、つまり、えっと……ひょっとして女になってる?いやいや、流石にそれは……」
そんな馬鹿な事がある筈ないと、そっと下に手を伸ばす。しかし、淡い期待も無残に打ち砕かれ、果てしない虚脱感が襲いかかってくる。
手を伸ばした先、そこにあるべき筈のものは跡形もなく消えていた。
「う、嘘だろぉぉぉぉぉ」
少女の甲高い悲鳴が、辺りに響き渡った。
『なにもー、どうしたのよ……ってあらら、随分と可愛くなっちゃって』
大きな欠伸をしながら、ナディがユリウスの髪の中からもぞもぞと這い出てくる。
「ナディ大変だ!」
『見ればわかるわよ。んー、これは……ああ、なるほどね』
ナディはユリウスの瞳を覗き込み、何か考えるように人差し指を顎に当て、少しの間考え込むと、やがて納得したように頷く。
「一人で納得してないで、僕にも解るように教えて欲しいんだけど」
事情が飲み込めないユリウスは、不機嫌気味にナディに聞く。
『これは古い呪いね。と言っても別に死んだりとかはしないから安心して。ただ、呪いをかけた対象の姿を変えるの、それによってステータスも変動するわ』
「そりゃまた、泣いちゃいそうだ。で、元に戻る方法は?」
『かなり強力な呪いだからね。聖石でも使わない限り無理かな。それも弱い聖石じゃ無理ね。強力な聖石じゃなきゃ、解呪は出来ないわね』
「強い聖石って言ったって……」
ユリウスは言葉を詰まらせる。
聖石自体、今となっては一生に一度、お目にかかれるかどうかといった代物だ。
強力なものとなると、人生が十回あったとしても、目にする事が出来るかわからない。
ユリウスにとってナディの言った言葉は、一生元に戻ることは無いと宣告されたに等しい。
『それ以外に方法は無いからね』
呆れたように肩を竦めて、ナディはそう言う。
「そりゃないって……けどまぁ、ナディがそう言うなら、間違いはないんだろうね」
小さい体からは想像もつかないが、ナディは数百年生きる精霊だ。人よりも遥かに寿命は長く、それだけ知恵もある。
ナディが知らない方法を探すのは、聖石を探すよりも骨が折れる。
「まぁ、聖石探しは地道にやってくしかないかな。しかし、今はこれからどうするかだよねー。こんな姿になったの知られると、流石に不味い」
妬み嫉みの結果こうなってしまったのだ。
生きている、それも女になっていると知られれば、様々な理由で様々な者達から狙われる。
男の時ですら、それに悩まされていたユリウス。女になった挙句、悩みの種が増えるのは勘弁して欲しいという思いだった。
『大丈夫よ。呪い自体昔の遺物なのに、アンタのはその中でも特別古い呪いよ。使った本人もどんな効果があるかなんて、絶対知らないわよ』
「知らずに使うのも、すごい危ないと思うんだけど」
もしかしたら、自分に返ってくるものかもしれないとは考えなかったのだろうかと、呪いをかけた男の愚かさに呆れて、思わず苦笑をもらす。しかし、それなら幸いとユリウスは安心する。名前さえ変えてしまえば、自分がユリウスだとわかる者は居ないという事だ。
「名前、何にしようかな?」
『ユリスとかで良いんじゃないの』
「殆ど変わってないじゃん」
『ファミリーネームでもつけとけば大丈夫でしょ。レインティアとか』
「ユリス・レインティア? まぁ、それでいいか。となればハンターライセンスも取り直しだ」
ユリウスは自分の名前が書かれたハンターライセンスを、鞄から取り出して破り捨てる。
『またハンターやるの?』
「聖石探すなら、これ以上打って付けの仕事は無いから」
ユリウス改めユリスは、鞄を拾い上げると、一先ず近くの街を目指して歩く。
『ま、それもそうね』
ナディはそう言うと、ユリスの肩に乗り羽を休める。
『で、何処に向かうの?』
「とりあえずハンター協会かな。先ずはユリスとしてハンターに登録しなきゃ、ダンジョンに潜れないから」
ハンター協会に登録をし、ハンターライセンスを発行する事でハンターとして認められる。
ハンターライセンスとは、文字通りハンターである事を示す身分証のようなものであり、これがなければ、ダンジョンに立ち入る事が許されない。
『んー、その前にその服装を何とかした方がいいんじゃない?』
「確かに」
ユリウスは自分の格好を見て頷く。靴や服は体型にあっていない。何処から見ても怪しい風にしか見えない。それではハンターになる以前の問題だ。
「街に着いたら、まずは服だね」
そう呟きながらユリスは、ふと自分の手を見る。
小さく細く、マメ一つない小さな手。銃どころか、武器すら手にした事の無いような手。
「ま、こっちは別に良いか」
ユリスはその手でホルスターに収まっている拳銃を撫でながら、そう呟く。